がらくた処分場

本屋とバス停と男と女(原題/同じ)

1: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/11(水) 18:58:47 ID:YAjCiUJE

あれほど誇らしげに自らの存在を主張していた夏は、もうそのなりを潜めている。

まして今は夕暮れを過ぎ、空はすっかり藍色に染まった時間。

高校の制服の半袖のポロシャツでは、少し寒くさえ感じる。

通う学校からほど近い、住宅地へと上る坂の下にあるバス停で、俺は今日も帰りのバスを待っていた。

ほど近い…とはいっても学校から最寄りの停留所というわけではない。

俺は放課後、学校から歩いて10分程のところにある本屋でバイトをしている。

その本屋は親戚の伯母さんが経営する店で午後7時までの営業なのだが、伯母さんも中学生の息子と小学生の娘を持つ身。

五時を過ぎる頃には夕飯の支度をはじめ家事に追われる事になるから困っているという話を聞き、俺が自ら志願した。

店番を始めて解った事だが、その時間帯はちょうど仕事終わりのサラリーマンや学校帰りの学生達が立ち寄り、意外とよく売れる。

店を早い時間に閉めるわけにはいかないというのも納得のいくところだ。





2: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/11(水) 19:05:35 ID:YAjCiUJE

毎日ほんの一時間半程のバイト、少々の時間のズレはあれど賃金は日に千円と決めている。

でも月に20日程度は従事しているわけで、高校生の経済事情からすれば結構馬鹿にならない収入だ。

正直、助かっている。

それともう一つ、このバイトの魅力を増す要素がある。

その要素とは決まって午後6時40分頃に店に寄り、閉店間際まで立ち読みをして過ごす女の子。

店からすぐ近くにある女子高の制服を着たその娘が来るのを、俺は密かに楽しみにしている。

実際に本を購入する事こそ稀だが、週に四日くらいは来ていると思う。

そしてどうやらその娘が店に寄るのは、バスの時間待ちのためらしい。





3: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/11(水) 19:06:13 ID:YAjCiUJE

俺はいつもバイト後、店舗と繋がった伯母さんの家で夕食をご馳走になっていた。

しかし半月ほど前のある日、自宅の夕食が俺の好物だと聞かされていたから、夕食を食べずに伯母さんの店を出た。

すると、バス停にあったのは気になるあの娘の姿。

残念ながら乗るバスの路線は違うものだった。

でもその日から毎日、彼女が乗るバスが来るまでの五分間、俺の至福の時は延長される事となった。

そのかわりせっかく得たバイト代の一部が、夕食のパン代に消える事にもなったけれど。





4: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/11(水) 19:06:59 ID:YAjCiUJE

そして今日もまた、幸せな五分間を過ごしている。

バス停には雨よけのシェルター屋根が設置されているものの、座るベンチなどは無い。

道に向かって背後となる側には地域のお知らせ事の貼り紙をするための古い掲示板があり、彼女はいつもバスが来るまでそれをぼんやりと眺めていた。

俺は身体を道の側に向けつつも、視線はちらちらと彼女を盗み見る。

ちょうど彼女の立つ位置から見ると俺の向こうに街路灯があるから、俺の姿はシルエット気味になっていて視線なんかはよく判らないはずだ。…たぶん。

焦げ茶色の通学バッグを両手で前に提げた立ち姿。

紺色のスカートは下品に短くされてなどいない、標準的な長さの清楚なものだ。

それがまた、いい。





5: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/11(水) 19:07:44 ID:YAjCiUJE

二人の距離は1メートル程、手を伸ばせば触れられそうだけど伸ばすわけは無い。

時々彼女の方から風が吹き、少し甘いような彼女の髪の香りに鼻をくすぐられ、また幸せになる。

《…お待たせしました。○△行きです》

しかし、そんな想いを皮肉るように、彼女の乗るバスは停留所に着いてしまった。

彼女は振り返り、開いた自動ドアへ向かう。

そしてゆっくりと、でも軽やかに二段のステップを上がってドアのすぐ後ろの座席に座った。

バスが走り始める時、ちらりとこっちを見た気がする。

たぶんあの本屋の店番だという事には気付いているのだろう。





6: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/11(水) 19:08:21 ID:YAjCiUJE

…また明日も会えますように。

俺は心の中で小さくそう願い、バスのテールランプを見送った。

程なく、今度は俺が乗るバスが停留所に滑り込んだ。

自動ドアが開く。それに向かって一歩踏み出した時、俺は足下のアスファルト上に何か落ちているのを見つける。

猫の足形をかたどった、フェルト生地縫いの小さなマスコット。

ボールチェーンのリングが外れて落ちたらしいそれに、俺は見覚えがあった。

彼女の持つ焦げ茶色の通学バッグにぶらさがっていたものだ。

それを拾い上げ、これは神がくれたチャンスかもしれないと考えた、その時。

《早く乗って下さい》

運転手にマイクで急かされてしまう。

俺は恥ずかしくなり、慌ててステップを駆け上がった。





7: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/11(水) 19:09:02 ID:YAjCiUJE

その夜、俺は自分の部屋のベッドの上で悶々としていた。

もし明日、あの娘に逢えたらマスコットを返す事になる。

やっと『いらっしゃいませ』と『ありがとうございました』以外の言葉をかけられるということであり、初めて彼女の声を聞く事ができるという事。

…どんな声なんだろう?

たぶん、天使みたいなんだぜ?

マスコットが彼女の持ち物である事を俺が知っているのは、不自然かもしれない。

でももしそういう反応をされたとしても、落とすところを見たけど声を掛ける間が無かったとでも言えばいいだろう。

よし、今日はもう寝よう。早く来いこい明日の夕方、だ。

…すぐに寝付けるかは判らないけど。





8: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/11(水) 19:09:44 ID:YAjCiUJE

《…おい》

「ん…?誰」

《起きろ。いや寝てていいんだけどよ》

「意味解らねえ事、言うな。誰だよ?真っ暗で見えねーぞ」

《俺が誰でもいいんだよ。お前、それより明日あの娘に話しかけるんだろ?》

「あ?…ああ、そのつもりだ」

《ビシッと決めろよ、その場で何か約束くらい取り付けるんだ》

「はぁ?無茶言うなよ」

《無茶じゃねーよ、好きなんだろ?》

「好きかどうかと、それが現実的か否かは別の話だろーが」

《なっさけねーな、とにかく次に繋げるんだぞ…!?》





9: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/11(水) 19:10:49 ID:YAjCiUJE

翌朝、幸いの快晴の空。

これなら雨に祟られる事なく、バス停で会話できそうだ。

…しかし、なんか変な夢を見たな。

あの声は何なんだろう。無責任な事好き放題言いやがって。

…まあいい。あの出来事を知っているという事は、俺本人の潜在意識とかそういう何かだろう。

そりゃアイツの言う通りになれば、それに越した事は無い。

でもひとまずは焦らずに、今日は声が掛けられたらそれでいいんだ。





10: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/11(水) 19:11:35 ID:YAjCiUJE

俺は少なからず動揺した。

今日も店に訪れたあの娘は、閉店間際に珍しく一冊の本を俺のいるレジに持って来た。

一瞬、ここでマスコットを返そうか…とポケットに手を伸ばした、その時。

俺は彼女が持って来た本のタイトルに目を奪われた。

『恋の育て方』

淡いピンク色の表紙には大きな字でそう書かれていた。

下部に巻かれた帯には『告白の仕方から初めてのデート、一周年記念日までのガイドブック。恋する乙女必携の一冊!』との推薦文。

彼女は、恋をしている。





11: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/11(水) 19:12:37 ID:YAjCiUJE

「…あの?」

動きの止まった俺に、彼女は不思議そうに声を掛けた。

予想していた通りかそれ以上の可愛らしい天使の声だったが、俺の気持ちは喜びとは違う感情に支配されていた。

「あ、すみません。…600円頂戴いたします」

それでも俺はその感情を殺し、レジ打ちを済ませる。

彼女は通学バッグから折りたたみの財布を取り出し、千円札と百円玉を会計皿に置いた。

「500円のお返しでございます。ありがとうございました」

レシートとお釣りを会計皿に置いて、ビニール袋に入れた本を手渡した。





12: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/11(水) 19:13:52 ID:YAjCiUJE

彼女はそれを受け取り、さっさと店を出る。

その後ろ姿がドアの向こうに見えなくなるまで目で追った後、俺はもう一度さっき頭に浮かんだ言葉を心の中で繰り返した。

彼女は、恋をしているんだ。

…いつかこの店に彼氏となった男を連れて訪れる事もあるのだろうか。

それは、それだけは見たくない。

もやもやと、心の中に暗い霧が立ち込める。

仕方ない、当たり前の事だ。できるだけその霧を晴らそうと、深呼吸をした。

「あのー、すみません」

ハッとして前を見ると、週刊誌をカウンターに置いたサラリーマンが怪訝にこっちを見ている。

「あ、失礼しました。…420円になります」

…今日は久しぶりに伯母さんの料理でもご馳走になって、時間をずらして帰る事にしよう。

そういえばマスコットを返しそびれたな。

遅くなるときっと渡し辛くなる。

でも、明日だ。心を落ち着けて、明日…渡す事にしよう。





13: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/11(水) 19:15:47 ID:YAjCiUJE

《お前はアホか?アホなのか?》

「…また出やがったか」

《なんでマスコットを渡さない?なんで話しかけないんだよ》

「うるせー、お前に俺の気持ちが解ってたまるか」

《あの本か?…ハッ!ばっかじゃねーの?あんな本、年頃の女の子なら誰でも読むって》

「でも少なくとも目当てのヒトでも居ないと買わないだろ」

《それが自分だと思えばいいじゃねーか》

「お前こそアホかよ。どんだけポジティブシンキンなんだ?一目惚れされるような容姿はしてねえぞ」

《あー、とことん情けねえ。とにかく明日は絶対に話しかけろよ?本当、マスコットだって遅くなりゃ渡しにくくなるぞ?》

「解ってるよ、それは必ず返すから」

《信用できねーなあ…》





14: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/11(水) 19:16:28 ID:YAjCiUJE

翌日の日中は恐ろしく長かった。

授業の内容はさっぱり頭に入って来ない。それはいつもか。

ずっと彼女の事を考え、どこの誰かも解らない想い人を呪うばかり。

どうか彼女が恋に破れますように、なんて女々しすぎる考えさえ出てくる始末だった。





15: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/11(水) 19:18:05 ID:YAjCiUJE

それでも長い一日は過ぎて、やはり彼女の姿は店に現れた。

いつも通り20分ほどの立ち読みをして、閉店間際に店を出ようとした…その時。

彼女の歩みがドアの前で止まった。

その理由、実は解っている。俺の仕業だからだ。

ガラスのドアの内側にセロハンテープでボールチェーン部分を貼り付けた、あのマスコット。

その横に『落し物です』と手書きのメモも貼り付けておいた。

彼女はそれに手を伸ばし丁寧にセロハンテープごと剥がすと、俺のいるレジに寄ってきた。

「あの、これ私のなんです」

「え?ああ、そうですか。それは良かったです」

俺はすっとぼけて返事をする。

「ありがとうございました、持って帰りますね」

彼女は小さく笑ってからお辞儀をし、そして足早に店を出ていく。

俺は今日もその姿がドアの向こうに消えるまで目で追い、今度は他の客がレジに来ないかを気にしながら想いを馳せた。





16: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/11(水) 19:19:49 ID:YAjCiUJE

正直、マスコットを取ったら何も言わずに帰るかな…と思っていたので、少し嬉しかった。

…やっぱり天使のような笑顔だったな。

近い将来、それは誰かのものになってしまうのかもしれないけれど。

でも少しだけふっきれたような気がする。

彼女は見た目通りの良い子だ。

きっと彼女が好きになった男も、それに見合うような人物に違いない。

だから見守っていればいいんじゃないか、ほんの少しだけでもそう思えた。





17: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/11(水) 19:21:06 ID:YAjCiUJE

少し遅れてバス亭に着くと、予想通り彼女の姿はそこにあった。

いつものように地域の掲示板を眺め、可憐な横顔を見せている。

でもその日の五分間は、一昨日までとはちょっと違うものとなった。

「…あの」

俺は大して意気込む事もなく、彼女に声をかける。

少しでも諦めがついてしまえば、こんなにも心の持ちようは変わってくるものなんだな。

「さっきは、よかったよ。あの落し物」

「あ…、やっぱり。私の事、気付いてたんですね」

「うん、よく見かけるからね」





18: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/11(水) 19:21:44 ID:YAjCiUJE

あれほど望んだ彼女との会話。

でも何だか、胸の奥がちくちくする。

彼女は掲示板から俺の方に向き直り、改めて「さっきはありがとうございました」とお辞儀をした。

「…いつもその掲示板見てるよね。何か特別な事、書いてある?」

「え?…いえ、見てるっていうか眺めてるだけで」

そう言われて恥ずかしくなったのだろうか、彼女は今度は俺と同じ車道の側に身体を向けた。





19: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/11(水) 19:23:00 ID:YAjCiUJE

「あの…ごめんなさい、いつも立ち読みばかりして」

「ぜんぜん構わないよ。少しでもお客さんの姿が多い方が、他の人も店に入りやすいと思うしね」

「そんなものですか」

「たぶんだけどね。…それに昨日は本、買ってくれたし」

「え、覚えてるんですか…」

「何の本かは見ないようにしてるから、知らないけど」

彼女が僅かに気まずそうな表情をした気がして、俺は咄嗟に嘘をつく。

本当なら本のタイトルの事に触れて『好きな人がいるの?』とでも訊きたいところだった。

でもそれはこの場に限らず、店員としてやってはいけない事だと思ったから。





20: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/11(水) 19:23:44 ID:YAjCiUJE

そして間もなく、彼女が乗るバスはやってきた。

俺はまたそのテールランプを見送ってから、彼女が眺めていた掲示板を確認してみた。

ああ、なるほど。

そこに貼られていたのはもうすぐの日付が書かれた、彼女の通う学校の文化祭のポスター。

これを見てたのか。

行ってみたいけど、男独りで女子高の文化祭なんて行けるわけがないな…。





21: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/11(水) 19:24:33 ID:YAjCiUJE

《まじか、お前は本当にヘタレか》

「うるせえ。お前もう出てくんなよ」

《なんだあの『落し物です』って?あんな渡し方しかできないのかよ》

「いいんだよ、ちゃんと話はできたんだから」

《名前も訊かずに?ばっかじゃねーの、名前とメアドくらいすぐ訊ける雰囲気だったのに》

「俺はそうは思わなかったね」

《しかも挙句の果てには人の恋路まで邪魔しやがって…殴れるもんなら殴ってるぜ》

「はぁ?意味解らねえし」

《あのな、言っとくけど俺にはもうあんまり時間が無いんだよ》

「…?」

《こっちの彼女は結構積極的にモーションかけてくれたんだけどなぁ…。やっぱそっちはお前が頑張らなきゃダメなんだって》

「だーかーらー、意味が解らねえんだって」

《これ以上は言わない約束なんだよ。とにかくお前もっと気合入れてけよな!》





22: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/11(水) 19:25:54 ID:YAjCiUJE

次の日もまた、バス停で彼女はいつも通りに掲示板を眺めていた。

俺が横に立ち、少しして。

…ピピッ、カシャッ

携帯のカメラの音…?

もしかして俺を撮ったのかと彼女を見るも、ぜんぜん違う。

俺とは反対方向に手を延ばしている。

そしてその後、彼女は俺に向き直って言葉を発した。

「あのね、私…もうすぐ引っ越すんです」

「え…!?」





23: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/11(水) 19:26:51 ID:YAjCiUJE

しまった、少し驚き過ぎた。

でも本当に一瞬、気が遠くなりかけたから。

「…って、すぐ近くなんですけどね。両親が家を建てたから」

彼女に悟られぬよう、そっと安堵のため息をつく。

「でも、乗るバスの方向が逆になっちゃうから…バス停も向こう側になるんですよ」

道を挟んだ反対側、少しずれた所に反対行きのバス停があるのを指差して彼女は言った。

彼女の姿が遠目にしか見られなくなる事を思い、俺は少なからず寂しさを感じた。





24: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/11(水) 19:27:44 ID:YAjCiUJE

「でも、店には来てくれるよね」

「はい。時間も少しずれるかもだけど、行くと思います」

「そっか、よかった」

精一杯だった。

その『よかった』には、意味を含ませたつもりだ。

でもそれ以上に意志を伝える事は出来ないまま。

だってそうだろう。彼女には好きな人がいるはずなのだから、これ以上に深入りすると傷も深くなる。

《…お待たせしました。○△行きです》

停留所には、彼女が乗るバスが着いた。

彼女はぺこりとお辞儀をして、バスのドアに向かう。





25: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/11(水) 19:28:46 ID:YAjCiUJE

その時、脳裏に夢の中のアイツの声が過った。

『ばっかじゃねーの、名前とメアドくらいすぐ訊ける雰囲気だったのに』

…じゃあ、今日のこの五分間の雰囲気はどうだっただろう。

引っ越しをするなんていう、多少プライベートな事まで彼女は教えてくれた。

名前を訊いたとして、変に思われる事があるだろうか。

『言っとくけど俺にはもうあんまり時間が無いんだよ』

それは彼女の引っ越しと何か関係があるのか。

『とにかくお前もっと気合入れてけよな!』

もうステップに足を掛けた彼女の背中に向かい、俺は意を決した。





26: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/11(水) 19:29:52 ID:YAjCiUJE

「あの…!俺、男っていうんだ!」

前触れもない、飾りもない自己紹介を無理矢理に投げる。

それでも彼女は優しく微笑んでくれた。

「…私は、女っていいます。男さん、また明日ね」

彼女が席に着くと同時に、バスが走り始める。

彼女はその時、小さく手を振ってくれた。

俺はバスのテールランプを見送りながら、つい今しがた知ったばかりの彼女の名前を、幾度となく思い返していた。





27: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/11(水) 19:31:29 ID:YAjCiUJE

《うーん…まあ、頑張ったよ》

「…おう」

《明日はもっと、頑張ってみようぜ?》

「んー、保証はしかねる」

《いやいやいや…頼むよ、まじで》

「彼女、引っ越すらしいしなー」

《だからこそ、だよ。ちなみにそれはもう今週末の事だぞ?》

「なんで解るんだよ」

《こっちの彼女から聞いてるんだよ。つまりもう明日の金曜日しかねえんだ》

「あー、そういやあの娘…土曜日は来ないな」

《もうここまできたらお前に任せるけどよ…。ああ…どうしようかなー》

「何を?」





28: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/11(水) 19:32:29 ID:YAjCiUJE

《言うなって言われてんだけどなー。もういいや、あのな…女はお前に気があるんだよ》

「また根拠もない事を…。だから一目惚れされるような面してないだろがよ」

《ふた月ほど前かなー。お前さ、本屋に来た婆さん覚えてる?》

「ん?…ああ、あの孫の絵本を探してた」

《そう!それよ!…で、お前お節介にも一生懸命探してやってたじゃん?》

「あれは婆さんの出すキーワードが難解だったからな。『ゴジラ』とか『料理の本』とか」

《そうそう、孫が欲しがってるって言ってたけどな。ゴジラが出てくる料理本で子供向けってなんだよそれ…って感じだった》

「結局、『おまえうまそうだな』だったけどな」





29: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/11(水) 19:34:04 ID:YAjCiUJE

《で、それをあーでもないこーでもない…と世話を焼くお前を見てさ、いい人だと思ったらしいんだよ》

「まじかよ。そこまで理由づけされたら俺、信じちまうぞ」

《それからお前、暇な時にオススメ本のポップ作ってんじゃん?あれのチョイスもあの娘好みらしいぜ?》

「はー、なるほどねー」

《だから、告っちゃえよ。絶対上手くいくって。あー、これは話した事バレたら怒られるだろうな…》

「うーん…」

《何を迷ってんだよ、しっかりしろよ》

「いや、お前…意外といいやつだな」

《よせよ、今更過ぎるぜ》





30: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/11(水) 19:35:22 ID:YAjCiUJE

金曜日、夢の中のアイツの言う事を信じれば、彼女がこっち側のバス停に立つ最後の日。

その日も秋晴れの気持ちいい一日だった。

普通に授業を受け、普通に居眠りをして、普通に怒られる。

そんな普通の一日の、放課後。

俺にとって普通ではない、特別な時間の始まりだ。

本屋の店番をしながら待つ、あの娘の姿。

やはり6時40分頃、店のガラス戸から愛しいあの娘は現れた。





31: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/11(水) 19:36:14 ID:YAjCiUJE

「こんばんは、男さん」

「やあ、いらっしゃい」

名前を教えたからなのか、店に入る時に挨拶をしてくれた。

地味に嬉しい。

彼女は俺の作ったポップや手書きの売り上げランキング表をしげしげと見て、それからお決まりの文庫本の棚へ。

そして20分程して、いつも通りに彼女は店を出る。

本当ならこの後、俺は閉店時刻を3分ほど過ぎるのを待つ。

それからシャッターを下ろしたり表の立て看板を片付けたりするのだが、今日はバス停に急ぎたかった。





32: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/11(水) 19:37:22 ID:YAjCiUJE

「伯母さーん。ごめん、今日はちょっと早目に帰るよー」

店の奥、伯母さんの自宅へ続く廊下の扉から、俺は少し大きな声で言った。

「あら、そうー。看板とかは片づけとくから、ありがとうね。気をつけてー」

台所にいるのであろう伯母さんの声が返ってくる。

俺はガラス扉に掛けてある『営業中』の札だけを『本日の営業は終了しました』に裏返し、足早に店を出た。





33: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/11(水) 19:38:03 ID:YAjCiUJE

少し息を切らせてバス停に走る。

そしてあと50m程、彼女の姿が見えたところで足を止め、ゆっくりと歩きながら息を整えた。

「あれ?今日はちょっと早いんですね」

彼女は相変わらず掲示板の側を向いていたが、俺が来たのに気付くとこちら側に向き直った。

「ちょっとだけね」

「…よかった。私、こっち側のバス停に来るのは今日が最後なんです」

聞きながら、少し寂しくなった。

そして夢の中のアイツの言う事の信憑性が少し増したな…と考える。

…と、いう事は。この娘が俺に気があるってのも、満更ウソでもないのだろうか。





34: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/11(水) 19:39:00 ID:YAjCiUJE

「…新しい家、楽しみじゃない?」

「それは…そうなんだけど」

彼女は来週から立つ事になる向かいのバス停を見ながら、ぽつりと言った。

「ちょっと、寂しいかな…」

「寂しい?」

「せっかく、男さんに名前も教えて貰ったのにな…って」

俺は予期せぬ言葉に内心、狼狽えた。

寂しいとは言っても、向かいのバス停になるだけ。しかも店では顔を会わせる。

なら、何が寂しい?

深読みすればこのバス停での五分間を、彼女も特別に思ってくれている…そうとれなくもない。

なんの気も無い、俺をたてるための言葉である可能性もあるけど。





35: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/11(水) 19:39:44 ID:YAjCiUJE

「俺としても、寂しい…かな」

「本当ですか?」

「うん、本当」

でもこれは、いいんじゃないのか?

少なくとも『じゃあメアドや携帯番号教えてよ』って言っても、特に不自然ではないのではないだろうか。





36: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/11(水) 19:40:33 ID:YAjCiUJE

でもどうしても、踏み切れない。

他に好きな人がいるなら、おそらく違う男に教えはしないだろう。

逆に教えて貰えなかった場合は、そういう事だと考えた方がいい。

だから、恐い。

彼女は黙って、車道の側を見ている。

何かを待っているような、何かを迷っているような横顔で。

しかしタイムリミットは訪れてしまった。

遠くに見えてきたあのヘッドライトは、彼女を乗せるバスに違いない。

ああ、俺って奴はやっぱり臆病で、煮え切らない男だ。

夢の中のアイツが怒るのも無理は無い。





37: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/11(水) 19:41:37 ID:YAjCiUJE

その時、彼女はくるりと後ろを向いた。俺の方ではない、いつものあの掲示板の方を。

文化祭の事で何か気になる事でもあるのだろうか?

でも、なぜバスも迫ったこのタイミングで。

不思議に思って彼女の方を見ると、彼女が掲示板を見て居ない事に気付いた。

身体こそ掲示板を向いているが、視線は俺から見て向こう側。何も無い歩道の先を見ている。

ふと昨日の事を思い出す。

携帯のカメラで彼女は、今まさに見ている方向にある何を撮ったのか。





38: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/11(水) 19:42:24 ID:YAjCiUJE

でもやはりそちらには何も見当たらない。

あるのは街路灯がつくる、少し長く伸びた二人の影だけ。

俺は車道を、彼女は掲示板側を向いているから、影は向き合うように寄り添っている。

その時、俺は『まさか』と思った。

そして顔を前に向けると、横目にそちらを見ながら首を少し頷いてみる。

俺の影が彼女の影を見つめるように。

少しして、彼女はそっと上を向いた。

それはちょうど二人の影が口づける仕草だった。





39: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/11(水) 19:43:25 ID:YAjCiUJE

…そうか、アイツは。

俺は自らの両手を身体の前に持ち上げ、目の前の空気をそっと包む。

俺の影が、彼女の影を抱き締めた。

それを見ていた本当の彼女は、驚いたように振り返る。

俺は腕を降ろすと彼女に向き直り、その瞳を見て言った。

「俺、ずっと君を見てたんだ」

「男さん…」

「あの店でも、このバス停でも」

バスが停留所に滑り込む。

《…お待たせしました。○△行きです》

彼女にことわりもせず、俺は開いた自動ドアの中に向かって「すみません、次のバスに乗ります」と言った。





40: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/11(水) 19:44:19 ID:YAjCiUJE

彼女は動かない。

すぐにバスは走り去っていった。

勇気を振り絞るなら、今この時をおいて他になど無いだろう。

「今度から、俺も向かいのバス停で君を見送ってもいい…かな」

彼女が小さく頷く。

「影の事、いつから…?」

「つい、さっきだよ」

本当の事だ。

それにちゃんとそう言っておかないと、アイツが怒られかねない。

彼女の背後に伸びる俺の影が、ニヤリと笑ったように思えた。



おわり


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テーマ:ショート・ストーリー - ジャンル:小説・文学

  1. 2013/09/27(金) 09:48:35|
  2. 男女SS
  3. | コメント:6

星に願いを(原題/同じ)

1: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 14:06:07 ID:O1LtQclc

俺は『男』、現在21歳の大学生。

可もなく不可もなく、平々凡々とした毎日。自分の今の境遇を表現するなら、それが相応しいと思う。

大学の授業はかったるいものもあるし、課題に追われたり今後の就職活動に憂鬱になったりする事もあるけれど、それも人並みの重さだろう。





2: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 14:06:54 ID:O1LtQclc

もちろん、そんな人並みさに見合った程度の幸せもある。

今のバイトはたかがスーパーの裏方だが、人間関係も含めて結構合っているように思う。

先日ついに普通車免許も取得して、欲しい車の事を考えていればわくわくしてくる。

とびっきり…という程ではないが、俺には勿体無く感じる程度に可愛い、彼女一歩手前な幼馴染もいる。

友人関係も、まあ普通だ。

誰にでもあるように、ついてない日もあれば最高にハッピーな日だってある…それも当たり前の事。

ただ、少なくとも今日はその内の後者にあたる日だった。





3: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 14:07:33 ID:O1LtQclc

車の購入費用にと精を出したバイトで得た金の一部をはたいて、幼馴染との日帰り旅行。

もちろん大した遠方地に行けたわけでは無いものの、ちょっとした非日常に二人の仲は少なからず親密になった。

お互いの自宅まであと少しの帰り道、何も言わずに手を出すとちゃんと彼女が握り返してくれたのがその証拠だろう。

たぶん今朝までであれば少し照れ臭くて出来なかった気がする。





4: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 14:08:06 ID:O1LtQclc

「楽しかったねー」

「そうだな」

「今日みたいな日が毎日ならいいのにね…?」

少しこちらを窺うように、幼馴染はそう言った。

言葉の意味はよく解る、でも気の利いた返事は用意していない。

すっかり暗くなった住宅街、よく立ち寄るコンビニの前を通り過ぎながら、俺は誤魔化すように夜空を見上げた。





5: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 14:08:43 ID:O1LtQclc

…その時だった。

辺りが明るくなる程の大きな流れ星。

「今日がずっと続きますように」

とっさに俺はそう言った。

だいぶ端折ってしまったが、つい先ほどの彼女の言葉を星に願ったつもりだった。

「三回なんて言えねーな…」

「一回だけでも叶うらしいよ?」

「それ、どこ情報よ?」

タイミングの良い流れ星のおかげで、少し気の利いた台詞を言う事ができただろうか。

その後の道のり、彼女と俺の距離はさっきよりもちょっとだけ近かった。





6: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 14:09:41 ID:O1LtQclc

心地よい眠りを阻害する、定間隔の振動音。

蚊の鳴く程の音量から次第に大きくなる、耳慣れたメロディ。

枕元で携帯が鳴っている。

はっきりしない意識を手繰り寄せ、それを手に取り画面を見る。

着信中『幼馴染』

画面上部に目をやると現在時刻は7:02と表示されていた。

昨日起きた時間と同じ位じゃないか、なんだって連日こんなに早く起こすんだ。

頭の中で憎まれ口を叩きながら、それでも今日という日が幼馴染の声で始まる事は嬉しく思えた。





7: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 14:10:25 ID:O1LtQclc

「…もしもし、おはよ」

《あ、出た。おっはよ、もう起きてた?私は準備できてるから、いつでもいいよー》

「は?」

訳が解らなかった。今日も何か約束していただろうか。

「何言ってんだ、お前。今日も何かあったっけ」

《はぁああぁ!?アンタこそ何寝ぼけてんの!?…まさか温泉行こうって自分から誘っといて忘れたっての!?》

いよいよ訳が解らない。なぜなら昨日の小旅行こそ温泉に行ったからだ。

「寝ぼけてんのはそっち…」

そこまで言いかけて、俺は激しい違和感に襲われた。

その原因はテーブルの上にあった。そこにはなぜか昨日の朝捨てたはずの、一昨日の夜食べたコンビニ弁当容器があったからだ。





8: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 14:11:12 ID:O1LtQclc

《アンタ、バカなの?本当に忘れてるの?ねえ、まさか今日行かないの?》

「ちょ…ちょっと待ってくれ!後で掛け直す…」

まだ携帯の向こうで喚いているのが聞こえたが、ひとまず通話を終了した。

もう一度テーブルに目を遣る、確かに一昨日の弁当容器だ。そして確かに昨日、台所のゴミ箱に捨てたはずだ。

寝起きでぐちゃぐちゃなのは髪型だけではない。頭の中も疑問符だらけだった。





9: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 14:11:58 ID:O1LtQclc

手に持った携帯の画面ロックを解除し、カレンダーアプリを起動する。

8月22日、木曜日

俺は目を疑った。幼馴染と温泉に行った、昨日の日付けだ。

詳しくは知らないが、携帯の時計やカレンダーが狂った試しは無い。

たぶんネットに繋がったPCみたいに勝手に現在時刻を合わせているはず。それでもその表示を疑わずにはいられなかった。

最近あまり観ていないTVをつけると、下世話な朝の情報番組が流れていた。

その番組の嫌らしい顔をした中年司会者の立つカウンターに置かれた日付けポップには、携帯と同じ8月22日の文字が並んでいる。

本当に寝ぼけているのは俺の方なのか。





10: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 14:12:49 ID:O1LtQclc

絶対に違う筈だと確信しながら、俺は幼馴染に電話を掛けた。

「もしもし」

《もしもしじゃないっ!どーするのよ?》

あからさまに不機嫌な声だ。ここはひとつ自分の感情は殺した方がいい。

「ごめん、本当寝ぼけてた。すぐに用意してそっち行くから」

《もう、びっくりするよ。待ってるからね》

俺は電話を切ると、首を傾げながらもテーブル上の弁当容器を持って台所へ行き、冷蔵庫脇のゴミ箱に押し込んだ。

その時のガサガサという音に、寝室から母親が顔を覗かせ「そういえば今日は出掛けるって言ってたわね」と声を掛けてくる。

「行ってきます」

まだ着替えも済んでいないのに、俺はそれだけを答えて洗面所に向かった。

そのやりとりもまた、昨日確かにこなした事のはずだという疑問を感じながら。





11: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 14:14:32 ID:O1LtQclc

「おはよ」

幼馴染が玄関から出てくる。

普段はあまり着ないような、一目で余所行きと解る可憐なワンピース姿。

「可愛いじゃん、服」

言葉は嘘ではないが、心からの台詞でもない。あえて自分の記憶の中にあるものと同じ台詞を投げてみたのだ。

「えへへ、こないだ駅前で買ったんだ」

「似合ってるよ」

ここまで全て、記憶の通り。予想通り過ぎて頭がこんがらがるとは、初めての体験だった。

「夜の9時位までには帰るから」

幼馴染が家の中に向かって言うと、彼女の母親は「男くんとデートでしょ、今日は帰らない位言ってみなさいよ」と、からかう様に返した。

おそらくそれに対して幼馴染は…

「変な事言わないで!」

そう…そう言ったはずだ。やはり記憶は正しい。





13: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 14:28:35 ID:O1LtQclc

記憶の中の昨日と全く同じルートを駅へ向かう。

よく立ち寄るコンビニの前には、下品なチューンが施されたセルシオが停まっている。

自動ドアの脇に設置された灰皿スタンドの側には、その車の主を含むと思われるいかにも遊び明けな3人の男が立ち、俺の横を歩く幼馴染をじろじろと見ている。

「やだ…、早く通り過ぎよ」

「そうだね」

しかし見られるだけで絡まれる事は無い…それも確信があった。





14: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 14:29:31 ID:O1LtQclc

最寄の駅、普段は買わないような額面の切符を二人分購入し、普段は行かない地方行きのホームを目指し階段を上がる。

その階段を登りきる時、俺はハッとして言った。

「危ない」

しかし間に合わず、幼馴染は最後の一段につまづく。

俺はとっさにその手を握り、引き起こすように支えた。

「ばか、気をつけろ」

「びっくりした…、ありがとう。よくこうなるって解ったね」

「あ?…ああ、なんとなく」

そう誤魔化したが、あそこでつまづくのは記憶にあった。

ただしその時は手を差し伸べるのが間に合わず、彼女は小さく転んでしまったのだが。





15: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 14:40:40 ID:O1LtQclc

朝のラッシュアワーの影響で、列車は7分遅れてホームに入った。

その後の各停車駅の停車時間を少しずつ短縮し、目的地へはほとんど遅れ無しで到着するはずだ。

次第に田舎の風景に変わってゆく車窓にも、見覚えがある。

確かこのトンネルを抜けると。

「男。見て、手を振ってる」

土手道を走る自転車に乗った小学生くらいの男の子が、過ぎ行く列車に向かって手を振っている。

それに幼馴染はにこにこしながら手を振り返す。そしてそのすぐ後…

「あ、見えなくなっちゃった」

そう、またトンネルに入るんだ。





16: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 14:44:01 ID:O1LtQclc

《本日は御乗車ありがとうございます。他路線の混雑による遅延で大変ご迷惑をおかけしております。今後の各駅到着予定時刻は…》

車内放送が聞き覚えのあるアナウンスを告げた。

記憶の通りなら、もうすぐ早起きが祟った幼馴染はうつらうつらと居眠りをするだろう。

もう既に目はとろんとして、車窓の枠に肘を置いて頬杖をついている。

この後は確か、目的駅の到着直前に案内が流れるまで話をする事は無いはずだ。

丁度いい、その時間を使って頭を整理しよう。





17: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 14:48:23 ID:O1LtQclc

このあまりにリアルな昨日の記憶は何なんだろうか。

ここまで全て、昨日の記憶と相違無い事象が起きている。昨日…といっても、日付は同じなのだが。

ただし幼馴染が転びそうになった時、それを予見した俺が手を貸す事によって彼女は転倒を免れた。その点は記憶と違う。

安っぽく都合の良い言葉で自分を納得させるなら、正夢だったと考えればいい。

ただ、純粋に正夢という言葉を当てはめるには、行動によって結果が変わるという点に疑問が残る。

少しファンタジー的要素を含ませるなら、身に迫る危険を回避するための予知夢だろうか。

とはいえ記憶によれば階段で転んだ幼馴染は何か怪我をしたわけでも無く、その後はこれといった危険の無い楽しい一日だった。

わざわざ予知夢に見る程の事ではない気がする。

もちろん、意味が無くとも見るものは見るのかもしれないが。

ひとつ言えるのは、記憶の中の8月22日は本当に楽しい一日だったという事。

もう一度過ごすとしても不服などあろうはずもないのだから、深く悩み込む必要は無いだろう。





18: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 15:02:49 ID:O1LtQclc

目的の温泉地は山間のロケーションも良く、数多くの旅館や入浴場と共に土産物店やちょっとした観光施設もある。

ゆっくり時間をかけて歩けば、この小さな街だけで一日以上を費やす事ができるだろう。

泊りがけで無いのが残念だが、今は恋人未満の二人だから当然の事だ。

少し曇って日差しが柔らかいとはいっても、まだ8月。先に散策をして温泉で汗を流すのが良い。

本物の古民家とそれを模して建てられた新しい建物が混じる風情の良い石畳の通りを歩く。

少しすると、観光地にはよくあるこじんまりとしたオルゴール館を併設した土産物店があった。

俺達は特に意思を確認するでもなくそこに立ち寄る、それもまた記憶の通り。

店内にはガラス細工と様々なオルゴールが並べられ、メルヘンチックな趣きを演じている。

しかし店舗の奥の一角ではそれとは全く違う、饅頭や木彫といった土産物が陳列されているのが、まさに日本の観光地らしい所だ。





19: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 15:03:31 ID:O1LtQclc

幼馴染はオルゴール本体の台座にクリスタルの人形が載せられた物を手に取り、側面の螺子を巻いた。

「あぁ、この人形ピノキオだったんだ」

オルゴールの音色が奏でたのは『星に願いを』だった。

クリスタルの人形は着色されていないから、一目でピノキオと判らないのも無理は無い。

無論、俺にとっては二度目となるやりとりだ。最初から流れるメロディに予想はついていた。





20: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 15:04:27 ID:O1LtQclc

星に願いを…か。

その時、俺はふと記憶の中のある出来事を思い出した。

昨日、コンビニの前で見た流星に俺は何と願った…?

『今日がずっと続きますように』

込めた意味としてはもちろん、今日のように幸せな日がいつまでも続きますように…という事のつもりだった。

でもその言葉を素直に受け取れば全く違う意味になる。

まさか、その願いはピント外れな言葉のままに叶えられたのか。

俺は正夢…予知夢を見たんじゃなく、8月22日という今日を繰り返しているのか。





21: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 15:05:28 ID:O1LtQclc

「…どしたの、男」

そんな突飛な事を考え無意識に真顔になってしまった俺を見て、幼馴染は不思議そうに声を掛けた。

「あ、ごめん…何でもないよ。星に願いをの歌詞、考えてた」

誤魔化して出鱈目を言う。

「ふうん、どんな歌詞?」

そう来るか。

なるほどやはり記憶と違う言動をとれば違う反応がくるんだな。

「…きーらーきーらーひーかーるー」

「それ違うし」

「思い出せなかったんだよ」

くだらない適当な事を言って、その場を凌ぐ。

記憶とは違うそのやりとりに少しほっとしたような感覚を覚え、同時に先の突拍子もない考えを『そんなバカな』と払拭した。





22: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 15:12:52 ID:O1LtQclc

少し細い川沿いの遊歩道。

俺はわざと記憶にあるよりもゆっくりと歩いた。

確かあのガス灯を模した電気式の街路灯がある辺りだったはず。

がさがさっ…

右手脇に続く紅カナメの生垣の足元から黒猫が顔を覗かせ、そのまま反対の低い石垣を川の砂利浜へ飛び降りた。

「もう、黒猫が前を横切るなんて縁起悪いなぁ」

幼馴染は本気で気にしている風でもなく、軽い口調でそう言った。

昨日のペースで歩いていたら、猫は俺達の真後ろを横切り、幼馴染は少しびっくりしたはずだ。

そして『前を横切るんじゃなくて良かったね』と、記憶の中の彼女は笑った。





23: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 15:14:47 ID:O1LtQclc

幼馴染は俺が歩くペースに合わせているから、記憶とは違う事象に遭遇している。

でも俺が何の影響も与えていない物事は、まさに記憶通りの時間に同じ行動をとっているという事だ。

「…男、楽しくない?」

「え、そんな事ないけど」

「さっきからちっとも話さないし、ちっとも笑わないよ」

…参ったな。

記憶の事ばかり考えてるから、急に記憶と違う言葉を投げかけられると戸惑ってしまう。

「ちょっと…考えてただけだよ」

おかげで全く気の利かない、フォローにもならない返答をしてしまった。





24: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 15:15:39 ID:O1LtQclc

「なにも今、考え事なんてして欲しくないなぁ…って言われるのは面倒臭いですか?」

「ごめん、悪かったです」

「よろしい」

人差し指を立てて幼馴染はにやりと笑う。

彼女はこの仕草をよくする。そして俺は何となくそれが好きだ。

今は考えるのはやめよう。

記憶の通りに行動するも違う事をするも、できるだけ意識しないようにしよう。

せっかくこの良き日を、もう一度過ごせるのだから。





25: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 15:18:44 ID:O1LtQclc

暫くの散歩と土産店巡りの後、昼食として小さな店構えのご当地ハンバーガー屋へ。

イチ押しメニューと表示されているのは、この地域の特産だという山葵の葉と茎を刻んでパティに練りこんだ山葵バーガー。

「私、これにしてみる」

そのメニュー写真を指差す幼馴染に危うく『けっこう辛いぞ』と言いそうになり、内心慌てる。

「じゃあ、これ二つ下さい。あとポテトひとつとカップサラダひとつ。飲み物は…俺はジンジャーエール」

「私も」

「じゃあ、ふたつ」





26: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 15:19:28 ID:O1LtQclc

少しして使い捨ての紙トレーに載せられた商品を受け取る。

俺は日除けのパラソルが立てられた縁台で待つ幼馴染の元へ、それを運んだ。

「いっただきまーす」

余所行きの服には似合わないほど大きく口を開けて、幼馴染はハンバーガーにかぶりつく。

俺はその様子を吹き出すのを堪えながら見ていた、なぜなら。

「う…っ!?…くぅ………」

山葵の意外な程の効き具合に悶絶する事を知っていたから。

「くっ…あははは、涙ぐんでら」

「ずるい、さては先に食べるの待ってたでしょ」

「あ?…ああ、まーな」

「意外と山葵効いてるよー、ちょっと失敗したかな…」

「ま、俺は山葵好きだから」

「私も嫌いじゃ無いんだけどなぁ。ちょっと効き過ぎだよ」

だからさっき忠告しそうになったのだ。

それでも彼女は少し涙目になりながらも時間をかけてそれを平らげた。





27: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 15:24:33 ID:O1LtQclc

その後は川の鯉に餌をやったり、写真撮影のスポットだという古い石橋で幼馴染をモデルにしたり。

帰りに乗る予定の列車の時間から逆算して、午後三時頃から目星をつけていた日帰り入浴のある温泉旅館へ向かう。

その道中で幼馴染は組み紐細工の露天に吸い寄せられ、お揃いのストラップを買った。





28: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 15:25:27 ID:O1LtQclc

目指す温泉旅館は、そのすぐ先だ。

風情ある建築様式には不釣合いな自動ドアを入って、右手の下足箱に履物をしまう。

ふかふかの絨毯の感触は、靴下だけだと少しくすぐったい。

カウンターに近づくと受付の女性が深々と頭を下げた。

「いらっしゃいませ」

「入浴したいんですが」

「ただ今、貸切露天風呂が空いておりますが、本日は大浴場のご利用でよろしいでしょうか?」

「はい」

選ばなかった方の選択肢も、大変魅力的ではあるのだが。

「承知致しました。二名様で1,600円頂戴致します」

財布を出そうとする幼馴染を「いいよ」と制し、俺は千円札を2枚出した。

これも記憶の…おっと、意識しないんだった。





29: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 15:26:12 ID:O1LtQclc

「この通路を左へ進みまして、屋外廊下の先が浴場でございます。ごゆっくりどうぞ」

「どうも」

脱衣所のロッカーの鍵を二つ受け取り、俺達は言われた方へ向かう。

屋外廊下の両脇はよく手入れされた日本庭園が広がり、ピンクのフリルのような百日紅の花が咲き誇っていた。

廊下のつきあたりには暖簾のかかった入り口が二つ。

「私、たぶん長いよ」

「おぅ、せっかくなんだからゆっくり浸かろうぜ」

「うん、じゃあ先に出た方がメール入れとこうね」

「わかった」

互いに頷き、俺は藍染め色の暖簾を、彼女は臙脂色の暖簾をくぐった。





30: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 17:20:16 ID:O1LtQclc

少しぬるめの湯に浸かりながら、ぼんやりと考える。

と言っても予知夢の事ではない、幼馴染の事だ。

恋人一歩手前、あとは互いに一線を超える意思確認をしていないだけ。

彼女を女性として意識し始めたのは、高校の頃だ。

義務教育の間ずっと一緒だった彼女と、はじめて別々の学校という距離を隔てた時、急に意識するようになった。

そしてどうやらそれは向こうもそうだったらしい。

高校2年の時、たまたま一ヶ月近くも顔を合わせない事があった。

俺が短期バイトに行っていたのが理由なのだが、おそらく彼女は連日俺の帰宅が遅い事に気付いたのだろう。

ある日前触れもなく、幼馴染からたった一言だけのメールが届いた。





31: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 17:21:21 ID:O1LtQclc

『彼女できましたか』

俺はそれに『できてません。最近バイトしてます』と返した、すると。

『こっちもできていません。バイトがんばって』

一連のやりとりは、たったのこれだけ。

でもこの三通のメールは、その時の互いの気持ちをよく表している気がして、実は密かに保護設定をかけて機種変しても未だに携帯に入っている。





32: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 17:54:15 ID:O1LtQclc

そのメール以降、およそ月に三度程度は何かしら理由をつけて会うようになった。

まあ、多くは『服を買うの付き合え』とか『ミスドが100円だから行こう』といった他愛もない事。

ひどければ夜、突然SNSのトークを使って『そこのコンビニ行くけど、一緒に行く?』といった程度の事も。

それでも特に用事や理由があったりする時を除けば、断られた事は無い。

ある意味そんな所帯染みているかのような関係を続けた事が、二人の立ち位置の境界をぼやけさせてしまったのかもしれない。





33: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 17:55:33 ID:O1LtQclc

そろそろ、はっきりさせなきゃな。

今日の小旅行だって、流れによってはそこにけじめをつけられるかも…そんな想いもあった。

結局、それは記憶の中の一日では果たされなかったけれど。

ふわり…と緩くも涼やかな風が吹いて、露天風呂の湯気が横にたなびいた。

もう時刻は午後四時頃だ。

やはり盆を過ぎてからは、この時間になると少し気温が下がる。

一日の終わりが迫っているという感に迫られ、気持ちが少しだけ焦った。





34: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 17:56:15 ID:O1LtQclc

そうだ、帰り道に見るはずのあの流れ星。

今度は違う事を願ってみよう。

幼馴染に聞こえるように、例えば『告白が上手くできますように』とか。

きっとそれに対して彼女は何らかのリアクションを返すはずだ。

あとはその流れで、いくつかのパターンで台詞を用意しておけばいい。

よし、と気合を入れるつもりで顔を洗う。

冷水でもないのに、気が引き締まったような…つもりになっておこう。





35: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 17:58:20 ID:O1LtQclc

記憶と同じ時間の列車に乗り、帰りは乗り換え一度。

全く同じ時間に地元の駅に着いたはずだ。

あとは特に意識しない程度のペースで歩けば、多少のずれはあれどコンビニの前あたりで流れ星が見られるはず。

まだコンビニに差し掛かるまでには五分はかかる。

まさか記憶より早かったりしないよな…そう考えながら、今の内からちょくちょく夜空を見上げていた。

「どしたの?上ばかり見て」

「いや、晴れたなと思って」

「ほんと、昼は曇ってたのにね。雨降らなくて良かった」

「そうだな、日差しもきつ過ぎなくて、ちょうど良かったよ」

その時、きらりと光る筋が夜空を流れ、瞬く間に消えた。





36: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 17:59:14 ID:O1LtQclc

「あ、流れ星!…男、見た?」

「うん、見た。珍しいね」

俺がそう言い終わるのとどっちが早かっただろうか。

「あ、また…!すごい!」

「今度のは少し長かったな」

さっきよりも多少低いところを、またひと筋の星が落ちる。

たて続けにふたつも流れるとは、流星群の夜でもないのに本当に稀な事だ。





37: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 18:00:08 ID:O1LtQclc

…でも違う。

あの流れ星はもっと大きくて、あの台詞を言い終わるほどに長く光っていたはずだ。

そしてやがてコンビニの前。

店の自動ドアからは親子連れが出てくる。子供はその手に買って貰ったのであろう花火の袋を提げている。

思い出した、この直後だ。

「楽しかったねー」

そう、この言葉を聞いた。

「そうだな」

「今日みたいな日が毎日ならいいのにね…?」

ここで俺は少し返答に詰まるんだ。そして誤魔化すように空を見上げる。

その時、大きな流れ星が…





38: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 18:01:21 ID:O1LtQclc

「…あれ?聞こえないふりをするのかな?」

「あ、いや…。おかしいな…」

「なにが?」

「えーと、何でもない」

何故、流れ星は光らない。

そんなに歩く速さが違ったか?

でも花火を持った子供はおよそ記憶通りのタイミングで店から現れた。

油断してたら今、流れたりするんだろうか。

もうとっくにタイミングは逸してしまった。

幼馴染はそれなりに意味を込めた言葉を投げてくれたはずなのに、俺は何の反応も示さなかった事になる。





39: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 18:02:51 ID:O1LtQclc

「そーですか、へー」

「いやほんとごめん。ジャスト考え事中だった」

「いーですよー、ぜーんぜん」

「許して、悪かった」

「なんか午前中もこんな事あったなー。男はやっぱり楽しく無かったのかなー」

「そんな事ないって、すごく…思い出に残る日だったよ」

二度過ごしたのだから、当たり前だけど。





40: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 18:03:37 ID:O1LtQclc

「本当かな?」

「神に誓って」

「どこの神様?」

「えーと、幼馴染大明神?」

「何それ」

幼馴染はけらけらと笑った。

「ばっかみたい」

行き当たりばったりな会話でも何とか持ち直す事は出来たらしい。

ほっと胸を撫で下ろすが、気まぐれな流れ星を恨めしく思う。

その後の道のり、彼女と俺の距離はさっきまでと変わる事はなかった。





41: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 18:04:49 ID:O1LtQclc

心地よい眠りを阻害する、定間隔の振動音。蚊の鳴く程の音量から次第に大きくなる、耳慣れたメロディ。

枕元で携帯が鳴っている。

それを認識した俺は、今回は飛ぶように起きた。

着信中『幼馴染』

画面上部に表示された現在時刻は7:02。着信中なので、日付は表示されていない。

それでも俺の心臓は早鐘を打っていた。

「…もしもし」

《もう、出るの遅いよ。起きないのかと思った》

幼馴染の第一声は二度目の8月22日とは違うものだ。

でもそれは俺が電話に出るのが遅かったからかもしれない。





42: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 18:06:18 ID:O1LtQclc

「ごめん、今起きた」

そして次に幼馴染が発した言葉は、全てを悟らせるに足るものだった。

《自分から温泉に誘ったんでしょ?しっかりしてよ》

俺は確信に近い感情を抱きながらテーブルに目を遣る。

そこにはあの弁当容器があった。

《電車の時間、何時だっけ?間に合いそう?》

「…悪い、後で電話する」

《え?何?》

「後でこっちからかけるから」





43: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 18:07:48 ID:O1LtQclc

携帯を切り画面の日付を確認すると、当たり前のように8月22日の表示。

俺は頭の中が真っ白になり、ベッドの上に座ったまま呆然とした。

あれは正夢や予知夢を見たんじゃない。

やはり今日という日が繰り返されている。

どういう事なのか、いくら頭を捻っても納得のいく答えなどあるはずも無い。

唯一、信じ難いながらもこの現象に理由を求めるとしたら、それはあの流れ星への願い以外に考えられないのだ。





44: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 18:08:55 ID:O1LtQclc

『今日がずっと続きますように』

…違う、俺が願いたかったのは、叶えて欲しかったのはこんな事じゃない。

いくら幸せな一日だったとしても、それを繰り返したいんじゃないんだ。

明日、一年後、そして数十年後まで、彼女と当たり前の幸せを分かち合う事だったはずだ。

果たして今夜眠れば、違う明日は来るのだろうか。

そうなるためには、どうすればいい。

また、同じ日を過ごすのか?

そしてあのコンビニの前で流れ星に『元に戻してくれ』と願えばいいのか。





45: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 18:10:17 ID:O1LtQclc

でも二度目の記憶の中では、あの流れ星は現れなかった。

それは何故だ?

二度目の記憶の今日は、何も無い限り最初の記憶と同じ事象が起こっていた。

ただ俺が違う行動や言動をとると、それに関与する事だけは変化した。

駅の階段での幼馴染のアクシデントや、黒猫が横切るタイミングはそれを裏付けていた。

でも流れ星の発生など、俺にどうこう出来る話では無い。

俺の行動が隕石の軌道を変える?…バカな。

いくらバタフライエフェクト的な力が働いても、繋がりようが無いだろう。





46: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 18:11:33 ID:O1LtQclc

ならば、流れ星は現れたはずだ。つまり俺が見落としたんだ。

あの明るさの流れ星を、流れる方向もタイミングも解っていながら、見られなかった。

それもまた考え難い事だが、その方がまだ納得できる。

そもそも星に願いをかけるなどという事自体、何の信憑性も無いまじないに過ぎない。

しかし解決する方法はそれ以外には思い浮かばない。

俺は手に持ったままの携帯で、幼馴染に電話をかけた。

今日は予定をキャンセルしよう。

たぶん二度目の記憶にも増して、俺は上の空になってしまうだろうから。





47: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 18:13:04 ID:O1LtQclc

《もしもし…どうしたの?大丈夫なの?》

電話に出た幼馴染はさっきの不満げな声とは違い、心配そうだった。

《もしかして体調悪い?今日…やめとく?》

最後の『やめとく?』をどんな表情をして言ったか、想像がついた。

きっとサンタに貰ったプレゼントが、欲しい物と違った時の子供のような表情だったはずだ。

「いや、大丈夫だよ。ごめん、すぐ行くから」

俺の心は、それを無視できるほど強くはない。

《よかったぁ、じゃあ待ってるね》

幼馴染は欲しいプレゼントを貰ったかのような声で、そう告げた。





48: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 18:14:51 ID:O1LtQclc

三度目の8月22日。

幼馴染はもう見慣れた余所行きのワンピースを着て、聞き覚えのある台詞を言う。

失礼な話だが、俺はそんな幼馴染にまるでゲームのNPCのような不気味さを感じていた。

だから俺は意識して記憶と違う行動をとり、違う話題をふる。

そうすれば記憶とは違う幼馴染の人間らしい反応に少し安堵できるから。

でもふと気を抜けば、やはり彼女は旅館手前の組み紐細工の露店に寄ってしまうのだ。





49: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 18:15:54 ID:O1LtQclc

「男…」

「ん?…なに?」

「楽しんでない…よね」

ぎくりとした。表情には出していないつもりだったのだが。

「そんな事ない、そんな訳…ないだろ」

「なんか怒ってるみたい」

「気のせいだって」

「…なら、いいんだけど」

やっぱりやめておくべきだった。

もし明日が明日じゃなく今日だったら、今度こそ出掛けるのはやめよう。





50: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 18:17:09 ID:O1LtQclc

帰り道は今までの二度に比べて口数も少なかった。

コンビニの前を通り過ぎる頃になって花火を持った子供が店から出てくる。

歩く速さはできるだけ同じ位にしたつもりだが、やはり気が焦っていたのか。

幼馴染が言うはずだった『楽しかったね』という言葉も、今回は発せられなかった。

当然の事だろう。

そしてやはり…というべきか。その日、流れ星が現れる事はなかった。





51: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 18:18:33 ID:O1LtQclc

その夜、23時59分。

俺はじっと携帯の時計を睨んでいた。

普段はしない時計の全画面表示モードにし、日付から秒数まで余すところ無く目を光らせる。

ベッドの上に座ってクッションを抱き、睨む携帯の向こうには何も置かれていないテーブルがある。

56秒、57秒、58、59…

時計の表示が23:59:59から00:00:00に変わった時、無情にも22日の表示だけがやはり変わらなかった。





52: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 18:19:49 ID:O1LtQclc

予想通りの絶望に携帯から目を逸らすと、テーブルの上には忽然と現れた弁当容器。

しかし抱いていたクッションは相変わらず俺の膝の上にあるし、携帯の待ち受け画面も時計の全画面表示のまま。

つまり俺が影響を与え、また監視していたものは日付を超えても元には戻らなかったという事だ。

でもそれが解ったからどうなるというのか。

このまま、この日を繰り返す事しかできないのか。

そんなまとまらない考えをぐるぐると巡らせる内に、いつしかカーテンの隙間からは青白い夜明けの光が差し始めていた。





53: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 18:20:45 ID:O1LtQclc

相変わらずの薄曇りの空、玄関のポストにコトンと入れられたのは22日付の新聞だろう。

なぜ今朝は雨じゃないんだ。

なぜ眩い程の日差し注ぐ晴れじゃない。

もう同じ日は要らない、こんな事を繰り返したいんじゃないのに。

俺は腹立たしくなって今更ベッドにうつ伏せ、そしてやがて眠りに落ちた。

しかし解っていた事だが、じきに携帯が鳴る。

俺は不快な眠りに落ちたばかりの意識を拾い上げ、画面も見ずに耳に当てた。





54: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 18:22:10 ID:O1LtQclc

《あ、早いね。もう起きてたんだ?》

「おはよう…」

《あれ?それにしては寝ぼけ声だね。温泉行きは大丈夫かな》

「…幼馴染、悪いけど温泉行きはまた今度にさせてくれないか」

《え?》

昨日みたいにその場の感情には流されずに、あくまでも事務的に。

「ほんと、ごめん。悪いんだけど」

《…うん、わかった。じゃあ、もう今日は…どこにも行かない?》

「そうだな、やめとく」





55: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 18:23:03 ID:O1LtQclc

《…風邪でもひいた?》

危うく『そうだ』と言いそうになる。

そう答えれば少しは角がたたない、でも見舞いに来られる可能性があると思った。

「そうじゃないけど」

《あの…えっと、理由…教えてはくれないんだね》

「…ごめん」

暫くの沈黙、彼女は何を思っただろうか。

《…わかった。じゃあね》

いかに事務的に伝えても、心は痛かった。

悲しげな彼女の声色に、俺の苛立ちは更に募る。





56: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 18:53:26 ID:O1LtQclc

もう何度目の8月22日だろうか。

おそらくは12回か13回、日付を表す術が無いとこんなにも感覚は曖昧になるものなんだな。

あれから俺は様々な事を試してきた。





57: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 18:54:14 ID:O1LtQclc

23時56分にセットした10分後に鳴る携帯のアラームは、ちゃんと00時05分に動作した。

無論、日付は22日のままでだ。

24時まで注文できる宅配ピザ店に23時50分に頼んだマルゲリータは、00時30分頃届けられた。

起きてしまった母親に文句を言われたが、「食べたくなったんだよ」とだけ言い返した。

伝票に記載されていた注文を受付けた時間は21日23時50分という事になっていた。





58: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 18:55:23 ID:O1LtQclc

用事もなくビジネスホテルに宿泊してみたりもした。

翌朝、目を覚ましてもそこはホテルのシングルベッドの上。

チェックインの時に受け取った朝食券には22日付のスタンプが押されていたが、朝見ると21日付に変わっていた。

俺がその時どんな所に居て何をしていようと、そのまま辻褄を合わせた22日が来てしまう。

まるで魔法だ。





59: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 18:56:12 ID:O1LtQclc

そして電波の圏内である限り、七時過ぎには幼馴染からの電話が鳴る。

それを受け、また彼女に悲しい想いをさせる事にも、三度目を過ぎた頃から罪悪感は薄れてしまったと思う。

もはや流れ星への願いが言葉通りに叶えられてしまったと信じる以外に、現状を理解する術はなかった。





60: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 18:57:45 ID:O1LtQclc

たぶん14度目の8月22日。

実に10回ぶり以上の間を開けて、俺は幼馴染と温泉旅行へ再訪した。

出来るだけ自然に、出来るだけ楽しんでいるように。

記憶は意識しないように、同じになろうと違う展開になろうと、その場に任せて。

そう心がけたおかげだろうか、良い雰囲気を保ったまま俺達は温泉旅館まで巡る事ができた。





61: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 18:58:55 ID:O1LtQclc

風情ある建築様式には不釣合いな自動ドアを入って、右手の下足箱に履物をしまう。

ふかふかの絨毯の感触は、靴下だけだと少しくすぐったい。

カウンターに近づくと受付の女性が深々と頭を下げた。

「いらっしゃいませ」

「入浴したいんですが」

「ただ今、貸切露天風呂が空いておりますが、本日は大浴場のご利用でよろしいでしょうか?」

4度目になる女性の言葉、それに対しておれの返答は初めての試み。

「じゃあ、貸切の方で」

「え?」

幼馴染が目を丸くする。無理もない。





62: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 18:59:46 ID:O1LtQclc

「あと今夜は空いてる部屋、ありますか?」

「はい、離れのお部屋のみとなりますが、ご準備できます」

「それでいいです」

「離れには元々、専用の露天風呂がついておりますので、入浴はそちらをご利用下さい。お食事はどうなさいますか?」

「朝夕両方つけて下さい」

「ちょ…男、何を」

「いいから」

当然の反応をする幼馴染を出来るだけ平然とした態度で制し、受付を終わらせる。

「お部屋は離れの『菖蒲』でございます。ごゆっくりお寛ぎ下さいませ」

「どうも」





63: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 19:00:54 ID:O1LtQclc

部屋のキーを受け取り、前とは反対側の屋外廊下を進む。

その廊下の両脇もまた日本庭園になっていて、蓮の葉が浮いた池の畔には禊萩が咲いている。

廊下の中ほど、幼馴染の歩みが少し遅れている事に気付き、俺は小さく手招きをした。

左右に降りる木階段、右側の『菖蒲』の表示がある方を降り、備え付けの雪駄を履く。

砂利の海を渡る飛び石は少しごつごつした肌で、よほど下手をうてば転んでしまいそうだ。

俺は何も言わずに手を延べ、彼女は一秒の間をおいてそれを握った。





64: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 19:01:48 ID:O1LtQclc

離れはこじんまりとしていながらも、中は意外と広い。

俺は畳敷きに置かれた卓袱台脇に座り、ふぅ…と息をついた。

しかし幼馴染は閉めた玄関の戸の内側にもたれ、顔を伏している。

「どうした、入れよ」

「…うん」

招く言葉でようやく卓袱台の側に座る幼馴染。

そして暫くの沈黙。

「なんで、こんな…急に」

「ん?」

「今日は日帰りだって…言ってたじゃない」

相変わらず顔を伏したままの彼女は、緊張した声で尋ねた。





65: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 19:02:33 ID:O1LtQclc

「泊まるの、嫌か?」

「嫌じゃない…けど、家に何も言ってない」

「…うん」

「それに、私達は…」

「うん、だからはっきりさせようと思う」

この半ば強引な行動の核心に迫る言葉に、彼女は顔を上げる。

その顔は見た事無い位に真っ赤だ。

「幼馴染、今夜は一緒にいて欲しい」

彼女は黙って頷き、そのままもう一度顔を伏してしまった。

「もう一度訊くけど、嫌じゃないな?」

「…嫌なら、部屋に入ってないよ」

かくいう俺も、彼女の返答にほっとする。

離れに入って数分、もうエアコンは効きはじめているのに、喉はからからだった。





66: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 19:03:28 ID:O1LtQclc

「もしもし…あ、お母さん?えーと、あのね。え?うん…そう、そうなの。…うん、本当に。…うん、わかった…じゃあ」

窓際から午後の温泉地風景を望みつつ、幼馴染は家に電話を掛けた。

「何て言ってた?」

「いきなり向こうから『帰らないんでしょ』って。それから、お父さんには違う事言っといてあげるから…って」

「そうか、よかった」

さすが、朝のからかいは上辺だけでもないんだな。





67: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 19:04:22 ID:O1LtQclc

「男、本当に信じていい?…私達、付き合ってる?」

「うん。俺はずっと、こうなりたかった」

彼女は相変わらず頬に紅葉を散らしたまま、少し涙ぐんで俺に寄りかかった。

俺の言葉に嘘は無い。

でも少しの罪悪感を感じて、俺はその肩を抱き寄せる事はしなかった。

なぜこんなに急に、強引な行動を起こしたのか。

それは夜、日付が変わる瞬間を彼女と一緒に過ごしたらどうなるのかを知るため。

純粋な恋心故の理由ではなかったから、後ろめたさを感じずにはいられなかったのだ。





68: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 19:05:32 ID:O1LtQclc

それでも、その夜。

俺は、彼女を抱いた。

やろうとしている事の本質は、自分の疑問を解く鍵を得るための実験に過ぎない。

だからこれは副産物であるはずの行為だ。

それなのにその瞬間だけは行為に心から没頭し、興奮を禁じ得ない。

そんな身勝手な自分に嫌悪感を覚えつつも、俺はただ懸命に彼女を穢した。





69: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 19:16:56 ID:O1LtQclc

そして、朝。

目覚めるとそこは当然のように旅館の離れ棟だった。

布団の中、隣には裸のままの幼馴染。

まだ微かな寝息をたてている彼女を起こさないよう、そっと布団を抜け出す。

携帯の画面を立ち上げてみる。

日付は8月22日のまま、時刻は7時15分。

また日付は繰り返している。





70: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 19:17:49 ID:O1LtQclc

では、彼女はどうだ。

彼女も俺と共に、彼女にとって二度目の今日を過ごす事になるのか。

日が上り多少暑くなってきた7時30分、エアコンの効き具合を変えようとリモコンを操作すると、ピッ…という電子音が鳴ってしまった。

それによって、幼馴染が目を覚ます。

「ふぁ…おはよう、男」

「おはよう」

上体を起こした彼女は自分があられもない姿でいる事を思い出し、素早く薄い掛け布団を自らに纏った。





71: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 19:18:41 ID:O1LtQclc

「向こう行ってるから、服着なよ。朝飯食べに行こう」

「う、うん」

洗面所で少し待つと『もういいよ』と、かくれんぼの口調で声がかかる。

服を着た幼馴染は余所行きのワンピースではなく、以前から見慣れたブラウスとキュロットという姿だった。

やはり多少は泊りがけになるかもしれないと覚悟していたんだな…と思うと同時に、不覚にも目頭が熱くなる。

彼女のその姿に、この無情な時間のループが始まる前に戻れたような錯覚を感じたから。





72: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 19:19:23 ID:O1LtQclc

「…ん」

俺はそんな女々しい想いを紛らわすように、予告もせずに彼女に口づけた。

まだ慣れない動作に、俺よりも少し小さな身体が僅かにこわばる。

「もう、まだ歯みがきしてないのに」

触れた唇が離れると、また頬を朱に染めて幼馴染は小さな恨み言を零した。

「俺は今の間にしたから」

「ずるい、じゃあ私もする」

俺と入れ替わるように彼女は洗面台へ向かう。

きっと歯を磨くより先に、火照った顔に水を掛けるつもりだろう。





73: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 19:20:30 ID:O1LtQclc

相変わらずの薄曇り、世界には同じ時間が流れている。

それでも朝から今までに無い行動を取っているだけに、その日の空気はどこか新鮮に感じられた。

幼馴染の話す事も全てが真新しい、初めての言葉達。

ただ記憶の中でこの温泉地に着いた午前10時頃になれば、どうだろうか。

その内、川沿いの歩道では黒猫が走るだろう。

橋の下ではたくさんの鯉が、餌を持った人間が来るのを待ち構えているに違いない。

それが、どうしようもなく怖かった。





74: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 19:21:12 ID:O1LtQclc

この街をもう少し歩きたいと言う幼馴染を押し切って、俺は彼女の手を引き駅へと向かう。

あと二駅先にあるという渓谷へ、とにかく行った事の無い所へ行きたかったから。

幸い幼馴染もそこへ着いてしまえば、それはそれで悪くは無かったようだ。

美しい渓流を眺めながら遊歩道を散策したり、水に足を浸して涼んだり、俺達は満たされた時間を過ごした。





75: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 19:21:53 ID:O1LtQclc

「この服、持ってきといてよかった」

「ああ、昨日のワンピースじゃ此処には来られなかったな」

「まして足を浸すなんてねー」

「でも着替え持ってきてるって事は、泊まる気だった?」

「もう、馬鹿。女はもしもに備える物なんだよ?」

これが、幸せなんだろう。

例え俺にとっては、このひと時が仮初めのものだとしても。





76: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 19:23:30 ID:O1LtQclc

帰りの列車。

もう空は茜を過ぎ、藍色を強くしている。

俺はぼんやりと車窓を眺めながら、不機嫌な顔にならぬよう心掛けて物想いに耽っていた。

幼馴染と結ばれ、どんなに満たされた一日を過ごしても、一度離れた夜を過ごせば彼女の記憶はリセットされてしまうだろう。

嫌というほど解っていても、あまりにやるせない。

日付を跨ぐ時に携帯で通話をしていたら、彼女の記憶を繋ぎとめる事は出来るのだろうか。

でもそれをいつまでも繰り返す事など無意味だ。





77: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 19:24:23 ID:O1LtQclc

目を向かいに移すと、幼馴染がバッグから手帳を取り出そうとしていた。

タータンチェック模様の表紙のルーズリーフ。

ぺらぺらと頁をめくり、背表紙に挿していたペンで何かを書き込む。

「…日記か」

「うん、覗いちゃだめよ」

「言うと覗きたくなるな」

「大した事は書いてないけど、でも見せない」

今の俺にとって日記ほど用の無い物もないな…と考え、心がちくりと痛んだ。





78: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 19:25:07 ID:O1LtQclc

「記念日だったからね」

「…記念日」

しかし次の幼馴染の台詞に、俺は心が軋むどころか愕然とする事になる。



「8月21日、私達の記念日でしょ?」





81: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 20:21:34 ID:O1LtQclc

当たり前だった。

今日は8月22日なのだ。

つまり俺達が結ばれたのは、彼女にとっては21日だった事に変えられている。

俺に22日を繰り返させるために、見えない力によって辻褄が合わされている。

でも、違う。

本当は違うだろう。

俺達の記念日は8月22日だ。

「…違う」

その瞬間、俺の中で何かが音をたてて崩れた。

24時間を幾度も繰り返す間に少しずつ理解しては押し殺し、宥めすかしてきた感情の、たがが外れた。





82: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 20:22:40 ID:O1LtQclc

「え?」

「それは俺じゃない」

だって21日の俺はバイトをしていた。

お前との小旅行のために汗を流し、20日締め月末払いの給料を店長に無理を言って先に貰った日だ。

店長は『楽しんでおいで』と、少し色をつけてくれた。

寝る前に『明日、楽しみだな』ってメールした、お前は『新しい服着て行くからね』って返信してくれたじゃないか。

それが、俺の8月21日だ。





83: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 20:24:05 ID:O1LtQclc

「男、何を言ってるの?」

お前の記憶の中でその日を過ごしたのは、本当の俺じゃない。

「違うんだ…」

「何が違うの?どうしちゃったの…」

途端に全てが偽物になった。

目の前の幼馴染も、今日の幸せも、愛しあった二人も。

消えればいい、そもそもこれは実験だったんだから。

昨日囁いた愛は所詮、今夜24時に切れるシンデレラの魔法だった。

種が暴かれた今、律儀に日付が変わるまで信じてる必要なんかない。





84: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 20:25:23 ID:O1LtQclc

「ごめん…」

「何を謝ってるのか解らないよ」

「…ごめん」

それから家まで、どうやって帰ったかさえよく覚えていない。

幼馴染は『疲れたんだよ』とか『色々あり過ぎたね』と俺を気遣う言葉をくれたけど、どうでもよかった。

コンビニの前で空を見上げる事もせずに、ただ偽物の幼馴染と早く別れたかった。





85: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 20:27:00 ID:O1LtQclc

部屋に戻った俺はベッドに伏せて泣いた。

これからは独り、知らない所へ行こう。

一日ずつを新鮮に感じられる、新しい街を点々とすればいい。

金が尽きたら部屋に戻って、財布を自分の棚に押し込んで一晩たてば中身は戻る。

そしてまた違う街へ、初めての所へ。決まって7時過ぎに鳴る電話なんて出なければいい。

幼馴染も知り合いも全て偽物なら、いっそ知らない人しかいなければ判らないだろう。





86: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 20:27:58 ID:O1LtQclc

例え自ら死んだって、どうせまた部屋のベッドで目覚めるに違いない。

本当の俺はあの流れ星を見た夜に死んだんだ、もう記憶も薄れかけた最初の8月22日に。

本当は忘れたく無い記憶など、その一度しかないのに。

だから最後にもう一度だけ、あの日を過ごそう。

俺が俺だった最後の8月22日をもう一度だけ記憶に刻みつけて、その後は偽物の世界に溶けて混じって、消えてしまえばいい。





87: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 20:30:38 ID:O1LtQclc

携帯が鳴る。

着信中『幼馴染』

あの時の俺はどの位の間をもってそれに出ただろう。

「もしもし…おはよう」

《おはよう、男。もう起きてた?》

思い出せ、俺はどう答えた?

「うん、着替えてたよ」

《じゃあ私の勝ちだ、私もう用意できたもん》

「はいはい、負けた負けた。すぐに行くから待ってて」

少し言葉は違ったかもしれないけど、このやりとりは覚えている。





88: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 20:32:00 ID:O1LtQclc

コンビニ弁当の容器を台所のゴミ箱へ押し込み、母親に『行ってきます』と告げて。

彼女の家の呼び鈴を押して。

「可愛いじゃん、服」

出てきた彼女の服を褒めて、そのあと彼女の母がからかう台詞を言って。

コンビニの前には品の悪いセルシオが停まっている。

駅の階段、一番上で彼女がつまづいて。

「痛ぁっ!」

「大袈裟だな、ほら」

起きる時に手を貸して、そういえば手を握るの久しぶりだな…って、その時考えたはずだ。





89: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 20:33:28 ID:O1LtQclc

列車は7分遅れで着くけど、到着する時間はほとんど遅れない。

トンネルとトンネルの間では道行く子供が手を振ってきて、幼馴染が振り返して。

それから車内アナウンスの後、彼女は居眠りをする。

温泉地についたら石畳の小道を歩き、最初はオルゴール館を併設した土産物店へ。

星に願いをのメロディが少し心に影を落とすけれど、あえて気にしない。

できるだけあの日の気持ちで、あの日の顔で。





90: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 20:44:16 ID:O1LtQclc

川沿いの遊歩道では二人の後ろを黒猫が走る。

「前を横切るんじゃなくて良かったね」

「お前、そういうの気にしないくせに」

「あはは、まーね」

ご当地のハンバーガーを頬張る幼馴染が目を潤ませて、慌ててジンジャーエールのストローを口に含む。

そのあと彼女は「こんなに辛いなら甘い飲み物にすればよかった」と後悔を露わにする。





91: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 20:52:38 ID:O1LtQclc

川の鯉に餌をあげて、石橋の上で写真を撮って。

午後三時頃から旅館へ向かい、途中の露店で組み紐のストラップを買って。

「お揃いだねー、照れるねー」

「口に出すとあんまり照れて無さそうに聞こえるな」

「男、照れ隠しって知ってる?」

「知ってるさ。今、俺がした事だからな」

思い返せば、これはなかなか秀逸な回答だった気がする。





92: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 20:58:30 ID:O1LtQclc

旅館の屋外廊下から見る庭園には百日紅の花。

温泉の湯はぬる目で長風呂してしまうけれど、幼馴染はもっと長い。

先に上がった俺は『先に出たから、俺だけアイス食べるよ』とメールを入れて。

10分遅れて出てきた彼女に『ずるい』と文句を言われて、ハーゲンダッツを買ってあげようとしたら『これがいい』とメロンシャーベットを渡されて。

「これが好きなんだよー」

「昔っからな」

旅館を出るとすっかり風が涼やかになっていて、あまり汗をかかずに駅まで歩いて。

乗り換え一度、地元の駅に着いた頃にはすっかり暗くて。

大通りから外れたところで黙って右手を出すと、一瞬の躊躇いの後に彼女がそれを握り返す。

そう、こんな一日だった。





93: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 21:00:02 ID:O1LtQclc

これが俺の本当の8月22日、最後の本当の記憶。

できるだけそれをトレースしたつもりだった。

どうしても今その時を過ごすというより、懐かしい記憶を思い返しているような気持ちになってしまったけれど。

でも二度と忘れない。

この記憶には、決して何も上書きしない。

だからもうこれ以上、幼馴染と過ごす8月22日は要らない。





94: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 21:08:45 ID:O1LtQclc

お互いの自宅まであと少しの帰り道、その温度まで記憶に刻もうと繋いだ手に意識を集めた。

50m程先の歩道を、あのコンビニの明かりが照らしている。

あそこで、あの星を見てしまったんだったな。

そして言葉足らずな願いを唱えてしまった。

それまでトレースしようとしても、きっと星は流れないのだろうけど。





95: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 21:10:10 ID:O1LtQclc

「…ろ」

その時、幼馴染が何かを呟く。

そうだった、確かあの日もそう思ったけど気にしなかったんだ。

「今、何か言った?」

この質問は本当にあの日を再現したいならするべきでない事。

でもこれが最後だと思ったら、彼女の言葉の全てを覚えておきたくなった。





96: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 21:11:58 ID:O1LtQclc

「うん…さっきから、流れ星がふたつも流れたんだよ」

「ふたつも?」

ああ、そうだった。

二度目の今日を過ごした日、上ばかりを向いていた俺もそれを見たっけ。

「男、見た?」

でも今回は、そして最初の日は上を向いていなかったから。





97: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 21:19:48 ID:O1LtQclc

「いや…見てない。見たかったな」

そう答えた俺に、幼馴染はにやりと笑いながら、繋いでいない右手の人差し指を立てて言った。

「大丈夫だよ」

彼女はこの仕草をよくする。

「何が?」

「ふたつめの流れ星、結構長かったんだ。だから」

そして俺は何となくそれが好きだ。



「男のために『もうひとつ流れろ』って願っといたから」





98: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 21:26:01 ID:O1LtQclc

幼馴染は立てた人差し指で、俺のほっぺたをつつく。

さっき、そして最初の日に彼女が呟いたのは、その願いだったのか。

ちょうどコンビニの前だ、見れば花火を提げた子供が店から出てくるところだった。

「楽しかったねー」

そして、まさか。

「そう…だな」

その願いが。

「今日みたいな日が毎日ならいいのにね…?」





99: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 21:26:59 ID:O1LtQclc

言葉の意味はよく解る。でもあの時も今も、気の利いた返事は用意していない。

すっかり暗くなった住宅街、よく立ち寄るコンビニの前を通り過ぎる時、俺は立ち止まり夜空を見上げた。

…その時だった。

辺りが明るくなる程の大きな流れ星。

とっさに俺は言った。



「今日みたいな日がずっと続きますように」





100: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 21:28:13 ID:O1LtQclc

定間隔の振動音。

蚊の鳴く程の音量から次第に大きくなるメロディ。

携帯が鳴っている。

『アラーム 8月23日 金曜日 8時00分』

俺はその衝動を止めると、幼馴染に電話をかけた。

接続を待ちながらカーテンを開けると、快晴の空。

《もしもし?おはよ、どうしたの早くから》

「おはよう。幼馴染…今日、逢えないかな」

《昨日、一日中いっしょにいたのに?…いいけど》

「9時頃行くから、用意してて」





101: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/06(金) 21:29:06 ID:O1LtQclc

可もなく不可もなく、平々凡々とした毎日。

もう一度訪れた境遇を表現するなら、それが相応しいと思う。

でも、一日として同じ日を過ごす事など無い。

果たして今日、彼女一歩手前の幼馴染の手を握り、目の前のラインを踏み越える事はできるだろうか。

きっと失敗を恐れる今の俺は、幾度目かの記憶で彼女を口説いた俺のように強気にはなれない。

例え下手を打って失敗したとしても、24時を過ぎたらリセットされればいいのに。

幼馴染の家の呼び鈴を押しながら、俺はそう思った。

Fin.


.

テーマ:ショート・ストーリー - ジャンル:小説・文学

  1. 2013/09/26(木) 11:29:58|
  2. 男・幼馴染SS
  3. | コメント:0

自殺勧告(原題/男「なんで俺に死んでほしいわけ?」)

1:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 14:42:12 ID:kB1Ltwcs

男「オラ、飯できたぞ」

女「…早く死ねばいいのに」

男「食わなくてもいいぞ?」

女「食べてあげますから、死んでは頂けないでしょうか」

男「ウチに居座って3日間、死の一文字が入らない台詞、ほとんど喋ってないよね?」

女「とんでもない。自殺して頂けませんかとお願いした事もあったでしょう?」

男「うん、確かに死の文字は入ってないねー」





 
2:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 14:43:08 ID:kB1Ltwcs

ぺらぺら…(ページめくりの音)

女「…こちらなどいかがでしょうか?」

男「ばっか、俺には派手すぎるよ」

女「とてもお似合いかと思います」

男「そんなお願いポーズしてもダメ」

女(うるうる…)

男「だめです」

女「…飛び降りなら確実に死ねると思ったのですが」

男「昔ネタに買った完全自殺マニュアル、捨てときゃ良かったよ」





3:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 14:44:01 ID:kB1Ltwcs

男「なんで俺に死んで欲しいわけ?」

女「…教えたら死んで頂けますか?」

男「嫌」

女「なら教えません」

男「理由によっては…(ウソだけど)」

女「…でも教えられません」

男「とにかく理由もなく俺にただ死ねと?」

女「それは違います。理由はありますが教えません、それでも納得して死んで下さいとお願いしているのです」

男「それ通ると思う?」

女「美少女のお願いですから、あるいは」

男「」





4:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 14:45:54 ID:kB1Ltwcs

…三日前の深夜、男のワンルーム

男(今日から8月かぁ)

男(学校も休みだし、バイト代も貯まったし)

男「念願の二輪免許でも取るかー」

女「あ、それは無意味だと思います」

男「そっかー…って、誰だお前」





5:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 14:46:47 ID:kB1Ltwcs

女「女、と申します」

男「いや、名前を訊いてるんじゃなく」

女「はぁ」

男「なぜ、いつからそこに、鍵を掛けた玄関か2階の窓か、どこから入ったと訊いたんだが」

女「…まず前者の問いの答えは、ついさっき…といったところでしょうか」

男「ほぅ」

女「後者の答えは…残念ながら玄関と窓のどちらでもありません。また正しく答えるのは困難を極めます」





6:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 14:47:32 ID:kB1Ltwcs

男「じゃあもう一つ訊こう」

女「あまり暇ではないのですが」

男「俺は恋人もいないし、あまり女に縁のある方じゃない」

女「はい、部屋の雰囲気からも察せられます」

男「けど見ての通り、血気盛んな年齢の健康な男子だ」

女「先程も申しましたが暇ではありません」

男「そんな俺の前に…いや背後に、なぜ裸の女が立っているんだ」





7:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 14:48:15 ID:kB1Ltwcs

男「俺の服しかないけど」

女「お借りするのですから、こんな服でも文句は言いません」

男「随分な物言いだな」

女「失礼、この程度の…と言うべきでした」

男「変わらないし…。まぁいいか、お茶どうぞ」

女「恐れ入ります」





8:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 14:49:05 ID:kB1Ltwcs

男(わけがわからない)

男(最初はエロゲよろしく女っ気の無い俺のところに神様が天使でも遣わせたのかと思ったけど)

男(冷静に考えて、んなわけないよな)

男(このアパートに引っ越してきて、管理人が間違えて俺の部屋の鍵を渡したとでも考えた方が自然だ)





9:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 14:49:46 ID:kB1Ltwcs

男(ただ、それなら何故…)

男「で、どうして裸だったんだ」

女「止むを得ずです」

男「いや、その止むを得ない理由は」

女「ちょっと説明は難しいです」

男(…もしかしたら、言いたくないような可哀想な目にあったんだろうか)

男(それ位しか思いつかない。ひとまず訊かずにおこうか)





10:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 14:50:57 ID:kB1Ltwcs

男(とりあえず、これはラッキーかもしれない)

男(落ち着いて見れば、この娘…とびっきり可愛い)

男(歳は…16か17位か?)

男(こんな娘とお近づきになれる機会なんて、今後も含め無いんじゃないだろうか)

男「それで、どうして此処に」

女「貴方…男さんを訪ねて参りました」

男「俺を知ってるのか」

女「はい、一通りのデータ位は」

男「なんだそりゃ」





11:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 14:52:01 ID:kB1Ltwcs

女「名前は男、どうでもいい三流大学に通う20歳。失礼ながらご両親は御他界されており、大学の近くに一人暮らし」

男「当たってる」

女「比較的裕福なご親戚からの補助を得て、またご自身もアルバイトをして生活していらっしゃいます」

男(…なぜそんな立ち入った事まで)

女「性格は温厚、気弱、周りに流されるタイプで自分の意思はどちらかと言うと希薄」

女「友人には親友と呼べる程の方はおらず、もちろんガールフレンドもいません。そして…」

男「そして?」

女「童貞です」

男「当たり」





12:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 14:52:49 ID:kB1Ltwcs

男「そんな冴えない男の所に、何の用で来た?」

女「とあるお願いをしに参りました。さすがにいきなり申し上げるのも不躾と思ったのですが」

男「すでに色々と不躾な事は言ってると思うよ」

女「あくまでご自身の判断で、男さんの望む意思として…」

男「ふんふん」

女「お一人で実行される分にはどんな方法でも構いませんので」

男「ほぅほぅ」

女「是非、自殺をして頂きたいのです」

男「帰れ」





13:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 15:13:40 ID:kB1Ltwcs

女「そうはいきません。なんとしても自ら命を絶って頂きませんと」

男(なんだこの娘)

男(可愛いけど、とんでもない事を言う)

男(電波…というか、どっかネジがとんでるのか)

男(ただそれにしては、そうと思えないほど凛とした眼差し。何かの使命感を持っているかのような…)





14:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 15:15:14 ID:kB1Ltwcs

女「実行して頂けますか」

男「そうする義理はないね」

女「こちらとしては大ありなのですが」

男「何故、理由は?」

女「…説明できません」

男「はいそうですか、って言うわけないだろ」

女「…では」





15:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 15:16:17 ID:kB1Ltwcs

女「私は死神なのです」

男「へぇ」

女「つまり貴方の死期はもう近いのです」

男「ほぅ」

女「だから仕方ないと思って、前もって自殺しませんか」

男「その場合、むしろ残された時間を有意義に使いたいよね」

女「そこをなんとか」

男「しかもそれ、今考えただろ」

女「ばれますか」





16:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 15:17:11 ID:kB1Ltwcs

…そして現在

男(自殺しろ、いやだ、理由を教えろ、教えられない)

男(そんな水掛け論のようなやりとりばかりを繰り返して、あれから3日)

男(全く出て行こうとはしないし、もしかして夜寝てる間に殺されたりするかもと思ったけど、それも無さそうだ)





17:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 15:18:01 ID:kB1Ltwcs

男(なんというか俺が憎いってわけじゃないみたいだし、ただ単純に俺が死ぬ事を望んでるんでもない)

男(恐らく本当に何かわけがあって、そのためには俺が自殺する必要があるんだろう。ただ…)

男「なぁ」

女「はい?」

男「俺、絶対自殺なんかしねえよ?」

女「いいから早く死んで下さい」

男(焦ってるのかキツい言い方をする事も増えてきた)

女「お願い…ですから」

男(でも、その度にひどく辛そうな顔をするんだよな)





18:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 15:18:58 ID:kB1Ltwcs

女「…こんなの、いかさまです」

男「いや、正々堂々とやってるけど」

女「だって28連敗ですよ」

男「角を取られないように、その周りはできるだけ置かない方が良いんだよ」

女「だってそこしか置くところが無くなります」

男「まぁ、そうやって勝つゲームだからね。ハンデで角ひとつかふたつあげようか」

女「結構です。その代わり、もし私が勝ったら自殺してくれますか」

男「あ…すげえ、全消しになった。で、何だって?」

女「…何でもないです」





19:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 15:19:48 ID:kB1Ltwcs

男(めっきり出掛けてない)

男(たぶん外に出てもついて来てこの調子だろうから、人目のあるところに行きにくい…というのもあるけど)

男「………」

女「…私の顔に何かついてますか?」

男「目がふたつと鼻がひとつ、口がひとつかな」

女「残念ですね、貴方もですよ。だから死ぬといいと思います」





20:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 15:21:09 ID:kB1Ltwcs

男(ひどい言葉を投げられても、こんな美少女とひとつ屋根の下で寝起きを共にするってのを、幸せに感じてるんだよな)

男(ただ、さすがに冷蔵庫が空っぽになってきた)

女「どこに行く気ですか」

男「食品の買い出しだよ。二人分消費してるから、足りなくなった」

女「それは…ごめんなさい」

男(おや、しおらしいじゃないか)

女「…ちょうどいいから、死にましょう」





21:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 15:22:08 ID:kB1Ltwcs

男「却下。晩飯は何がいい?」

女「ハンバーグがいいですっ!」

男「そんな大きい声、初めて聞いたな」

女「えっ!?あっ…」

男(顔を赤くするのも実に可愛い)

女「だだだって、昨晩の夕食でハンバーグが得意だって言ってたから」

男「あれ?じゃあそれを作るまでは死ななくて良かったりするのかな」

女「ばか!早く死んじゃえ!…です」

男(うん、可愛い。これは死にたくないな)





22:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 15:22:56 ID:kB1Ltwcs

男「やっぱりついて来るんだ」

女「逃げられてはいけませんので」

男「…手を繋いでるのも?」

女「当然、確保するためです。他意はありません」

男(近所のスーパー店内、食品売り場を美少女と手を繋いで…)

女「何をキョロキョロしているんです?本当に逃げる気ですか」

男(誰かに見られてえぇぇぇ!大学のやつ居ねえかな…居ねえな…残念)

女「なんだかニヤニヤして気持ち悪い…死ねばいいのに」

男「お、今のは本気だったね」

女「私はいつでも本気です」





23:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 15:25:23 ID:kB1Ltwcs

女「…綺麗」

男「ん?何が」

女「これが…夕焼け」

男「あー、ここな…俺もこの河川敷から見る夕陽、好きなんだ」

女「………」

男(泣いてる?まさか…いや、泣いてる)

男(どうしたの?…って、こういう時は言わない方がいいのかな)

…ギュッ

男(手を握る力だけちょっと強めてみたり。きっと、ハッとなって『死ね』とか言うんだろーな)





24:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 15:26:33 ID:kB1Ltwcs

女「………」

…ギュッ

男(あれ、握り返された。これはアレか、LとOとVとEの四文字で表されるものが芽生えていたりなんかするのか…!?)

男「あ、電車」

女「シルエットになってる…」

男「いっそあれに乗ってどこか遠くへ行」

女「そうだ、電車に飛び込むのもいいですよ!」





25:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 15:27:50 ID:kB1Ltwcs

男(それから十日あまり。関係は変わらない)

男(ただ毎日のように二人で出かけるようになったけど)

男(きっと女は振り回されてるだけだろう。でも俺はこの手を繋いでの外出が癖になってしまった)

男(それに…)

女「男さん!あれは!?」

男「カーフェリーだよ。自動車を載せて海を渡る船だ」

女「海、すごいです」





26:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 15:28:43 ID:kB1Ltwcs

男(どういうわけか、女はこの世の中の事を全然知らない)

男(いや…知らないというより、知識としては知っていても見た事が無いといった感じだ)

女「男さん」

男「何?」

女「楽しい…です」

男「それは良かった」

女「でも、どうして。私は男さんを傷つける事ばかり言っているのに」





27:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 15:29:56 ID:kB1Ltwcs

男「…俺が海を見たくなっただけだよ。君はそれについて来てるだけだろ?」

女「…そう、です」

男「そうだよ」

女「早く、死んで下さい」

男「嫌です」

女「………」

男「自殺なんかしない。俺は今、幸せなんだ」

女「呪う言葉ばかり言う私がつきまとっているのに、ですか」

男「ああ」

女「…これ以上」

男「ん?」

女「何でも…ないです」





28:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 15:31:17 ID:kB1Ltwcs

女「すごい人…みんな楽しそう」

男「あっちは海水浴場だね」

女「この暑さですから、気持ち良いのでしょうね」

男「…海、入るか?」

女「入水自殺ですか」

男「帰ろうか」

女「………」

男「水着なら何でもよければ近くで売ってると思うよ」





29:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 15:31:50 ID:kB1Ltwcs

女「私は遊びに来たのではありません」

男「じゃあ俺だけ行って来るから、手を離してくれる?」

女「………」

男「でも、出来れば…」

女「出来れば」

男「…一緒に、どう?」

女「に…逃げられる訳にもいきませんし。仕方がないですね」





30:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 15:32:36 ID:kB1Ltwcs

男「これはすごい」

女「何がです」

男(自意識過剰じゃない、注目の的だ)

男(そりゃそうだろ、たぶんこの浜辺で一番可愛いぞ。幼児体型気味ではあるけど…)

女「元々かもしれませんが、顔に締まりがありません」

男「無理を言わないでくれ」

女「泳ぐんじゃないんですか」

男「お、おぅ。もちろんだ」





31:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 15:33:30 ID:kB1Ltwcs

女「あまり深いところへ行かないで下さい」

男「うん?」

女「ごにょごにょ」

男「うん?」

女「………んです」

男「あん?」

女「泳げないんですっ」

男「ん、という事は…泳げばすぐ逃げられるって事か」

女「だめです!」





32:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 15:34:38 ID:kB1Ltwcs

男「分かってるって。それにその気になれば、さっき着替えてる間でも簡単に逃げられるじゃないか」

女「それは…そうですね」

男「夜寝てる間に逃げたりした事も無いだろ?」

女「確かに、でもじゃあ何故そうしないんです」

男「いーからいーから、泳ぐぞ」





33:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 15:45:57 ID:kB1Ltwcs

…その夜

男(よく寝てるなあ、まあ無理も無い)

男(連日の外出、しかも今日なんかとびっきりに遊び倒したもんなぁ)

男(…結局、いまだ分からない事だらけだ)

男(何故、俺に死んで欲しいのか。そうまで言うなら、どうして俺を殺すんじゃだめなのか)





34:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 15:47:07 ID:kB1Ltwcs

男(どこから、どうやって来たのか。なぜ世の中の事を珍しがるのか)

男(…何故、こんな俺を)

男(自惚れかもしれない…けど、死んで欲しいとは言いつつも多分、俺は嫌われてはいないんだろう。…むしろ)

男「…まさか、な」

男(たまにはビールでも飲んで、頭冷やして…寝よ)

女「う…ん…」





35:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 15:47:49 ID:kB1Ltwcs

男(起こしたか?)

女「死んで…くださ…」

男(………)

男(…いいんだよ。これが俺とこの娘の距離感なんだろ)

男(その内、まぁいつか…死んであげてもいいかな)

男(その位、今までの人生の中には無かったような幸せを感じてるのは確かだ)

男(ありがとうな、俺に…自殺を勧めに来てくれて)





36:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 15:49:27 ID:kB1Ltwcs

…次の朝

男「おはよう」

女「…おはようございます」

男「もう起きてたんだな。今日は何処に行こうか」

女「………」

男「歩いて行ける範囲の町は大体回ったし、電車で海も行ったし…」

女「男さん」

男「ベタだけど、遊園地とか」

女「男…さん」

男「映画とか、水族館とか…」

女「…男さん」

男「………はい」

女「自殺、どうしてもして頂けませんか」





37:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 15:50:23 ID:kB1Ltwcs

女「当たり前…ですよね。死ねと言われてすぐにハイと言う人なんて、いるわけありません」

男「どうして…泣いてる」

女「…男さんのせいです」

男「俺が死なないから」

女「そうだけど…そうじゃない」

男「………」

女「どうして男さんは、私に良くしてくれるんですか」

男「俺は、何も」

男(そうだ、俺は俺がいいようにしていただけだから)





38:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 15:51:09 ID:kB1Ltwcs

女「貴方に死ねと、早くしろと…私は最初からそんな事ばかりを言ってきたのに」

男「…でもその言葉には、悪意が感じられなかった」

女「昨日、逃げようと思えばすぐ逃げられるって。それに…男さんが私を力づくで追い出そうとすれば、そんなの簡単なはずなのに」

男「俺は」

男(俺は…君と居たいんだ)

女「…もう、貴方に死を勧めるのが嫌なの」

男「女…」

女「死んで欲しくなんかない…」





39:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 15:52:31 ID:kB1Ltwcs

男(その日は結局、どこにも行かなかった)

男(女はいつの間にか泣きやんではいたけど、時おり鼻をすする音がする)

男(俺はその度、彼女の頭や背中を撫でるくらいの事しかできなかった)

男(そして日も暮れかかった頃、彼女はぽつりぽつりと話し始めた)





41:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 16:11:06 ID:kB1Ltwcs

…2032年、とある研究室

女「博士、今のところ起動状態良好です」

博士「ああ、ついに完成したな」

女「おめでとうございます、博士。貴方が成した偉業は人類の夢、そして今となっては人類最後の希望です」

博士「本当に…このタイムマシンを作り始めた時には、そんなつもりなど無かったのだが」





42:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 16:11:49 ID:kB1Ltwcs

女「時標(ときしるべ)が設置されたのは2013年8月1日です」

博士「うむ…忘れもしない、私がこの手で設置したのだからな。タイムワープは時標が存在する時代にしか出来ない」

女「つまりその日が、時間を遡る限度なのですね」

博士「さあ、この世界を…歴史を救わなければ」





43:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 16:12:35 ID:kB1Ltwcs

…現代、男の部屋

男「タイムワープ…時標…?」

女「はい、信じられないかとは思いますが」

男「いや…信じるよ。信じた方が色々と合点がいく」

女「タイムワープさせる事が出来るのは、思念の波長を完全にスキャンしてタイムマシンに記憶させてある者だけ」

男「思念の波長…」

女「思念とは思考や身体の各部への運動命令など、脳が発する言わば電気信号」

女「この時代の言葉を借りれば、魂に近いものです。また記憶も思念の一部と言えるでしょう」





44:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 16:13:43 ID:kB1Ltwcs

男「つまり魂を持たない物質を送る事は出来ない、と」

男(なるほど…それで最初の日、裸だったのか)

女「私が居た時代、2032年は…人間が絶滅の危機に瀕しています」

女「その原因は『寄生蜂』正体はほとんど明らかではありませんが、恐らくは宇宙からの生命体」

女「僅か体長10cm弱ほどの昆虫と爬虫類の中間のような生物で、知性を持つわけではありません。でも人智を超えた生態を持っています」





45:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 16:14:49 ID:kB1Ltwcs

女「こちらからはその存在は見えず、触れられない。唯一見て触れられるのは、死骸となったものだけ」

女「見えない卵を産みつけすぐに幼虫が孵化した後、およそ2年をかけて羽化します。…宿主の体を食い破って」

男「こっちからは見る事も触る事もできないのに、食われるのか」

女「羽化した成虫は僅か数日の命ですが、その間に10個前後の卵を残します。しかも卵が10個なら一切の被り無く10人の人間に」

男「つまり二年で10倍を繰り返す…」

女「最初、その異常さに気付いたのは2017年。ほとんど日本国内で、100人がほぼ同時に肉体の一部を欠損した屍になりました」





46:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 16:15:35 ID:kB1Ltwcs

女「寄生蜂の存在…死骸が見つかったのはその二年後。2019年に1000の命が犠牲になった時です」

男「2019年に1000、2017年に100で2015年が10…」

女「つまり2013年に…最初のひとつが」

男「…もう馬鹿でも察せられる話だな」

女「その後、無数に見つかり始めた蜂の死骸を調べた結果、それらは全て1匹の女王蜂の子孫である事が判りました」

男「その女王蜂が、俺の中に」

女「蜂の中に、貴方の思念の欠片が見つかったのです」





47:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 16:16:38 ID:kB1Ltwcs

男「…女王はいつ羽化するんだ」

女「未来の記録では突然貴方が亡くなったのは、今年の…9月1日」

男「なるほど、このまま生きてもあと半月の命ってわけか」

女「………」

男「俺が死ななきゃいけない理由は解った。だけど、何故自殺じゃなきゃいけないんだ」

女「…蜂は宿主の思念からその状況を察知し、宿主を殺害した者がいる場合その者に寄生し直すのです」

男「瞬間移動でもするってのかよ」

女「その症例は少なく、メカニズムはよく判りません。ただ宿主を殺害した者を、より強い宿主と認識するのでしょう」





48:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 16:17:33 ID:kB1Ltwcs

男「それで自殺…か」

女「もし…このまま男さんが自殺を拒み続けた場合は、私が男さんを殺害した後、自殺する事になっています」

男「それはさせたくないな」

女「ごめん…なさい」

男「…この話を今まで内緒にしてたのは、どうしてだったんだ」

女「ひとつは信じて貰えないだろうから、信じて頂けたとしても貴方が逃げ出す可能性が高いと思われたから…」

女「もうひとつは、可能性の話ですが」

女「自らの体内に蜂が居る事を貴方が確信した場合に、蜂がその思念を察して何か行動に出る事を恐れたからです」





49:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 16:18:22 ID:kB1Ltwcs

男「つまり、違う宿主に移動する…?」

女「いえ、これは恐らく考えすぎです。でもできるだけ伝えずに自殺を決意させる…それに越した事は無いと」

男「…二年毎に10倍になり続けると、2031年の発生は約10億…か」

女「そして私がいた時代の一年後、2033年には…」

男「蜂の発生数は総人口を超える」

女「恐らく」

男「うん…解った」

女「はい…?」





50:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 16:19:06 ID:kB1Ltwcs

男「解ったよ…、自殺しよう。なに、もともとそれほど捨てるに惜しい人生じゃない」

女「そんな」

男(…むしろ君に会ってからの人生の方が、それまでの全てよりも大切だった)

男「世界を救うためなら自殺するのも、悪くないかも…な」

女「男さん…」

男「ただ、さ。8月末ギリギリまでって言うと少し心配だから…今から一週間でいいからさ」

男「俺の誕生日…22日まで最後の時間、生きてもいいかな」





51:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 16:19:49 ID:kB1Ltwcs

男「両親が死んでから、誰に祝って貰う事もなくなった誕生日。最後に君が祝ってくれないか」

女「男…さん…」

男「そのくらいの我儘は、きいてくれるよね?」

女「…どうして」

男「何年ぶりかに、ホールのケーキでも買うか…はは」

女「やっと…使命が果たせるのに…」

男「それで…いいんだよな」

女「どうして、こんなに…」





52:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 16:21:04 ID:kB1Ltwcs

男(それからまた女は泣きはじめ、いつしかそのままソファで眠った)

男(俺は部屋の灯りを落とし、そのソファの脇の床に座って女の寝顔をただ眺めた)

男(強がりはしたものの、一週間後に死ぬ事を思うと恐くもなる)

男(自分の身体に巣食う蜂を何とか追い出せないだろうか、考えはしても良い答えが出るはずも無く)

男(そもそも蜂が俺に入りさえしなければ…そんな今更すぎる思いを馳せては、そうでなければ女に出会う事もなかったのだと自分に言い聞かせた)

男(明日から、今までにないような日を生きよう)





53:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 16:22:16 ID:kB1Ltwcs

男(一人きりになってから、誰かのためはおろか自分のためにさえ生きてはいなかった)

男(ただ死ぬ気もないから、なんとなく命を繋いでいただけの日々)

男(そこに大きな意味なんて、無かった)

男(明日からは自分に報いるために生きよう。そして)

男(この娘と、未来に報いるために死のう)

男(誕生日、楽しみだな…)

男(できれば来ないで欲しいな)

男(あれ、俺…泣いてんだ)

男(こんなの、女には見せられないな…)

短髪女「ふん、女々しい男だ」

男「え」

短髪女「死ね」





54:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 16:33:37 ID:kB1Ltwcs

バキッ!!

男「うぉっ!?…ちょっ」

男(なんだこの娘…!?また突然現れて、また裸で…)

短髪女「逃げるなよ!」

女「男…さん…?…えっ!?」

短髪女「ちっ、次は外さない!死ねっ」

女「参号っ!?何故、今…!?」

短髪女「え…!?そこに居るのは、弍号…!」

男「参号?弍号…?」





55:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 16:34:49 ID:kB1Ltwcs

女「参号、聞いて…!貴女が男さんを…」

短髪女「弍号、話は後だよ!こんな事をしている間に宿主に逃げられては…!」

女「参号っ!やめて…!」

男「うわっ!?」

ベキベキッ!!

男(素手でテーブルが…!?)

短髪女「くそ、どけっ!血迷ったのか、弍号!」

女「だめ!参号、攻撃をやめて!話を聞いてっ!」

短髪女「弍号…キミがここに居るという事は、まさかボクは任務に失敗したの…!?」





56:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 16:35:43 ID:kB1Ltwcs

女「違う、貴女は確かに男さんの殺害には成功したわ…!」

男(俺を…殺害…)

短髪女「なら何故…キミがボクよりも過去に来てるんだ!?キミはボクが任務に失敗した時の保険だったはず!」

女「貴女が男さんを殺した事で、明らかになった蜂の習性があるの…」

短髪女「………」

女「参号…蜂は宿主を殺されると、その宿主を殺害した者に伝染るわ。だから…」

短髪女「蜂が…ボクに伝染るっていうのか」





57:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 16:36:39 ID:kB1Ltwcs

女「ええ…貴女が過去へ飛んだ後、すぐに歴史は変わった。蜂から検出された思念の欠片は、参号…貴女の物になったわ」

短髪女「そんな…」

女「そして博士は次の計画として、男さんに自殺をさせるために私を更に過去へ飛ばしたの」

短髪女「…じゃあ」

…ぎりっ

短髪女「じゃあ…!ボクが過去へ飛んだ事は、完全に無駄だって事なの…!?」

女「参号、無駄なんかじゃない。そのおかげで次の計画が定められたの…」

短髪女「…けど、そこのマヌケ面が自殺しなかったら」

男(…俺の事、だよな)

女「…男さんは、あと一週間後の誕生日に自殺するって、約束してくれたわ」





58:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 16:37:37 ID:kB1Ltwcs

短髪女「…ない」

女「参号…?」

短髪女「そんなの!信じられないよっ!」

男「うわっ 」

短髪女「だったら…!」

バキッ!

短髪女「コイツを殺して、ボクが自殺すればいいんだろっ!」

ミシッ!ガラガラガラ…!

女「待って、参号!」

短髪女「何の恨みもないけど、死ねっ!」





59:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 16:38:29 ID:kB1Ltwcs

男(くっそ、こうなったら…!)

ガッ!

男(蹴り上げた脚を掴んで…!)

男「うーん、初めてじっくり見た。これが女の子の仕組みかぁ」

短髪女「…なっ!?ななな…!?」

男「ありがたやありがたや、ちょっと触っていい?」

短髪女「だ!め!馬鹿!」

男「だめかぁ、ちぇっ」

ぽいっ

短髪女「う…ううう…」

女「さ、参号…」

短髪女「うわああぁぁぁん!」





60:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 16:43:38 ID:kB1Ltwcs

…一時間ほど後

女「そうだったの、参号を飛ばした先は8月25日の予定だったけど…」

短髪女「うん、タイムマシンの精度がそこまで高く無かったんだろうね」

女「私は時標が設置された日…タイムワープできる限界まで過去に飛んだから、狂いようがなかったのね」

男「じゃあ、どっちにせよ俺は8月25日に殺される予定だったんだ?」

短髪女「オマエは黙れ!がるるる…」

女「参号!仕方がないじゃない…貴女が止まらなかったんだから。男さんに当たっちゃだめよ」





61:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 16:46:35 ID:kB1Ltwcs

短髪女「だって…コイツ、ボクの…ボクの…!」

男「いやー、この目に焼きつけさせて貰ったよ」

短髪女「うえぇぇぇん…」

女「男さん!見損ないます!」

男「…スミマセン」

女「参号…、とにかく一週間後。男さんの誕生日まで、彼を信じてあげて」

短髪女「………」

男「うん、約束は守るよ。それに…」

短髪女「…なんだよ」

男「俺が死ななかったら、女か短髪女のどっちかが俺を殺して自殺するんだろ?」





62:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 16:47:40 ID:kB1Ltwcs

女「その時は私が」

短髪女「だめだよ弐号!最初の計画通りなら、どうせボクは死ぬ運命だったんだ…」

男「どっちもさせたくはないよ。どのみち俺は死ぬんだろ?なら、一人でも少ない方がいい」

短髪女「…ふん。格好いい事言って、その時が来たら逃げ出すんだろ」

男「お、格好よかった?」

短髪女「ばーか」





63:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 16:48:35 ID:kB1Ltwcs

女「男さん…とにかくごめんなさい」

男「…いいよ。もともと俺を殺す計画だったってのは、ちょっとショックだったけどな」

短髪女「計画が無くなったわけじゃない。死ななかったら殺すからな」

男「すげぇ理不尽な台詞だな」

短髪女「今殺してもいいんだぞ」

男「うるせー。お前もう用ないだろ、未来へ帰れよ」

短髪女「帰れるならそうしてるよ!」

男「え」

女「男さん、タイムマシンは2032年の段階では片道切符…帰れないんです」

男「じゃあ俺が自殺して目的を果たしても、君達は…」

女「…この世界で生きる事になります」





64:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 16:49:44 ID:kB1Ltwcs

男「そんな、何とかならないのか」

短髪女「そんなやっすい同情いらないよ」

女「男さん、それは気にしないで下さい。ある意味、私達はやっと自由を手に入れる事になるんですから」

男「自由…?じゃあ、今までは」

女「…私達は、未来で造られたクローンなんです」

短髪女「思念のスキャンや同期を繰り返して、それ以外は博士の研究の手伝いばっかり」

男「………」





65:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 16:50:33 ID:kB1Ltwcs

女「あ、ちゃんとお休みもあったんですよ?勝手に外には出られないから、本や映像で学習してましたけど」

短髪女「ボクはあれ苦痛だったなー。だって見れば見るほど外に出たくなるんだもん」

男「どうして外出は許されなかったんだ」

短髪女「ばっかだなー、ボク達はクローンだって言ったじゃん」

女「そもそも許された研究ではありませんでしたから…外に出ればオリジナルの生活に影響を与えかねません」

短髪女「たぶんそっくりな顔してるからね、大問題になるよ」

女「私のオリジナルは2015年に産まれる予定の、どこの誰かも知らない女の子」

短髪女「博士の学者仲間の子の遺伝子だって聞いたよ?」

女「そうかもしれないわね、その頃は博士にも研究仲間がいたから」





66:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 16:51:27 ID:kB1Ltwcs

男「2032年では仲間はいないのか」

女「タイムマシンなんて突拍子も無い物を研究していましたから…いつしか離れていったそうです」

短髪女「ボク達は研究所から外の世界へ出られてワクワクしてるんだ、オマエは死ぬけど」

女「参号!言っていい事と…!」

男「そうか…そうなのか」

女「…男さん?」

男「うん…うん、そうだよな」

短髪女「なに一人でブツブツ言ってんだよ」

男「決めた、それがいい」

女「?」





67:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 16:52:05 ID:kB1Ltwcs

男「これから一週間、俺の誕生日…俺が死ぬ日までの最後の時間の使い方、決めたよ」

女「男さん…申し訳ないですが、何をするにしても私達がついて回る事になりますよ」

男「解ってる。ってか、そうじゃなきゃいけない」

短髪女「面倒な事は手伝わないよ」

男「よし、二人とも明日から時間を有効に使うぞ」

女「は、はい…?」

短髪女「聞いてねーし」





68:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 16:53:37 ID:kB1Ltwcs

…翌日

女「すごい人です」

男「迷子になるなよー」

短髪女「うわ!あれ、本で見た!えーと、あれだ、ブス!ブス!」

男「バスな。そこにある停留所で待ってりゃ10分おき位に来る」

女「乗れるんですか」

男「誰でも乗れるよ。料金は後払いだ」

短髪女「じゃあ乗ろう!」

男「あとでな。こっちがコンビニ、これは24時間営業してる」

短髪女「え、じゃあ店員は寝ないのか」

男「交代制に決まってんだろ」





69:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 16:54:26 ID:kB1Ltwcs

女「男さん、あれは」

男「…パチンコ店だな」

女「あれは2032年の資料にはありませんでした」

男「そうか、廃止されてるんだとしたら良い事だ。あれは覚える必要は無い」

短髪女「うわ!でっかい建物…」

男「これが駅だ。女は海に行く時、来たよな」

短髪女「え!、弐号はもう海に連れてって貰ったのか!?…ずるい!」

男「駅から電車に乗るには切符が要る、あそこの券売機で買うんだぞ」

女「はい」

男「ただし路線図とか時刻表の見方はなかなかややこしい。特に路線図は地名を覚えなきゃいけないしな」





70:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 16:55:43 ID:kB1Ltwcs

短髪女「おい、変態」

男「誰が変態だ」

短髪女「オマエ以外に誰が居るんだよ。…あれ、自転車ってやつか?」

男「ん?…ああ、正解だ。すごいぞ、つるぺたチビ」

短髪女「やっぱテメー、今殺す」

女「自転車は乗るのにお金は要るんですか?」

男「買うにはもちろん要るけど、買ってしまえば後はタダだよ」

女「買うのは高いんですか」

男「まさしくピンキリだね。一万円を切る物から100万円を超える物まで」





71:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 16:56:46 ID:kB1Ltwcs

女「…気持ち良さそう、ですね」

男「乗ってみたいかい?」

短髪女「乗る!乗る!」

女「でもいくらピンキリのキリでも、そんな衝動買いは」

男「はは、駅前にはね」

ちゃりん、ちゃりん

女「………?」

男「レンタサイクルってのがあるんだよ」

短髪女「うぉ!これ、乗っていいのか!?」

男「待て待て、どーせ初めてだろ?人混みで乗るのはだめだ」





72:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 16:57:50 ID:kB1Ltwcs

…河川敷

短髪女「いいか!?もう、乗ってもいいか!?」

男「まだだめー」

短髪女「え!?なんでだよ!」

男「嘘だよ。ここなら車も来ないから、好きに走ってこい」

短髪女「やった!いっくぞー!」

女「…参号、本当に楽しそう」

男「おお…やっぱ運動神経はいいんだな、あいつ」

女「…私の分まで、参号に取られてる感じです」

男「そういや泳げなかったっけ」

女「あまり言わないで下さい…」





73:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 16:58:50 ID:kB1Ltwcs

男「短髪女が帰ってきたら練習しなよ。上手く乗れそうなら一週間の内に、ピンキリのキリの方なら、何とかするから」

女「…男さん」

男「ん?」

女「男さんの最後の一週間にする事って、もしかしなくても…私達がこの世界で生活するための訓練なんでしょう?」

男「訓練とは大げさだけどね」

女「本当に限られた時間ですよ?それを私達の為に使っていいんですか」

男「逆にそれしか思いつかないよ」





74:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 16:59:36 ID:kB1Ltwcs

女「もっと、男さん自身がしたくて出来なかった事とか」

男「君が最初に言っただろ?俺は自分の意思が希薄だって」

女「どこか旅行に行きたかった場所とか無いんですか?やってみたかったスポーツとか」

男「大きな旅行に行くには元手が不足してるし、スポーツは今からはじめてもね」

女「じゃあ美味しい物を食べるとか、それから…それから…」

男「美味しい物はいいかもしれないね…それから?」

女「それから…恋、とか…」





75:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 17:01:03 ID:kB1Ltwcs

男「…そんなアテは無いって、それも君が言っただろう?」

女「いますよ!きっと…男さんに似合う女性が…!」

男「それに…もしも俺と付き合ってくれる娘がいても、すぐに俺死ぬし」

女「………」

男「いいんだよ、俺の事は。女と短髪女が俺の事を覚えておいてくれたらさ」

女「…私、なら」

男「ん?」





76:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 17:01:47 ID:kB1Ltwcs

女「もし、ですよ」

男「うん」

女「もしもの話です」

男「うん」

女「やっぱり何でもないです」

男「…うん」

女「何だそりゃ…って言わないんですか」

男「言わない」

女「ずるいです」

男「ごめんな」

女「じゃあやっぱり何でもあります」

男「何だそりゃ」

女「今度は言うんですか」

男「うん」





77:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 17:03:07 ID:kB1Ltwcs

女「もし…私が」
短髪女「たっだいまー!弐号、これすっごく気持ちいいよ!」

男「汗びっしょりじゃないか」

短髪女「仕方ないじゃん、暑いもん」

男「着替えは無いぞ」

短髪女「用意悪いなー」

男「それから短髪女」

短髪女「何だよ」

男「ブラ無いから、透っけすけだぞ」

短髪女「………!!!!…死ねっ!」

女「…馬鹿」

短髪女「え!?に…弐号にバカって言われた…」

男「やーい、ばーかばーか」





78:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 17:06:46 ID:GZvYKLDo

やべぇかなり面白い





79:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 17:10:58 ID:kB1Ltwcs

…その夜

男「短髪女、ぐっすりだな」

女「一昨日の私みたいですか」

男「そうだね」

女「コーヒー、淹れます」

男「うん」

女「砂糖は入れるんですか」

男「いや、俺はブラックでいい」

女「苦くないですか」

男「最初はね、苦くてマズくて。ただの格好つけでブラック飲んでたよ」

女「今は?」

男「ブラックか元々好きだったミルクたっぷりのどっちかじゃないと嫌になっちゃったんだ。慣れだね」





80:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 17:11:58 ID:kB1Ltwcs

女「慣れ…ですか。はい、どうぞ」

男「ありがとう」

女「…慣れない、だろうなぁ」

男「ん?コーヒー苦手かい?」

女「ううん…、男さんが居なくなった後」

男「ああ…そりゃ、いきなり外の世界に放り出されりゃな。でも出来るだけの事は教えとくからね」

女「そうじゃ…なくて」





83:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 17:16:05 ID:kB1Ltwcs

男「大丈夫、なるようになるさ。幸いこの日本は生きるだけなら、生きやすい」

女「…男さん」

男「ん」

女「私、研究所でお休みを頂いた時、たくさん本を読みました」

男「どんな本を?」

女「最初は歴史の本とか辞典なんかを。そうじゃないと文学的な本は解らない事だらけだったから」

男「なるほど」





85:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 17:17:10 ID:kB1Ltwcs

女「それから小説や伝記、映画の原作小説なんかも」

男「へえ、じゃあ映画の話なんかも知ってるんだ」

女「はい。色んなお話を読んだけど、本当に参号の言う通り…どれも外の世界に興味を惹かれるものばかりで」

男「うん」

女「でもね、多くの物語でいちばん大事なところを占めるように描かれていた、そのテーマが…私、よく解らなかったんです」

男「………」

女「それは、愛…って表現されてました」





87:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 17:19:54 ID:kB1Ltwcs

男「愛…か」

女「家族の愛となると…なんとなくだけど解る気がするんです。例え夫婦二人の家族愛でも」

男「それは無償の愛…だね」

女「いちばん解らなかったのは愛という感情の内で、恋と呼ばれるもの」

男「それは俺にも解らないな」

女「男さんが言うように愛は無償の物なのに、恋はそうじゃないように感じられました」

男「………」

女「恋って、愛みたいに綺麗なものばかりじゃない…みたいな」

男「たぶん、間違ってはないと思うよ」





88:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 17:21:12 ID:kB1Ltwcs

女「男さん」

男「はい」

女「恋、しましょう」





89:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 17:22:06 ID:kB1Ltwcs

男「昼に話したろ、一週間後…いやもう六日後には死ぬんだから」

女「だからこそ、です」

男「第一、そんな相手がすぐに見つかるわけないじゃないか」

女「…います」

男「いないよ」

女「いるんです」

男「…いない」

女「すぐ…近くに、いるの」

男「女、そんな娘はいないんだ。いちゃ…いけないんだよ」





90:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 17:23:18 ID:kB1Ltwcs

女「………」

男「いたとしても、見つけちゃいけないんだ」

女「その女性が悲しむ…から?」

男「…そんな格好いいもんじゃないよ」

女「じゃあ、どうして」

男「女、この話は終わりだ。俺はそれよりもやらなきゃいけない、君達に教えなきゃならない事がたくさんある」

女「勝手に終わらせないで」

男「もう俺の時間は限られてるんだよ。だから恋なんて」

女「私の時間だって!…限られてる!」

男「何がだよ、お前らは生き」
女「私と男さんが一緒に過ごせる時間!もう限られてるの!」





91:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 17:25:20 ID:kB1Ltwcs

女「どうして聞こうとしてくれないの!私が恋を知る時間だって、もうあと六日間しかない…!」

男「女…」

女「解ってるくせに!今日の昼間だって伝えようとしたのに…逃げてばっかり!」

男「それは」

女「六日後には死ぬから!?相手が悲しむから…!?言い訳ばかりじゃない!」

男「声が大きいよ、短髪女が起きる…」

女「私が嫌いなら、そう言って!…最初から貴方にひどい事ばかり言ってきた私と恋なんてできないなら…!」

男「そんな事、言ってない」

女「私は…男さんに、恋を教えて欲しい…です」

男「…女」

女「………」





92:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 17:26:52 ID:kB1Ltwcs

男「さっきの理由…な」

女「…?」

男「恋をしないのは、俺が死んで悲しませる事になる…そんな格好のいいもんじゃないんだ」

男(…本当に格好悪いけど)

男「君みたいな娘と恋なんてしたら、俺自身が死ぬのが嫌になりそうなんだ」

女「…私だって、死んで欲しくなんか」

男「本当は今だって、喉元まで出かかってる言葉があるんだ。でも言えない…言っちゃいけない」





93:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 17:27:44 ID:kB1Ltwcs

女「やっぱり…ずるいです」

男「だから女、今の話は無かった事にしてくれないかな」

女「告白も…させてくれないんですか」

男「…ごめん」

ヒュッ!

短髪女「死ね」
男「なんかデジャヴが」

バキィッ!
ドカッ、ガラガラ…

男「ぐっ!」

短髪女「デジャヴじゃねーよ、今度は外してない」





94:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 17:38:14 ID:kB1Ltwcs

女「参号…!」

短髪女「寝てらんないよ、ギャーギャー痴話ゲンカしてさ」

男「いってて…手荒いな」

短髪女「男!オマエ情けないぞ!それでもキン○マついてんのか!あぁ!?」

男「一応ついてるよ、役立ててないけどな」

短髪女「いーか、オマエは死ぬんだよ!あと六日でな!でもそれは孤独死するんじゃないんだ!」

女「参号、ひどい事言わないで…!」





95:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 17:39:06 ID:kB1Ltwcs

短髪女「弐号と恋して!普通なら何年もかかるような、グッと濃縮された六日間を過ごして!」

男「………」

短髪女「泣きじゃくる弐号にキスして!抱きしめて!仕方ないんだって慰めて!」

女「参号…」

短髪女「そんで微笑んでサヨナラって言って、弐号の頭を撫でて…!ボクに全財産を遺して死ぬんだよ!」

男「最後は余計だ」

短髪女「全人類を護るために…最愛の女性を残して、英雄的に死ぬ。なんか癪だけど一番格好いいじゃないか!」

男「…まるで映画だな」

短髪女「世界のどこにそんな最高の死に花を咲かせられるヤツがいるってんだ!あぁ!?」





96:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 17:40:51 ID:kB1Ltwcs

男(くっそこのチビ…)

短髪女「そんな男と限られた時間を愛しあうんだ!弐号はそれで幸せなんだよ!なんでそれが解らないんだ!」

男「解った」

短髪女「解ってない!オマエ、少しは自分の意思と自信を持てよ!」

男「解ったって」

短髪女「ボクには全然理解できないけど、オマエは弐号が惚れた男なんだぞ!オマエだって弐号の事…!」

男「解ったって言ってんだろ!」

短髪女「…!」

男(つい昨日、今までとは違う自分を生きようって決めたのに)

短髪女「な…なんだよ、急にデカイ声出して」

男(…やっぱ俺、情けねーな)





97:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 17:41:46 ID:kB1Ltwcs

短髪女「なんか…言えよ。言い返してみろよ」

男(ありがとう、短髪女…)

短髪女「弐号があれだけ感情をブチ撒けたんだ、オマエに黙秘権なんて無いんだぞ」

男「うるせー、チビのくせに…つるぺたのくせに、大の男の耳が痛てえ話ぶちまけてくれるじゃねーか」

短髪女「…ちっ、やっと目が覚めたような顔しやがって」

女「男さん…」

男「女…、すまなかった」





98:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 17:42:38 ID:kB1Ltwcs

女「は、はい」

男「俺は、君に恋を教える事はできない」

女「………」

男「俺も、知らないから。…でも、女」

女「はい」

男「俺は…君が好きだ。一緒に、恋を知ろう」

女「…はいっ」

短髪女「…かっ!一緒に、恋を知ろう…だってさ!うひー!くっさ、死ぬほどくっさ!」





99:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 17:43:44 ID:kB1Ltwcs

男「本当に…ごめん」

女「いいの、男さん…ありがとう」

短髪女「うっへー!この立役者を無視してもう自分達だけの世界ですか!そうですか!」

男「必ず、六日間…幸せにするから」

女「さっき言いました…恋は無償のものじゃないです。男さん自身が幸せになって下さい」

短髪女「オマエが死んだら弐号はすぐに、もっとイケメンと恋に落ちるけどねー!って、いい加減無視するなよ!」





100:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 17:44:36 ID:kB1Ltwcs

男「女…」

女「男さん」

短髪女「…うええぇぇぇん。告ったその場で大人のキスするなよー、相手にしてよー」

男「短髪女」

短髪女「おぅよ!?」

男&女「ちょっと台所行ってて」

短髪女「うええぇぇぇん…」





101:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 17:56:18 ID:kB1Ltwcs

…翌朝

男「…おはよう」

女「おはようございます。もうすぐ朝食できますから、座ってて」

男「…なんか、いいな」

女「はい?」

男「朝起きたら女の子がゴハン作ってくれてる、なんて。憧れてたなー」

女「…照れます。それと」

男「それと?」

女「女の子…じゃないです。彼女?恋人?…でしょ」

男「…お、おぅ」

短髪女「…くっは、こりゃキツイわ」





102:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 17:57:20 ID:kB1Ltwcs

男「起きてたのか、チビ。いちいち茶化すな」

短髪女「朝からそんなAV導入部みたいな台詞を聞かされるボクの身にもなってよ」

男「なんで世間を知らないくせにAV知ってんだよ」

短髪女「研究所で休みの時は色々と資料を学んでたって言ったろ」

男「…もしかして女も?」

女「そ…そんなの観るわけないじゃないですか!」

短髪女「本当に観てないなら、知ってるのがおかしいよね」

男「そーか…色々と学んでるんだな」





103:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 17:58:59 ID:kB1Ltwcs

男「ごちそうさま、美味しかったよ」

女「お粗末さまです」

短髪女「んー、よっし…準備するかぁ」

男「あん?…何を?」

短髪女「おい、変態。今着てる服と、あと…これとこれ位もらってもいいか」

男「ああ、まあ…もう数日分のローテーションあればいいしな」

短髪女「それから何でもいいんだけど、使わないバッグ無い?」

男「あるぞ、もう大学に行く事も無いからな」

短髪女「じゃあそれも、くれよ」





104:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 17:59:55 ID:kB1Ltwcs

女「参号、何をするつもり…」

短髪女「出てく」

男&女「は?」

短髪女「…出ていくって言ったんだよ。いけない?」

男「いや、そりゃ昨夜は除け者にして悪かったよ。でもさ…」

女「さ…参号、ごめんなさい。あんまりノロケた事言わないようにするから」

短髪女「いや、そーじゃなくて。…それもあるけど」





105:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 18:01:00 ID:kB1Ltwcs

男「だって出て行くってどこへ行く気だよ」

短髪女「どこって、決まってるじゃん。そこしか知らないもの」

女「もしかして…研究所へ?」

短髪女「あったりー、…っていうか弐号も行こうよ。コイツが死んだら、どうせそこへ行く事になるでしょ」

女「でも、この時代の博士は私達の存在も知らないのよ」

短髪女「もう時標は設置して、自分はタイムマシンを作る気マンマンなんだから、話せば解るよ」

男「チビにしちゃ賢明だな。俺が死んだ後でも頼れる人がいるなら、是非あたりをつけておくべきだ」





106:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 18:02:38 ID:kB1Ltwcs

女「でも…」

男「どうした、悪い話じゃないぞ」

短髪女「もう…解ってるって、弐号は話がついたら帰ればいいじゃん」

男「…?」

短髪女「今日を含めて六日間、二人っきりでいたいんでしょ?」

女「だって…」

短髪女「まったくもう、弐号ってこんなだったかなー」

男「それで、研究所はどこにあるんだ」

短髪女「そうそう、それを弐号に訊こうと思ってたんだよ」

男「知らないのかよ」

女「研究所に届いた郵便物、私が整理する事が多かったですから」

短髪女「ボクは格闘訓練ばっかしてたもんねー」

女「たしか住所は…」





107:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 18:04:30 ID:kB1Ltwcs

短髪女「…あった、ここだ」

女「間違いない、ですね」

短髪女「2013年ならもっと新しくて綺麗だと思ってたのに、この時からもうボロいって…」

男「すげえな、壁に蔦がびっしりで何の建物か判らない」

短髪女「たしかこのあたりの壁にインターホンが…あった」

ピンポーン…

博士『…はい』

女「あ、博士…女です」

博士『金なら今、ありません。では』

ガチャッ





108:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 18:05:45 ID:kB1Ltwcs

短髪女「だめだよ参号…この時代の博士はボク達を知らないって、自分が言ってたじゃん」

女「博士の声はほとんど変わってなかったから、つい…」

男「俺が話してみようか」

短髪女「だめだめ、オマエなんか余計に借金取りか怪しいリフォーム業者にしか見えないよ」

男「地味にヘコむな、それ」

短髪女「くっそー、あのヘボ学者…話を聞けってんだ」





109:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 18:07:02 ID:kB1Ltwcs

ピンポーン…

ピーンポーン…

ピンポンピンポンピンポンピンポン

ピーーーーーーーン………





………ポーーーーーーーン

博士『…しつこいぞ』

短髪女「博士!開けてくれなきゃ、ここで大声で言うよ!?」

博士『この研究所に借金があるのは、もう近所中知っている事だ』

短髪女「…アンタが研究所の地下を勝手に拡張して作った実験室に、8月1日…何を設置したか…!」

博士『…住宅の不法改造でも咎めにきたのか?私は何もしてはいない、帰ってくれ』





110:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 18:08:21 ID:kB1Ltwcs

短髪女「もおおぉぉ!ちゃんとハナシを…」

女「待って」

博士『待つ義理はないな…それでは』

女「…時計を壁にかけようと貴方はトイレの縁に立っていた」

博士『………?』

女「便器が濡れていて、貴方は滑って洗面台の角で頭を打った。そして意識を取り戻した瞬間、閃いた」

がちゃっ、ぎぃ…

男(ドアが…開いた)

博士「その時…」

女「…ビジョンが」

博士「君達は…まさか」

女「…お久しぶりです、ドク」





111:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 18:34:45 ID:kB1Ltwcs

博士「驚いたよ、まさか本当にタイムマシンが完成しているとは」

短髪女「できるつもりじゃなかったのかよ」

女「あの、それで」

博士「ああ…もちろん、ここに居てくれて構わない。決して贅沢な暮らしは出来ないがね」

短髪女「よっし、これで変態が死んでも困らないな」

博士「しかし男君、よく決心したね」

男「…他に方法は無いですしね。俺の命ひとつなら、安いもんかなって」

博士「すまない、私は君から蜂を追い出す方法を発見する事はできなかったのだな」





112:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 18:36:36 ID:kB1Ltwcs

短髪女「…オッサン、今からじゃその方法は見つからないかな」

博士「ええと、被験体参号くん…だったかな?君のいた時代の私にはそのオッサンという呼称が似合うのかもしれないがね」

女「そうよ、参号。この時代ではまだ博士は三十代なんだから」

博士「…ぎりぎり二十代なんだが」

短髪女「若くても喋り方がオッサンだから、オッサンだと思うよ」

男「それにしても珍しいな、短髪女が俺を気遣ってくれるなんて」

短髪女「べっつに、ボクが気遣ったのは弐号の事だから」

男「同じ事だよ、ありがとな」

短髪女「ふん。で…どうなの、オッサン」





113:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 18:37:18 ID:kB1Ltwcs

博士「2019年に蜂の存在に気付いてから、おそらく多くの学者がそれを研究したのだろう」

男「それで見つからないものは、数日じゃ無理だろ」

短髪女「そうじゃないよ。2019年からじゃなくて、今からそれを研究すれば2032年までには6年も多く稼げるじゃん」

博士「…確かに、しかしそれによってタイムマシンの発明が遅れてしまっては、不測の事態に対応できなくなってしまう」

短髪女「今度はボクと弐号がこの2013年から研究に参加できるんだぞ?遅れるわけないじゃん」

博士「…君達が」

短髪女「むしろ元より早くタイムマシン完成しちゃうよ?」





114:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 18:38:08 ID:kB1Ltwcs

博士「君は将来私が作るタイムマシンの仕組みを、そんなに深くまで理解しているのかね」

短髪女「いんや、タイムマシン本体についてはさっぱり」

男「なんだそりゃ、じゃあだめじゃねーか」

女「けれど博士が何より研究に時間を要したのは、時標のメモリに書き込むための思念データ解析だったと伺ってます」

博士「そうだろうな…実際に今の装置では人間の思念をスキャンする事はできても、それを解読する目処がついていない」





115:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 18:39:52 ID:kB1Ltwcs

短髪女「なんと、ボクと弐号が主に研究を手伝ってたのはそこなんだよねー!」

女「思念図…総合的な思念の結びつきは博士にしか組み立てられなかったのですが、断片的な部分なら私達も解読できます」

博士「それはすごい、研究が一気に進むぞ。早速だが誰かの思念をスキャンして、解読してみせてくれないか」

短髪女「…ボクは遠慮しとく」

女「じゃ、じゃあ二人で解読するから男さんの思念をスキャンしましょう」

男「え、俺なの?」





116:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 18:44:59 ID:kB1Ltwcs

博士「男君…それではスキャンを始めるが、いいかね?」

男「なんか恐いっすね」

短髪女「きししし…」

博士「…スキャナ起動、読出し開始」

男「…いだだだだだ!?」

短髪女「あっはっはっ!…アレ、けっこう痛いんだよねー」

女「思念よりも更に強力な一定の電気信号を送って、相殺される部分の波長を読み取ってるから…」

男「あばばばばば」

女「…ごめんね、男さん」





117:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 18:45:57 ID:kB1Ltwcs

博士「データが入り始めたな」

女「うん、綺麗に読み取れてますね」

男「あだだだだだだ」

短髪女「うっさいなー、大袈裟過ぎ」

博士「このグラフに時々入る大きな歪は何なんだ?振幅は同じ位なのに、あまりに不定期だ」

女「スキャンし始めに読み取るのは主に記憶の思念です。この歪は言わば記憶のインデックス、栞にあたる物です」

男「うべべべべべべ」

短髪女「なんか震えだした」

女「普通は5分くらいで慣れてくるんだけど…」





118:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 18:46:48 ID:kB1Ltwcs

博士「弐号くん、この波形は」

女「これは非常に深い階層に埋れた記憶。つまりとても長い間、使われていない記憶です」

博士「圧縮されている…という事か」

女「仰る通りです」

男「…………………」

短髪女「あ、白目剥いてる」

女「うーん、あんまり見たい姿じゃないなぁ…」

短髪女「でも、なんかおかしくない」

女「………うん」

短髪女「なんか、グラフもデータも綺麗過ぎるんだよな」





119:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 18:47:58 ID:kB1Ltwcs

博士「弐号くん、この空白域は…」

女「あ、あの…博士?スキャナのゲインはいくつに設定されてますか」

博士「うむ?…80位だが」

短髪女「は…80っ!?」

女「博士!強すぎます!12か13位で充分ですから!」

博士「そうなのか?だがこの位の方が波形もデータもよく出るものでな」





120:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 18:49:12 ID:kB1Ltwcs

短髪女「そりゃ強い程ハッキリは出るけど、80は無茶苦茶だよ!」

女「死んじゃう!男さん死んじゃう!」

短髪女「ゲイン落とすよ!」

男「……………」

女「博士…ご自身でもこんなゲインレベルでスキャンされてたんですか」

博士「いや、私自身はした事がないんだ。いつもはたまに来る学者仲間に被験者となってもらっていたんだが」

短髪女「そりゃ、仲間がいなくなるわけだよ…」





121:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 18:50:01 ID:kB1Ltwcs

…30分後、スキャン続行中

男「ひでぇ目にあった…」

博士「男君、すまなかった。今はどうだね」

男「最初に比べたらマッサージくらいのもんですよ」

女「………」

短髪女「どうしたの、弐号。黙り込んで…」

女「…波長が」

短髪女「ん?…ああ、そろそろかな」





122:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 18:50:45 ID:kB1Ltwcs

博士「何の事だね…?」

女「………」

短髪女「あ、出た…かな」

博士「何だ、この無茶苦茶なノイズは」

女「…やっぱり、出ちゃったな」

短髪女「弐号…」

博士「これは、とても同じ思念とは思えん。もしやこれが」

女「お察しの通り、これが蜂のノイズ。おそらく宿主の思念を覗き見るために、思念に寄生しているのだと思われます」

博士「なんと…思念にまで寄生するのか」

女「………」

短髪女「さ…こっからはキリが無いよ。オッサン、止めて」





123:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 18:52:17 ID:kB1Ltwcs

…1時間後、研究所廊下

女「男さん、お疲れ様でした。はい、ブラックのコーヒー」

男「女、終わったのか。結局三人ともスキャンされちゃったな」

女「もうすぐ参号も終わります。サンプルは多い方が良いですから、仕方がないですよ」

男「そうなんだろうね」

女「ごめんなさい、最初に男さんを受けさせてしまって」

男「いや、最初のあれは君に受けさせたくはないな」





124:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 18:53:21 ID:kB1Ltwcs

女「…少しね、期待しちゃいました」

男「何を?」

女「もし、男さんの中に蜂がいなかったら…って。そしたら、五日後にさよならしなくていいのになって」

男「それで俺にスキャンを勧めたのか。けど、それじゃ未来の滅亡を防げなくなってしまう」

女「でも10年…長ければ20年、一緒に居られます」

男「ははは…最初の目的、見失ってんじゃん」

女「うん…いけません、ね」





125:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 18:55:11 ID:kB1Ltwcs

男「…たかだか30分位でも結構大変だった。短髪女がここからはキリが無いって言ってたけど、どの位かかるもんなんだ?」

女「全てを一巡スキャンしてしまうには、だいたい18時間位ですね」

男「長いなー」

女「長いんです」

男「それにしても蜂のノイズの事、知ってるみたいだったけど」

女「本当は研究所にはもう一人、被験体壱号がいました」





126:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 18:56:24 ID:kB1Ltwcs

男「…もしかして?」

女「2031年、10億の被害者の一人です。…とても頼れるお姉さん的な存在でした」

男「………」

女「2029年、世界中で1億の被害が出たその数日後から、壱号をスキャンすると思考領域に入った途端にノイズが出るように…」

男「…思考領域?」

女「記憶領域の次にある思念の階層、思念の内の大半を占めるデータです」

男「ふーん…記憶ってそんなちょびっとの割合なんだ。18時間中の30分程度だもんな」

女「意外でしょう?…いくら膨大でも、記憶はただの記録データ。思考や感情の方が遥かにややこしいの」





127:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 18:57:10 ID:kB1Ltwcs

男「思考…感情か、喜び…悲しみ…怒り」

女「それから…愛や恋も。今、私の思念はどんな風に貴方を捉えてるんでしょうね」

男「女…」

女「少なくとも恋を知る前よりも、ずっと複雑なんだろうなぁ。…それとも貴方の事ばかり考えてるから、単純かしら」

男「…俺も、君の事ば」
博士「やあ男君、ご苦労だったね」

男&女「はぅあ」





128:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 19:02:45 ID:kB1Ltwcs

博士「おや…お邪魔だったかな」

短髪女「ところ構わず発情してんなよなー」

女「参号っ!」

男「それよりあの電流、かんべんして下さいよ…まったく」

博士「面目無い、危うく私が蜂の宿主になってしまうところだった」

男「そこですか、問題なのは」





129:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 19:15:15 ID:kB1Ltwcs

博士「ははは…冗談だよ。ところで、気分は悪くないかね?」

男「ちょっとフラフラするけど、平気です」

博士「スキャン前に、血液の約6%を信号に感応しやすい人工血液に入れ替えているからね。馴染ませるためにも、丸1日は運動を控えてくれ」

男「はい」

博士「それじゃ、私は今のデータを整理させて貰うよ。疑問が一気に氷解していくようで、興奮がおさまらない」

女「無理をなさいませんよう」

博士「ありがとう。弐号と男君は帰るのだろうが、ゆっくりしていってくれ」





130:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 19:20:32 ID:aYhaNN.w

短髪女「今日は運動禁止だって。残念、夜にハッスルできないね!」

男「しねーし。ませた事言ってんなよな、チビ」

短髪女「あれあれー?そういう意味でも気を遣って家を出たつもりだったんだけどなー」

女「もう!」

短髪女「でもあと五日しかないんだから、思い出はカラダに刻みつけておかないと後悔するよー?」





131:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 19:33:41 ID:kB1Ltwcs

男「ばーか、昨日お互い告ったばかりだぞ」

女「そ、そうだよ。そんなの…すぐにしていい事じゃないよ」

男「俺は、五日間めいっぱいレンアイをしてみたいとは思ってるけど、その間に女を穢すような事はしないつもりなんだ」

短髪女「え?そーなの?」

男「すぐに忘れられるのも嫌だけど、そのうち女には新しい恋もして貰いたいしな」

女「…私は」

短髪女「古っるい考え方。ま、好きにすれば」





132:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 19:59:19 ID:kB1Ltwcs

…研究所からの帰り道

女「星…綺麗」

男「少し郊外だもんな。どうせなら残り五日間、どっか小旅行でも行くか」

女「いいですねー」

男「北海道…行ってみたいけど、金かかるしな。うーん、京都とか?」

女「どこでもいいです、男さんとなら」

男「グッとくる台詞だね、言われてみたかった」

女「…言ってみたかったんです」

男「じゃあ、行き当たりばったりで。着替えとかだけ用意して、明日は駅へ行こうか」

女「はい」





133:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 20:05:18 ID:kB1Ltwcs

…翌日、8月18日

男「電車の時間、もうちょいあるな」

女「やっぱり地方行きの電車は少ないんですね」

男「ちょっと買い物しよう。女、せっかくの旅行だから少しいい服買ってやるよ」

女「え、いいんですか」

男「冬ならキツイけど、夏だからね。アウターとか要らないし」

女「じゃあ…お言葉に甘えて」

男「たぶん博士は服とか買ってくれそうにないしなー」





135:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 20:19:53 ID:kB1Ltwcs

女「どう…でしょうか」

男「すっげーすっげーすっげえ…可愛い」

女「ありがとうございます」

男「それだけですか、そーですか」

女「じゃあ…腕組んでみたりします」

男「…幸せだなぁ」





136:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 20:20:34 ID:kB1Ltwcs

女「大事にします」

男「うん?」

女「この服、ずっと大事にしますから」

男「うん、時々着てくれよな」

女「はい、…でも」

男「でも」

女「綾も錦も、きみありてこそ…です」

男「…うん」





139:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 20:29:16 ID:kB1Ltwcs

…ガタン、ゴトン

女「あ、富士山です」

男「そういえば富士山の噴火が近いなんて言ってたりするけど、2032年ではどうだった?」

女「相変わらずの、するする詐欺です」

男「そーなんだ」

女「しない方がいいですけどね」

男「そうだね」





140:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 20:31:54 ID:kB1Ltwcs

ガタン、ゴトン

女「ところで」

男「なに?」

女「そろそろじゃありませんか」

男「何が」

女「こういう事は、あまり女性が催促するものではありません」

ガタン、ゴトン、ぐううぅぅ、ガタン、ゴトン

男「なんだ今の」

女「線路が歪んでたんでしょう」

男「つまりさっき買った駅弁を出せと」

女「そんな事、口では言ってません」

男「口ではね」

ガタン、ゴトン…





141:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 20:33:24 ID:kB1Ltwcs

女「海の色、違いますね」

男「やっぱり砂が白いとねー」

女「こないだの水着、持って来てますよ」

男「用意いいな。俺、バッグに入れてないや」





142:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 20:34:05 ID:kB1Ltwcs

女「じゃあ海に入るのはやめときます?」

男「入ってもいいけど、女は泳げないだろ」

女「水遊びくらいいいじゃないですか、この暑さですし」

男「まぁ…男物は買っても安いから、いいけどね。何なら浮輪も要るか?」

女「今度は抱きついておけるでしょう?」

男「君は俺の理性を過信しすぎてる節があるな」

女「(…崩壊しろー)」





143:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 20:42:45 ID:kB1Ltwcs

…旅館、露天風呂男湯

男(温泉…両親が生きてた時以来かなー)

男(ぬるめだから、ずっと入ってられそうだ)

男(明日からをカウントして、余命4日か)

男(ここ半月ちょい、とんでもなく濃い日々だよな)

男(短髪女は研究所でおとなしくしてるのかな)

男(…してねーか、してねーな)

男(全人類を護るために最愛の女性を残して、英雄的に死ぬ…か)

男(アイツ、変に説得力あんだよな。お土産くらい買ってやるかなー)





144:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 20:52:31 ID:kB1Ltwcs

男(…やべ、来た晩のチビの裸…思い出しちまった)

男(あれは危うくつるぺた趣味になるとこだったぜ)

男(ぬるめの湯で良かった、これはしばらく出られないぞ)

女「男さん、入ってます…?」

男「うぉ!?…こ、この竹垣の向こう女湯か」

女「気持ちいいですねー、私こんな気持ちいいお風呂はじめて」

男「お、おぅ…」

男(…おかげで今度は君の裸を思い出したよ)

女「今、えっちな事考えたでしょ?…なーんて」

男(くっそ、変にのぼせてきたぜ…)





147:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 20:56:53 ID:kB1Ltwcs

…旅館の部屋

女「お帰りなさい、随分ゆっくりでしたね?」

男「おかげさまでね」

女「…?」

男「もう御膳、出してくれてるんだな」

女「はい、さっき来て下さいました」

男「ハラ減った、食べよーぜ」

女「お酒、つけてもらいます?」

男「んー、やめとく。いろいろ酔いそう」

女「(…ガード固いな)」





148:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 21:01:37 ID:kB1Ltwcs

男「美味しかったね」

女「すっごく、懐石料理なんてはじめてでした」

男「それだけいろいろ初めてで喜んでくれたら、連れて来た甲斐があるよ」

女「はー、お腹いっぱい…」

男(…うっ……、旅館の浴衣ってやべぇな。帯細いから色んなとこがはだけかけて…)

女「男さん」

男「はい」

女「なんで『はい』なんですか」

男「いや、なんとなく」

女「…色っぽいです?」





149:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 21:05:53 ID:kB1Ltwcs

男「女…お前、わざとか」

女「男さん、隣…もう布団あるんですよ」

男「お前、酒でも飲んだんじゃ…」

女「あと四日しかないです。…夜はあと4度しかないんです」

男「お、女…ちょっ…」

女「男さん、私…」

トントン、スーッ

仲居「御膳を下げに参りました」

男&女「はぅあ」





150:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 21:12:39 ID:kB1Ltwcs

…布団の上

女「こほん…男さん、改めて」

男「女、言ったろ?俺は君を穢すつもりは無いって」

女「往生際が悪いです」

男「…女、真面目に言ってるんだ」

女「そんな真剣な顔をするの、ずるいです」

男「前に言ったよな…君と恋をしたら、死ぬのが嫌になりそうだって」

女「はい」

男「君とこうしている事を、後悔する気は無い。でも、やっぱり恐れていた事は…本当だった」





151:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 21:14:07 ID:kB1Ltwcs

男「今さら死ぬ日を延ばすつもりは無いし、逃げても喚いても9月1日には死ぬんだろう」

女「…はい」

男「でも、確かに死ぬのが嫌になってる俺がいるんだ。日々、怖くなるんだ」

女「怖くて当たり前です」

男「君を抱いたら、きっと…もっと怖くなる。もっと君に依存してしまう」

女「男さん…」

男「君の全てを俺の物にしたら、俺は君と心中しようとするかもしれない」





152:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 21:16:22 ID:kB1Ltwcs

女「…いっそ」

男「だめだよ、それじゃ」

女「だめ、ですか」

男「…格好悪いところまでぶっちゃけてしまえば、猿になっちゃいそうなんだよ。一回したら…ね」

女「なってもいいです」

男「俺は嫌なんだ。最後の時間、俺はもっとたくさんの風景を君と一緒に見たい」

女「………」

男「君が俺を思い出す時、できるだけ綺麗な記憶の中にいる二人でありたいんだよ」





153:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 21:21:36 ID:kB1Ltwcs

女「…わかりました、もう言いません」

男「うん」

女「でもひとつだけ言います」

男「何?」

女「男さんは、女心わかってません」

男「…なかなか、手厳しい」

女「ばーか」

男「ごめんな」

女「はだけた浴衣、色っぽかったでしょ?」

男「うん」

女「無理しちゃって」

男「…うん」

女「変なところ頭が固いんだから」

男「そうだね」





154:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 21:24:30 ID:kB1Ltwcs

女「でも…もうひとつ、固そうですよ?…言ってる事と矛盾してます」

男「言うなよ、これは仕方ないんだ。AVで学習したんだろ?」

女「本当は、ちょっとだけ勉強しました。…だから」

男「女…おい?」

女「私が男さんを穢すのは、構いませんよね」

男「ちょ…その手つき」

女「すっきり…させてあげる」





155:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 21:31:24 ID:kB1Ltwcs

…翌朝、8月19日

女「おはよう、男さん」

男「おはよ…」

女「…まだ足りませんでした?」

男「ばっか、その手つきやめれ。朝は仕方ねーんだよ」

女「えへへ、またして欲しくなったらいつでも言って下さいね?」

男「参ったな、一方的なだけにエラい弱みを握られたっぽい…」





156:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 21:32:22 ID:kB1Ltwcs

女「一方的なのは頑固な男さんが悪いんじゃないですか。さ、朝風呂でも行って」

男「女は?」

女「もう行ってきました」

男「早起きだな」

女「私は体力使ってませんから」

男「うるせ」





157:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 21:59:13 ID:kB1Ltwcs

女「さて、男さんがお風呂の間に…チェックアウトの準備でも」

女「もう、男さん脱ぎっぱなしじゃない…」

女「…ジーンズは今日も履くよね。シャツは替える…と」

女「夫婦って、こんな感じ?えへへ…」

女「…ずっと、こうならいいのになぁ」

女「22日、来なきゃいいのに…な」

女「ちょっとだけ…男さんが居ない間だけ、泣いちゃおうかな」

女「………幸せ…なのに…なぁ」





158:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 22:02:34 ID:kB1Ltwcs

…8月21日深夜、帰りの夜行列車


…カタタン …カタタン


男「さて、あと1時間程で21歳の誕生日…か」

女「…です、ね」

男「誕生日くらい短髪女も優しくしてくれるかなー」

女「参号は…本当は優しいんです。素直じゃないけど」

男「うん、なんとなく解るよ」





159:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 22:03:55 ID:kB1Ltwcs

…カタタン …カタタン


男「自分の誕生日ケーキを自分で買うのもなんだけど、駅前のケーキ屋美味しいんだ。博士は甘い物食べるのか?」

女「ああ見えて、結構甘党なんですよ」

男「そっか。お土産も饅頭だし、ちょうどいいかな」

女「………」





160:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 22:05:02 ID:kB1Ltwcs

…カタタン …カタタン


男「旅行、楽しかった?」

女「…はい」

男「よかったよ。ほんと…たくさん遊んだね。俺も、楽しかった」





161:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 22:06:13 ID:kB1Ltwcs

…カタタン …カタタン


女「男さん」

男「ん?」

女「やっぱり…ね?あの…」

男「…うん」

女「あの…えっと…」





162:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 22:09:40 ID:kB1Ltwcs

…カタタン …カタタン


女「ほんと、この4日間…幸せで」

男「…うん」

女「ずっと、こうしてたくて」

男「そうだな」

女「男さんの心残りになる事…言っちゃいけないって、解ってるんです…けど」

男「………」

女「やっぱり…無理で」





163:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 22:11:36 ID:kB1Ltwcs

…カタタン …カタタン


女「抑えるの、苦しくって…」

男「…泣くなよ」

女「無理…言わないで」

男「…ごめん」

女「もう…止めらんない…です」

男「女…」

女「やっぱり、死ぬのギリギリまで…延ばしましょうよ」





164:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 22:14:07 ID:kB1Ltwcs

…カタタン …カタタン


女「ね…、それがいいです。このまま、もう少し旅をしましょう?あと1日だけでも」

男「一度延ばしたら、癖になってしまうよ」

女「大丈夫ですよ、男さんは変なところだけ頑固なんだから」

男「最初、君が言ったよ。俺は周りに流されるタイプだって」

女「だったら今、流されて下さい…」

男「それを踏みとどまろうとしてるんだ」





165:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 22:17:23 ID:kB1Ltwcs

…カタタン …カタタン


女「…きっと蜂が羽化する前には、何か前触れがありますよ。だからそれまで、延期にしましょう?」

男「未来で、壱号って人が亡くなった時は前触れがあったの?」

女「………」

男「どっちにしても、延ばしちゃだめだ。本当に決心が鈍ってしまう」





166:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 22:20:10 ID:kB1Ltwcs

女「…やだ」

男「女…」

女「やだよ…死んじゃ、やだ…。ねぇ、やめよう?…やめましょうよ…」

男「それは…できないよ」

女「全部、忘れてた事にしましょうよ…このまま…私…このままが…いいよ…」

男「うん…ありがとう」

女「なんでお礼なんて言うんですか…。解った…って、そうしようって…言ってよう…」

男「…ごめん」

女「謝られたいんじゃ…ないよ…」


…カタタン …カタタン …カタタン …カタタン





167:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 22:21:25 ID:kB1Ltwcs

男(…それから列車は、あまり灯りも無い田舎の小さな駅で、夜間停車した)

男(いつの間にか日付は変わり、俺の誕生日であり命日となる一日は、ついに訪れた)

男(女はあの後、俺の肩に寄りかかって暫く泣いていたが、いつしか泣き寝入りしてしまったようだった)

男(列車が停まる時の揺れで肩からずれ落ちそうになった女の頭を自分の膝の上に直して、俺はその寝顔を飽く事無く眺めた)





168:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 22:22:43 ID:kB1Ltwcs

男(もし君を抱いたら、今よりもっときみに依存してしまう…そう俺は言った)

男(けれどそれは自分の感情ばかりで、彼女が俺にどれだけ依存しているかを考えない言葉だった)

男(残される人の悲しみなんて、考えてもいなかったんだ…俺は)

男(…ごめんな、女)

男(やがて明け方、列車はまた走り出した)

男(膝の上で眠る女の頬に落ちたのは、俺の人生最後の涙なんだろう)





169:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 22:40:29 ID:kB1Ltwcs

…8月22日 夜、研究所

短髪女「誕生日、おめでとー!」

女「おめでとう、男さん」

博士「…私まで参加してしまってよかったのかな?」

男「多い方が嬉しいですよ」

博士「そうか。では、おめでとう男君」

短髪女「ケーキ!ケーキ!」

女「美味しそう、蝋燭たてますね」

短髪女「オッサン、電気消して」

博士「火は着けたかな?…消すぞ」





170:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 22:43:06 ID:kB1Ltwcs

短髪女「蝋燭の灯り、綺麗…」

男「お、短髪女もやっぱり女の子なんだな?」

短髪女「その言葉、今日くらいは大目にみてやるよ」

女「こんなのはじめてですから、参号も私も」

短髪女「オッサンこんな事してくれなかったもんなー」

博士「まだ身に覚えは無いが、すまないね…」





171:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 22:45:08 ID:kB1Ltwcs

男「こんな誕生日、本当に久しぶりだよ」

女「…男さん」

男「それでも両親が死んでから、まだ2年…か。まあ高校生になってからは誕生日パーティって程の事はしなかったからな」

短髪女「すればよかったのに、ケーキ食えるんだぞ」

男「そういう時期だったんだよ、たぶん。…でも両親が居なくなるなんて解ってたら、しときゃよかったな」





172:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 22:47:03 ID:kB1Ltwcs

短髪女「事故…だったんだろ?」

男「本当に突然でさ、あの時は辛くって。葬式が終わってすぐに独りで実家を出て、夜の海へ行ったんだ」

男「砂浜にうずくまって、ずっと泣いてた。そしたら不意に海岸が明るくなったんだよ」

女「………」

男「すごい大きな流れ星だった。しばらく夜空を駆け抜けたあと、光は消えたんだけど…妙に胸騒ぎがして」

博士「おそらく東京湾大火球として記録されているものだろうな」

男「もしかしたらだけど、あの流れ星に蜂の卵がついてたのかな」

博士「昼間に念のため行ったスキャンでも、ノイズは消えていなかった。…残念だ」





173:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 22:48:58 ID:kB1Ltwcs

短髪女「や、やめようよ!この話、やめよう!」

女「…そうです、せっかくの誕生日パーティなんだから。ごちそうも作ったんですよ」

男「うん、そうだな。ごめん…変な話をした」

女「さ、男さん蝋燭消して」

短髪女「そーだよ、ケーキに蝋が垂れちゃう」

男「じゃ、ひと息で…」

女「おめでとう!男さん」

短髪女「おめでとー!」





174:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 22:51:35 ID:kB1Ltwcs

博士「じゃあ明かりをつけるぞ」

短髪女「いっただっきまーす!」

男「おいおい、俺が先じゃねーのか」

短髪女「うんまーい!」

男「女、料理がんばったなー。いただきます」

女「うん、がんばりました。博士もどうぞ」

博士「ありがとう、頂こう」





175:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 22:53:51 ID:kB1Ltwcs

短髪女「あ、そだ!変態…じゃなかった、男!お土産ありがとうな!」

男「ああ、大したもんじゃないけど」

女「そういえば参号には何を買って帰ったんですか?」

男「ご当地ゆるキャラのぬいぐるみリュックだよ」

女「じゃーん!背負ってたりして!」

男「餓鬼っぽくて似合ってるぞ」

短髪女「大目にみてやるの、あと1回な」





176:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 22:56:20 ID:kB1Ltwcs

博士「すまないね、誕生日なのにプレゼントできる物も無い」

女「私も…何も用意出来ませんでした」

男「女はこの料理で充分だよ。博士は今後この二人を住まわせてやってくれたら、俺の肩の荷も降ります」

短髪女「ボクは…ボクも、何もないから」

男「いーよ、気にすんな」

短髪女「キス…してやるよ。ほら、ほっぺた向けろ」

男「あ?まじか…」

短髪女「…ん」

男「ありがとな、記念になるよ」





177:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 23:00:00 ID:kB1Ltwcs

短髪女「弐号、妬いた?」

女「そんな事で妬くほど子供じゃありません」

短髪女「ちっとも?」

女「…ちょっとしか、なんてね」

男「ははは。…あー、楽しいなぁ」

女「…はい」

短髪女「楽しい、すごく…楽しい」

男「みんな、ありがとうな。俺…こんなに幸せな夏、はじめてだよ」





178:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 23:07:42 ID:kB1Ltwcs

女「………」

短髪女「………」

博士「また来年がある…そう言えないのが、辛いな」

短髪女「男…ボク、これ大事にするから」

男「うん」

短髪女「変態とか、オマエとか…生意気な事ばっかり言ってゴメンな」

男「どうした、らしくないな」

短髪女「ボク…最初は男を殺しに来たんだ。だからなんとなくずっと意地張っちゃって…」

男「うん…そうか」





179:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 23:09:46 ID:kB1Ltwcs

女「私だって、男さんに散々…それはもう二週間もずっと、自殺しろ自殺しろ…って」

男「そうだったな」

短髪女「ゴメン…男、…そういう指令だっただけなんだ。本当は男の事、嫌いじゃない」

男「解ってるよ、ケーキ食べよう」

短髪女「う…うえええぇぇぇん…」

博士「参号くん…泣いてはいかん。男君の心残りになってしまう」





180:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 23:12:26 ID:kB1Ltwcs

短髪女「うわああぁぁぁん、男ぉ…死んじゃやだぁー」

女「参号…やめてよぅ…私、もう泣かない…つもりだったのに…」

短髪女「うええぇえぇぇん」

女「う…うっ…男さん…」

男「本当、もう…感無量だな。こんなに惜しんで貰えるなら」





181:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 23:14:35 ID:kB1Ltwcs

博士「憎いな、優男。だが…私も断腸の思いだ」

男「飲みましょう、博士。棚に色々あったじゃないですか、頂けませんか」

博士「ああ、いいとも。とっておきを空けよう…」

男「女…ありがとう。でも泣いてないでさ、お酒ついでくれよ」

女「*…う…はぃ…」

博士「ロックでいけるかね?」

男「なんでもこいです、もう明日に残る事も考えなくていい」

博士「違いない。乾杯だ、男君の誕生日に」

男「…乾杯」





182:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 23:19:50 ID:kB1Ltwcs

…数時間後

博士「よく…寝ているな」

男「はい」

博士「最後の別れはいいのか、男君」

男「…さよならなんて、言うほど悲しくなるだけです。本当は俺だって…怖い」

博士「当然の事だ。私には二人の事は心配するな…その位の事しか言えないが」

男「充分ですよ。じゃ…行きます」





183:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 23:22:55 ID:kB1Ltwcs

博士「男君、もし君がどうしても自殺する事が出来なくとも、それは誰にも責められん事だ」

男「よして下さい、それこそ決心が鈍る」

博士「…握手を」

男「はい、博士…お元気で」

博士「君もな…と、そう言いたい所だ」

男「…それじゃ」

キィ…


男「…さよなら、女」


…パタン





184:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 23:26:09 ID:kB1Ltwcs

博士「…ふぅ」

博士「今は眠る二人に、明日の朝は何と声をかければいいのだろうな…」

博士「情けない事だ…科学者でありながら、彼一人救えんとは」

博士「飲み直す…か。今夜位は自棄酒も赦されるだろう」

キィ…

…バタン



女「…さよなら、男…さん…」





185:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 23:38:58 ID:kB1Ltwcs

…翌朝

ピーンポーン…

博士「誰だ…こんな朝に、無粋な借金取りめ。う…飲み過ぎたな…」

短髪女「う…ん…オッサン、誰か来たの?」

博士「無視しておこう、今日から研究を急ぐぞ。男君のためにもな…」

ピーン…ポーン…

女「………?」

短髪女「あ、弐号…起きたね。呼び鈴、オッサンが無視しとけって」





186:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 23:39:54 ID:kB1Ltwcs

ピンポーン…

ピーンポーン…

ピンポンピンポンピンポンピンポン

ピーーーーーーーン………





………ポーーーーーーーン

女「…まさか」

短髪女「あ、弐号…!?」

ガチャッ!

女「あ…」

短髪女「…えっ!?」

男「…おはよう、バツが悪いけど」





187:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 23:41:27 ID:kB1Ltwcs

短髪女「…なんで…」

女「男さんっ!」

男「わっ…!?ちょ…ちょっと、女…!」

女「うわああぁぁぁん!」

博士「男君…いや、よく帰ってきた。何も言うまい」

男「そ、そうじゃなくて」

短髪女「なんだよオマエ!昨日あれだけ人を泣かせといて…!」

男「いや、ごめん」

短髪女「また…泣かすなよぅ…うわああぁぁぁん!」





188:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 23:42:41 ID:kB1Ltwcs

博士「まあ入りたまえ。蜂の羽化まで、残る時間は君の自由にすればいい。誰も文句は言わん…」

男「博士、本当に違うんです。事態はもっと深刻なんです」

博士「…深刻?」

男「最初は部屋で首を吊ろうとしました。でもどうしても輪に首を通す事が出来なくて」

博士「………」

男「怖がってるだけだって、そう思ったんですが。じゃあ、練習だって…首を通すだけしてみようとしても、無理だったんです」

博士「…ふむ」





190:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 23:43:55 ID:kB1Ltwcs

男「その後、近くのマンションの外部階段に上がって飛び降りようとしても、どうしてもあと片足が上がらない」

女「まさか…」

男「風邪薬をひと瓶飲もうとしても、瓶を口に持っていけないんです。ただ怖いと思ってるなら飲んでも吐けばいいだけなのに」

短髪女「蜂に邪魔されてるってのかよ」

博士「…これも思念に寄生する理由なのか」





191:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 23:44:47 ID:kB1Ltwcs

男「なんか本当に情けないんだけど、自分じゃ死ねないみたいで…」

短髪女「ボクが殺して自殺しようとしても…同じなのかな」

博士「犠牲者を悪戯に増やすばかりだろうね。打つ手無し、か…」

男「…めちゃくちゃ覚悟したんだけどなぁ」

短髪女「蜂め…どれだけ人を弄ぶんだ」

博士「羽化まであと9日しかない。すぐに研究に入ろう、良い手は無いかもしれんが。弐号くん、スキャンの準備を」

短髪女「…あれ?…弐号、どしたの」

女「え?…あ、はい…すぐ準備します」





192:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 23:45:59 ID:kB1Ltwcs

女「男さん、お疲れ様。…はい、コーヒー」

男「ありがとう、なんか複雑だよ…」

女「私は嬉しいです。もう昨夜、諦めてたから」

男「うん、もう一度こうしてられるのが嬉しく無いんじゃないけど…スッキリしなくて」

女「すっきりさせて欲しいの?」

男「女、こんな時にからかうなよ」

女「あはは、ごめんなさい」





193:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 23:47:00 ID:kB1Ltwcs

男「なんか妙に明るいな?どしたんだ…女」

女「…あのね、男さん」

男「うん?」

女「さっき男さんがスキャンを受けてる間、ずっと考えてたの」





194:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 23:49:25 ID:kB1Ltwcs

男「何を」

女「…で、もう決めたの。だから反対はしないで」

男「…?」

女「男さん。これからもう一度、旅に出ましょう」

男「は…?そんな場合じゃないだろ」

女「反対しないでって言ったわ。…何も言わないで、私を信じて」





195:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 23:57:02 ID:kB1Ltwcs

…翌日、8月23日

女「博士、お世話になりました」

男「元気でな、短髪女」

短髪女「…うん」

博士「二人とも、目一杯楽しむんだ。思い残す事が無いよう」

男&女「はい」

短髪女「男…」

男「どした?」

短髪女「…今度は、弐号を大人の女にしてやるんだぞ?」

女「参号っ!」

男「お、おぅ…任しとけ」





197:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/02(月) 00:01:05 ID:kB1Ltwcs

博士「弐号くんの考えを聞いた時は驚いたが…」

女「…すみません、博士」

短髪女「男、弐号…やっぱり行っちゃ、やだ…」

男「しっかりしろよ、短髪女。ほんとにらしくねぇぞ」

女「ごめんね、参号…」

男「よっしキスしてやるよ、ほっぺた向けな。…ん





198:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/02(月) 00:02:26 ID:kB1Ltwcs

短髪女「う…うええぇぇん…」

男「それじゃ、行ってきます」

女「さよなら…参号、博士」





199:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/02(月) 00:03:21 ID:kB1Ltwcs

…8月31日、研究所

短髪女「オッサン、見た?」

博士「ああ、新聞の地方欄に出ていたな」

短髪女「『アパートの一室で男女の遺体、抱き合ってお互いの背中を刃物で刺す。心中か…』だってさ」

博士「推定日は28日だそうだな、旅の最後は男君の部屋へ帰ったか」

短髪女「ボクもだけど、あの二人が出会った所だからね」





200:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/02(月) 00:04:18 ID:kB1Ltwcs

博士「これで蜂が消えていればいいが」

短髪女「消えてるよ。そうじゃなきゃ自殺を邪魔する意味ないもん」

博士「そうだな。誰も知らない英雄が二人…か」

短髪女「いつまでも、泣いてらんないね」





201:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/02(月) 00:06:49 ID:kB1Ltwcs

博士「ああ、忙しくなるぞ」

短髪女「…なんだ、オッサンもやっぱりその気なのか」

博士「無論だ」

短髪女「クローン用のサンプルは?」

博士「人工血液と入れ替えに採取した血液が300ml」

短髪女「充分だね、あとは…」

博士「23日時点のものだが、思念のスキャンデータも揃っている」

短髪女「よっし、気合い入れてくかぁ」





202:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/02(月) 00:08:06 ID:kB1Ltwcs

…研究所、とある暗い部屋

女「…う…ん……?」

女「…ここは?研究所…?」

???「あ、起きた」

女「え?…さ、参号!?」

???「参号…?ボクは博士娘だよ?待ってて、お母さん呼んでくるね」

女「博士…娘…?」

博士娘「…おかーさーん、弐号さん起きたー!」





203:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/02(月) 00:09:09 ID:kB1Ltwcs

???「…おはよう、弐号。気分はどうかしら?」

女「はい…大丈夫です。貴女は…?」

???「私は博士妻。…意識ははっきりしてそうね」

女「博士妻…博士の奥さん?」

博士妻「ふふ…わからない?じゃあ…ボクだよ、弐号!…って言えば解るかしら」

女「…まさか、参号…じゃあ今は」

博士「やあ、久しいな」

女「博士…その姿、じゃあやっぱり」

博士「そう、今は2032年だ」





204:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/02(月) 00:10:59 ID:kB1Ltwcs

女「私…どうして」

博士「君が男君と死を共にした、そのすぐ後から、私と参号…妻はクローン技術を完成させる研究に入った」

女「クローン…」

博士「そしてすぐに一体のクローンの培養をスタートし、追って2017年…君の培養を始めたんだ」

女「2017年…元々の私のクローン製作より2年後…」

博士妻「そう…だから貴女は今、前より若い15歳」





205:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/02(月) 00:12:06 ID:kB1Ltwcs

博士「それと同時進行で、思念のスキャンデータから記憶領域を抽出し、クローン体に書き込む技術も開発した」

博士妻「タイムマシンも予定通りの時期に完成させるよう目指したから、なかなかハードだったけれどもね」

博士「まあ、私独りでは無かったからね。助け合う内に…その、なんだ」

博士娘「ボクができたんだよね!」

女「まあ、それは素敵です」

博士「ごほん、それで…弐号くん。早速だが君に頼みたい事があるのだ」





206:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/02(月) 00:12:58 ID:kB1Ltwcs

女「…何でしょう」

博士「君の隣にある培養ケース、そこで培養されている『彼』は、もう2年ばかり経ってから起こす事になる」

女「はい」

博士妻「2013年から培養を始めているから、2034年まで。予定では8月22日に起こすつもりなの」

女「はい」

博士「そのメンテナンスを、君に頼みたい」

女「…お任せ下さい」

博士「…ずいぶん良い手つきだね?」

女「得意なんです」


…fin

.

テーマ:ショート・ストーリー - ジャンル:小説・文学

  1. 2013/09/25(水) 09:38:55|
  2. 男女SS
  3. | コメント:9

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