がらくた処分場

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空っぽが満ちた器




「これで満足か、人でなしめ!」

中年の男は相対する若者に怒鳴った。
言葉は強くとも彼の風貌は満身創痍と表すに相応しかった。顔の皺も頭の白髪もここ数日でぐんと増し、睨みつける目にも覇気は窺えない。

「よろしい。どうですか? 十数年も連れ添った最愛の妻を殺めた、今のお気持ちは」

「違う! 妻を殺したのは俺じゃない!」

千切れそうなほど首を横に振る男の手には、べったりと血糊を纏う包丁が握られている。足元に伏せる女性を何十回も刺し、その命を奪ったのは間違いなく彼だった。

「早く……子供を解放してくれ」

男は父から受け継いだ会社の社長だった。
父が会社を今の規模にまで育て上げた、そのためにはいくらかの犠牲を払う必要があった。利益率が高くなる手法を優先し、黎明期を支えた下請け業者を切り捨てる事もあった。切り捨てられた企業は破産し、オーナーは自殺した。今ここにいる若者こそ、そのオーナーの息子だった。

「まだです、貴方が生きているじゃありませんか」

「貴様が殺せばいいだろう! 早く子供を解放し、俺を妻の元へ送ってくれ!」

「順番が違いますよ。子供さん達にはお父さんが自らの命を絶ったら逃がしてあげると伝えています」

薄暗い貸し倉庫の一室、子供たちが捕らわれているのもまたすぐ隣りの同じ場所だった。
父親が自ら命を絶ったところで彼の子供達が無事解放されるという保証などどこにも無い。それを理解している男は悩んだ。
若者は子供達の元には共犯者を待機させていると告げていた。そうでなければ彼は妻を殺める前に若者に刃を向けていただろう。

「……必ず子供達を逃してくれるのか」

「それは約束します」

この惨劇の前、若者は一度スマートフォンのスピーカーで子供達の声を両親に聞かせていた。「パパ、ママ、助けて!」「怖いよ、殺される!」いかにも誰かに怯えた声で姉弟は叫んでいた。しかしそれが録音でない保証もまたどこにも無かった。

「その妻の血に濡れた包丁で、自分の喉を裂きなさい」

若者は感情の無い声でそう勧告した。
しばらく躊躇い、男は包丁を両手に握り直すと自らの喉元に当てた。手の震えによって刃は自然と動き、その皮膚を僅かに裂いた。滲んだ血が次第に伝い落ちる筋となり、白いカッターシャツの襟にじんわりと染みていった。

「必ず……子供達を……」

男に死や痛みへの恐怖が無い筈はなかった。しかしそれよりも大きな絶望があった。妻を殺めた彼には、この先の未来に持てる希望など残ってはいなかった。唯一それを託せる者、子供達にただ生きて欲しかった。

ぽたぽたとコンクリートの床に染みが生まれ、その数を増していった。赤い筈のそれは薄暗さ故に黒にしか見えなかった。
熱を伴う痛みに男は言葉にならない声をあげ、噎せ返っては口からどす黒い泡を吹いた。やがて声は掠れ、聞こえるのは液体が気体に掻き混ぜられるぶじゅぶじゅという音だけになった。

「素晴らしい」

若者は眉ひとつ動かさずに呟き、ゆっくりとしたテンポで感情の無い拍手を送った。
がくりと膝を落とした男の首から、一段と勢い良く血が吹いた。最も大きな血管が切断された合図だった。もはや命を取り留める事は無いと覚悟した彼は手の力を強め、遂にその喉は横一文字に切り裂かれた。
前のめりに崩れ落ちた男は、ちょうど妻の亡骸を抱く形となった。

「いい事を教えてあげましょう、僕に共犯者なんていませんよ」

若者は胸元から今度はスマートフォンではなくトランシーバーの子機を取り出し、そのスイッチを入れた。すぐにザーザーというノイズが発せられる、それはもう一台の子機は会話ボタンが押されたままになっているという事だった。

「起きているかい?」

若者は子機に向かって問いかけた。少しの間の後、割れた音で子供達の声が響いた。

《ねえ助けて! パパは!? ママは!?》

子供達の声に伏せた男が僅かに反応したのを見て、若者は初めて薄く笑った。

「よかった、まだ聞こえるみたいだ」

《何が……お願い、早くここから出して!》

「いいか、よく聞くんだ」

若者は子供達と男、双方に向けてその言葉を発した。
この時こそが彼の最終的な目標だった。幼き日の自分に齎された絶望を、それ以上の形にして与え返す事こそ彼の復讐だった。

「パパが自殺すれば助けてあげると言ったね」

男は首を動かせないままに、上目遣いに若者を睨んだ。若者はそれを確かめてから、さも満足そうに子機に向かって告げた。

「残念だけどパパは君達を捨てたよ。今から殺しに行くからね」

男は遠ざかる意識の中、何度も違うと叫んだ。しかし喉を切った彼はそれを声にする事は叶わなかった。

《嘘だ! 嘘だよ! 嫌だ、パパ助けて死にたくない! パパ!パパ!》

若者は高らかに笑った。
達成感も感慨も無く、また嬉しくも悲しくも無かった。ひどく渇いた声で笑う彼の頬だけが透明に濡れていた。

これで子供達を殺害すれば全て終わる。目標を果たせば自分は空っぽになる、彼はそう考えた後すぐに首を横に振り思い直した。

幼きあの日から、彼の人生はずっと空っぽのままだった。



【おわり】



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テーマ:ショート・ストーリー - ジャンル:小説・文学

  1. 2016/02/27(土) 18:41:22|
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