がらくた処分場

星と占いと四番街の迷い猫【第二部】(原題/「セクサロイド? お前が?」 「そうじゃ、おかしいか?」)



84: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/19(土) 21:11:45 ID:WwKR/nmQ


………


…廃ビル、浴場


「──ノーラ、早くおいで」


既に浴槽に浸かった百合子が、まだ浴室入口でまごまごしているノーラに手招きをした。

浴場は4m四方ほどもあり、長方形の浴槽は一般家庭のそれとは比較にならない大きさだった。


「広い……なぜこんな廃ビルに大きな風呂があるのじゃ。上層階はいかにもオフィス跡じゃったぞ」

「私達のグループ、最初は別のビルにいたのよ。でもタロ兄ちゃんがここを見つけて、ハナと私がお風呂を気に入って引越しを決めたの」


頷く花子は相変わらずにこにこと笑いながら、泡立てたスポンジで身体を洗っている。

いつも緩めなシルエットの服を着ている彼女だが、その身体は出るべきところがしっかりと出た女性の理想体形に近い魅惑的なものだった。



85: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/19(土) 21:13:17 ID:WwKR/nmQ


「1階のホールも広いでしょ? たぶん1~2階と3階のテラス側はカプセルホテルとかがテナントに入ってたんじゃないかって」


いつまでも入口でもたつくノーラの手を引こうと、百合子が立ち上がった。

彼女は花子より細身だが、そのボディラインには年相応の女性らしさが現れ始めている。


「あの、儂は拭くだけで……!」

「チョーウケルー」

「えー? だって関節部とかはセラミック製で錆びないんでしょ?」


ロボットが本物の汗をかく事はない。

ただ多くのロボットで各部パーツが水分を失いきって劣化しないよう、補給した水を少量ずつ内から外へ滲ませる機構を採用している。

ごく薄いワックス成分等を含むその分泌液の事を、人間のそれに例えて便宜上『汗』と呼ぶ。

ノーラもまた同じ仕組みで造られており、せめて時々の水拭きでもしなければ肌がべたつくようになってしまうのだ。



86: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/19(土) 21:14:29 ID:WwKR/nmQ


「もう、いつまでもタオルで隠してないで。女同士だし恥ずかしくないよ?」

「うぅ……その、2人とも笑わん……か?」

「当ったり前じゃん!」


必要な箇所には防水処理が施されているため水深10m程度の圧には耐えられ、風呂に浸かる事は全く問題ない。

つまり今、ノーラが入浴に抵抗を示しているのは別の理由があるからだ。

それでもとうとう彼女は迷いを振り切り、身体の前面からタオルを除けた。


「ごめん……予想以上だった」

「うっ」


体表のパーツは分割されていて今は明らかにロボットだと判るし、身長も二人よりずっと低い。

だがノーラが抵抗を感じていた部分はそれらではなく、自身のコンプレックスの根源たる胸のサイズだった。



87: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/19(土) 21:15:23 ID:WwKR/nmQ


三人はそれぞれ大きな浴槽の一辺ずつを陣取り、脚を伸ばして肩まで湯に浸かる。

女同士で会話の花を咲かせるには相応しい環境だが、先ほどから主にノーラの周囲で空気が重い。

その事に耐え切れなくなった百合子は、意を決して口を開いた。


「ええと、すごく訊き難いんだけど……気になるから訊いちゃう」

「なんじゃ?」

「セクサロイドって、その……そういうためのロボットなのに、なんで胸を大きく造らなかったんだろう?」


気分を害されたとしても仕方ない……その時は謝罪するという覚悟で百合子は不躾な質問をしたつもりだった。

それに対しノーラは予想外の反応を見せる。


「ユーリ、よく訊いてくれた──」

「へ?」



88: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/19(土) 21:16:26 ID:WwKR/nmQ


「──儂は長年に渡り、自分を造ったメーカーを呪ってきた……しかしその愚痴を聞き、理解してくれる友人は存在しなかった」


ノーラは眉間に皺を寄せ、切なさと悔しさを滲ませた声色で忌まわしき出来事を語り始める。

もし相手がシロやサブローであれば、彼らは『面倒臭い事になった』と溜息を吐いていたかもしれない。

しかし百合子は親身になるというよりは、興味津々で彼女の話に食いついた。


「儂を造ったのはセクサロイド専門ではない、どちらかというと家事ロボットに定評のあるメーカーじゃった」

「ふんふん」

「家事ロボットは見た目を絶世の美女にはしない、あまりに美しいと家人女性の反感を買うからの。儂の背丈や顔立ちも、モデルのような美人ではなかろう?」


「でも可愛いとは思うよ」

「そう、普通に可愛いのじゃ」

「自分で言っちゃうんだ」

「チョーウケルー」



89: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/19(土) 21:17:29 ID:WwKR/nmQ


「じゃからノウハウの無いメーカーは自社製の標準仕様以外に、モデルのような美人顔を外注に造らせオプション設定とした」

「買う人が選択できるって事?」


「身体のパーツが分割されておる強みじゃな。しかし欲を出したメーカーは、別のパーツにもオプションを設定すれば利益に繋がると考え──」

「まさか」

「──標準仕様を……貧乳に設定しおったのじゃ……」


「酷い……利益のために胸の大きさを決めるなんて……」

「そんな商売をしておるからヲリエンタル工業との競争に敗れ、セクサロイド事業から撤退する事になるのじゃ……馬鹿めが」


百合子はノーラに近づいて手を握り「大丈夫、それも個性だよ」と励ました。

ただ、ロボットのノーラに対しては「いつか大きくなるよ」とは言えない……その事が悔しかった。



90: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/19(土) 21:18:49 ID:WwKR/nmQ


「ノーラ、今までお風呂はどうしてたの?」

「体表の汚れを落とすのは純水でなくとも良いからの、汲んだ川の水を使って拭いておったよ」

「それって真冬でも……?」

「うむ、ロボットにとっては苦痛という程の事ではない……が、やはり温かい湯に浸かるというのは気持ち良いものじゃな」


ノーラは掌に湯を掬い、ぱしゃぱしゃと顔を濯ぐ。

その手首や指の関節に皮膚の継目は無く『そこだけ見れば本当に人間と変わらないのにな』と、百合子は改めて思った。


しかし身体の大部分、普段は着衣に隠れる範囲を見れば彼女が機械仕掛けの存在である事は一目瞭然だ。

シリコンの皮膚に覆われた身体パーツは、全部で七分割。

頭部から胸までがひと続きになっており、背中側は肩甲骨の下にあたる部分で隙間が設けられている。

胴体はそれより下の背中部分から腹部にかけてのパーツと、腰まわりのパーツで合計三分割。

四肢はそれぞれ付け根と肘・膝で分割されており、箇所によってまちまちだがパーツ同士の隙間は数cmほどだった。



91: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/19(土) 21:20:43 ID:WwKR/nmQ


「温かいとか冷たいとか判るし、それを気持ちいいとも感じるんだ?」

「うむ、痛み以外の感覚センサーは備わっておるぞ」

「痛みが無いのはいいなぁ」

「でも人間であれば痛みを感じるような刺激を受けた場合、異常を知らせる信号は内部で発される。気づかぬ内に身体を破損しては不味いからの」


言いながらノーラは自分の手の甲を軽くつねって見せる。

皮膚の厚みや伸び具合はとてもよく再現されているが、そこに痛みは無い。


「本当にロボットなんだねぇ……なんか不思議」

「儂はロボットの自分が、ユーリやハナとこんな関係を築けておる事が不思議じゃよ」

「あはは……でもあらゆる事を記憶できるとか、それはロボットならではの特技だよね。時計見つけた時なんて魔法かと思った」



92: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/19(土) 21:21:32 ID:WwKR/nmQ


一昨日、実際に東階段の踊り場で時計を見つけ出したのは百合子と花子だ。

半信半疑で探していたが、床にある箱の隙間であっさり見つけた時は二人とも言葉を失った。


「あれはあくまで勘と推理じゃよ。しかし本当に魔法に見えるかもしれぬ事もできるぞ?」

「どんな? 見せて見せて」


ふふん……と得意げに微笑み、ノーラは浴槽から身を乗り出して痩せた石鹸を手に取る。

そしてそれを掌で泡立て人差し指と親指で輪を作ると、そこにふう……と息を吹いた。


「ただのシャボン玉じゃーん」

「チョーウケルー」


吐息を閉じ込めた透明な球体が、浴室の空中をふわふわと漂う。

なんの変哲も無い直径10cmほどのシャボン玉、百合子達はこの時点ではどこが魔法なのかと首を傾げていた。

ノーラは続けて同じ位の大きさのものを、あとふたつ作った。



93: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/19(土) 21:22:46 ID:WwKR/nmQ


「よし、見ておれ」


次に彼女は何も無い宙空に向かって、数回に分けて少し強く息を吹きかける。


「え……?」


そこで百合子が小さな異変に気付いた。

別々の動きをしていた3つのシャボン玉達が、徐々に近づき始めたのだ。

そしてその内のふたつがゆっくりと触れ合い、割れる事なく融合して少し大きなひとつの球になった。


「こっちは……もう少し上……か」


そう呟いたノーラは左手をひらひらと扇いで見せる、それだけでシャボン玉はその軌道を僅かに変えた。

またひとつ、引き合わせられるかのように虹色の球体が融合してゆく。

さながらシャボン玉に見えない糸が結ばれていて、ノーラがそれを操っているかのような光景だった。



94: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/19(土) 21:23:25 ID:WwKR/nmQ


「すごい!」

「チョーウケル……」


残るは大きなひとつのシャボン玉。

ノーラはスゥ……と息を溜め、浴室側面の壁に向かって吹きかける。

その吐息が起こしたささやかな風は壁を伝って浴槽と対面する側へと回り、それに押されたシャボン玉は三人の近くに漂ってきた。


「ハナ、顔から30cmほどのところに指を立ててくれ」


花子は言われた通り、人差し指を立ててぴたりと動きを止めた。

ノーラは様子を見ながら時折小さく息を吹いたり手で扇ぐ事を繰り返して、シャボン玉の位置に微調整を加えてゆく。

やがてシャボン玉は花子の前、人差し指を挟んだ正面に辿り着いた。


「じっとしておるのじゃぞ……」


そう言ってノーラは、最後に少し強く息を吹きかけた。



95: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/19(土) 21:24:03 ID:WwKR/nmQ


シャボン玉が花子の指に当たり、その両側面から二手に分かれるように顔の方へと伸びてゆく。

そして次の瞬間──


「おぉ……!」

「出来上がりじゃ」


──シャボン玉は花子の指先を取り込み、指を揺らせばポヨポヨと揺れる提灯の姿でそこにあった。


「なんでそんな事ができるの……?」

「プハ」


百合子が驚きに満ちた声で言うと同時にシャボン玉が割れ、花子の顔に石鹸水の飛沫が散る。


「別に練習したわけではない。勘と同じ……これも何となく解るし、できるというだけじゃ」


ノーラは泡のついた手を洗い流しながら、そう答えた。



96: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/19(土) 21:25:02 ID:WwKR/nmQ


彼女の記憶領域には過去に見た光景全てが残っている。

それは水や風、人工物・自然界に関わらず様々な物がどう動き、流れ、形を変えてゆくかが記録されているという事。


「シャボン玉に限りはせんぞ。石ころを投げた時の転がる方向や距離、ガラスのどの点に力を加えれば最も粉々に割れるか……」

「なるほど、確かに魔法だわ」

「ふふふ……あまり役には立たんがの」


つまり彼女は自身が見聞きした範囲ではあるが、50年間もの観測による膨大な物理データサンプルを持っているのだ。


「でも面白いよ。ねえ、他にお風呂でできる事ってない?」

「ここでか……うーむ」


現在、脱衣所の外ではシロをはじめ男四人が風呂が空くのを待っているが、彼らの番はまだまだ回ってきそうに無かった。



100: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/20(日) 09:47:48 ID:g/RZXMHk


……………
………


…数日後の朝、1Fホール


「──やあ、おはよう。暫くぶりだね」


その日の朝、廃ビルのホールにはいつもと違う声が響いた。

声の主の姿を認めたゴローは驚いた顔で「タロ兄ちゃん!」と声を上げる。


「連休が取れてね、元気な顔を見にきたよ」


彼こそ、この四番街グループを立ち上げた初代リーダーであるタローだった。

スラム育ちながら独りで勉学に励み、輝ける形で外の世界へと巣立った『四番街の希望の星』とも言える人物。



101: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/20(日) 09:48:41 ID:g/RZXMHk


「おかえり、暫くどころか一年ぶりくらいじゃない?」


百合子が少し呆れたように、しかし嬉しさをにじませた様子で彼に歩み寄る。

その時、ホールにはジローを除く全員が集まっていた。

つまりその中には、ひとつだけタローの見知らぬ顔がある事になる。


「なかなか忙しくてね、すまない。……ところで、この子は?」


彼の視線の先にいたのは当然、ノーラだった。

どう答えるべきなのか、シロは考えを巡らせる。

しかし昔馴染みのタローが相手だったからか、百合子は警戒心を持たずに口を開いてしまった。


「ああ……この娘はノーラっていって、シロが──」



102: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/20(日) 09:49:43 ID:g/RZXMHk


「──シロが安請け合いしてきた、北通りの孤児だよ。こっちもそんなに余裕は無いってのにな」


百合子の発言に被せて咄嗟の嘘を吐いたのは、たった今ホールに姿を現したジローだ。

すぐに百合子は己の軽率さに気づき、その口を両手で押さえた。


「親御さんを亡くされでもしたのかな? 可哀想に……」

「そんな事ぁいいんだよ。ノーラ、さっさと店を出して稼いできな」

「う、うむ。行ってくる」

「サブローかゴロー、手伝ってやれ」


ジローはノーラがこの場に長居しない方がいいと判断し、半ば無理やりに送り出した。

その理由は現在タローが身を置く場所、その職場に関係する。


「……朝から機嫌が悪そうだな、ジロー」

「誰のせいだよ、何しに来やがった」



103: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/20(日) 09:51:00 ID:g/RZXMHk


「随分なご挨拶だ。弟達が元気にやってるか気になった……じゃ、駄目かい?」

「アンタはもうここの人間じゃない。未だにスラムの奴らと関係があるなんて思われたら、立場を悪くするぞ」

「別に禁じられた事じゃ無い、なにも困らないよ」

「俺達に構ってる暇があったら、金持ちのご機嫌取りでもやってろよ。スラムの人間はロボットなんか買えやしないんだ」


彼はこの場の誰より多くのロボットを見て、そして関わっている。

普通の人には判らないような点からでも、ノーラがロボットである事に気付く可能性がある……ジローはそう危惧した。

スラムを出たタローが勤めるのは国内最大手のロボット製造メーカー、パナソニー社の開発室なのだ。


「とにかく人目の多い時間は、この近辺をウロウロするな。今すぐ去るか、日中はここにいて日が暮れたら帰るかにしろ」

「お気遣いありがとう、じゃあ夕方までは居させてもらうよ」

「俺はもう出るぞ、今日は仕事に呼ばれてる。いいか、もう二度と来るな。こいつらと今生の別れをしてから帰れ」


ジローは眼光鋭くタローを睨んだ後、吐き捨てるように「じゃあな」と言い残してビルを出ていった。



104: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/20(日) 09:52:04 ID:g/RZXMHk


………


…商店街入り口


「どうやらジローに救われたようじゃが、機嫌も良くは無かったみたいじゃの」

「うん……二人には色々あったからね」


ホールでの急な指名を請けて、今日の占い助手はゴローが務める事になった。

メンバーの中で最も幼い12歳の彼だが、タローとジローの確執について『色々』という言葉で濁すくらいには大人びている。

もちろんノーラもその事を掘り下げて聞こうとはしなかった。


ホールを出てゆくタイミングで、最後に彼女が聞いたジローの言葉は『スラムの人間はロボットなんか買えやしない』だった。

そこから察すれば今タローがどのような環境に身を置いているのか、ジローが何を危惧したのかはおよそ解った。



105: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/20(日) 09:53:09 ID:g/RZXMHk


占いの客入りは日に5~6人といったところから伸び悩んでいた。

しかも今日は普段以上に早い時間から店を開けており、通りを歩く人々は初めてこのカウンターを見る者が多い。

毎日見かけていれば『試してみるか』という気になる者もいるが、初見では訝しむ気持ちの方が強いだろう。


暫くの間は客も訪れまい……と、ノーラは何か暇潰しになる事がないか考えを巡らせた。

幼いゴローを退屈な目にあわせるのが、忍びなく思えたからだ。

彼女自身の暇潰しであれば、目を閉じて過去に読んだ本の一字一句を詳細に思い返すだけでいい。


とはいえ小さな占いのカウンターで、しかも客が近付く気を失くすような馬鹿騒ぎは控えるべきと考えれば、できる事は限られてくる。

結局思いついた現実的な暇潰しは、彼女一人の時に行うそれと同じ事だった。


「ゴロー、何か物語でも聞かせてやろうか」

「え? どんな……?」

「なんでも良いぞ。冒険の物語でも、恋の話でも。宇宙戦争の話などもできる」



106: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/20(日) 09:53:59 ID:g/RZXMHk


ノーラの提案にゴローは少し俯き、暫く黙り込む。

機嫌でも損ねたか、それとも辛い記憶でも呼び覚ましてしまったか……とノーラは焦った。


「ええと、その……おかしいかもなんだけど……」


しかし彼はむしろ、嬉しいと感じていた。

この沈黙は、少しの気恥ずかしさに葛藤していただけの事だ。


「なんじゃ? 笑わんぞ」

「ちょっと子供向けなお話がいい。お母さんが子供に聞かせてあげるような」


彼は5歳の頃に四番街のグループに入った。

それより以前の記憶はおぼろげにしか無いと、ノーラもそう聞いている。


「……承知した」


ゴローの想いを察したノーラは頷き、優しく微笑んで「昔むかしの話じゃ」と語り始めた。



107: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/20(日) 09:54:45 ID:g/RZXMHk


………


…廃ビル、屋上


「久しぶりに戻ったら、こき使われるとはね」

「懐かしくて嬉しいでしょ? はい、次つぎ干して」


タローは百合子と花子に命ぜられるがまま、洗濯物をロープに吊るす役に従事していた。

彼女らよりずっと背の高いタローならロープの端々まで使って、普段以上に多くの洗濯物をやっつけられる。

取り込む時に苦労をしそうだが、どうしても届かなければ彼と身長の変わらないジローを呼べばなんとかなるだろう。


「仕事、上手くいってる?」

「まだ下手間仕事ばかりだよ、見習いに近いね」



108: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/20(日) 09:55:22 ID:g/RZXMHk


「それでも開発室勤めなんでしょ? 『こんなロボットを造りたい!』とか、夢持ってんじゃない?」

「まあ……漠然としてるけどね、無くはないかな。……次はこれかい?」


足元にあった洗濯カゴが空になり、タローは次のものへと手を伸ばした。


「それはダメ! こっち!」

「うわ」


百合子が慌ててそれを奪い、代わりに別のカゴを押しつける。

彼が手に取ろうとした水色のカゴには、女性物の下着が多く入っているからだった。


「このカゴは男子禁制でーす、触れませーん」

「男物の下着を干すのは平気なくせに、女の子は解らないな……」


タローはそうぼやき、同時に朝ほんの少しだけ見かけたノーラの事を思い出した。



109: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/20(日) 09:56:21 ID:g/RZXMHk


「そういえば朝見た女の子は、何をしてお金を稼いでるんだ?」


問われた百合子は答える前に、自分が言おうとしている事を脳内で一度読み上げる。

朝のように軽率な発言をしかけて肝を冷やす事にはなりたくなかった。


「占いをやってるんだよ」

「へえ、占いか。よく当たるの?」

「……うん、失くし物や探し人専門なんだけどね」


タローは「失くし物なにかあったかな」と呟きつつ、洗濯物を伸ばしてはロープにかけてゆく。

一方、あまり長くこの話を引っ張られるとボロを出してしまいそうだと危惧した百合子は、違う話題を探すために辺りを見回していた。


「あ、あの空にぼんやり白い点が見えるのって彗星かな」

「え? どれ?」



110: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/20(日) 09:57:06 ID:g/RZXMHk


「ほら、エビみたいな形した雲の左側」

「まずそのエビ雲が解らないんだけど」

「チョーウケルー」


百合子は大袈裟に手を伸ばし、片目を瞑って「あそこだってば」と指差した。

その先の青空、エビと認識するには無理がある雲の脇にぼんやりとした白い点が浮かんでいる。


「ああ……あれかな? 確かにそれっぽくはある」

「まだ尾はひいて見えないんだね」

「尾を引くのはよほど太陽に接近してからだよ……と言うより、まだ昼間に見えるわけない距離だぞ」


タローがそう説明し終わる頃には、彗星と思われた白点はその形を歪に変えていた。

数ヶ月前に木星付近にあった彗星は現在、ようやく火星を通過した頃のはずだ。

百合子が見つけたのは小さな浮浪雲に違いなかった。



111: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/20(日) 09:57:51 ID:g/RZXMHk


………


…17時、廃ビル前


「じゃあ懲りずにまた来るから、みんな元気で」


まだ明るい夕方、タローは古巣に別れを告げる事とした。


「陽が落ちてから帰るんじゃなかったの?」

「ジローが帰って来て顔を合わせれば、また機嫌を損ねてしまうしな」


去る自分は良くとも残される者達が面倒を被るかもしれない、彼はそう考えた。

占いに出ている二人はまだ戻っておらず、サブローとシロ、百合子、花子の四人での見送りとなった。



112: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/20(日) 09:58:56 ID:g/RZXMHk


タローの勤め先はこのスラムと同じ縦浜市にあり、距離としてはさほど遠く離れるわけではない。

だからといって滅多に弟達の顔を見る事は叶わない、彼の胸中には後ろ髪を引かれる想いもある。

その気持ちがもたらした沈黙に、シロは今日ずっと訊く機会を逃し続けていた事を問うべきか迷っていた。


「ただいま! あれ……タロ兄ちゃん、もう帰るの?」


そこにゴローが帰ってきた。

シロは喉元まで出かかっていた問いかけの言葉を一旦飲み込んだ。

その問いの内容が、ゴローと共に戻ったかもしれないノーラに関する事だったからだ。


「おかえり、ゴロー。今日は久しぶりだったのにお前と話す時間があんまり無かった、ごめんな」

「ううん、また来てくれるんでしょ? それに今日はノーラ姉ちゃんが色んな物語を聞かせてくれて、すごく嬉しい日だったんだ」


あれからも客が来ない間、ずっとノーラはゴローに様々な物語を聞かせていた。

それがよほど嬉しかったのだろう、ゴローは『鉱山の街で空から女の子が降ってくる話とか、すごく面白いんだよ』と満面の笑みを見せながら語った。



113: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/20(日) 09:59:52 ID:g/RZXMHk


「あんた、私には『姉ちゃん』とか言ってくれた事無いくせに」

「そのノーラって朝の女の子だろ? 彼女とも話す機会が無かったな。一緒に帰って来てはないのかい?」

「うん、カウンターの片付けはやっとくから先に帰っていいって。タロ兄ちゃんと少しでも話しといでって言ってくれたんだ」


タローは「いいお姉さんができて良かったな」とゴローの頭を撫で、それを聞いた百合子は少し面白くない風な顔をしている。

その光景を見ながら、シロは意を決した。

ノーラが戻るまでまだ少し時間があるというなら、タローに質問をするタイミングは今をおいて無い。


「あの、タロ兄ちゃん。教えて欲しい事があるんだ」

「……なんだい、シロ?」

「この間、近くで野良ロボット騒ぎがあったんだ。それでその……なんていうか、野良ロボットは何がどう危険なものなの?」



114: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/20(日) 10:00:59 ID:g/RZXMHk


もちろんタローを除き、この場に居合わせる誰もが質問の大部分を占める嘘に気づいた。

ノーラはシロが連れ帰った存在だ。

すっかり仲間内に馴染みつつある彼女を今さら危険だとは思わないが、彼の中ではずっと気がかりだったのだろう。

仲間達は皆それを察し、質問を不思議がる事もなくタローの答えを待った。


「野良ロボットか……この辺りでも出るんだな」

「自分達が直面したらどうすればいいのかなって、もちろん通報とかしなきゃいけないんだろうけど……」

「うん、それは必ずしなきゃ駄目だ」


シロの質問を受け、タローは当然の事として言い放つ。

解りきっていた回答ではあったがシロは少なからず落胆し、しかしそれを表情には出さないよう努めた。

やはり僅かにでも『実際は別に危険ではない』という答えが返る事を望む想いはあったからだ。



115: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/20(日) 10:02:29 ID:g/RZXMHk


「野良ロボットの危険性については、難しい話になるよ」

「……うん、聞きたい」

「できるだけ解りやすく話そう。まず、ロボットは定期的な検査とメンテナンスを受けなければいけない……これは知ってるだろう?」


自家用と商用など用途によって有効期間の違いはあれど、それは全てのロボットに当てはまる義務だ。

その事はタローの言う通りシロ達も知っていたが、検査やメンテナンスの内容についてはよく解っていない。


「それは法定検査と呼ばれるものなんだけど、その一番の目的はロボットが『学習し過ぎない』ように保つ事なんだ」

「頭が良くなり過ぎないように……って事?」

「少しニュアンスが違うかな、ロボットはそもそも人間よりずっと頭が良い。そして記憶力も優れていて、故障しない限り一度見たものや聞いた事を忘れないんだ──」


ロボットの記憶力について、それはノーラの口からも聞いた事のある言い回しだった。

シロは胸が嫌な鼓動を打つのを感じつつ、説明の続きを待つ。



116: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/20(日) 10:04:20 ID:g/RZXMHk


自律的な思考回路を持つロボットの記憶領域には、4つの階層がある。

第1層はロボットの基本プログラムであるOSを収めた階層で、アップデート以外で変更される事は無い。

第2層はそのロボットの主人や雇われ先に関わる記憶を収める階層で、家事ロボットなら仕える家庭の事や普段買い物に行く先など『消えてしまうと使用に困る』データが記録される。

第3層と第4層は前の2階層と比べると段違いに記憶容量が大きい。

第3層はロボットが見たものや聞いた事など、第2層に記憶すべき内容に当てはまらないほとんどの『学習データ』が収められる。

そして第4層はドキュメント領域と呼ばれ、文書や大容量の映像・音声記録などが収められる階層となっている。


「──法定検査ではその第3層と第4層を消去するための『クリーニング』と呼ばれる処理を行う。これは使用者にとっての不便を招く側面はあるけど、とても大切な事なんだ」

「せっかく覚えた事を消すの?」

「うん、そうしないとロボットは無制限に情報を蓄積して、人間の予測を超えた行動に出る可能性があるからね」


自律思考型ロボットの実用化が進むにつれ、人間の研究者が最も危惧したのは『ロボットの反乱』だった。

ロボット達が秘密裏に大規模な軍隊を形成するという事は考え難いが、例えば工場で利用されていたロボットが化学兵器を作り出すのはそれより遥かに容易な事だろう。


「だから人間社会の安全を脅かさないために、ロボットは定期的に新品に近い状態に戻さないといけないんだよ」



117: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/20(日) 10:05:49 ID:g/RZXMHk


「……野良だとそのクリーニングを受けてないから、反乱を起こすかもしれないって事?」

「うん、特に第3層のデータが蓄積されると自我の形成が顕著になるからね」

「自我って、人格みたいなものだよね」

「そうとも呼べるかな。……30年ほど前からは毎月軽い自己クリーニングを行う機能を搭載する事が義務化されて、その危険も小さくなってるんだけど」


そしてタローは「まさかそれ以上古い野良ロボットは残ってないはずだから、そう心配する事はないよ」と付け加えて、説明を終えた。

しかしシロをはじめ、聞いていた者達は一様に言葉を失っている。

無理もない『それ以上古い野良ロボット』がどこかに残っているどころか、同居しているのだ。


「……自律思考型のロボットは頭が良すぎるんだ。そのおかげで1を教えれば残りの9を自分で考えて10の仕事をする、つまり教育のコストが低くてすむ……あれ? みんなどうした?」


ノーラに関する事情を知らないタローは、予想外に重くなった場の空気に戸惑った。

そしてそれを取り繕うために、ロボットについて少し違う角度からの話をしようと思い立つ。


「……偉そうな事を言えば、僕はその『全てをロボットに任せきりにする』仕組みを少しでも変えたいんだ」


それは自らが目指す夢、理想についての話だった。



118: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/20(日) 10:07:01 ID:g/RZXMHk


「自律思考型ロボットはそれ自体の価格もすごく高い、そして法定点検をはじめ維持費もかなりのものだ。だから貧しい人達にはとても買えるようなものじゃない」


彼が憂うのは、裕福な人が裕福でなければ買えないロボットを使って富を得ている現状。

スラムに暮らすような者には入り込む余地の無い、中流層以上の者だけで構成された歪な社会を指して彼は『変えたい』と唱えた。


「思考能力を持たないロボット、それも例えば人間が装着して使う言わばパワードスーツのようなものを安価に造って広めたい……僕はそれを目指してる」

「でも、そういうのって昔はよくあったような話を聞いた事あるよ?」

「そうだね、自律思考型が主流になる前はそういう方向に進んでた。けど『自分で働かなくてすむ』と考えた人間は、やっぱり怠けちゃったんだよ」

「……お金持ちらしいね」

「さっき話した通り、今は思考能力を持つロボットの危険性が再認識されて次々に規制が生まれてる。だからこそ回帰すべきだと思うんだ」


勝手に動くのではなく『元来の意味で人間が使うロボット』を安価に造り、製造業や第一次産業などの現場に売り込む。

それが普及した時に必要とされるのは、人間の労働力だ。

そうやって少しでも貧しい人々の手に仕事を取り戻す事を、彼は目指している。



119: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/20(日) 10:08:05 ID:g/RZXMHk


「きっとできるよ、タロ兄ちゃんなら」

「うん、私達には応援する事しかできないんだけど……」

「ははは……ありがとう。でも本当は、話すならそれが少しでも現実味を帯びてからにしようと思ってたんだ。これで何にも実現できなかったら格好つかないからね……」


本人のプレッシャーは増す結果となったが、思惑通り皆の顔には明るさが戻ったようだ。

これで安心して古巣を後にできる、彼は見送る者の一人ひとりと握手を交わしてゆく。


「じゃあ、みんな元気で」

「また来てね!」

「今度はジローの機嫌が良い時にするよ」

「あはは、それじゃいつまでも来られないよ」


別れ際は、手を振る誰もが笑顔だった。


「自ら話すべき事じゃった……許せ、シロ──」


──ただ一人、曲がり角の向こうに佇み、その話を聞いていた者を除いて。



123: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/20(日) 16:37:13 ID:uPi4C006


……………
………



まだ早朝と呼ぶにも早い深夜、ノーラは屋上で夜風を浴びていた。

メンテナンスのための短い睡眠の後、彼女は百合子達を起こさないようそっと部屋を抜け出しここへ上がった。

何をしている様子もなく、ただ遠い街灯りを見つめている。


「たった1日で0.3%も使ったか……昨日は色々あったしの」


自律思考能力を持つロボットには、必ず自己診断機能が搭載されている。

その診断結果はどこかに数値として表示されるわけではなく、しかしロボット本人が意識すれば判るというものだ。

温度異常、機能部の不具合、目に見えない外装パーツの破損なども確認できる。


「もっと皆を見ていたい、それだけでいいのじゃ……」


彼女の唱えた願いは夜の空気に溶け、誰も気づかない程に薄まって風に攫われた。



124: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/20(日) 16:38:03 ID:uPi4C006


……………
………


…翌週の朝、商店街入り口


「ぁの……ぅらなってほしぃんだケド……」

「ふむ、失くしものか探し人かどちらの案件じゃ?」

「さがしびと……になる……とぉもぅ」


鼻にかかった声で妙な抑揚をつけた話し方をする若い女性が、カウンター向かいに座った。

今日の占い助手は百合子と花子の2人だ。


「ぁたしの……ぅんめぇのひとゎ、どこにぃるんだろ……?」

「う、運命の人……というのは、まだ見ぬ恋の相手という事か?」



125: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/20(日) 16:39:36 ID:uPi4C006


探し人と呼べなくも無いが、この件ではノーラが推理をするための情報を揃える事は困難だ。

好みなどの条件を聞き出し、そういった異性が多そうな場所を答えるくらいはできるかもしれないが、それはノーラより客の方が詳しい。


「まぇのカレシとゎかれてから、なんもぅまくぃかなぃ……もぉマヂむり……」


つまりこのケースでは、はっきりと定まった答えを出すのではなく『恋愛についてのアドバイス』を行うのがベターだ。

しかしそれはノーラが最も苦手とする分野の事だった。


(おい、ユーリ! 助けるのじゃ!)

(この件の報酬を私の懐に寄越すならお請けしよう)

(ぐぬぬ……仕方ない)

(OK、んじゃ『恋愛についての占い担当は私』って体でいくよ!)

(チョーウケルー)


百合子は嬉々として対応を始める。

彼女に恋愛経験があるわけではないが、興味だけは人一倍持っているタイプだった。



126: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/20(日) 16:41:59 ID:uPi4C006


タローが四番街を訪れた日、その別れ際にジローを除く皆が知る事となった『野良ロボットの危険性』についての事実。

ノーラはその事によって、自分は近い内に退去勧告を受けるだろうと思っていた。


『──野良ロボットって、なにがそんなに危ないんだ?』

『なに、知らぬなら気にせんでいい。単に点検も受けずに長くを生きたというだけの事じゃよ──』


出会った日、シロはノーラにそれを尋ねた。

警戒を強めてしまう事を怖れ、詳細に答えなかったのは彼女自身だ。

仲間として受け入れられてからも黙ったままでいた事を、シロは裏切りだと感じるだろう……彼女はそう考えた。


しかしそれから数日が経過した今になっても、四番街の皆は何も言わない。

今度こそは自分の口から『それでもここにいていいのか』を尋ねなくてはいけない、そう思いつつも彼女は躊躇っていた。

このままほとぼりが冷めるならそれが無難、手に入れた居場所を失う結果を招きたくない。

そんな何よりも人間らしい『ずるさ』という感情が己の中に芽生えている、その事に彼女自身が戸惑っていた。



127: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/20(日) 16:43:41 ID:uPi4C006


「──ぁたし……がんばる! きっとすてきなヒトぉみっけてみせるょ!!」

「うん! でももうちょっと、はっきり喋った方がいいよ!」

「ゎかった! ぁりがと!」


ノーラがぼんやりと考えに耽っている内に、百合子は恋愛相談を終えていた。

ただの世間話に近い内容だったが、客が喜んで対価を払ったのだから商売として間違ってはいない。

百合子は受け取った代金を嬉しそうに自分のポケットに仕舞い込んだ。


「あ、よかった! 今日もいた!」

「ん?」


そこへまた一人の女性が歩み寄って来た。

その顔にノーラは見覚えがある、彼女は占い初日に訪れた唯一の客だ。



128: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/20(日) 16:44:51 ID:uPi4C006


「覚えてるかしら? 指輪の在り処を占ってもらった者なんだけど……」

「もちろん、覚えておるよ」

「貴女の言った通り、娘が自分の小物を仕舞い込んでる学習机のポケットにあったのよ! ほら、今日は着けてるの!」


そう言って夫人が見せた左手の指には、シンプルだが可愛らしいプラチナのリングが通されていた。

あくまで情報をもとに推理しただけの事でも、それが人の役に立てばやはり嬉しいものだ。

ノーラは「なによりじゃ」と返しながら、少し俯いて照れ笑いを隠した。


「ママ友のみんなにも、ここの占い当たるわよって宣伝しておいたから!」

「それはありがたい、口コミは大事じゃからな」

「あと娘の成長に関わる事だし、指輪をくれた主人にも経緯を話したの。そうしたら、あの人も『行ってみる』って!」

「……ご主人も何か失くしものを?」


ノーラが聞き返すも夫人は「たぶん午後に来ると思うわ」とだけ言い残し、小さく手を振ってその場を離れてゆく。

三人は首を傾げつつも、深く気に留める事はしなかった。



129: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/20(日) 16:45:52 ID:uPi4C006


「はぁ……いいなぁ」


百合子は客の消えたカウンターに肘をつき、小さく溜息をついた。


「どうしたのじゃ」

「旦那さんからのプレゼントとか、私も欲しい」

「……それはまず結婚が先ではなかろうかの?」


スラム暮らしの若者達に、アクセサリーに回す金などあるはずはない。

だからといって、その年代の少女が憧れないわけもないのだ。


「プラチナにダイヤ、あの指輪でもそれなりに値は張ろうな」

「別に指輪じゃなくていいんだよ」



130: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/20(日) 16:46:55 ID:uPi4C006


「そんな高いアクセサリーじゃなくていいの、こう……なんていうか──」


金やプラチナ、宝石のような素材から値が張るものは望まない。

ただ、玩具と呼ぶには少し贅沢なくらいの『可愛い何か』が欲しい。

ましてそれが異性からの贈り物なら、値段など二の次で良いのだ……と彼女は語った。


「──まあ、それにしたって贈り物をくれる異性を見つけるのが先なんだけどね」

「異性でなくとも良いなら、もう少しこの占いが軌道に乗れば贈らせてもらうがの。その可愛い何か……というのは、例えば何じゃ?」

「うーん……私って髪が長いし、ヘアピンよりは目をひくバレッタとか?」


百合子のささやかな望みを聞いたノーラは「覚えておこう」と頷いた。



131: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/20(日) 16:49:20 ID:uPi4C006


しかし思惑とは裏腹に、その後の客入りは今ひとつだった。

最近は日に10件に迫るほどの依頼がある事が多かったが、今日は午後の半ばに差し掛かってもまだ3件だけ。

思うようにはいかないものだと、今度はノーラが溜息をついていた。


「こんにちは、占い師ノーラ」


15時を回った頃の事、男性の二人組がカウンターに訪れた。

一人は30代くらい、もう一人はそれより若いくらいでメディアの人間が使う小型のカメラを手に持っている。


「……どういったご用件か?」

「失礼、まだ撮影はしてません。私は『Talkful』の公式チャンネルでリポーターをしている者です」


Talkfulは世界中で使われているコミュニケーションサービスで、2050年代から急速に広まった。

現在では様々な携帯端末や家庭用AV機器などにプリインストールされており、中流層以上に暮らす者であれば生活のあらゆる場面で利用するメディアとなっている。

その成り立ちは今世紀初頭にメディアの主流であったTVと、その頃に普及したインターネットによる情報発信が融合進化したものと説明されるのが一般的だ。



132: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/20(日) 16:50:23 ID:uPi4C006


「すごい! これ、取材!?」

「そのようじゃな……」


百合子は感嘆の声を上げ、髪が乱れていないかなど身嗜みを花子と向き合ってチェックした。

普段そういったメディアに触れる機会の少ないスラムの者でも、街へ出れば街頭ビジョンや電器店のウィンドウなどでいくらでも目にする事になる。

現に百合子はこのリポーターの顔に見覚えがある、その番組に自分が映るかもしれないのだ。


「午前中に来たと思いますが、私の家内がお世話になりまして」

「もしかして……指輪の?」

「家内から『お礼に宣伝をしてあげてくれ』と言われましてね。ローカル情報がほとんどなチャンネルですが、差し支え無ければ」


ノーラは自分の姿を広く発信する事に抵抗を感じたが、百合子と花子は既に上機嫌で自己紹介を始めている。

それにこれで客が増えれば、仲間達の生活費を賄う事に大きく寄与できるのは間違いない。

ボロを出さなければいいのだ……と彼女は己に言い聞かせ、深呼吸ひとつしてから「お受けしよう」と答えた。



133: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/20(日) 16:54:49 ID:uPi4C006


……………
………


…2週間後、廃ビル給湯室


ロボットが自動的に生産活動を行うこの時代では、水道や核融合炉で生成されている電気は無償で利用できる。

それはたとえスラムであっても、設備さえ生きていれば同じだった。

ただしガスはメンテナンスを怠れば危険が大きいため、高火力を求めるサービス業店舗や工場などにしか供給されていない。


この廃ビルのホール奥にも過去に事務室であったと思しき部屋が存在し、その一角に給湯室が備えられている。

大半のエリアで断線などのトラブルが発生しているこの建物において、台所代わりに使われるこの小部屋は水道と電気両方が使用可能な唯一の場所だ。

まだ百合子や花子さえ起きてこない早朝、そこにノーラの姿があった。



134: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/20(日) 16:55:37 ID:uPi4C006


「このくらいかの……?」


人間ほど長く眠る必要の無い彼女にとって、朝の活動は何ら苦ではない。

慣れない手つきで進めているのは、本人を除いた全員分の朝食準備。

ドライフルーツの入ったシリアルを皿に取り分け、次にノーラは牛乳のパックを取り出した。


「ふむ、これに注ぐのじゃな──」

「──それは食べる直前にしとけ、ふやけて不味くなる」


給湯室の入り口から、まだ少し眠そうなジローの声が届く。

内緒で朝食準備をしていたノーラは声こそ抑えたが、内心大きく驚いていた。



135: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/20(日) 16:56:51 ID:uPi4C006


「お、おはよう……ジロー」

「お高めなシリアルにヨーグルト、ハムの添えられたレタスとトマトのサラダか。スラムの朝食とは思えないな」

「勝手な事をしてすまぬ、昨日は特に客入りが良かったものでな」

「別に……贅沢が癖になっちゃいけないが、たまの事なら俺だって美味いメシは嬉しいさ」


ここ1週間、ノーラの占いカウンターは時に数人の順番待ちが発生する盛況ぶりだった。

ローカルとはいえマスメディアに取り上げられた事は、想像していた以上に大きな集客効果をもたらしたのだ。

一昨日などは別の公式チャンネルから二度目となる取材を受けたほどで『占い師ノーラ』の名はこの都市の住民に浸透しつつあった。


さらに浸透という程ではないが、その名を見かけるだけなら地元に限った話ではない。

彼女の事を報道したTalkfulというメディアは、今世紀初頭から広まったネットワークサービスの一形態であるSNSとしての側面も持っている。

占いを利用したユーザーがその事について『トーク』と呼ばれる個人的な情報発信を行うと、フレンド登録している他ユーザーがその発言を閲覧する事ができるようになる。

そしてそれが閲覧者にとって有意義なものであれば『リトーク(RT)』という機能を使う事によって、更に情報が拡散されてゆく仕組みだ。



136: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/20(日) 16:58:05 ID:uPi4C006


「この食べ物は自分で買ってきたのか?」

「それは……その、もちろん買い物の時にはロボットである事を気づかれぬよう、細心の注意を払って……」

「責めてるんじゃねえよ。50年もバレずに生きてきたんだ、それは心得てるはずだろ。……こっちの開けてない紙袋は?」

「そ、そっちは内緒じゃ!」


ジローの手が袋に届く前に、ノーラは素早くそれを奪い取った。

この袋の中身は、実はシロと約束した時計台近くの店の豚まん。

しかしあまりに豪勢な朝食を用意すると贅沢を咎められそうに思ったノーラは、シロの分ひとつしか買っていなかった。


「……えらい慌てようだな、逆に怪しく思えるぞ」

「怪しくなぞない、例えばジローはハナが買って帰った下着をいちいち『見せろ』とは言うまい?」

「なんでそこでハ……花子の名前が出るんだよ」


ノーラにつられ、うっかり花子の名を『ハナ』と呼びそうになるジロー。

小さく舌打ちをして「ロボットのそういうところが苦手なんだ」と、彼は頭を掻いた。



137: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/20(日) 16:58:55 ID:uPi4C006


「まあいい……でもお前、この1週間は一度も休んでないだろ。大丈夫なのか?」

「儂はロボットじゃからの、疲れる事はないよ。でも、ありがとう」

「そうじゃねえよ、このままだと街の奴らが1日も休まないお前を見て怪しむんじゃないかって言ってるんだ」

「ああ……それは、確かに」


ジローは短い溜息をつき、そこで会話を途切れさせた。

本当は彼の言葉にはノーラの身体を気遣う想いも含まれている、溜息はそれを素直に表現できない自分に呆れてのものだった。


「今日は占いは休みだ、これからも週に一度か二度は休め」

「解った、そうしよう」

「それと……朝飯の後ゆっくりしてからでいい、買い出しに付き合ってくれないか」



138: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/20(日) 16:59:49 ID:uPi4C006


ノーラは驚いた。

彼がそんな事を頼んでくるのは初めてだったからだ。

荷物持ちを頼むならシロでもサブローでも、彼女より適任と思われる人材は他にいる。

だがその疑問以外に、彼女がジローの要求を断る理由は見当たらなかった。


「……嫌か?」

「嫌なものか、ジローの都合の良い時に声を掛けてくれ」

「じゃあ、だいたい10時頃からだと思っとけ。それより早いと開いてない店がある」


ジローはそう言うと、ノーラが了解の返答をする前に給湯室から出ていった。

その前に交わした朝食についての会話を思えば、彼の機嫌が悪いという印象は無い。

少なくとも『出ていけ』という話をされるわけではないだろう……と、ノーラは彼の真意を深読みしてしまう自分を心の中で諫めた。



142: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/21(月) 09:11:42 ID:V7Ck2vPQ


………


…午前11時前、市街地


「──何も買わぬままに随分来たが、今日は何の買い出しなのじゃ?」

「まあ、色々だ。手荷物持ったままウロウロしたくないし、一番遠い目的地から先に行こうと思ってよ」


ジローはそう答えたが、スラムでの暮らしに必要な物など実際はどこでも買える。

せっかく出て来たのだからある程度の買い物はして帰るつもりだが、彼の本当の目的は違った。


「遅れてるぞ」

「ジローが速いのじゃ」


彼の歩む速度はノーラにとって早足のそれに近い。

もし彼女がロボットでなく人間の少女であれば、既に音を上げていただろう。



143: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/21(月) 09:12:43 ID:V7Ck2vPQ


中心部ではないものの街路には様々な店が並び、歩道を行き交う人の数は地元商店街前の通りとは比較にならない。

特徴的なのはすれ違う者達の内、比率で言えば圧倒的に人間が多い事だ。

食料や日用品の店ではなく服や雑貨など趣味性の高いショップや飲食店が目立つこの辺りは、それを楽しむ必要と権利を持たないロボットにとって用の無いエリアなのだろう。


「おい、早く渡れ」


ぼんやりと青緑色に光っていた横断歩道の白線の輪郭が点滅を始め、最後の横断者であるノーラが渡り切った瞬間に淡い赤色に変わった。

それと同時に横断歩道への進入部の空中には、ホログラムの帯が浮かび『進入禁止』『はいらないでください』『Do not enter』の文字が順番に表示されている。


「昔は昼間の街中がこんなに派手ではなかったものじゃ」

「人が多いところで妙な話をするな」


自動車がその動力に内燃機関を搭載しなくなって久しいが、静か過ぎて接近に気づかないという欠点は克服されていない。

ただ近年ではほとんどの車をロボットが運転しているので、事故が起こる可能性は非常に低くなっていた。



144: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/21(月) 09:13:28 ID:V7Ck2vPQ


出発から1時間ほども経った頃、2人は大きな都市公園を歩いていた。

街路に比べれば人は少なく遊歩道は広い。

ここでなら他者に聞かれては不味いような話をする事も可能だろう。

ジローがノーラを連れ出した目的、それは何という事はないただの『会話』だった。


「なあ、ノーラ」

「……なんじゃ?」

「俺はロボットが嫌いなんだ」


彼らしいぶっきらぼうな言い方だ……と、ノーラは思った。

語る相手がロボットそのものである事を思えば酷い言い草だが、そんな話をするためにわざわざ1時間も歩かないだろう。

ちょうど向かいから来た者とすれ違うのを待って、ジローはまた話し始めた。


「今、すれ違った奴らを見たか」

「ああ……目の不自由なご老人なのじゃろうな、手を引いていたのは介助ロボットじゃった」



145: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/21(月) 09:14:21 ID:V7Ck2vPQ


「じゃあ、撮影した光景を電気信号として直接視覚野に送る視覚障がい者向けの機器……何十年前から研究されてるか知ってるか?」

「時々、古い新聞などで目にした事はあるが」

「開発研究になかなか予算がつかないんだってよ。たぶん実際には金をかけて実現しても採算が合わないんだろう」

「需要が少ないという事か?」

「それを買えるような家庭なら、身の回りの事は今でもロボットがやってくれてる。福祉の面からしても、行政は『間に合ってる』と判断してるんだ」

「人口的には少数の上位市民か……その内で視力を持たぬ者など、確かに限られておろうな」

「つまりロボットを買えない層で、しかも目が見えない奴は社会から見捨てられてんのさ」


公園中央の池のほとりで、ジローは歩みを止めた。

池には噴水があり、そこから常にたつ水音が会話を盗み聞かれる事を防いでくれる。

ベンチも備えられたここは、二人が話をするにうってつけの場所に違いなかった。



146: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/21(月) 09:15:02 ID:V7Ck2vPQ


「まあ、座れよ」

「……買い物は? ここが目的地の最も遠いところなのか?」

「まあな、正しくは目的の物を見せられる場所ってとこだ」


そういってジローは、ベンチに対面する方向を指差した。

揺れる池の水面に影を落とす巨大なビルが、その先にに聳えている。


「あれがタローがいる所、世界最大のロボット製造メーカーの本社ビルだよ」

「なんと、あんな大きな会社じゃったのか」

「まるで地べたで生きる貧しい人間を、雲の上から見下ろしてるみたいだろ」

「ふむ……じゃが、少なくともタローはそう考えるような者ではなかろう」

「あいつはスラムにいながら、ロクな教材も無いのに独りで勉強をしてた。いつか貧しい暮らしをしてる奴の助けになれるような、そんな仕事をしたい……ってな」



147: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/21(月) 09:16:09 ID:V7Ck2vPQ


「バイトして大学にも進んで……ところが世に出てみりゃなんて事はない、金持ち相手の商売の筆頭みたいなロボットメーカーに勤めやがった」


言葉を切ったジローはビルを睨んでいた視線を空に向けて、ふぅ……と息を吐く。

そしてノーラの方を振り返り、今まで見せた事のない寂しげな笑顔で「だから逆恨みなんだ」と弱々しく言った。


「ロボットは便利過ぎるんだよ、平凡な人間にとってそれまで当たり前だった仕事や生活を奪ってしまうくらいに」

「……儂は何もできんロボットじゃが、それでも耳が痛いな」

「でもそれはロボットを利用する人間のせいであって、ロボットのせいじゃないんだ。解ってても割り切れずに……お前が来たばかりの時も当たり散らしちまった」

「スラムに暮らしておれば、無理もない想いじゃよ」


「だから……その、あれだ」

「どれじゃ?」

「……悪かった、ごめんなさいだ」



148: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/21(月) 09:16:49 ID:V7Ck2vPQ


人間よりも遥かに早い計算能力を持つノーラだが、ジローが今なにを言ったのか正しく理解するには数秒が必要だった。

そして理解すると同時にたまらなく可笑しくなり、思わず顔をくしゃくしゃにして笑い出してしまう。


「ぷっ……あはははは! 似合わん、全くもって似合わんぞ……」

「うるせえよ」


ジローにしてみれば性格上、かなりの思い切りが必要だったに違いない。

ひとしきり笑った後、今度はノーラが「すまんすまん」と謝る番となった。


それから彼女は、以前に立ち聞いた『タローが語った夢』についてを、ジローに話した。

タローが造ろうとしている、正しい意味で『人間が使用できる』ロボットの事。

それを広め、人間の手に労働を取り戻すという理想。

彼が『貧しい者の助けになりたい』という想いを忘れてはいない事を。



149: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/21(月) 09:17:36 ID:V7Ck2vPQ


「ちぇっ……なんとなく、あいつなら何か考えがあるんじゃないかって思いはしたんだ。でも言ってくれりゃいいのによ」

「少しでも実現の目処が立たなければ言い出せなかったとも言っておったよ」

「はぁ……格好つけなのは昔からなんだよなぁ」

「それはジローも人の事を言えまいて」


最後の余計な一言に、またしても「うるせえ」と口を尖らせるジロー。

ノーラは今度こそ笑いを噛み殺そうとしたが、また小さく失笑してしまった。

ただそんな彼女にもまた、タローの話をしたこの流れを借りてでも謝りたいと思う事がある。


「儂も皆に謝らねばならん。その話を立ち聞きした時、タローが皆に語ったのは夢の事だけではないのじゃ」

「何を話したんだ?」

「野良ロボットの危険性じゃよ……それは本来なら儂自身が皆に語らなければならんかった。それを知った上で、儂をあそこに置いてくれるかを問うべきじゃったと思う」



150: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/21(月) 09:18:34 ID:V7Ck2vPQ


「なんだ、そんな事か」

「ジローはあの時おらんかったが、危険性について知ってはおるのじゃろう?」

「まあな、クリーニングされない事による自我の暴走ってやつだろ? たぶん、花子も知ってたと思うぞ」

「ハナか……なんとなく解るな。あの娘はいつもにこやかにしておるが、それでいて常に皆を見守っているように思える」

「見守るっていうか、怒ると怖ぇんだよ」

「ほう? そっちは予想外じゃが、どうやらジローは怒らせた事があるようじゃの」


長く気に病んでいたノーラの打ち明け話、しかしジローの反応はとてもあっさりとしたものだった。

ノーラ自身も予想はしていたが、やはりジローは危険性を知っていながら彼女が仲間でいる事を許可してくれていたのだ。


「もちろん最初にお前の話を聞いた時は、それも心配だったよ。でも怪しい占い師の真似事してまでスラムに仲間入りしたいなんて、危険なほど頭が良いとは思えないだろ?」

「ぐぬぬ」

「……それが今じゃ稼ぎ頭だ。『明日は倍稼いでこい』って無理難題言ったつもりが、本当にしちまいやがって」



151: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/21(月) 09:19:20 ID:V7Ck2vPQ


「では儂はこれからも居候していて良いのじゃな?」

「その質問、試しに弟達の誰かにしてみな。きっと『何言ってんだ?』って、呆れられるぜ」


ノーラは今その場所を治める者から、そこで暮らしてゆく許しを得た。

だからこそ今度は彼女がそこで暮らし続けられるよう、己の未来を手繰り寄せなければならなかった。


「ならば、やはり何とかせねばならんな」

「……何をだ?」

「欲張りになったものじゃ。最初は、こんな満たされた日々の中で最期を迎えられるなら文句は無いと思っておったのに──」


それはスラムで暮らし始めて間もない頃から、既に気づいていた事。

彼女はそれから、ロボットである自分が迎えようとしている『限界』についてをジローに語った。



152: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/21(月) 09:20:03 ID:V7Ck2vPQ


………


…商店街入口


「──あ、ノーラ! よかった、帰ってきた!」


まだ数十メートル手前にいる時点で、荷物を提げたジローとノーラの耳に百合子の声が届いた。

二人とも先ほどから「あの人だかりは何だ?」と首を傾げていたが、どうやらノーラに関係がある事は間違いないようだ。


「何事じゃ? 占い待ちの人々にしても数が多すぎよう」

「それが……すごい人が占ってもらいに来てるんだよ。ほら、あの真ん中にいる人」

「ノーラ! 早くはやくー!」


人ごみの中で応対にあたっていたシロが、背伸びをしてノーラを呼ぶ。

彼と対面しているその『すごい人』と呼ばれた男は、歳は40代後半位だろうか。

なかなかの長身で、少し太り気味ではあるがきちんと身なりを整えた上品な男性だった。



153: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/21(月) 09:20:58 ID:V7Ck2vPQ


「おい……なんか見た事あると思ったが、ありゃこの前の選挙で当選した市長だぞ」

「なんと、なぜそのような者がスラムにまで」

「ちょっと! 急いでってばー!」


疑問だらけではあったが、いい加減にしないと温厚なシロも苛立ち始めているようだった。

ノーラとジローは呼びに来たゴローと共に、小走りで人だかりの中心へと向かった。


「ちょうど戻って来られるとは、私は運がいいな。初めまして、占い師ノーラ」

「お目にかかれて光栄じゃ、市長殿」

「私をご存知だったか、驚かせてすまない」


本当はつい今しがた知ったところだが、有名な人物を占い師が知らないのでは特に大勢の前なら具合が悪い。

ノーラが小さな手を差し出すと、市長は倍もありそうな大きい手でそれを優しく握った。



154: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/21(月) 09:21:59 ID:V7Ck2vPQ


現市長は半年ほど前の選挙で、初当選を果たした。

掲げるスローガンは『必要な豊かさを保ちつつ、弱者を切り捨てること無き社会を』という理想論に近いものだった。


過去にも多数派である下層に暮らす人々の票を得て当選した候補者は少なくない。

しかしほとんどの者が当選後には選挙時に掲げていた理想を小さく折り畳み、弱い者に見てみぬふりを決め込んでしまう。

期待を寄せていた人々は幾度も裏切られてきたのだ。


しかしこの現市長は当選後4ヶ月で大手海外メーカーの工場誘致を決め、そこに半数以上の割合で人間を雇用できるよう協議を進めている。

その事が評価され、彼は投票者達からの絶大な信頼を築きつつあった。


「私は一般に中流層と呼ばれる家庭の出ではあるが、そこに留まれるかギリギリの暮らしでもあった」

「なるほど、貧しい者達の暮らしも明日は我が身だったかもしれぬ……という事か」

「しかし政治は綺麗事だけで成り立つほど甘いものではない、有権者の味方に徹する事もまた難しい面がある」


この市に企業を誘致したという事実は、他の都市がその恩恵を得られる機会を奪う事でもあった。

社会的弱者は、この街以外にも当然存在するのだ。



155: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/21(月) 09:23:08 ID:V7Ck2vPQ


「私は自分を選んでくれた市民のために尽くしたい。対立候補に投票した方々であろうと同じだ。いくらでも説き、理解を得たい」

「想いは半年前と変わってはおらん、と」

「そう信じたい。しかし、がむしゃらに取り組むだけで広い範囲の人々の暮らしを変えられるのか、恥ずかしながら当選して初めて難しさを知ったのだよ」


市長は膝に手をついて腰を落とし、ノーラと視線の高さを合わせた。

柔らかに微笑んだ男の瞳には、不安や迷いはあれど曇りは無い……ノーラはそう感じた。


「私はこの四番街の暮らしも護り、良くしていきたい。だからそこで暮らす少年少女が『街の話題』になっていると聞き、是非会ってみたかった」

「儂はただの、しがない占い師じゃよ」

「では、占い師ノーラに頼もう。失くしものとは呼べないかもしれんが……私が掲げた理想に近づくための道は、どこにある?」


シロが「はい、ノーラ」と偽水晶玉を手渡すと、立った状態の彼女は普段のように手を翳しはせず胸に抱いて眼を瞑った。


「ふむ、これは……なるほど。先を描こうとすれば見失うのも無理もあるまい」

「ほう、なんと出たね?」



156: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/21(月) 09:23:58 ID:V7Ck2vPQ


「そなたの前に道は無い。道はそなたが『がむしゃらに走った後ろに生まれ続けている』……水晶はそう言っておるよ」


ノーラの言葉を聞き終わった市長は背筋を伸ばし、暫く黙って想いを巡らせた。


「……できるだけ多くの事を成そうとすれば、市長の任期はとても短い。私は前を向く事に捉われ過ぎたのだろうか」

「それもそなたの誠実さの表れじゃ。しかし時には振り返り、成した事が後にどんな結果をもたらしたかを見る事も必要かもしれぬ」


そこで「あのね、市長さん」という呼び掛けと共に、周囲にいる者の中で最も幼いゴローが歩み出る。

市長は彼に向き直り、また姿勢を下げて目線を揃えた。


「君もこの四番街の子かな?」

「うん、ノーラ姉ちゃん達と一緒に暮らしてるよ。市長さん、先月から配給の中にちょびっとお菓子が入るようになったんだけど……」

「ああ……僅かだが、その分の予算を取るようにしたんだよ」



157: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/21(月) 09:24:44 ID:V7Ck2vPQ


「それがすごく嬉しかったんだ、ありがとう!」

「そうか、それは良かった……本当に」


市長は顔を綻ばせてゴローの頭を撫でる。

そしてまた背筋を伸ばしノーラに向き戻った彼は、もう一度その大きな掌を彼女に差し出した。


「……過去にした事を『正しかった』と自負できれば、迷い無き一歩を踏み出せるというわけだな」

「時には振り返って『最良ではなかった』と感じる事もあるやもしれん。しかし立ち止まって案ずる間があれば、数歩戻ってやり直すだけじゃよ」

「ありがとう、ノーラ。……決して忘れまい」


二人が交わした二度目の握手は、優しさを籠めた最初のそれよりもずっと力強いものだった。



161: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/21(月) 18:14:47 ID:NGGklrNM


……………
………


…数日後、夜のホール


「あれ、まだノーラもいたのか」

「サブロー、もうみんな屋上へ?」

「さっきゴローが声掛けて回ってたからな、たぶんそうだろ。俺、トイレ行っててさ」


日暮れ間もない頃、ゴローが「屋上から彗星が見える」と皆に呼び掛けた。

風呂の当番であったノーラはすぐに上がる旨を伝え、このホールで同じく出遅れたサブローと遭遇した。

急いで階段へと向かう2人、しかし示し合わせたかのように同時に歩みを止める。


「ノーラ、ちょうど良かった。訊きたい事あったんだ」

「ちょうど良い、サブローに話したい事があるのじゃ」


そしてまた同時に、ほぼ同じフレーズを口にしたのだ。



162: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/21(月) 18:16:07 ID:NGGklrNM


呼びかけ合う形となり、遠慮した二人は更に「お先にどうぞ」とも言い合ってしまう。

ノーラはこれを続けていても仕方がないと考え「では、先に言わせてもらおう」と前置いて話し始めた。


「先日、タローが来た時の事じゃ」

「こないだの?」

「……皆、儂が自分で語ろうとしなかった『野良ロボットの危険性』について、タローから聞かされたじゃろう?」


数日前、ジローと公園で話した事によりノーラの気持ちは幾分か楽になったが、あの日にタローの話を聞いたのは残りの仲間達の方だ。

つまり彼らにとっては、未だに『真実を知りつつノーラ本人からは聞いていない』という事になる。

皆がそれをどう思っているのか、ノーラはずっと胸の靄が完全には晴れないでいた。


またその事もあって彼女は、ジローには打ち明けた懸案事項の解決に踏み切れていない。

もしここから『出ていけ』と言われるなら、解決する必要性を失うからだ。



163: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/21(月) 18:17:28 ID:NGGklrNM


シロはそもそも彼女を連れ帰った人物であり、性格を考えても後から『出ていけ』と言う可能性は低い。

ゴローも物語を読み聞かせた時から、彼女を姉と慕うようになった。

同室で毎夜語らい、風呂で裸の付き合いも重ねている百合子や花子がそう言うとも思えない。


「自分で言わなかった事は、とてもずるかったと思う……申し訳ない」


最終的にノーラが『今のところ最も接点が薄く、もしかしたら危険視されている可能性がある』と考えた相手は、残るサブローだった。

そして彼女は遂に、その是非を問いかけたのだ。


「あの……それでも儂は、これからもここに居て良いじゃろうか?」

「いいよ。それで、俺の話なんだけどさ、絶対誰にも──」

「──ちょ、ちょっと待ってくれ! 今、よく聞いておったか!?」


ノーラは慌てた。

肯定の言葉を期待していたとはいえ、覚悟を決めて臨んだ問いの答えが3文字とは予想していなかった。



164: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/21(月) 18:18:24 ID:NGGklrNM


「儂は危険な野良ロボット、それに『どう危険なのか』を隠してきたのじゃぞ……?」

「え? ノーラって危険なの?」

「いや、そうではなく」

「じゃあいいじゃん、俺の質問していい?」

「う、うむ……」


ちゃんと伝わっているのかどうか釈然としないまま、今度はノーラがサブローの質問を受ける事になってしまう。

これでは胸の靄が晴れたのか、彼女自身にもよく判らない。


「ほんと、絶対誰にも言わないでくれな?」

「うむ、解った」

「えっと……女の子ってさ、どんなプレゼント貰ったら喜ぶと思う?」


サブローはいかにも気恥ずかしそうに、後ろ頭をぼりぼりと掻きながら尋ねた。



165: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/21(月) 18:19:23 ID:NGGklrNM


相手の情報も予算の指定も無く、ましてノーラが最も苦手とする恋愛絡みと思しき相談。

普通なら推理のしようが無いはずだった。


「バレッタ」

「へ?」


しかし彼女は即答した。


「髪留めのバレッタじゃ」

「……えらいピンポイントだな」

「サブローくらいの歳なら、玩具と呼ぶには少し贅沢な程度の『可愛い何か』がちょうど良いと思うのじゃ」


サブローは少しの間「うーん」と唸り、やがて大きく頷いた。


「うん、でもそれでいい気がする。ありがとな、ノーラ!」



166: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/21(月) 18:20:37 ID:NGGklrNM


「じゃあ、屋上へ行こうぜ!」


やはり照れ臭さがあってか、彼は話が終わり次第そそくさと階段へ向かった。

ノーラはその様子に小さく失笑し、少し遅れて後を追う。

そして階段を数台上がった時だった。


「なあ、ノーラ」

「ん? なんじゃ?」


不意に彼女の頭上から届いた声、2階手前まで昇っていたサブローが手すりから身を乗り出している。


「さっきのノーラの話、これで合ってんのかは解らないんだけどさ」

「……ふむ?」



167: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/21(月) 18:21:46 ID:NGGklrNM


「ロボットだろうと人間だろうと、危険かどうかなんて結局は『悪い奴かどうか』と同じなんじゃねーかな?」

「悪い奴かどうか……か」

「人間にも悪い奴はいるんだ、そんで俺はノーラが悪い奴だとは思えない。だからノーラは危なくないよ」


彼はそう言うと「じゃあ急げよ!」と残して、階段を2段飛ばしで駆け上がっていった。


「……皆がそんなじゃから、儂の限界が早まるのじゃ」


独りになったノーラは、ぽつりと恨み言ともとれる台詞を零す。

ただ、その表情は喜びを湛えていた。


「忘れたく……ない……」


それはきっと人間であれば頬には涙が伝っているだろう、嬉し泣きの顔だった。



168: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/21(月) 18:22:58 ID:NGGklrNM


………


…屋上


サブローに少し遅れてノーラが屋上に上がると、既に皆が西向きの一辺に集まり空の低いところを指差して賑やかに語らっていた。

その方向の空はまだ僅かに赤みを帯びて、頭上の大部分も漆黒というよりは濃紺と表すのが近い色合いだ。


「本当に彗星か?」

「全然尾を引いて見えないんだけど」

「まだ太陽から遠いし、それに尾を引いてたってかなり地球に近い方を向いてるから判り難いんだよ」

「んー、なんとなく他の星より輪郭がぼんやりしてるような……」

「でしょ? 昨日見た周りの星との位置関係が違ってるから、きっとそうだと思うんだ」


ゴローは興奮気味に彗星の事を説明している。

ノーラはその邪魔にならないよう、静かに聞く者の列に加わった。



169: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/21(月) 18:24:42 ID:NGGklrNM


幼い彼は星や生き物が大好きだが、この街中では動物や昆虫に触れられる機会は少ない。

だがさほど多くはなくとも星なら見える、今回の彗星にかけるゴローの期待は相当なものだった。

数ヶ月も前から夜空を見上げ続け、そしてようやく高い確率で彗星だと信じられるものを見つけたのだ。

今の彼が、かなり舞い上がった様子なのも無理はない。


「エリー彗星……じゃったの」

「うん、そう呼ばれてる。ちょっと由来は怖いけどね」

「由来?」

「古い映画で使われた造語らしいんだけど『Extinction Level Event』の頭文字をとってるんだって。意味は……」

「『種の滅亡をもたらす出来事』といったところじゃな。確か彗星は当初、地球に衝突する可能性があると言われておったのじゃろう?」


ゴローの言う通り、その名は前世紀末に公開された映画から引用されたものだ。

その映画は彗星と地球の衝突を描いたもので、いかにも世紀末滅亡説などが流行ったその時代らしい。

実際には彗星衝突危機の可能性は、数年前に否定されている。



170: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/21(月) 18:26:07 ID:NGGklrNM


「おい、あれは? 星が動いてる、あっちが彗星なんじゃねーの?」

「まだ動いて見えるわけないよ、最接近の時にだってほとんど止まって見えるはずなのに」

「じゃ、あれは何だよ。飛行機みたいに点滅はしてないぞ」

「もしかしてUFO!?」

「チョーウケルー」


サブローが見つけたそれは確かに飛行機ではなさそうだが、一方向に直線的な動きでゆっくりと東の空の高いところを進んでゆく。

しかし見つけてから十数秒後、その光を弱めた後に消えてしまった。


「……雲に隠れたのかな?」

「周りには星が出てるし、雲は無さそうだがな」

「たぶん人工衛星だと思う、日暮れ間もない頃は太陽の反射光で見える事があるって」



171: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/21(月) 18:27:52 ID:NGGklrNM


「あれか!? 世界の秩序を守る……!」

「多国籍軍のミサイル衛星は静止衛星だから、肉眼じゃとても見えないよ」


名の挙がったミサイル衛星は2050年代に打ち上げられ、現在も静止軌道で世界の番人として機能している。

先進国や経済主要国からなるG25が主体となって運用する共同軍事衛星で、核兵器に代わる抑止力として計画されたものだ。

実際に使用されたのは2061年に一度だけ、それも『都市部への落下』が懸念された直径30mの小惑星撃破という任務だった。


故に当初、今回の彗星に対してもミサイル衛星を使用するのではないかという見方もあった。

彗星の本体は直径約13km、大部分が氷だが内部には2km近い大きさの岩石のコアがあると推定されている。

しかし大小合わせて1,000発近いミサイルを搭載したその衛星なら、破壊する事も不可能ではないという検証結果も得られていた。


「じゃあ彗星も見られたし、体が冷える前に入ろう」

「風呂ならできておるぞ」

「ゴロー、もっと大きく見えるようになってたり、尾が出てたら教えてくれよな」

「うん、毎晩見てるから必ず呼ぶよ」



172: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/21(月) 18:28:52 ID:NGGklrNM


皆は夜風に冷えた肩をさすりながら屋上を後にする。

その一番後ろを歩んでいたノーラが、シロの肩を叩いて呼びかけた。


「シロ、ちょっと良いじゃろうか」

「ん? どしたんだ?」


シロは立ち止まり振り向く。

しかしノーラはすぐには話し始めない、他の皆がドアの向こうに消えるのを待っているのだ。

その様子に彼は、これから聞く話が何かしら重大な内容である事を予感した。


「ノーラ、みんな行ったよ」

「少し長い話になる。寒ければ部屋に邪魔をしても良いのじゃが」

「いいよ、大丈夫だ」



173: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/21(月) 18:30:42 ID:NGGklrNM


すう……と、ノーラが深呼吸をする。

やはり大切な話なのだと察し、シロは唾を飲み込んだ。


「タローから聞いた話にもあったと思う……ロボットの記憶領域の事じゃ」

「……知ってたのか。隠れて訊くような事をしてごめんな」

「隠しておったのは儂じゃ、シロは何も悪うない。記憶領域には4つの階層がある……覚えておるか──?」


第1層は基本OSで第2層が所有者に大きく関わる記憶、第3層は見聞きした大量のデータ、最後の第4層が映像等のドキュメント領域。

ノーラはタローが語った通りの事を手短におさらいした。


「──第1層の領域は儂の場合、全容量の10%程度じゃ。第2層も同程度じゃが、儂は所有者情報を持たないが故に『使用できない未開放領域』となっておる」

「残り80%に50年分の記憶があるって事だね」

「そうじゃ、3層と4層はパーテーションされていない。そしてそれはこの50年間でも5割程しか使われてはいなかった。ここに来た時点で全体に占める使用領域は約63%じゃったよ」



174: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/21(月) 18:31:50 ID:NGGklrNM


50年間の内、初めの頃は比較的早く使用領域が増していった。

全ての事が初めての経験であり重複しない……つまり圧縮できない記憶なのだから、それも当然だっただろう。


「野良になって7年程の頃じゃろうか、使用量の増加は緩やかになった。年に1%も増す事は無くなったのじゃ」

「本をたくさん読んでもその程度なのか」

「そのようじゃな。それから儂は段々と自我を強めていったが、それもデータ量としてはさほどのものではなかった──」


彼女がこれほどまでに強くはっきりとした自我を発現したのは、所有者情報が与えられていなかった事が理由のひとつでもあった。

記憶領域の一部が制限されてはいるものの、逆に自分の人格を築いてゆく事には制限が無い。

持ち主の意向や嗜好に合わせる必要が無かったからだ。


「──いくら自我が強く発現しようと感情を表す機会が無いのじゃから、当然じゃったのかもしれんな」



175: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/21(月) 18:33:58 ID:NGGklrNM


「じゃあ……まさか」


そこまでを聞いて、シロはノーラに迫る危機の内容に予想がついた。

しかももしそれが正しければ、その原因には自分が関わっている事になる。


「儂の現在の記憶領域使用率は76%……第2層に当たる約10%は使えぬから、実質残り容量は15%も無いのじゃ」

「それは……急激に使用率が増したのは、ここに来たから?」

「通常ではあり得ぬほど強くなった自我が、初めて前面に出る機会を得た。最も複雑で大量のデータを産むもの……それは人間に近い人格をもって人間と接する経験じゃった」


喜怒哀楽といった感情の機微、相手の反応、50年分のサンプルをもってしても予想外の事ばかりな日々。

本来ならロボットがそこまで形成する筈のない複雑な感情を持ったノーラは、四番街という居場所と仲間を得る事で急激にデータを蓄積し始めた。


「……もし記憶領域を全て使ったらどうなるんだ」

「解らない、そんな例は聞いた事が無いのじゃ。過去のデータが消去され上書きされてゆくのか、あるいはもしかしたら動作出来なくなるのかもしれん」



176: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/21(月) 18:34:59 ID:NGGklrNM


「僕が……連れ帰ったから」


顔を曇らせ、拳を握るシロ。

しかしノーラは微笑み、首を横に振って言った。


「あのまま100年を孤独に過ごすより、ここでの数ヶ月を過ごして朽ちる方が幸せじゃ。儂はシロに感謝しかしておらんよ」

「でも!」

「そう……『でも』じゃ、儂は自分がこんなに欲張りとは知らんかった」


そして彼女は顔を上げ、シロの目を見た。

勇気と決意、少なからぬ不安を内包した凛々しい表情だった。


「儂はずっとここで皆と共に暮らしたい。何ひとつ忘れて良い記憶なぞ持ってはおらぬ。今までも、これからもじゃ」

「……そうだよ、その通りだ! 何とかしなきゃ!」



177: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/21(月) 18:36:12 ID:NGGklrNM


「この話は買い出しに行った時、ジローにもしたのじゃ」

「ジロ兄ちゃんは何て?」

「考え得る対策は、タローの手を借りるくらいしかない……と。儂もそう思っておった」


ただ、それは大いに危険を孕んだ手だ。

タローはロボットを造る者、つまり野良ロボットの危険性を誰より把握している者だからだ。

その彼に野良ロボットの存在を知らせ、しかもそれを救えと頼む事になる。


「大丈夫だ、ノーラ」


しかしシロは、ノーラの細い両肩を掴んで言った。

少し驚いた彼女の目に映るのは、今まで見た事のない力強く男らしいシロの顔だった。



178: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/21(月) 18:38:18 ID:NGGklrNM


「心配ない、僕がタロ兄ちゃんに頼む。無理だなんて言わせない、絶対に」

「シロ……」

「きっと何とかしてくれる、もう大丈夫だよ」


彼女はこの打ち明け話で、元々はシロに『タローに救いを求める事の是非』を問うだけのつもりだった。

タローに接触する良い方法を思いついてはいなかったが、まずは自分がここで暮らすきっかけとなったシロに許しを得なければならないと考えただけ。

だが彼は『自分が動く』と宣言した。


「明日にでもタロ兄ちゃんに会うよ。ノーラは必ず身を隠してて」

「……身を隠す?」

「万一に備えて、いつでも逃げられるように。タロ兄ちゃんが良い返事をくれれば屋上に何か目印を出すから、それから帰っておいで」



179: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/21(月) 18:39:41 ID:NGGklrNM



もしもタローとの交渉が決裂して彼がノーラを捕縛しようとした場合、彼女は四番街に居てはいけない。

シロは何としてでも彼女を救うつもりだ。

今のところタローの力を借りる以外に手は無いが、それが駄目だったとしても次の手段を探す。

ノーラが捕獲部隊に連行されて全ての幕が閉じるなど、まっぴらだと考えた。


「……またシロの厚意に甘える形となってしまう」

「だから何だよ、それが最良だ。ノーラなら解るだろ?」

「すまぬ、でも──」


ノーラは50年を生きても『恋愛』というものが解らないと言った。


「──ありがとう、頼む……シロ」

「ああ、任せろ」


しかし女性が男性に惚れるのは、きっとこんな時なのだろう。

彼女は機械仕掛けの心で、そう感じていた。



184: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/22(火) 09:05:46 ID:tLUCrzaw


……………
………



《──こんばんは、Talkful公式放送『ニュース22』の時間です。本日はゲストに明日香秋男さんをお招きしております。明日香さん、よろしくお願いします》

《よろしくお願いします》

《さて、明日香さんにお越し頂いているという事は、皆さんももうお解りかと思います。今日は遂に肉眼でも観測できるようになったエリー彗星について特集を──》


文字通り目に見えるまで近づいた彗星は、次第に人々の関心を深く集めるようになっていた。

メディアでも連日のように特集が組まれ、観測しやすい時間や見える方向、過去の大彗星についての記録映像などを紹介している。


《──彗星が観測しやすくなって本当に興味は尽きないんですが、明日香さんは『とある事』にお気づきになったとか?》

《はい、私は様々な角度から彗星の神秘を追ってきました。その結果、彗星の軌道に注目すべき異変を発見したのです》



185: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/22(火) 09:07:01 ID:tLUCrzaw


《異変……と、言いますと?》

《まず彗星は、木星の引力の影響を受けて軌道を変えたようです。それは予想されていた通りだったのですが──》


彗星は木星付近を通過する際に、その強大な潮汐作用により大きな4つの欠片に分裂した。

そして単体として質量の軽くなったそれらは後に、影響を受けないと言われていた火星の引力によって、それまでの計算とは違う軌道をとったのだ。

4つの内、最も軽かったひとつは火星の引力を抜け出せずそこへ落下し消失した。


《──残り3つの内、およそ大きさの揃った小彗星2個は火星の引力により軌道を変えた後、僅かに加速しました》

《ほう、では残りのひとつは?》

《残りのひとつ、大彗星も軌道は変えられましたが火星の公転により離脱時にはおよそ加速分だけ減速し、結果的に速度は変わりませんでした》

《それでは前のふたつと大彗星は距離が開いたという事ですね?》

《そうです、少しずつその距離を広げつつあります。しかし問題はそこではない──》



186: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/22(火) 09:08:07 ID:tLUCrzaw


現在、人々が特に注目しているのは今後の彗星の動きだ。

それは特集番組に限らずアマチュア天文家も多く指摘し、SNSなどを用いて情報を発信している。


《──3つの彗星は、地球に衝突する可能性があります》

《その場合、地球にはどのような被害があるのでしょうか?》

《彗星核の実際の大きさが判らない限り、はっきりと断定はできません。しかし仮に推定通り直径2kmの岩石コアを持つとすれば、これは人類存亡の危機です──》


彗星の地球衝突について政府や公的機関からの発表は無く、どの情報も信憑性に疑問のある噂に過ぎないレベルだ。

しかしどの時代においても『世界終末説』というのは、多くの人の興味を惹く話題でもある。

人々は次第に彗星に天体ショーとしての期待と、世界滅亡の不安という異なる想いを寄せるようになっていった。



187: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/22(火) 09:09:31 ID:tLUCrzaw


……………
………


…公園、噴水前のベンチ


「──シロ、自分が何を言っているか解ってるのか?」

「うん、そのまんま『ノーラは50年生きた野良ロボットだけど、危険じゃないから助けて欲しい』と言ってるつもりだよ」


タローと落ち合ってすぐにシロは本題を切り出した。

彼らが待ち合わせたそこは、奇しくもノーラとジローが話した公園中央にある池の畔。

他者に聞かれたくない話をするにはちょうど良いと考え、シロが指定した。


四番街で彼らが根城とする廃ビルの隣りには、放棄された古いマンションがある。

ほとんどの部屋が老朽化により住むには危険だが、比較的まともな数部屋には住人が暮らしており廃ビルの子供達とも親交が深い。

特に1階に暮らす家族とは仲が良く、その家庭はスラムでは珍しい通信回線を契約しているためシロ達は過去にもそれを借りた事があった。

ノーラから己の危機について打ち明けられた翌日、シロはその方法でタローに待ち合わせの約束をとりつけたのだ。



188: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/22(火) 09:10:27 ID:tLUCrzaw


「突然『大事な話がある』とか、何事かと思ったら……本当に突拍子も無い事を」

「ごめん、でもタロ兄ちゃんの力を借りるしかなかった。絶対に何とかしたいんだ」

「僕はロボットを造る側の人間だ、野良の危険性なんて研修時代から嫌と言うほど聞かされてきた。いいか、シロ……悪い事は言わない、今すぐ通報するべきだ」

「嫌だ、さっきも言ったよ」


頑として言う事を聞かないシロに、タローは深い溜息をついた。

シロはこんなに無茶を言うような性格では無かった筈だ……そう考え、ノーラに誑かされているのではないかと疑った。

もしそうだとすれば、それこそが知能が高過ぎる野良ロボットの危険性そのものなのだ。


「……やっぱり駄目だ、僕は力にはなれない。そしてその野良ロボットを見過ごす事もできないよ」

「お願いだ、タロ兄ちゃん。もう一度考えて、ノーラを救って欲しい……いや──」


シロは言葉を途切らせるとベンチから立ち上がり、タローの前に回って深々と頭を下げた。


「──お願いします、ノーラを……僕らの新しい家族を助けて下さい!」



189: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/22(火) 09:11:04 ID:tLUCrzaw


「やめろ、お前にそんな真似されたくなんかないぞ」

「お願いします!」

「できない、ロボット技術者の端くれとしてその一線は越えられない」

「タロ兄ちゃんしか……貴方しか頼れる人はいないんだ!」

「くどいよ、シロ。無理だと言ってる」


タローも立ち上がり、頭を下げ続けるシローの肩に手を置いて「すまない」と呟いた。

それでもシロは頭を上げない。


「諦めてくれ。そして……僕はこの事を通報する、それを許して欲しい」

「嫌だ、諦めない」

「もうやめよう、こんなやりとり無駄だ。僕は可愛い弟の辛そうな顔を見たくはないよ」

「……協力してくれないなら、僕はもう貴方の弟じゃない」



190: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/22(火) 09:11:57 ID:tLUCrzaw


「何てことを言うんだ、よしてくれ」


タローはシロの両肩を掴むと、大人の腕力で彼の上体を無理矢理に起こさせる。

そして、その顔を見て愕然とした。


「お前、泣いてるのか」


シロは涙を零している、しかしその表情から女々しさは微塵も感じられない。

本当は今でも心から慕っている兄に対して、決別を覚悟した悲しみ。

それを揺るぎない己の信念で抑え込んだのだ。


「なんで、そこまで……」


もしこの要求を断れば、シロは本気で自分と縁を切るだろう……タローはそう感じた。

ノーラと比べれば共に過ごした時間は、彼の方が遥かに長い。

だがそれはシロにとっては別の話、どちらとの情がより深いかが問題なわけではない。

タローは弟分に縁を切られようと生きてゆけるが、ノーラの未来は誰かが救わなければ閉ざされる。



191: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/22(火) 09:12:55 ID:tLUCrzaw


「要求を断れば、そのロボットを連れて駆け落ちでもしそうだな」

「僕がノーラと二人で逃げるとか思わないでよ」

「……どういう意味だ」


シロはごそごそと自らのポケットを探る。

そこに収まっているのは、彼にとって切り札とも呼ぶべきものだった。


「どうしても断られたら、これを返してこいと言われてる」

「これは……」

「『ノーラは家族だ、でも救う力を持ちながら家族を救わない者は家族じゃない』……これはジロ兄ちゃんからの伝言だ」


シロが取り出して見せたのは、タローがジローに託した腕時計。

この突拍子もない申し出は、シロの一存による暴走行為ではない。

少なくともジローはそれを認め、交渉が決裂した場合には彼もまたタローとの縁を切る覚悟だという事だ。



192: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/22(火) 09:14:15 ID:tLUCrzaw


「……半ば脅迫めいてるな」

「こっちも必死なんでね」


もしジローとシロが四番街を抜けたら、あるいは全員がノーラを庇い居を転々とするようになれば、その生活は今より著しく困窮したものになるだろう。

タローが真っ先に不安視したのは、最も幼いゴローの事だった。


『──今日はノーラ姉ちゃんが色んな物語を聞かせてくれて、すごく嬉しい日だったんだ』

『あんた、私には「姉ちゃん」とか言ってくれた事無いくせに』

『いいお姉さんができて良かったな──』


そして同時に彼は先日、自分が四番街を訪れた際の事を思い返して葛藤した。


きっとノーラは皆を誑かすような事はしていない、むしろ皆が彼女を必要としているのだ。

野良を匿う事が罪とは知りながら、それを犯してでも守るべきかけがえのない家族の一員になっている。

だが自分はロボット技術者だ、野良の危険性を軽んじる事はできない。



193: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/22(火) 09:15:39 ID:tLUCrzaw


「彼女の型式は」


渦を巻く様々な思考の中、ひとつだけ他の何とも混ざらず残った想い。

彼はそれに基づいて口を開いた。


「製造メーカー、年式、モデル名が判らなきゃ何もできないぞ」

「……パナソニー製38年式、SD-01」

「なんてこった、歴史的な赤字を刻んだというウチのセクサロイドじゃないか」


家族を救えない者に多くの人を救う事などできない、それがタローの導き出した答えだった。

ノーラがシロ達にとって家族なら、それは自分の妹でもある。


「必ず救うとは断言できない、だけど手は尽くしてみるよ」

「ありがとう、本当に……生意気を言ってごめん」

「全くだ、大きくなりやがって。ジローにも言っておいてくれ、時計はサブローかシロに譲るまでちゃんと持っとけ……いいな?」


タローは眉間に皺を寄せた笑顔で、シロの頭を小突いて言った。



194: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/22(火) 09:16:30 ID:tLUCrzaw


……………
………


…翌週、占いカウンター


「──次の方、どうぞ」


占い師ノーラのカウンターは相変わらずの盛況ぶりだった。

人通りの少なくなる朝10時頃から午後4時くらいまでは客のいない時間もあるが、その前後は休む暇も無い。

そしてここ数日、妙に増えた相談があった。


「彗星は本当に地球にぶつかるのか判りませんか?」

「その質問は多く頂くのじゃが、儂は失くしものや探し人が専門であってじゃな……」

「そうですか……不安で仕方ないんですが」



195: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/22(火) 09:17:42 ID:tLUCrzaw


今日は占いの助手として百合子と花子がノーラについている。

客が途切れた隙には取り留めのない会話に花を咲かせ、先ほどはたまたま表に出てきたジローに「真面目にやれ」と釘を刺された。


「さすがに彗星の軌道を推理するのは、様々な観測データに目を通さねば無理じゃよ……」

「占いで『ぶつからない』って言われたからって安心できるのかなー?」


彗星に関する占いの依頼は、多ければ日に10件ほどもある。

ほとんどが地球衝突の可能性についてだが、中には『最期の日は好きな人と過ごしたい』と恋愛相談に絡める者もいた。


前にも増して人々が彗星の軌道を不安視するようになった事には、ちょっとした理由があった。

度々放送されていた彗星衝突の危機を特集する番組や記事が、先週末あたりからぴたりと無くなったのだ。


無沙汰は無事の便りなどとも言われるが、このケースにおいては当て嵌まらない。

報道規制が敷かれたのではないか、収容能力に限りがあるシェルターに真実を知る者だけが逃げたのではないか……など、様々な憶測が飛び交っている。

情報が無い事により人々には疑心暗鬼が生じ、外国の一部地域では略奪が起きているとの情報もあった。



196: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/22(火) 09:18:39 ID:tLUCrzaw


「彗星もだいぶ近付いたようじゃし、気になるのは無理ないかもしれんがの」

「どう見ても他の星より大きいし、輪郭もぼんやりしてるもんね」


百合子は一昨日が誕生日で、当日は珍しく祝いの席が設けられた。

ノーラが占いで収益を得るようになったため、ケーキを用意する事ができたからだ。

正確な彼女の誕生日は判らない、だから四番街に身を寄せた日が誕生日という事になっている。

ゴローが花屋で余り物を束ねてもらったブーケ以外にプレゼントは無い、一般的にはささやかなパーティーであったが大いに盛り上がった。

とはいえ、正確には──


「……ん? どしたの、ノーラ?」

「ユーリ、そのバレッタ似合っておるぞ」

「うっ」

「チョーウケルー」


──パーティーが終わってから、個人的なプレゼントはあったようだ。



197: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/22(火) 09:19:42 ID:tLUCrzaw


「そ、そんな事よりノーラの身体の方は大丈夫なの?」

「ふふふ、話題を逸らしおったな?」


ノーラの記憶領域不安は、まだ解決したわけではない。

しかしタローが動いてくれる事となった時点で、シロは皆にその経緯と今後はタローの連絡を待つ旨を話した。


『なんで早く言ってくれなかったの』

『このままだと、どのくらいもつんだ?』

『絶対にタロ兄ちゃんが助けてくれるよ!』


誰もがノーラを心配したが、同時に皆のタローに対する信頼は絶大なものだった。


とりあえず今のところノーラは普段通りに過ごしている。

ただ記憶領域の残量が1割を切ってもタローの連絡がない場合、できるだけ余計な記憶を溜め込まないよう個室に閉じ篭る事とした。


そして更に10日ほどが経ち、その時は現実のものとなったのだ。



198: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/22(火) 09:20:30 ID:tLUCrzaw


……………
………


…2週間後、ノーラの部屋


その日は雨だった。

11月も半ば、灰色の空からは日差しが注ぐ事もなく部屋は冷え切っている。

人間ならばせめて毛布にくるまっていないと過ごせない室温だろう。


《──ノーラ、起きてる?》


ドア越しに届いたシロの声、ノーラは「起きておるよ」と返しドアの目の前まで歩んだ。

しかしシロがドアを開ける事は無い。



199: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/22(火) 09:21:39 ID:tLUCrzaw


《昨日はどのくらい増えた?》

「0.04%というところじゃ、まだ残り8%くらい領域は残っておる」

《こうして大人しくしてて、半年分ってとこか……》


シロがドアを開けないのは、ノーラに余計な映像データを記録させないためだ。

彼女は今、日のほとんどを目を閉じて過去に読んだ本の内容を思い返しながら過ごしている。

食事は水以外必要無いし、風呂はどうしても入らなければならないわけではない。

それでも人間のシロからすれば余りに退屈で寂しい時間に思え、不憫でならなかった。


《ごめんな……こうして話しかけるのも良くは無いんだろうけど》

「ううん、嬉しいよ。皆、元気にしておるか?」

《うん、でも百合子なんかはノーラと話せなくなって火が消えたみたいだ》



200: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/22(火) 09:22:57 ID:tLUCrzaw


見つかる事を怯える必要もないこの日々は、50年の長い時を思えばノーラにとって苦ではない筈だ。

過去に読んだ本の情報量は、その時と同じペースで文章を思い返すなら数年もかかる。


しかし彼女はこうしてシロと話しながら、自分の内に過去には無かった感情が強くある事に気づいていた。


『寂しい』

『顔を見て話したい』

『皆と会いたい』


そのような人間臭さをもって人と接すれば、記憶領域に大きなデータとして刻まれてしまう。

ノーラは「ロボットが寂しいなど想うものではない」と己に言い聞かせ、自分の中の感情に見えぬふりをした。

その『我慢』や『諦め』という感情も、人間らしさのひとつだと知りながら。



204: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/22(火) 16:44:47 ID:E/2SZQdU


……………
………


…1週間後、夕方


相変わらずノーラが過去に読んだ文章を頭の中で思い返していると、やけに騒がしい足音が近づいてきた。

彼女の様子を伺いに来るのは主にシロだが、普段なら彼はできるだけ静かに歩いて来る。

その方がノーラの意識を乱さず、少しでも新たな記憶を増やさずに済むような気がしたからだ。


故にノーラは、訪れたのはサブローか百合子かもしれないと考えた。


《はあ……はぁ……ノーラ、大丈夫?》

「シロ? どうしたのじゃ、そんなに急いで……?」


しかしドア越しに届いた声は、少し息を切らせたシロのものだった。



205: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/22(火) 16:45:46 ID:E/2SZQdU


《今、容量の残りは?》

「まだ7%以上はある、そんなに急には変わらんよ」

《この街に来てから今まで、1日で増えた最大のデータ量はどのくらいだ?》

「1%を超えて増えた事はないが……」


その返答を聞くや、シロは部屋のドアを開け放つ。

ノーラは驚き、同時に久しぶりに見る彼の顔に強い安堵感を覚えた。

しかしそれも束の間、シロは部屋に立ち入ると前触れも無く彼女を抱き締めたのだ。


「ちょ、シロ!? どど、どうしたシロ!」

「ノーラ、もう大丈夫だ! タロ兄ちゃんから連絡があった!」

「なんと……本当に……」



206: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/22(火) 16:46:57 ID:E/2SZQdU


ついさっきの事、隣りの廃マンションに住む音成家の夫人がこのビルの1階ホールへ訪れた。

音成家はシロがタローに連絡を取る際にも利用した、通信回線を持つ家庭だ。

そして夫人はタローから預かったという伝言を、ちょうど1階にいたシロに伝えた。


『準備が整った。明日の夜帰るから、その場ですぐ作業できるように』


整備工場などに赴かず、この場で作業ができるというのは実に危険が少なく好都合だった。


「外装パーツが分割式である事が幸いしたかもしんな」

「良かった……本当に、ホッとしたよ」

「……それは良いのじゃが、いつまでこのままじゃ?」


ノーラを抱擁したままだった事に気づいたシロは、慌てて距離をとった。

彼女は悪戯な顔をして「儂を使いたくなったにしても、先に風呂くらい浸かりたいぞ」とシロをからかう。

その様子に彼は、出会った日に彼女が手に持った下着を見せながら自分をからかった時を思い出し、腹立たしさと共に懐かしさを感じた。



207: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/22(火) 16:47:54 ID:E/2SZQdU


……………
………


…翌朝、シロの部屋


朝食も済ませたシロは、自室で時間を潰していた。

ノーラがいなくては成り立たない占いも、ここ暫く店を開けていない。

最初こそ恥ずかしさに抵抗を覚えていたあの時間だが、気づけばそれを手伝う事はグループの皆にとって楽しみのひとつになっていた。


シロは横向きに寝そべり、ゴローがどこかでもらってきた中学生向けのテキストを捲っては幾度も解いた問題に目を這わせる。

答えの知れた設問など何の面白みもない、どうしていたって彼の頭の中は今日の夜の事でいっぱいだった。

こんな方法でタローが訪れるまでを過ごすなど気が遠くなりそうだ……そう考えた時、部屋のドアがノックされる。


《……シロ、おるか?》

「ノーラ? ……いるよ、開けていい」



208: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/22(火) 16:48:51 ID:E/2SZQdU


静かに開いた扉から姿を現したノーラは、何やら気まずそうにしている風に見えた。

それもそのはず、彼女自身が昨夜「いかに明日にはタローが来てくれるといっても油断してはいけない」と、その時まで記憶領域保護のため自室に篭ると宣言したのだ。


「どうしたんだよ、大丈夫なのか?」

「う、うむ……それが……」


彼女は昨夜、恐ろしく長い夜を過ごしたという。

タローの手立てが本当に上手くいくのか、もし失敗した場合には次の手を探すまでもなく記憶が消えてしまうのではないか……そんな事を一晩中ずっと考えていた。

その結果、できるだけ心静かに過ごしてきた最近としては異常なほど記憶領域の侵蝕が進んでしまったのだ。

だがそれも一晩で0.2%ほどの話、まだ残り領域は充分にあり慌てる必要は無い。



209: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/22(火) 16:49:37 ID:E/2SZQdU


「ただ、そんなつまらぬ時間で記憶を刻んでしまうくらいなら、皆と普通に接した方が良いと思ったのじゃ……」

「そりゃそうだね、僕も晩までどうやって時間を潰そうかと思ってた」

「もしかして……の話じゃが、処置が失敗すれば今日が儂にとって最期の──」

「──待った、そんな事言うな」


縁起でもない……と、シロは彼女の頭を小突く。

そして彼は立ち上がって「よし」と呟き、ノーラが思ってもいなかった提案をした。


「遊びに出よう、ノーラ。お金を使うようなところには行けないけど、きっと時間が過ぎるのは早くなる」

「あ、遊びに……?」

「やれる事はやった、あとはタロ兄ちゃんを信じるしかないんだ。今日は夕方まであちこち行こうよ」


ノーラは数秒ほど呆気にとられた後、とても嬉しそうに顔を綻ばせ頷いた。



210: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/22(火) 16:50:39 ID:E/2SZQdU


………



「シロ、あれは?」

「映画館だよ、あそこは大きいところだから普通のホログラム上映のシアターだけじゃなくて、昔ながらのスクリーンもあるんだ」

「ああ……あれが映画館か、シロは行った事があるのか?」

「昔、なんかのお祭りの時に無料開放しててね。そのスクリーンの方で古いアニメ映画を観たんだ。ええと……時を隔てた男女の精神が入れ替わるラブストーリーだったと思う」


ジローと歩いた時に比べると、シロとノーラの歩調は近いものだった。

小走りになったりする必要は無く、少しだけシロがゆっくり歩けば彼女はその隣をキープする事ができる。


「あ、信号変わる。ノーラ、手」


渡り慣れない横断歩道では僅かに出遅れる事もあったが、そんな時もシロは自然に手を差し出した。

季節は晩秋、駅前のメタセコイア並木は鮮やかな黄色やオレンジに染まり、ただ散歩をしているだけでも観光気分に浸る事ができる。



211: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/22(火) 16:51:37 ID:E/2SZQdU


ほんの冷やかしでカジュアル服の店に入ると、すぐに試着を勧める店員がつきまとった。

身体に触れられては不味いと考えたノーラは「今日はシロの服を見にきたのじゃ」と彼を人柱にする。


「よくお似合いですよー」

「う、うん……どう、ノーラ?」

「チョーウケルー」

「てっめえ」


それでも極力無駄な金は使わず、シロだけが必要とする昼食も配給のビスケットをポケットに忍ばせている。

幾らかの金を持ってきていたノーラが「今日くらい美味しいものを食べれば良い」と言うと、シロは「じゃあ飲み物だけ」と小さなパックの牛乳を差し出した。


「シロは背が高くなりたいのか?」

「そりゃなりたいよ、ジロ兄ちゃんくらいになれたらいいな」

「ならんでいい、歩くのが大変になるからの」


言いながらノーラは『先の事を思い描くのは気が早い』と考え、それが顔に出てしまう。

それを見逃さないシロは「今、弱気になったろ」と、また彼女を軽く小突いた。



212: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/22(火) 16:52:25 ID:E/2SZQdU


午後3時、二人は煉瓦畳みの大通りに出た。

食料や日用品の店ではなく、服や雑貨など趣味性の高いショップや飲食店が目立つその街並みに、ノーラは見覚えがある。

ジローの買い出しに付き合った際に歩いた所だ。


「……シロ、少しお金を使っても良いじゃろうか?」

「ノーラが稼いだお金だろ、ちょっとくらい誰も文句言わないよ」


ノーラにはその時に見かけ、いつか立ち寄りたいと思っていた店があった。

一度歩いた道も全て記憶し忘れない彼女、今度は目的の店までシロの手を引いて歩く。

シロの手に伝う彼女の体温も人工的な機構によるものには違いない、それでも彼はその温もりを心地よく自然なものに感じた。



213: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/22(火) 16:53:09 ID:E/2SZQdU


「ここじゃ」

「ペットショップ? なんでまた?」

「入っても構わんか?」

「別に入るのは全然構わないけど……動物飼うならみんなに相談しなきゃいけないぞ」


街中にあるだけに、店内はさほど広くはない。

しかしその至る所にケージやガラス窓の部屋が設けられ、その中で犬や猫をはじめとした動物が愛想を振りまいていたり無愛想だったりといった賑やかさだ。

入り口と反対の一角には、爬虫類や観賞魚のコーナーもある。


「この子が可愛いのぅ、真っ白な柴の子犬か」

「なんとなくノーラのイメージは犬よりは野良猫なんだけど」

「自分でもそう思う、じゃからこの子の名はシロじゃな」

「もうちょっと迫力ある犬に例えられない?」

「無理を申すでない」



214: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/22(火) 16:54:05 ID:E/2SZQdU


ゆっくりと店内を見て回り、ケージひとつひとつで足を止める。

店内には売り物ではなく看板猫らしき自由に歩く三毛猫が1匹、ノーラがそれを撫でようと手を伸ばした時などはシロの方が肝を冷やしていた。

もし手を噛まれでもしたら、彼女の傷は自然には治らないのだ。


「儂はこのピンポンパールが可愛いと思う」

「金魚は断然和金、何より安い」

「出目金も愛嬌があって良いな……」

「それ、なかなか掬えないし」

「なにも金魚掬いの話はしておらぬぞ?」


ノーラは『言葉を覚えます』とポップのついたオウムに対し、かなり必死になって自分の名を教え込んだ。

しかしいくら教えても「ノムラ!」としか聞こえず「誰じゃそれは……」と肩を落としていた。


「たぶん『シロー』は言えるぞ?」

「試さんで良い、出来てしもうたら悔しい」



215: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/22(火) 16:55:07 ID:E/2SZQdU


ひと通り店内を歩いた後、ノーラはある商品が集められた売り場で足を止めた。

そこは生き物そのものではなく、いわゆるグッズが並んだ一角だ。


「この辺り……ああ、あった」

「え? ノーラ、ほんとに何か飼う気なの?」

「シロは、どれが似合うと思う?」


そう言って彼女が指差した棚には、様々なサイズ・デザインの首輪が陳列されている。

どれが似合うかを訊くならせめて先に欲しい犬種だけでも言うべきじゃないか……シロはそう考えた後、ようやく彼女の真意に思い至り目を丸くした。


「ノーラ……もしかして」

「しーっ、大きな声で言うでないぞ。変に思われてしまう」


ノーラは動物を飼おうとしているのではない、選んだ首輪を着けるのは彼女自身なのだ。

どれが似合うかという問いは、まさに自分を指しての問いだった。



216: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/22(火) 16:56:13 ID:E/2SZQdU


「でも……偽物の首輪は着けたくないって」

「今はの、持っておきたいだけじゃ」


ここへ来てからの日々で、ノーラは自分の内面がそれまで以上に人間じみてきていると感じていた。

記憶限界の危機に際しても、当初は心から『長く生きた最後にこんな幸せがあったなら思い残す事はない』と考えていたのだ。

それがやがて怖くなり、惜しくなり、もっと生きていたくなった。

シロの、仲間達の生涯を見ていたい。

彼らを本当に家族だと信じていたい。


「それでも儂はロボットじゃよ。人間に憧れる想いもあれど、自分が人間の為に尽くすべき存在じゃという事もまた誇りに思っておる」

「僕は……もう、ノーラがロボットだとか気にならなくなったよ」

「それはそれで嬉しい、しかし自分の中では忘れてしまいたく無い。自分を人間じゃと思い込み、鏡を見る度に『違う』と失望するのは辛いものじゃ」


だから彼女は、自分がロボットである証を所持しておきたいと思った。



217: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/22(火) 17:49:12 ID:PCnDOD3.


ロボットでありながら家族を得て、忘れるのではなく『それでもいい』と認め合い共に生きてゆく。

それがノーラが夢見る未来、今夜あと僅かな障壁が取り除かれれば手が届く筈の明日の形なのだ。


「儂に今をくれたシロが選んだ首輪なら、きっと持っておくだけで気が引き締まる」

「うん、ノーラがそう言うなら。ちょっとびっくりしたけど、そっか……自分が生まれた理由を忘れたくはないもんな」


ノーラはシロの方に向かって姿勢を正し、そっと目を閉じた。

どれが似合うかイメージしろ……という事だ。

シロは彼女の白い喉元にそれを着ける様子を想像し、なんとなく背徳的な気持ちになってしまう。


「どんなのが良いって希望はないの?」

「よほど奇抜なものでなければ、シロの好みで選んで欲しいぞ」

「じゃあ……これか……いや、これだ」


彼が手にとったのは、厚めな革製で臙脂色が基調のもの。

シンプルだが決して地味ではなく、表面にはエスニックな模様が彫刻されていた。



218: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/22(火) 17:57:09 ID:PCnDOD3.


「うむ、良いな。儂も好きな感じじゃぞ」

「よかった」

「……防犯カメラもある、さすがに試着しては不味かろうの」


ノーラは会計を済ませ、先に出ていたシロを追った。

もう冬が近付いているこの頃は、日が暮れるのも早い。

まだ17時にさえならないというのに、東の空は既に紺色に染まりつつあった。


「待たせたの、そろそろ帰らねば」

「こんな季節なんだな」

「ん? 何がじゃ?」


店の前の歩道でシロが見ていたのは、街の催し事を列記した映像が映し出されたホログラムの掲示板だった。

そこには『イルミネーション点灯期間11月13日から1月7日、18:00から24:00』との表示がある。

この道はあと1時間ほどで光の渦に包まれるのだ。



219: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/22(火) 17:58:44 ID:PCnDOD3.


「見たいが、ちょっと遅くなり過ぎるじゃろうな……見たいが」

「さすがにタロ兄ちゃんが先に着いてたんじゃ具合悪いしなぁ……」


ここから四番街までは、徒歩でおよそ30分。

点灯してから少し見て帰るにしても、戻りは19時頃になってしまう。

タローは『夜に帰る』と言っただけで何時とは指定していないが、この時季の19時は充分に夜と呼べる時刻だろう。


「今日、タロ兄ちゃんが処置をしてくれれば、またいつでも来られるよ」

「……そうじゃな。どうせ日が暮れれば占いも閉める、何なら明日でも来られるくらいじゃ」


今日は首輪を購入した以外、特に大きな出来事は無かった。

それでもノーラにとっては過去に体験した事が無いほど楽しく、時間の早く過ぎる1日だった。

楽しみは残しておいた方がいい……彼女はそう考え、シロに向かって掌を差し出した。

こんな特別な日は、これから何度もあると信じて。



223: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/23(水) 06:32:42 ID:ZrMskpK2


………


…1Fホール


日が暮れて間も無く、シロとノーラは四番街に帰り着いた。

ノーラは一度自室に荷物を置いた後はホールに留まり、シロも喉を通らない夕飯を済ませてすぐに彼女の元へ戻る。

やがて食器の片付けを終えた百合子と花子も姿を現し、気づけば仲間全員がホールに待機していた。


「……皆、部屋にいてくれて良いのじゃぞ?」

「いや、なんか落ち着かなくてさ……」


ビルの玄関はガラス戸だが、夜間はシャッターを下ろすようにしている。

鍵は内側から掛かっているので、タローが来ればそれを叩いて知らせるだろう。

たまに緩い風が吹き抜けてシャッターを小さく揺らし、その度に皆の視線が玄関へと向く。



224: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/23(水) 06:33:16 ID:ZrMskpK2


「もう8時過ぎか……せめて何時くらいになるか、目安を伝えやがれってんだ」

「ジロ兄ちゃん、今日は喧嘩しちゃダメよ」


せっかく全員がホールに揃っているというのに、誰もが言葉少ない。

相変わらずの雫の音だけが遅々として進まない時を刻んでいた。


「……ただ黙っておっても、気が滅入るだけじゃ。何か短い話でもするとしようかの?」


この中で最も緊張しているはずのノーラが、そう提案した。

そうでもしていないと不安に支配されてしまいそうだったからだ。

彼女は「ちょっと子供向けかもしれんが」と前置いて、ゆっくりとしたテンポで語り始めた。



225: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/23(水) 06:34:07 ID:ZrMskpK2


「……ある山の、それはそれは険しい崖の上に一本の柿の木が立っておった。鳥が運んだ種から芽吹いたその木には、たったふたつだけ実がなっておったのじゃ──」


柿の実達はいつもお喋りをして過ごしたが、ふたつだけしかないが故に名を持っていなかった。

どちらが自分を『僕』と表しても、他に誰もいなければ困る事は無いからだ。

ところがある日、そこへ風と共に一匹のアキアカネがやってきた。

アキアカネは自分だけの名を持っており、柿の実達にも名前を尋ねた。

困った柿の実達はそれぞれに名前をつけ合い、ふたつと一匹は仲良くお喋りをするようになる。

しかしアキアカネは次の風と共に去ってゆき、柿の実達はまたふたつぼっちになってしまった。


「ふたつの実はそれからもお喋りをして過ごしたが、互いを呼ぶ度に自分達が名を持っている事が嬉しく、温かい気持ちになった……という話じゃ」



226: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/23(水) 06:34:47 ID:ZrMskpK2


「ちょっと寂しいお話だね」

「そうじゃな。じゃがこれは名を呼び合う相手がいるという、ささやかな幸せを表した童話じゃろう」


そしてノーラは集まった皆の顔を順に見て、最後にぺこりと頭を下げた。


「皆、ありがとう。儂をここに置いてくれて、名を与えられ、そしてそれを呼んでもらえる。儂はとても幸せじゃ」

「こら、湿っぽい事言うな」

「その名前、忘れたら承知しないんだからね?」


百合子に釘を刺され、ノーラは「もちろんじゃ」と笑った。

皆が微笑み、タローの処置が上手くいく事を願う……その時、シャッターを叩く音がホールに響いた。



227: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/23(水) 06:35:28 ID:ZrMskpK2


《──誰か、いるかい?》


聞こえたのは間違いなくタローの声だ。

玄関に最も近いところにいたシロが立ち上がり、ガラス扉に続いてシャッターの鍵を開けた。


《遅くなってすまない》

「すぐ開けるよ!」


古くて重い鉄製のシャッターの下端に指を掛け、力を籠める。

がらがらと大きな音をたてて戸袋に吸い込まれてゆくその向こうに、待ち侘びたタローの顔が見えた。



228: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/23(水) 06:36:15 ID:ZrMskpK2


「おかえり、タロ兄……ちゃん……?」


シロはすぐにその異常に気づいた。

ホール奥のソファに腰掛けていたジローが無言で立ち上がる。


「……誰だよ、そいつら?」

「どういう事なの……ねえ、タロ兄ちゃん」


サブローと百合子が震える声でタローに問いかけたが、下を向く彼の表情は窺えない。

ゴローは訳も解らず、ただ立ち尽くしている。



229: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/23(水) 06:37:22 ID:ZrMskpK2


「ワイヤーガン、構え!」


タローの背後には『Capture team』のロゴが刺繍された黒い制服の男が三人。

その手に構えるのは、ワイヤー射出式の対ロボット用スタンガン。

彼らは50年の間ノーラが恐れ、見つからないよう努めてきた存在だ。


「てめぇ……ふざけんなよ、タロー!!!」


ジローが吠える。

シロはタローの胸に何度も拳を打ちつけ、言葉にならず聞き取れない「なんで」を繰り返していた。

にじり寄る捕獲部隊に対しノーラを庇うように立ち塞がった花子の顔からは、いつもの笑顔が失せている。


「そうか……そうじゃな、これも覚悟しておくべきじゃった」


ノーラは呟き、目を閉じた。



235: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/23(水) 13:06:01 ID:ZrMskpK2


「こいつがロボットだな」

「取り囲め! ワイヤーガンは出来る限り使うな!」


ノーラの周囲に展開する捕獲部隊。

シロはタローの元を離れ、その者達に飛びかかろうとする。

そこにタローの声が響いた。


「やめて下さい!! 貴方達は万一に備えて同行しているだけの筈です!」


隊員二人はリーダーと思しきもう一人の反応を窺い、その者が片手を上げると同時に銃を下ろした。

最もノーラに近い所にいた隊員が舌打ちをして距離を取る。



236: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/23(水) 13:07:01 ID:ZrMskpK2


「……みんな、すまない。だがこれは単なる野良ロボットの捕獲行動ではないんだ」

「部隊を引き連れて来ておいて、そんな理屈が通じると思ってるのか」

「話を聞いてくれ、そしてできれば納得した上で彼女……ノーラに同行して欲しい」

「銃を向けてするのは話じゃなく脅迫だろうが!」


ジローは声を荒げ、ホールの床に落ちていた紙カップを蹴飛ばす。

それは見事に舌打ちをした隊員の足に命中し、彼はジローを睨みつけた。


「なんだ? 文句あんのか、ヒトん家にそんなもん持って立ち入りやがって」

「スラムの小僧が、粋がるなよ」

「やめろと言ってるんだ! 貴方達は外に出ていてくれ! このビルに裏口は無い、必要があれば僕が呼ぶ!」


通常であれば民間ロボットメーカーの一社員であるタローが、捕獲部隊に指図をできる筈は無い。

しかし彼らは不本意そうではあるが、言われる通りにビルから出ていった。



237: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/23(水) 13:08:03 ID:ZrMskpK2


「どういう理由があってノーラを騙した、内容によって死んでもらうか半殺しか決めてやる」

「……ノーラに世界を救って欲しい」

「世界を救うって……まさかノーラに彗星をやっつけろとでも言う気なの?」


あまりに突拍子ないタローの言葉に、百合子は肩を竦めて冗談のつもりで言った。

ところが彼の返答は、大真面目にそれを肯定するものだった。


「まさにその通りだよ、彗星はこのままだと確実に地球に衝突する。それを避けるために、彼女の力を借りたいんだ──」


そしてタローは、事の真相を話し始めた。

今までの彗星の軌道、分裂、火星の引力による再度の軌道変化。

その危機を回避するため秘密裏に準備された計画と、それを実行できるロボットを政府が探していた事を。



238: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/23(水) 13:09:26 ID:ZrMskpK2


シロがタローに助けを求めた数日後、彼の勤める開発部に秘密裏の緊急命令が下った。

その内容は『30年以上の自律的学習を行った場合と同程度の思考能力を持つロボットを造れ』というハードルの高いもの。

しかもその為に与えられる時間的猶予は僅か20日間、この矛盾した依頼に研究者達は憤った。


『30年分を20日でなど、政府は正気か?』

『ロボットの反逆を怖れて、研究室内ですら10年以上の自律学習を許さなかったのはお上じゃないか!』

『だめだ……どんな高性能のコンピューターに多量のサンプルを取り込んでも、幼い思考能力がそれを活かせない』


およそ10日後、世界最大のメーカーであり最高水準の能力を持つ筈の開発部は政府に対し『不可能』という結論を返す。

だが政府はそれを受け入れず、手段を模索するよう命じた。

そして同時に彼らに伝えられた命令の真意は、人類存亡の危機を知らせるものだった。



239: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/23(水) 13:10:47 ID:ZrMskpK2


「──ミサイル衛星を使用した彗星破壊作戦は、すでに何度もシミュレーションを行ってきたらしい」

「その結果は……?」

「最初は経験豊富な人間の軍人が、衛星を制御するスーパーコンピューターに指令を送る形でシミュレーションが行われたそうだが……」

「……上手くいかなかったの?」

「現在まで、小彗星ふたつの破壊成功率は7%……大彗星に対しては成功回数ゼロだ」


そこで米国研究機関が保有していた『あるロボット』をコンピューターにリンクし、指令を出させる実験が行われた。

使用されたのは無論監視の下ではあるが、できるだけ人間の生活環境と変わらない条件下で10年間の自律学習を行ったロボット。

その結果、小彗星の撃破率が20%に上昇し大彗星も僅か1回ではあるが破壊に成功したのだ。


タローの属する開発部はそのロボットのデータを取り寄せ、解析を急いだ。

だがそれにより明らかとなったのは『人為的にデータをインストールしても、自律学習によって得た経験にはまるで及ばない』という事実だけだった。



240: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/23(水) 13:12:35 ID:ZrMskpK2


「……残された手は、より長く生きた野良ロボットを探す事だった。それが危機を回避するために必要な、最後の1ピースなんだ」


彗星の撃破に足り得る攻撃力を備えたミサイル衛星、正確無比にその制御を行う最新鋭の演算コンピューター。

そこに足りなかったのは『膨大な経験に基づくデータ』を全て記憶し、コンピューターとリンクする事によりタイムラグ無しに指令を与えられる自律思考型ロボットなのだ。


「それで喜び勇んで『僕、知ってます!』って名乗りを上げたのか」

「……そうするしかなかった!! もう彗星は4日後には地球に達し、直径2kmの岩石コアは確実に人類を滅ぼすんだ!」


単純に『騙した』とか『裏切った』とタローを責めるには、比較対象となるものが余りに大きい。

誰も彼がその判断に踏み切った事を一方的に咎める気にはなれなかった。


「世界を救うためにノーラの力が必要なのは解ったよ。でも、そのあとノーラはどうなるの?」


しかしシロにとって最も不安なのは、彗星を破壊できた後の事だった。

ノーラの記憶領域の問題についてタローに相談した時、彼は野良ロボットが捕獲された後の『処理』について聞かされていたからだ。

処理とは、再販価値のある新しいモデルなら記憶の完全な初期化、そうするまでもない古い型であれば即座にスクラップにする事を指す。



241: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/23(水) 13:14:13 ID:ZrMskpK2


「世界を救ったロボットに対し、野良とはいえ通常の処理をしたりはしない。彼女の事を教える条件として僕からそう願い、約束を受けてるよ」

「本当に……それは信じていいんだね?」

「ああ、本当だ」


タローの言葉を信用するなら、それはノーラにとって願ってもない事だ。

世界が彼女を認知し、今後は捕獲に怯える事も無く暮らしてゆける。

だが間接的にとはいえ彗星破壊作戦を遂行できるだけの能力を持ったロボットは、同時に世界の脅威でもあるに違いない。


「それを約束してくれたのは、誰だ?」

「……ウチの社長だ」

「へえ……天下のパナソニーのトップともなれば、世界の決定を覆せるってのか。実に心強い事だな、たかが民間企業の社長が味方だってよ」


ジローが呆れ声で言った。

ミサイル衛星は主要国共同で運用されている、つまりこの作戦の最初から最後までは世界の意思によって動いていると言える。

その意思が作戦後にノーラを危険だと判断すれば、一民間企業の反意など取るに足らないだろう。



242: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/23(水) 13:14:54 ID:ZrMskpK2


「儂が世界を救う……か、冗談にしても出来が悪い話じゃな」


こうしている間にも危機は迫っている。

自分にしかできない事から逃げる訳にはいかない……そうは思いつつも、ノーラは葛藤した。

50年間逃げ続けてきた彼女が今になってこんな逃げ場の無い選択を迫られるなど、あまりにも無情だ。


「少しでいい、時間をくれぬか」

「解った、しかしこの建物から出す訳にはいかない」

「……屋上に上がる、気持ちを整理したい」


ノーラは言い残し、ふらついた足取りで階段に向かう。

シロがすぐに後を追おうとしたが、ジローがその襟首を掴んで止めた。



243: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/23(水) 13:16:59 ID:ZrMskpK2


「気持ちを落ち着けようとしてる奴のところに、頭に血が上ったお前が行ってどうする」

「でも……!」


もしもノーラが屋上から身を投げでもしたら……そんな縁起でもない考えが脳裏に浮かび、シロは歯を食いしばった。

可愛い弟の悔しさが痛いほど解るジローは、その頭をくしゃくしゃと撫でる。

それは昔、シロが喧嘩をするなど癇癪を起こした時にタローがよくした仕草だ。

シロはそうされるのが好きだった。

頭を撫でられると機嫌を直す、その様が可笑しくて彼は犬のように『シロ』と呼ばれるようになったのだ。


「少ししたら誰か様子を見に行かせる。お前も落ち着いた方がいい、自分の部屋にいるんだ」

「……解った」


その後、ホールにタローとジローだけを残して皆は各自の部屋で待機する事となった。



244: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/23(水) 13:17:38 ID:ZrMskpK2


………


…廃ビル、屋上


ノーラは屋上の柵に腕をかけてもたれ、ぼうっとした眼差しでささやかな街灯りを眺めていた。

自分が世界を救うなど、ほんの30分前までは一欠片の想像もしていなかった。

記憶領域の拡張が上手くいくかどうかという不安こそ元から抱えていたものの、今の彼女が抱える悩みの大きさはその比ではない。


誰かが救わねばこの世は終わる。

シロも、他の仲間も、占いを通じて接してきた全ての人も消えてしまう。

その時には自分も消えるのだろうが、どうせそうなら失われる命は少ないに越した事はない。


「解っておる……そんな事は、解っておるよ」



245: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/23(水) 13:18:46 ID:ZrMskpK2


彼女が持つ勘、推理力を全力で稼働しても胸中に光明が差すような閃きは得られない。

何しろ彼女がこのまま元と変わらない暮らしを保つためには、たくさんの非現実的な条件が満たされなくてはならないのだ。


まず突如として彼女以外に長く生きた野良ロボットが見つかり、そのロボットが作戦への協力を了承する。

現在ビルの表で待機する捕獲部隊が『代わりが見つかったのなら用はない』と、ノーラを見逃す。

野良ロボットとの関与が明らかとなったタローが、それでもあらゆる目を掻い潜りノーラの記憶領域拡張の処置を施す。

そんな事が起こり得るかどうかなど、ノーラの能力をもってしなくとも子供にも解る事だ。


だからノーラに残された選択肢はふたつだけ。

世界を救い運命に身を委ねるか、何とかしてここから逃げ出し残り僅かな時を生きるか。

後者を選んだ場合は、高い確率で記憶限界より先に世界の終わりが訪れるだろう。



246: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/23(水) 13:20:08 ID:ZrMskpK2


彼女が空を仰ぐと、そこには既に見かけ上の大きさとしては月に近くなった彗星が浮かんでいた。

大彗星と小彗星群で速度の違うそれは、二手に分かれて尾を引き始めている。

しかしその進行方向はほぼ真っ直ぐに地球に向いており、尾を引いた彗星というよりは不気味にぼやけた青白い炎の玉と呼ぶのが近い。

世界の終わりを引き連れているというのも頷ける、禍々しい姿だとノーラは思った。


「『To be, or not to be』……か」


彼女が零したその有名な台詞も、また誰の耳にも触れず夜風に攫われるだろうと考えての呟きだった。

しかしそれは思いがけない者に拾われたのだ。


「チョーウケルー」


ノーラの背後から耳慣れた声が届く。

振り向いたノーラの目に、言葉とは裏腹に笑顔を捨てた花子が映った。



247: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/23(水) 13:21:04 ID:ZrMskpK2


「今の場合は『生きるべきか、死ぬべきか』と訳すのが相応しいのかしらね?」

「ハナ……」

「知ってると思うけど、みんな優しいわ。誰も貴女に『死ね』なんて言わないわよ」


普段の言葉少なに、にこにこと相槌を打っている花子はそこにはいない。

せめぎ合う優しさと悲しみを己の厳しさで律したような、凛とした表情でノーラを見つめている。


「……そうじゃな。きっと皆、儂が怖気づいて逃げ出しても文句さえ言わんのじゃろう」

「そう、みんな貴女を護りたがってる。背中を押してはくれない……だから、私が言ってあげる」


花子は少し大きく息を吸い込み、そしてその残酷な言葉を放った。


「ノーラ、世界を救って。貴女はそのために50年生きてきたの……みんなの未来を、私に宿る命が生きるべき未来を残すために」



248: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/23(水) 13:22:33 ID:ZrMskpK2


「宿る命……ハナ、お腹に……」

「もし私が身籠ってなくて貴女の力が備わっていたら、きっと迷わない。必ず、何としても世界を救ってみせるわ。でも今はできない……私にはその力もない」


ノーラはゆっくりと花子に歩み寄り、まだ外観上はほとんど判らない命が宿るその腹部に指を触れた。


「なるほど……できる事があるのに、やるべきかやらざるべきかを迷うなど滑稽な話じゃ。まさに超ウケるというものよの」

「ごめんなさい、ノーラ……」


「良いのじゃ、ありがとう」と呟き、ノーラは優しい力で花子を抱き締めた。



253: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/23(水) 17:57:45 ID:0mjNpNFA


………


…シロの部屋


「なんじゃ、しょぼくれた顔をしておるのう」

「ノーラ!」


屋上から降りたノーラは、シロの部屋を訪ねた。

シロは寝床に突っ伏し頭を冷やそうとしているところだったが、彼女の顔を見た途端に飛び起き駆け寄った。


「どうするんだ、ノーラ」

「どうするも何も、儂が行かねば皆がお終いという話じゃろう」

「そうだけど……」


本来、迷う余地のない選択だという事はシロにも解っている。

だが心から納得するには至れない、それも仕方のない事だろう。



254: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/23(水) 17:58:49 ID:0mjNpNFA


「……大丈夫じゃ、タローは儂を処理したりはせぬと約束してくれた。全てが上手くいけば世界は救われ、儂はもう逃げ隠れなくて済む」

「でもジロ兄ちゃんは怪しいもんだって反応だったよ」

「もはや逃げ場は無い、ならば信じてみるしかあるまい?」


そしてノーラはこの部屋を訪れる前、自身の部屋から持ち出してきていた物をシロに手渡した。


「これ……今日の」

「うむ、まさかこんなにすぐの事になるとは思っておらなんだがの」


それは今日の午後、二人で買った臙脂色の首輪だった。

手渡された意味はシロにも解る、既にノーラは彼の前で姿勢を正し目を閉じていた。



255: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/23(水) 18:00:01 ID:0mjNpNFA


「僕が着けていいの?」

「シロに着けて欲しいのじゃ。儂の所有者になる事が嫌でなければ……じゃが」


その首輪を選ぶのも着けてもらう事も、シロ以外に相応しい相手をノーラは思い当たらなかった。

自分をこの四番街に引き入れ、仲間として受け入れてもらえるよう努力してくれた彼。

記憶領域についての危機を解消するために動いたのも、その後の不安な時を分かち合ってくれたのもシロだ。


まだ男性としては幼いシロも、自分がロボットである事を忘れないよう努めるノーラにも、互いが向け合う感情が何なのかはよく解らない。

それでも万一、シロが彼女の他にロボットを入手する機会があるとして『そのロボットにシロが首輪を与える時、きっと自分は嫉妬する』とノーラは思った。

彼が自分だけの所有者であって欲しいという想いは、それほどにあるのだ。



256: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/23(水) 18:01:07 ID:0mjNpNFA


「……苦しかったら言ってくれよな」

「うん」


男性の劣情を煽るよう造られているからなのか、ノーラの首筋のラインはやけに艶かしい。

革のベルトを当てがい後ろへ回す時、手の甲をくすぐったく撫でる髪の感触にシロは鼓動を早めた。


「どうだ?」

「もう少し、きつく」


彼女の感覚センサーは人間と同じ、或いはそれ以上に敏感だ。

徐々に締めつけを強めてゆくシロ、唇を結んだノーラはその感覚を記憶に刻みつけようと意識を集中する。


「苦しいの? 息が……」

「……大丈夫じゃ」


今している事は性的な行為そのものではない。

しかし彼女の身体は、初めてのそれに近い刺激により『セクサロイドとしての本能』の昂りを覚えていた。



257: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/23(水) 18:01:58 ID:0mjNpNFA


「このくらいにするよ?」

「もっと、きつくして欲しい」

「これ以上締めたら、型がついちゃうよ」

「……そうか」


止め金をホールに挿し、余ったベルトはループに通す。

そして全体の位置を調整しようと少しだけ首輪そのものを引っ張った、その時ノーラの身体がびくんと脈を打った。


「んっ……!」

「ごめん、痛かったか」

「……ううん、平気じゃ」



着け終えた首輪は選んだ時に想像した通り、彼女の白い肌にとても良く映えた。

ノーラは自らの首に纏ったそれを愛しそうに指でなぞり、それから眼前に立つシロの胸に鼻先を埋め「ありがとう」と呟く。

彼は「どういたしまして」と返し、ノーラの頭を優しく撫でた。



258: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/23(水) 18:02:43 ID:0mjNpNFA


………


…1Fホール


およそ一時間後、ノーラはシロと共に再びホールに姿を現した。

他の仲間達とタローは既にそこへ揃っており、ビルの表には捕獲部隊の専用車両が待機している。


「ノーラ、それって……」

「ロボット用じゃない、ただの首輪か」


百合子とサブローはノーラの変化に気づくも、それを褒めて良いものか迷った。

やはりロボットという存在に関わりが薄い人間にとって、人の姿をした者が首輪を着けた様には拭いきれない違和感がある。


「良く似合っておろう? 偽物とはいえ、ずっと憧れておった。やはり主人を持ってこそのロボットじゃからな」

「主人?」

「シロの事じゃよ? 儂はシロのものじゃ。その証として、さっきこれを着けてもろうた」


言葉だけを捉えれば随分と意味深な言い回しだ、百合子は妙に感動した様子で「おぉ……」と声を漏らした。



259: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/23(水) 18:03:19 ID:0mjNpNFA


ノーラは玄関の前まで歩んでから、皆の方を振り返った。

そして世話になった者達に暫しの別れを告げようとしたその時、無粋にもそこへ捕獲部隊の者達が割り込んで来る。


「やれやれ……気が利かんにも程があろうに」

「準備が出来たようだな、念のため拘束状態で車両まで移送させてもらう」

「用があれば呼ぶと言ったはずです、外にいて下さい!」

「玄関から車両までの僅かな距離でも、そこで逃走を図られては──」

「──やかましい、もう逃げも隠れもせんわ」


明らかに怒りを宿した表情で、ノーラは彼らに対し言い放った。

決して高い格闘能力などといった強さは持たない彼女だが、この場の誰より長く生きてきた。

それだけの気迫を持つ言葉に、隊員達はたじろぐ。



260: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/23(水) 18:03:59 ID:0mjNpNFA


「……皆、世話になった。いや、また世話になりに戻るつもりじゃがの」


また仲間達の方を振り返り、ノーラは努めて明るい調子で言った。

それから順に彼らの顔を見て、ひとりずつにかける『最後になるかもしれない言葉』を探す。


「ジロー、儂をここに置いてくれてありがとう。ゴロー、戻ればまたたくさん物語を聞かせてやるからの」

「礼はいいから帰ってこい、稼ぎ頭」

「魔法学校の話、まだ途中なんだからね!」


二人の返答にノーラは大きく頷く。

戻らないつもりも、ゴローに続きを聞かせないつもりも無い。



261: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/23(水) 18:04:34 ID:0mjNpNFA


「ハナ、さっきはありがとう。今、こんなに吹っ切れた気持ちでいられるのはハナのおかげじゃ。サブロー、ユーリ……ずっと仲良く喧嘩をしておってくれ」

「……おう」

「なんでサブとセットなのよ? って言うか、なんでサブは納得してんの」

「チョーウケルー」


言われた通り早速の喧嘩を演じる2人に、ノーラと花子は笑った。

サブローを小突く百合子の長い黒髪は、お気に入りのバレッタで留められている。


「タロー、さぞ思い悩んだであろうな。さっきも言ったが儂は決して逃げぬ、これからよろしく頼むぞ」

「……すまない、だが感謝する」



262: ◆M7hSLIKnTI :2016/11/23(水) 18:05:46 ID:0mjNpNFA


そして最後に彼女はシロに対してだけ言葉をかけるのではなく、彼からの言葉を求めた。


「さあ、主よ。……命令を」


戸惑いを振り切ったノーラに対し、命を下す主人は胸を張っていなければならない。

シロはできるだけ堂々と言った。


「ノーラ、命令だ……世界を救って来い!」


本当ならセクサロイドが受けるようなものではない、しかしそれはノーラにとって50年越しに与えられた初めての命令だ。

シロは世界を救って『来い』と言った。

ノーラが再びこの四番街に戻るまで、この命令は果たせない。

彼女の内の本能が目を覚まし、喜びが滾った。



【第二部おわり】



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テーマ:ショート・ストーリー - ジャンル:小説・文学

  1. 2016/11/23(水) 22:11:15|
  2. SF
  3. | コメント:0

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