がらくた処分場

僕と天使と飲むサロンパス(原題/うちなーぐち少女をオトしたい僕)




23: ◆2ouXelc2C. 2017/11/01(水) 18:26:42.45 ID:VMlTkza+O


(──えーと、小麦粉と醤油……味醂も入れた)

「くそ、重たいもんばっか頼みやがって……」ブツブツ


「お、卵安いじゃん」ヒョイヒョイ

(『ついでに卵も2パック買っといたから、お釣りほとんど無いわ』……これで残金はポケットインだな)クックックッ

(レシートはうっかり貰い忘れた事にしよう、そうしよう)


(はぁ……青春まっ只中の筈な中学二年……なぜ僕は母のお遣いくらいしかやる事がないのか)ホゥ…

(……とっとと帰って、スプラトゥーンやろ)


「……ん?」


店員「だからね、申し訳ないんですけど未成年者にビールは売れないんですよ」

???「……違う」シュン


(あれって……先週ウチのクラスに来た──)



24: ◆2ouXelc2C. 2017/11/01(水) 18:27:59.05 ID:VMlTkza+O


担任『──今日からこのクラスの一員になります、恩納さんです』

恩納『よ、よろしく……お願い……します』ペコッ

担任『恩納さんは沖縄の中学校から転校してきました。不慣れな事も多いと思うので、皆さん助けてあげて下さいね』

恩納『………』モジモジ

担任『じゃあ恩納さんの席は──』


(──たしか、恩納……って言ったか)

(なんか困ってるっぽいな……)ウーン


恩納「お酒……じゃない……」

店員「困ったな……でもビアはお酒、ビールでしょう」

恩納「………」オドオド

店員「悪いけど、親御さんに来てもらってね?」



25: ◆2ouXelc2C. 2017/11/01(水) 18:28:33.63 ID:VMlTkza+O


恩納「あ、あのっ……」

店員「はい、いらっしゃいませー! 奥さん、今日はこちらのメーカーさんのビール・発泡酒がお買い得ですよー!」テクテク…


恩納「……はぁ」ショボン


「いよっ、お前もお遣い頼まれたか?」

恩納「!!」ビクッ

「そんなに驚くなよ、同じクラスだぞ? まだ覚えてないか」

恩納「………」コクコク


「僕は『玉木 真介』……みんなはチン介って呼ぶけど。そっちは『恩納』って言ったっけ?」

恩納「はい……『恩納 乃子』です」

チン介「じゃあ、恩納ちゃんでいい?」

恩納「う、うん」コクン



26: ◆2ouXelc2C. 2017/11/01(水) 18:29:16.10 ID:VMlTkza+O


チン介「なんか探してたでしょ、困ってる風だったけど」

恩納「えっと、あの……」モジモジ

チン介「?」

恩納「………」ギュッ


チン介「なんか言い難い事だった? それなら余計な口出したかな」ポリポリ

恩納「ち、ちが……っ」アセッ

チン介「うーん……まあ、困った事あったら言ってくれな? じゃあ、明日学校で──」


恩納「──わんねーとやーにんじゅルートビアのみたくて、さがしとーるばーよ!」

チン介「へっ!?」ビクゥッ

恩納「やしがルートビアんかいさけとぅおもっておしえんぱーされてるわけさ……」シュン…



27: ◆2ouXelc2C. 2017/11/01(水) 18:29:49.11 ID:VMlTkza+O


チン介「……あの、えっと」ポカーン

恩納「………」ドキドキ

チン介「何語だ、それ?」

恩納「うちなーぐち……沖縄の、方言……」ボソッ


チン介「もしかして、方言じゃないと喋れない?」

恩納「……慣れて、ない」

チン介「ごめん、今のじゃ解らないや……」ウーン


恩納「……!」ハッ…ゴソゴソ

チン介「?」

恩納「これ!」バッ

チン介「スマホ? うん、持ってるけど……LINE、ふるふるすんの?」ゴソゴソ



28: ◆2ouXelc2C. 2017/11/01(水) 18:30:24.10 ID:VMlTkza+O


フルフルフル…ピコッ


恩納「………」スッ…ススッ、トントンッ…スッ

チン介(何気に部活以外の女子とLINE交換すんの初めてだ……ラッキー)ホクホク


…ピコンッ


《恩納:ごめんなさい、文字でなら普通に標準語で話せます》

《チン介:そかそか、じゃあこれでいこう。ごめんな、ちょっと入力遅いけど》モタモタ


恩納「あの……」スススッ…トントンッ

チン介「ん?」

《恩納:聞きとる方は標準語でも平気です》ピコンッ

チン介「あ、そうなん」ガクッ



29: ◆2ouXelc2C. 2017/11/01(水) 18:30:59.43 ID:VMlTkza+O


チン介「さっきは何を探してたんだ?」

《恩納:ルートビアです》

チン介「ルートビア……なんか聞いたことあるような」


《恩納:やっぱり馴染みが無いですか?》

チン介「無いなぁ、どんなパッケージかの想像もつかない」

《恩納:売ってないのかな。ビアってつくけどお酒じゃないんです》

チン介「わからない……お酒じゃないってとこも含めて、店員さんにもう一回訊いてみよっか──」


店員「──さあ、いらっしゃいませどーぞー!」

チン介「すみません、店員さん」

店員「はいはい? あら、さっきの……」



30: ◆2ouXelc2C. 2017/11/01(水) 18:31:31.93 ID:VMlTkza+O


チン介「彼女が探してるルートビアって、お酒じゃないらしいんです。置いてませんかね?」

店員「お酒じゃない……飲み物なんですか?」

チン介「恩納ちゃん?」

《恩納:炭酸飲料です》ピコッ

チン介「炭酸飲料らしいです」


店員「それならこちらのソフトドリンクの棚に無かったら無いですね。でも棚卸しで見た事も無いなぁ……」

チン介「ここには列んで無い?」

恩納「………」コクン


店員「ごめんなさいね、ウチでは取り扱いが無いみたい」

チン介「いえ、ありがとうございました」



31: ◆2ouXelc2C. 2017/11/01(水) 18:32:10.68 ID:VMlTkza+O


《恩納:ありがとう。面倒かけてごめんね》ピコッ

チン介「いいよ、こんな事くらい」

店員「あの……すみません」

チン介「はい?」


店員「そちらの方は、まだ『日本語』に慣れていなかったんですね」

恩納「!!」


店員「気づけなくて、大変失礼しました──」

チン介「──違います!」キッ

店員「えっ」

チン介「恩納ちゃんは訛りの強い地方の出で『標準語』に慣れてないだけです!」



32: ◆2ouXelc2C. 2017/11/01(水) 18:33:05.63 ID:VMlTkza+O


チン介「確かに僕らには通じ難いけど、でも日本語──」


……ザワザワ
ナンダ? ケンカ カ?
クレーム カ? マダコドモ ミタイ ダゾ……


チン介「──げっ、見世物になってる」

恩納「………」オロオロ

チン介「大きい声出してすみません。行こう、恩納ちゃん」アセアセ

恩納「う、うん」


チン介「すぐレジ済ませてくるから! 出口のとこにいて!」タタタッ…

恩納「………」コクン



33: ◆2ouXelc2C. 2017/11/01(水) 18:34:15.72 ID:VMlTkza+O


………



チン介「はぁ……ごめん、他にも買い物あった?」

恩納「ううん」フルフル

チン介「恥ずかしい事しちゃったなぁ……ほんと悪かった、勘弁な」

恩納「………」クスッ


……スッ…サササッ、トントン
スーッ、トンッ


《恩納:真剣になってくれて嬉しかった。私、本当に方言がきついのがコンプレックスだったの》ピコン

チン介「コンプレックスに感じる必要は無いと思うけど……」

《恩納:ぜんぜん通じないんだって、本土に来てから気づいたの。それで人前で話すのが急に苦手になっちゃった》



34: ◆2ouXelc2C. 2017/11/01(水) 18:35:22.50 ID:VMlTkza+O


チン介「沖縄の人ってみんなそうなの?」

《恩納:私は沖縄の中でもかなりの田舎育ちだから。周りもみんな方言で喋るし、標準語を使う機会がぜんぜん無くて》

チン介「そうだったんか……そりゃ仕方ないよな」


《恩納:でも、なんであんなに怒ってくれたの?》

チン介「うーん……なんとなく、なんだけど……」

恩納「?」


チン介「別に外国の人を差別するつもりもないんだけどね」

チン介「でも沖縄弁は、僕らには通じなくても日本語のひとつでしょ?」

チン介「どんな地方であれ、生まれた土地の言葉って大切なものだと思うんだ」

チン介「それを『この国の言葉じゃない』みたいに思われるのは、違うかな……って」



35: ◆2ouXelc2C. 2017/11/01(水) 18:35:59.27 ID:VMlTkza+O


ススッ、スーッ……トン…


恩納「………」ポチッ

チン介(書きかけて消した?)


恩納「ちゃんと、言う」

チン介「ん?」

恩納「にふぇーでーびる……嬉しい、ありがとう」ニコッ

チン介「うっ、ど……どういたしまして……」ドキッ


恩納「?」

チン介(くそ、可愛いぞ……こいつ)ドキドキ…



36: ◆2ouXelc2C. 2017/11/01(水) 18:36:35.67 ID:VMlTkza+O


チン介「よ、よし! じゃあ、これからは学校でも僕が通訳してやるよ!」フンス

《恩納:学校ではスマホは禁止だよ?》ピコン

チン介「それこそ筆談でもなんでもいいし! そのうち恩納ちゃんも、みんなも慣れるだろうし!」

《恩納:そっか、そうだね》ニコニコ


チン介(くっ……護りたい、その笑顔! ていうか、他の男子よりもう少しでもアドバンテージが欲しい!)チキショー!

恩納「?」


チン介「あ、明日! 日曜! 僕、暇!」

《恩納:なんで片言なの?》クスッ

チン介「恩納ちゃんは? ……暇だったりする?」

恩納「………」コクン

チン介「だったら一緒に、ルートビア探しに行かない……かな?」



37: ◆2ouXelc2C. 2017/11/01(水) 18:37:15.33 ID:VMlTkza+O


恩納「………」モジモジ

チン介「無理?」ドキドキ

恩納「……行く」コクッ

チン介(Yes!)グッ!


スッ、サササッ…
トントンッ、スーッ……


《恩納:こっちで初めての友達ができて嬉しい。いろいろ面倒かけると思うけど、よろしくお願いします》ペコリ

チン介「任しとけって! とりあえず何でも僕に相談しろよな!」フンスフンス

恩納「うん」ニコッ


チン介「はぁ……来たなぁ……」ホゥ…

恩納「?」

チン介(僕の青春は、南の島から来たよ──)



38: ◆2ouXelc2C. 2017/11/01(水) 18:38:16.02 ID:VMlTkza+O

……………
………


…翌日、日曜日
AM8:30 恩納家


恩納「──おかー、じゅんにからじぐゎーへんなーなってない?(お母さん、ほんとに髪型変じゃない?)」クルリ

母親「ちけーねーらん、それよりぬーがらかまんでからいかんで大丈夫ねー?(大丈夫だってば、それよりなにか食べないの?)」

恩納「どぅしがどんなーするかわかいみー(友達がどうするか判らないもの)」


母親「どぅしんちゃーが出来たのはじょーとーだけど、あんなにきーつかうわけ?(お友達ができたのはいいけど、そんなに気を遣う訳?)」

恩納「そ、そんなやなっちゅあらんどー(そ、そんな悪い人じゃないよ)」

母親「わかとーんどー、あねーあらんくとぅどぅ言ちゃしがやー?(解ってるわよ、違う意味で言ったつもりだけど?)」クスクス

恩納「えーおかー、やなかんげーさんでくれる!?(ちょっとお母さん、変に勘繰らないでくれる!?)」ムキー


母親「ちゃーやきっさあげたばかりだし、ひーじーさーね。けーてぃちゃ何時ぐるうかやー?(お小遣いはあげたばかりだし、大丈夫よね。帰りは何時くらいになるの?)」

恩納「どんなーかなー……やしが、あんすかにっかーならんでぃうむいしが(どうかな……けど、そんなに遅くはならないと思う)」

母親「うまーやひがおちるんかいはーえーやくとぅ、きーちきりよう(こっちは日が暮れるのが早いんだから、気をつけるのよ)」

恩納「うん、んじくーひー──!(うん、行ってきます──!)」ガチャッ



39: ◆2ouXelc2C. 2017/11/01(水) 18:39:53.21 ID:VMlTkza+O


………


…AM8:45 玉木家


チン介「──兄貴! ワックス貸して!」ドタバタ

兄「おう、親父のが車庫にあるぞ」

チン介「解ってて意地悪言うなよ!」

兄「ぷははは、洗面台の棚にあるの勝手に使えよ」ケラケラ


チン介「ああもう、時間無いしーー!」ガタンッ、バババッ…

兄「珍しいなぁ、友達との待ち合わせに遅れるとか常習犯だろうに」

チン介「ほっとけ……くっ、上手く立たねぇ……」アセアセ


兄「……ふーん」

チン介「こんな……もんか、いいやもう! あ、それと──」

兄「──中学生なら三千円でいいだろ、小遣い出たらポテチつけて返せよな」パサッ

チン介「うっ……読まれてる」グヌヌ…


兄「バイトの給料後だった事が幸いしたけど、俺も無い時には無いぞ?」

チン介「解ってる、恩に着る。いってきます──!」



40: ◆2ouXelc2C. 2017/11/01(水) 18:40:39.91 ID:VMlTkza+O


………


…AM9:05 コンビニ駐車場


チン介「──ごめんっ! お待たせ!」ハァ…ハァ…

恩納「おはよ……大丈夫、です」クスクス


スッ……サササッ、トンッ


《恩納:私もギリギリだったよ。家を出て少ししたら寒くなって、慌てて重ね着に戻ったの》ピコンッ

チン介「ふぅ……息が落ち着いた。そっか、こっちの気温にも慣れないよな」

恩納「うん」コクン



41: ◆2ouXelc2C. 2017/11/01(水) 18:41:16.25 ID:VMlTkza+O


チン介「とりあえず今日はルートビア探し。酒屋とか昨日とは違うスーパーとか、あちこち行ってみようと思うよ」

恩納「うん、うん」

チン介「なんとなく僕も飲んでみたいしね、たぶん初体験」

《恩納:慣れてない人にはちょっとクセがあるらしいけど、美味しいよ》ピコッ


チン介「沖縄ではポピュラーな飲み物なんだ?」

《恩納:うん、すごく。こっちに来てから飲んでないから、家族もみんな恋しがってたの》

チン介「それで昨日、探してたんだ」

恩納「………」コクコク

チン介「ますます楽しみ、売ってる店が見つかるといいな!」

恩納「うんっ」ニコッ



42: ◆2ouXelc2C. 2017/11/01(水) 18:41:58.43 ID:VMlTkza+O


チン介「スーパーなら9時から開いてるし、まずは学校の近くの方から回ろっか」クルッ…

恩納「………」

チン介「……あれ? 行かないの?」ピタッ


恩納「あの……」モジモジ

チン介「ん? このコンビニ? ……セブンだけど、ルートビア置いてるかな」

《恩納:セブンイレブンは沖縄に無いから、たぶん置いてないと思う》ピコン


チン介「それでも寄ってくの?」

《恩納:セブンイレブンは沖縄に無いから……》


チン介「もしかして……セブンに寄りたい?」

恩納「……うん」コクン

チン介(可愛い過ぎかよ──)クッ…



46: ◆2ouXelc2C. 2017/11/02(木) 10:36:30.32 ID:WeMJL4dgO


………


…コンビニ駐車場


チン介「──普通のコンビニだったろ?」モグモグ

恩納「うん」パクッ


チン介「揚げ鶏が美味しいんだけど、朝食べるには重いからなー」

恩納「ふーん……」モグモグ

チン介「やっぱ秋以降の朝は、肉まんだよね」パクッ


恩納「………」ゴソゴソ

チン介「スマホ落としたらいけないから、食べ終わってからでいいよ?」

恩納「……ん」コクン



47: ◆2ouXelc2C. 2017/11/02(木) 10:37:13.53 ID:WeMJL4dgO


ゴソゴソ……ポチッ
サササッ、トンッ


《恩納:食べ終わった》ピコン

チン介「うん」


《恩納:意外かもだけど、中華まんは沖縄でも普通に売ってるんだよ》

チン介「そうなんだ、何月くらいから店に出るの? 真冬の間だけ?」

《恩納:9月頃、まだ本土でいう真夏みたいな暑い時季から店頭に並ぶの》


チン介「でも真夏の気温じゃ、誰も買わないでしょ」

《恩納:それが割と汗かきながらでも食べるんだよ》

チン介「マジか……」

《恩納:マジです》クスクス



48: ◆2ouXelc2C. 2017/11/02(木) 10:37:47.03 ID:WeMJL4dgO


チン介「じゃあ、学校の方へ行ってみようか」

恩納「うん」


テクテク…


チン介「寒くない?」

恩納「……大丈夫」コクン

チン介「さっきスマホで見たら、沖縄はこの時季でも最低気温20度は下回らないんだねー」

恩納「………」ゴソゴソ

チン介「あ、ごめん……いいよ。歩きスマホはやめとこ」

恩納「ん」コクッ


チン介「………」テクテク

恩納「………」テクテク



49: ◆2ouXelc2C. 2017/11/02(木) 10:38:25.85 ID:WeMJL4dgO


恩納「……あの」ピタッ

チン介「ん? どした?」


…ゴソゴソ、ポチッ…スススッ


《恩納:たどたどしくても、いいですか?》ピコン

チン介「うん?」

恩納「……話……したい、です」モジモジ

チン介「標準語でってこと?」

恩納「うちなーぐち、混ざる……かも」


チン介「もちろん、いいよ! いいんだけど……ちょ、ちょっと待って」アセアセ

恩納「?」

チン介(危ねえ、顔に締まりが無くなるとこだった)フゥ…



50: ◆2ouXelc2C. 2017/11/02(木) 10:39:17.03 ID:WeMJL4dgO


………


…AM9:50
学校付近スーパー店内


恩納「……ここも、無い」ショボン

チン介「無いなぁ……スマホでラベルの画像も調べたけど、見た事なかった」


《恩納:A&Wのルートビアが一番代表的な筈なんです》ピコッ

チン介「ロゴにそう書いてあったね。えーあんどだぶりゅ?」

恩納「えんだー」

チン介「へ?」


恩納「そう読むさ……です」

チン介「えんだー? A&Wと書いてそう読むの、無理がない?」

恩納「たぶん、うち……沖縄の人、勝手に呼んでる……と思う」


チン介「……ほんとだ、正しい読み方は『エー・アンド・ダブリュ』だけど、沖縄ではなぜか『エンダー』で通ってるって書いてる」ポチポチ

恩納「うん」フンス

チン介(沖縄弁自体が難解なのに、商品名まで読み方アレンジするのか……手強えぇな……)ウーン…



52: ◆2ouXelc2C. 2017/11/02(木) 21:20:04.40 ID:rtIeLsYcO


………


…AM10:30 運動公園


チン介「──酒屋が開くまで、ちょっと時間潰しだなー」

恩納「うん」

チン介「店は公園の目の前で11時開店だから、この辺で休んでようか」

恩納「………」コクコク


チン介「そこのベンチ、日当りいいね」

恩納「座る……?」

チン介「うん」



53: ◆2ouXelc2C. 2017/11/02(木) 21:21:34.71 ID:rtIeLsYcO


チン介「今日は何時くらいに帰らなきゃなの?」

恩納「晩ご飯、家で、食べる……です」

チン介「日中は丸一日大丈夫なんだ」

恩納「うん」


チン介「僕……に限らず、たぶんこの辺りの人の多くはそうだけど、この公園にはよく来るんだよ」

恩納「ふーん」

チン介「この遊歩道なんかがある緑地もそうだし、あと向こうに見えてる体育館も」


恩納「なにか、スポーツ、するの?」

チン介「バドミントン部なんだ、僕」

恩納「ここで、試合する?」

チン介「試合はこことは限らないんだけど、休みに体育館空いてたら兄貴と練習したりね」


恩納「お兄さん、いる」

チン介「ん? 恩納ちゃんもお兄さんいるの?」

恩納「ううん、違う」フルフル



54: ◆2ouXelc2C. 2017/11/02(木) 21:22:43.16 ID:rtIeLsYcO


ゴソゴソ…
ポチッ、サササッ…スッ、トンッ


《恩納:ごめん、やっぱり上手く伝えられないね》ピコン

チン介「ああ、僕に『お兄さんがいるんだね』って言おうとしたのか」

恩納「うん」


チン介「兄貴は高校生だよ、一緒に練習はするけどいつもぼろっぼろに負ける……」ハァ…

《恩納:でもスポーツするのはかっこいいよ》クスッ

チン介「ウチの学校のバド部は、割とまったり活動だけどね。だから昨日も今日も休みだし」

《恩納:じゃあ、だいたい放課後に?》

チン介「第一と第三の土曜は午前中だけ部活あるよ、あとは平日の放課後かな。試合前はもうちょっと増えるけど」


《恩納:また今度、試合見に行っていい?》ピコッ

チン介「え、マジ? 来てくれるの?」パァッ

恩納「うん」ニコッ



55: ◆2ouXelc2C. 2017/11/02(木) 21:23:40.16 ID:rtIeLsYcO


チュンチュン、チチチ…


恩納「……うふぃぐわーなーぬくばーてぃちょーんやー」

チン介「ん?」


恩納「あ……ごめん。暖かい、なったね……って」アセアセ

チン介「ああ、うん。もう10分ほどで11時、酒屋も開く時間だしな」

恩納「ごめん……」シュン

チン介「謝んなくていいのに」


ポチ、スササッ…スーッ
サササッ、トンッ


《恩納:喋ったらわけ解らないし、そうじゃなかったらいちいち文字入力の時間かかるし、それでも平気?》ピコンッ

チン介「うん? 僕が?」

《恩納:そう、イライラさせてないかなって》



56: ◆2ouXelc2C. 2017/11/02(木) 21:24:18.74 ID:rtIeLsYcO


チン介「イライラして見える?」

恩納「ううん」フルフル

チン介「でしょ? 平気だからね」

恩納「……そっか」


チン介「ていうか、むしろ面白いよ」

恩納「?」


チン介「沖縄弁……うちなーぐち? 本当に呪文みたいでさ」

恩納「うん」

チン介「たしかに外国語に近いくらい解らないんだ。でもこっちの言葉は通じる……ちょっと不思議な感じ」クスクス



57: ◆2ouXelc2C. 2017/11/02(木) 21:25:02.10 ID:rtIeLsYcO


恩納「できる、だけ……標準語、喋る」フンス

チン介「もちろんそれも慣れなきゃだけど、うちなーぐちも色々使って欲しいな」

恩納「そうなの……?」

チン介「うん、もしかしたらだんだん恩納ちゃんと同じように『聞く方は大丈夫』になれるかもしれないし」


恩納「でも、本土……で、使う人、いない……よ?」

チン介「恩納ちゃんが使うじゃん」

恩納「うん……うん?」キョトン


チン介(言ってる事を僕だけが理解できるとか、最強のアドバンテージだもんな)フフリ



60: ◆2ouXelc2C. 2017/11/06(月) 20:33:08.34 ID:QDuKmf+Bo


………


…AM11:00 公園前の酒屋


チン介「こんちはー」

おばさん「いらっしゃい……って、チン介君か。ちょっと久しぶりじゃない」


恩納「はいた……こんにちは」ペコリ

おばさん「おや? おやおや?」

チン介「おばさん、詮索ストップ」アセッ

おばさん「はいはい……」クスクス


《恩納:お酒屋さんなのに、よく来るの?》ピコンッ

チン介「まあ、時々ね。店の奥にいくつか席があって、ホットドッグとかポテトとか簡単な食事もできるから」

《恩納:じゃあバドミントンの後とかに寄ってるんだね、納得》

チン介「友達ともプラプラしたついでに寄るよ、クラスの奴もよく利用してる」



61: ◆2ouXelc2C. 2017/11/06(月) 20:33:58.31 ID:QDuKmf+Bo


おばさん「でも今日は何か食べるには半端な時間に来たわねぇ」

チン介「うん、探し物。この店でルートビアって売ってない?」

おばさん「ルートビアって、あれかい? 沖縄ではよく飲むっていう……」


恩納「それやいびーん!」パァッ

チン介「へっ?」


恩納「あ……そ、そうです」アセアセ

チン介(それやいびーん……あかん、なんか響きがツボに入った)プクク…

恩納「………」ジロッ


おばさん「……ははぁ、お嬢ちゃん沖縄の子なんだね?」

恩納「は、はい」コクコク

チン介「こないだ引っ越してきたんだ、恩納ちゃんだよ」



62: ◆2ouXelc2C. 2017/11/06(月) 20:34:36.59 ID:QDuKmf+Bo


恩納「ゆたし……よ、よろしく」ペコッ

おばさん「はいはい、ゆたしくね」ニコニコ


チン介「おばさん沖縄弁解るの!?」

おばさん「あははは、いくつかだけよ。でも残念ながらルートビアは置いてないねぇ」

恩納「そう、ですか」ショボン

おばさん「よかったらオリオンビールなら仕入れるツテはあるわよ。そっちはお酒だから親御さんに来てもらわないとだけどね」

恩納「はい、お願い……する、かも」


おばさん「ルートビアは……そうだねぇ、この辺りだと駅前のショッピングモールでも行けばあるかもねぇ」ウーン

チン介「駅前かぁ、遠いけど今ならまだ余裕で行ける時間だな」



63: ◆2ouXelc2C. 2017/11/06(月) 20:35:36.01 ID:QDuKmf+Bo


恩納「遠い……? 歩くの、無理?」

チン介「うん、ショッピングモールがある駅前ってのは最寄りの駅じゃなくて、電車で4駅行った先の街中の事だからね」


恩納「……電車!」キラーン

おばさん「ああ、沖縄には電車が無いんだっけねぇ」

チン介「電車無いの!?」

恩納「ゆいレール、あるよ」

おばさん「ゆいレールって、沖縄のモノレールの事だったっけ?」

恩納「はい」コクン


チン介「じゃあ、どうしよう? 駅前行ってみる?」

恩納「電車、乗る」フンスフンス

チン介(わかりやすいなー)ププッ



64: ◆2ouXelc2C. 2017/11/07(火) 19:45:36.65 ID:eGYp+vAeO


………


…AM11:40 最寄り駅構内


チン介「──切符の買い方とか大丈夫?」

恩納「大丈夫……じゃない」モジモジ


チン介「路線図見てみて、真ん中がこの駅でしょ? んで目指すのは路線がいくつか集まってるあの駅。下に240って書いてるのが料金だよ」

恩納「240円、買えばいいの?」

チン介「うん、そこの券売機でね」


チャリンチャリン……ポチッ
ヴーーーン、カタンッ


恩納「買えた」ドヤッ

チン介「よくできました」ウンウン



65: ◆2ouXelc2C. 2017/11/07(火) 19:46:23.01 ID:eGYp+vAeO


チン介「切符をこの自動改札に通すんだよ」シュピッ、シュパッ

恩納「自動改札は、ゆいレールにも、ある」シュピッ

チン介「5分と待たずに来るみたいだね」テクテク

恩納「楽しみ」テクテク


チン介「ゆいレールって、どのくらいの間隔で来るの?」

恩納「長くて、10分……くらい」

チン介「けっこう来るんだ、田舎の電車みたいな事は無いんだね」

恩納「………」ゴソゴソ


ポチッ…スッ、ススッ
サササッ、スーッ…トンッ


《恩納:今、沖縄バカにしたでしょ》ピコン

チン介「め……滅相も無い」アセッ

《恩納:ゆいレールが走ってる範囲って那覇の辺りだけだからね、どうせ田舎ですよーだ》ベーーッ

チン介「ごめんて」

恩納「あはは、わじってないよ」ニコッ

チン介「え?」

恩納「怒って、ないよ……って」クスクス



66: ◆2ouXelc2C. 2017/11/07(火) 19:47:11.27 ID:eGYp+vAeO


カタンカタン、カタンカタン…
……シューーッ


チン介「来た来た、この時間だから座れそうだね」

恩納「ん……ここで、いい」ギュッ


チン介「え、立っとくの? 10分以上はかかるよ?」

恩納「うん、いい」フンス

チン介(……外が見たいのか、なるほど)クスッ


ゴトンッ……ヴーーーン…
カタン、カタンカタン、カタタン…カタタンッ…


恩納「低い、不思議」ボソッ

チン介「……低い?」

恩納「地面、車と同じ……高さ、だから」

チン介「ああ、そっか。沖縄のはモノレールだからずっと高架橋の上なのか」

恩納「うん、うん」



67: ◆2ouXelc2C. 2017/11/07(火) 19:49:03.22 ID:eGYp+vAeO


チン介「だったら、あれも珍しいんじゃない?」

恩納「?」


カン、カン、カン、カン、カン…


恩納「あ、踏切!!」

チン介(うわわ、声が大きい!)ヒィ

乗客「ゴホン」チラッ

恩納「ごめん、なさい……」アセアセ


カタン、カタン、カタン…
…シューーッ


チン介「ドア開くよ、こっち寄って。まだみっつ先の駅だからね」

恩納「うん」ギュッ


チン介(うおぉ、これ腕におっぱい当たってね!? 柔らか……いほど大きくないな、うん)チラッ

恩納「?」ペターン

チン介「大丈夫」フッ…

恩納「……なにが?」キョトン

チン介「なんでもない──」



68: ◆2ouXelc2C. 2017/11/08(水) 21:56:01.94 ID:717nKMG3o


………


…PM0:15
ショッピングモール内


チン介「──さて、まずはやっぱり食料品売り場かな」

恩納「うん」

チン介「一般的なのは缶なんだよね?」

恩納「そう……目立つ、から、あれば分かる……と、思う」


チン介「缶飲料は……あったあった、この島だ」

恩納「無い……琉球コーラも、無い……」ショボン

チン介「それは名の通り、沖縄限定なんじゃないかなー」


恩納「あとで、紙パックの方も、見たい」

チン介「紙パックで炭酸飲料は無いでしょ?」

恩納「ヨーゴとか、メイグルトも、探す」

チン介(聞いたこと無え)ウーン…



69: ◆2ouXelc2C. 2017/11/08(水) 21:57:08.64 ID:717nKMG3o


チン介「というわけで、パック飲料の棚に来たけど……」

恩納「どっちも、無い……」


チン介「ヨーゴとかメイグルトって名前から察して、たぶん乳酸菌飲料でしょ」

恩納「うん、うん」

チン介「だったらピルクルが似た感じなんじゃないかなー」

恩納「おぉ……」キラキラ

チン介「微妙には違うかもだけどね」

恩納「飲んでみる」


チン介「まあこれはわざわざここで買わなくても、コンビニにも…………へ、へっくしょっ!!」

恩納「くすけー!」……ハッ

チン介「へ?」


恩納「なんでも、ない」アセアセ

チン介「ごめん、冷蔵棚の前だから冷えちゃって……ていうか今、何か言ったよね?」

恩納「何も、言ってない。寒い、なら行こう?」アセアセ

チン介「え? う、うん……?」



70: ◆2ouXelc2C. 2017/11/08(水) 21:58:21.33 ID:717nKMG3o


チン介「食料品売り場がダメとなると……どこを探せばいいんだろ」

恩納「店内の、地図……あそこ」

チン介「僕も全体は把握してないし、見てみよっか」


恩納「今が、1階」

チン介「2~3階はファッション関係のフロア。4階が文具とか本、雑貨とか……あっ」

恩納「……どしたの?」

チン介「うん、ルートビア探しの後でいいんだけど……4階のスポーツ用品店、見てもいいかな」

恩納「うん、うん」


チン介「5階がフードコート含む、レストラン街だな」

恩納「………」チラッ

チン介「今、お腹空いた顔したでしょ」

恩納「し……しぇーうらんむんぬ(してないし)」

チン介「ふっふーん、僕も『とりあえずお昼にする?』って訊こうと思ってたんだ──」



71: ◆2ouXelc2C. 2017/11/08(水) 21:59:21.62 ID:717nKMG3o


………


PM0:50 フードコート


チン介「──あれこれ見て回ったけど、結局フツーのハンバーガーというね」モグモグ

恩納「うん」パクッ

チン介「色んな店はあるけど割と高いんだよなー、こういうとこ」


…ポチッ、スササッ…スーッ


《恩納:食べながらスマホ触ってごめんね。沖縄はハンバーガー屋さんがすごく多いんだよ。A&Wもそのひとつかな》ピコッ

チン介「エンダーって飲食店なの?」

《恩納:うん、ハンバーガーだけじゃないけどファストフード店だよ。なんとルートビアがおかわり自由だったり!》

チン介「そうなんだ……でもこっちではなかなか無いもんだなぁ」

恩納「ほんと、だね」フゥ…



72: ◆2ouXelc2C. 2017/11/08(水) 22:00:26.52 ID:717nKMG3o


チン介「えっと……まだ食品売場しか見てないし、店内ぐるっと探せばいいんだけどさ」

恩納「うん」

チン介「もしそれでも見つからなかったら……その……来週とか、その次とか……どうかな?」

恩納「違うところ、探す?」

チン介「兄貴にも心当たり訊いてみるし、良かったら……なんだけどね」

恩納「………」ポチッ

チン介(気が早過ぎたかな……これじゃ見つからない事を願ってるみたいだ──)ドキドキ


──ピコンッ

《恩納:ありがとう、嬉しいです。是非お願いします》

チン介(しゃああああああああぁあぁぁ!!)グッ


恩納「ゆたしく……です」ペコッ

チン介「お、おう! 絶対見つかるまで付き合うからね!」パァッ

恩納「見つかる、まで……?」

チン介「そう、見つかるまで何度でも!」

恩納「……うん」



75: ◆2ouXelc2C. 2017/11/09(木) 21:48:11.32 ID:RNek14keo


チン介(……こうなると、いっそルートビアが見つからない方が僕にとっては都合がいいわけだ)

恩納「………」パクッ、モグモグ

チン介(でも……わざと探さないとかはダメだよな。恩納ちゃんは欲しがってるんだから)フルフル

恩納「?」


チン介「この後は4階に行ってみようと思うよ」

恩納「スポーツ用品の、お店?」

チン介「いや、それは後回しでいいんだ。確か輸入雑貨の店とかあったと思うから、そこならもしかしてルートビアも置いてるかも」

恩納「……う、うん」

チン介「飲食店の中に沖縄料理の店とかは無さそうだしね。あとはこのフロアにはゲーセンくらいしか──」



76: ◆2ouXelc2C. 2017/11/09(木) 21:49:24.87 ID:RNek14keo


恩納「──ゲームセンター、行く」

チン介「え?」


恩納「だめ……?」モジモジ

チン介「い、いや……駄目じゃないよ。ゲームとか好きなの?」

恩納「あんまり、しない……けど」

チン介「僕は普段遊ぶ友達とはちょくちょく地元のゲーセン行くよ。マリオカートで対戦したり、下手くそだけど太鼓の達人したりね」

恩納「見てみたい」


チン介「そうだな……それもいいか。せっかく来たんだから、遊んだり関係ないものも見たければ見ればいい」

恩納「うん!」パァッ

チン介(こっちとしても願ったりだしね──!)ホクホク



77: ◆2ouXelc2C. 2017/11/09(木) 21:50:21.68 ID:RNek14keo


………


…PM1:20 ゲームコーナー


チン介「──恩納ちゃん、どれやる?」

恩納「マリオカート、する」フンス

チン介「やった事あるの?」

恩納「友達の、家でなら。Wii……だと、思う」


チン介「よかった、ちょうど空いてる。そっち座って、シート調整して……それで大丈夫?」

恩納「うん、100円……入れる、よ?」チャリン

チン介「オッケー、じゃあハンドルでキャラクターとマシン選んで。僕、ヨッシーにしよ」クルクル…ポチッ、デッテュー!



78: ◆2ouXelc2C. 2017/11/09(木) 21:51:19.60 ID:RNek14keo


恩納「えっと、え? あれ? まーんかいまーらすが(どっちに回すの)?」モタモタ

チン介「あ、時間ない。勝手に決まっちゃうよ」

恩納「えっ、あっ?」ピコーン!ヒャッホーーーゥ!


チン介「あははは、マリオだし。これは顔撮影で面白い事になるぞー」プククク…

恩納「撮影、するの? ……あげっ!? ヒゲある、いーぃー! ならんどー!」ガーーーン

チン介「ぶっ……はははっ! 似合う似合う!」ケラケラ

恩納「はーやーー!!」パシャー


チン介「コースはどうする?」

恩納「ううぅ……簡単、なの」グスン

チン介「じゃ、ここね。始まるよー、マリ恩納ちゃん」クックックッ…

恩納「いらんけーーっ(言わないで)!!」ムキー



81: ◆2ouXelc2C. 2017/11/10(金) 20:37:40.50 ID:LJV7iLAro


………



チン介「──へへーん、勝っちった」

恩納「はっさよー! もう! しむちわるー!(まったくもう! 意地悪!)」プイッ

チン介「赤甲羅ぶつけたからって拗ねるなよー」クックックッ


恩納「だって、ゴールの、直前だったよ」ムスー

チン介「ごめんて、もっかいやる?」

恩納「……ううん、別の、やる」


チン介「ここはメダルゲームは18歳まで保護者同伴じゃないとダメだし……何か景品取るやつやろっか」

恩納「うん」



82: ◆2ouXelc2C. 2017/11/10(金) 20:38:13.48 ID:LJV7iLAro


チン介「お菓子とかのヤツは、つぎ込むと『買った方が安かった感』が激しいんだよな……」

恩納「あい! ミニオンズのあん!(あ、ミニオンズのがある)」

チン介「マスコットのキーリングかぁ、好きなの?」

恩納「ちょっと、好き」テヘヘ


チン介「うん……割と取りやすそう、かも?」

恩納「ゆたしくうにげーさびら(よろしくお願いします)」

チン介「え、ゆたしくって、僕がやるの? そっか、そうなるのか……やべぇ、取りやすそうとか言わなきゃ良かった」アセアセ

恩納「期待、してます」クスッ



83: ◆2ouXelc2C. 2017/11/10(金) 20:39:01.46 ID:LJV7iLAro


チン介「ええい、ままよ!」チャリーン

恩納「そこ、リング、重なってる」

チン介「2個同時とか、無茶おっしゃる!」ポチッ…デッデッデーーーデレーデデーー♪

恩納「ちばりよー!」ワクワク

チン介「リングに……よっし、通った! 後はバネが保つか……」ハラハラ…


恩納「あい、うてぃーぎさー!(落ちそう)」

チン介「うおおおお、リング同士がつっかえてギリぶら下がってる! そのまま、そのまま……!」デレレレッデッデーー♪


……パカッ、ポトポトッ
テッテレーーー♪


チン介「しゃあああああぁあぁぁっ! 一発で取ったどーーーっ!!」ムハーーーッ

恩納「したい! ちゃめー! ふんとーにたーちとったんどー!(やった! すごい! ほんとに2つ取れた!)」フンスフンス

チン介「どんなもんだ! 偶然だけど! ……でも、2つも取れてどうしよう?」



84: ◆2ouXelc2C. 2017/11/10(金) 20:39:43.43 ID:LJV7iLAro


恩納「はい、てぃーち……ひとつ、ずつ」

チン介「え?」


恩納「私、スチュアート、欲しい」

チン介「スチュアートってどっち? もうひとつは僕が貰っていいの?」

恩納「玉木くん、取った。貰うの、私だよ?」

チン介「う、うん」


恩納「帰ったら、学校の鞄、着ける」

チン介「……僕も着けていい?」

恩納「着けよう、着けよう。玉木くんの、ボブだよ」ニコニコ

チン介(これってもしやお揃いというヤツでは……! いいぞ、僕……今日は神様が味方してる──!)グッ



85: ◆2ouXelc2C. 2017/11/10(金) 20:40:34.52 ID:LJV7iLAro


………


…PM2:30 ゲームコーナー前


チン介「──いかん、思ったより時間経ってた」

恩納「太鼓の達人、楽しかった」


チン介「後から来たヤツがマジで達人だったから、しばらく見ちゃってたね」

恩納「あそこまで、上手いと、ちょっと……」ウーン

チン介「ああいうガチな人はギャラリーがいると余計なパフォーマンスまでするからね……まあ、うん、すごいけど」


恩納「玉木くんは、あんまり、上手くなかった」クスクス

チン介「やかましいわ……って、そんな事言ってる時間じゃないよ! ルートビア探さなきゃ!」

恩納「……うん、あの……でも」モジモジ

チン介「ん? 何か他に見たいとこある?」



86: ◆2ouXelc2C. 2017/11/10(金) 20:41:48.38 ID:LJV7iLAro


恩納「服、見たい。冬の服……あんまり、持ってない……から」

チン介「ああ、そっか。沖縄だと厚手の上着とか要らないんだ?」

恩納「うん、うん。どんな服、要るか……教えて、欲しい」

チン介「まあ……同級生がどんなの着てるか位は教えられると思うけど」


恩納「今日、買えるほど、お金無い……それでも、よかったら」

チン介「いいよいいよ、せっかくこんな場所に来たんだもんね」

恩納「……うん!」ニコッ

チン介「じゃあ、2・3階だね。あとで4階行くし、下の2階から回ってみよっか」

恩納「エスカレーター、あっち」


チン介(単純思考かもだけど、一緒に服見るとかめっちゃデートっぽくね──?)ホクホク



87: ◆2ouXelc2C. 2017/11/11(土) 19:24:44.12 ID:YFly25WjO


………


…PM2:40
2F カジュアル専門店街


チン介「──今持ってる一番冬向けな上着ってどんな感じ?」

恩納「えーと……これ、くらい」

チン介「今の時季に着てもいい位のパーカーじゃん。死ぬ、それ死ぬよ」

恩納「マジ、ですか」ガーン


チン介「沖縄の真冬って気温どんな感じなの?」

恩納「最低気温で、10度くらい……?」

チン介「それ秋だよね、こっちで言う」


恩納「でも、海風強い。もっと寒い、感じるよ」

チン介「あー、そうなのか……風速1mで体感気温が1度下がるとか言うもんね」

恩納「うん、うん。だからコート、持ってない。でも、ウインドブレーカーは、ある」



88: ◆2ouXelc2C. 2017/11/11(土) 19:25:31.26 ID:YFly25WjO


チン介「なるほど……でもこっちの冬は本当に気温が下がって、空気が冷たくなるからね」

恩納「うとぅるさよー……(怖いなー)」

チン介「だから厚手の服が要るんだよ。上着もそうだけど、インナーも大事だね」


恩納「い、インナーは、いい! 自分で、見るからっ!」アセアセ

チン介「そうなの? 大丈夫?」

恩納「だって、そんなの、恥ずかしいし……」モジモジ


チン介「……もしかして下着だと思ってない? こっちでは冬は重ね着するから、アウターに対してのインナーって意味だよ?」

恩納「えっ……!?」

チン介(ヤバイ、一緒に下着選ぶとこ想像した)モヤモヤ

恩納「は、はじかさぬ……(恥ずかしい)」プシュー


チン介(これが僕の性の目覚めか……いや、とっくに目覚めてメッキメキだったな、うん)



89: ◆2ouXelc2C. 2017/11/11(土) 19:26:29.19 ID:YFly25WjO


チン介「とりあえず本当の真冬には、ダウンの上着はあっていいと思うんだ。こんなのとか」

恩納「ファー着いてて、可愛い」


チン介「今日はキュロットだけど、恩納ちゃん普段はパンツ派? スカート派?」

恩納「どっちも、着るよ。冬は、ズボンが、多い……かな」

チン介「ズボンが多いなら、ロング丈の方が合わせやすいかもね」


恩納「こんなの?」

チン介「うんうん、似合いそう。羽織ってみたら?」

恩納「ん」モゾモゾ、シュルッ

チン介「……おぉ、これは」

恩納「どう、かな?」クルッ、クルン


チン介(前を合わせ気味にすると裾から黒タイツの脚だけ出てて、ちょっとエ口いです)ホクホク



90: ◆2ouXelc2C. 2017/11/11(土) 19:27:16.94 ID:YFly25WjO


恩納「わかった。こういうの、買ってもらう」フンス

チン介「いいと思うよー。一応言っとくけど、重ね着になる事を考えてサイズ選んでね」

恩納「インナーも、見ていい?」

チン介「もちろん」


恩納「玉木くんも、見たいとこ、あったら行く」

チン介「僕は……ああ、あとで靴見たいな」

恩納「うん、うん」


恩納「………」

チン介「……どした?」


恩納「デート、っぽい」ボソッ

チン介「僕も思ってた。……でも正しくは時間を待ち合わせて出掛ける事を、全部デートって言うらしいよ」

恩納「その、情報、要らない」プイッ

チン介「照れ隠しというものがあってね──」



91: ◆2ouXelc2C. 2017/11/11(土) 19:32:59.02 ID:YFly25WjO


………


…PM4:10
3F シューズショップ前


チン介「──あかん、気づけば16時回ってるじゃん!」ギャー

恩納「………」


チン介「4階行こう、雑貨屋でルートビア探してみようよ」

恩納「スポーツ用品の、お店は?」

チン介「安ければグリップテープ買おうと思ってるだけだからすぐ済むし、最後でいいよ。とりあえずルートビア見つけるのが最優先!」

恩納「……うん」


チン介「おーい、エスカレーター行くよー?」

恩納「でも……見つかったら、もう……」ボソッ



92: ◆2ouXelc2C. 2017/11/11(土) 19:34:04.79 ID:YFly25WjO


………


…4F 雑貨店


恩納「これ、カードホルダー、可愛い」

チン介「なんだこれ、人形が白刃どりのポーズしてるけど、カード差したら結局頭にも刺さるじゃん」ケラケラ

恩納「ちょっと、欲しい」

チン介「いくらするんだ……高っか!? 2千円近くするぞ!」

恩納「雑貨屋さん、だいたい、高いよね」


チン介「これはなんだろ? レトロな冷蔵庫のミニチュアだけど……」

恩納「貯金箱、書いてるよ」

チン介「なになに、冷凍庫にコインを入れて蓋を閉めると消えて冷蔵室に入る……なんのために」

恩納「わかんない」クスクス



93: ◆2ouXelc2C. 2017/11/11(土) 19:34:43.65 ID:YFly25WjO


チン介「えーと……あっ、少しだけど外国の缶飲料置いてるよ! ほらあそこ!」

恩納「う、うん」

チン介「すげー、見たことない……コカコーラの缶も色あいが違うぞ。でもA&Wの缶は無いねー」


恩納「……あっ」

チン介「ん、どしたの?」


恩納「なんでも、ない。あの……無いみたいだから、スポーツ店行こう?」アセアセ

チン介「スポーツ店の用事はすぐに済むってば」

恩納「……どんなラケット、使ってるか、とか……教えて欲しい」

チン介「そうなの? そりゃいいけど……じゃあ、行く?」

恩納「うん、うん──!」



94: ◆2ouXelc2C. 2017/11/11(土) 19:35:16.51 ID:YFly25WjO


……………
………


…PM6:20 朝のコンビニ前


チン介「──すっかり暗くなっちゃったな、家まで送らなくて大丈夫?」

恩納「うん、ひーじ……平気」


チン介「でも、ルートビアは見つからなくて残念だったね……」

恩納「そ、それは……ううん、大丈夫……です」モジモジ

チン介「たくさん連れ回したのに、ごめんな」


恩納「………」ズキン


チン介「だけど楽しかったよ、また探しに行こう」



95: ◆2ouXelc2C. 2017/11/11(土) 19:36:08.62 ID:YFly25WjO


チン介「それじゃ、ここからはすぐ近くなんだろうけど気をつけて」

恩納「うん……」


チン介「……なんか元気ない? 疲れた?」

恩納「大丈夫……今日は、ありがとう」

チン介「いえいえ、じゃあまた明日学校でね!」

恩納「うん」フリフリ


テク、テク、テク……


恩納「………」ハァ…

恩納「ごめんやー、玉木くん……」ボソッ

恩納「バリーねー、ぬらーりーがすらわからんさー(バレたら、怒られるかな)──」



96: ◆2ouXelc2C. 2017/11/15(水) 19:01:33.14 ID:oppsvSTqO


……………
………


…PM6:40 玉木家


チン介「──たっだいまー」ガチャッ

兄「お疲れー、ご機嫌みたいだな」

チン介「まぁね……」フッ…


兄「中学生が、色気付きやがってからに」

チン介「うっせ……いや、金借りてるからやめとこ」

兄「おー、否定しないって事は本当に女の子とデートだったか。どこ行ったんだ?」

チン介「駅前のショッピングモールまで行ったよ。その子が沖縄出身で、ルートビア探しに行ったんだ」


兄「ルートビアって、あの『飲むサロンパス』だろ? 沖縄の人にとってはソウルドリンクらしいけど……」

チン介「飲むサロンパス……? やっぱ兄貴は知ってんだな。どこに置いてるか教えてくれない?」

兄「は? お前さっき、駅前のモール行ったって言ってたじゃん。だったら──」



97: ◆2ouXelc2C. 2017/11/15(水) 19:02:13.44 ID:oppsvSTqO


………


…恩納家


恩納「──なまけーたんどー……(今 帰ったよ)」カチャッ

母親「あいやまるやんなー、6時ねーけーるぐとぅしよーやー(今 帰ったのね、6時には帰るようにしなさいよ)」

恩納「……ごめん」


母親「ぬーがいんしぇとぅるばとーん。うむこーねーんがやてぃ?(元気ないじゃない。楽しくなかった?)」

恩納「うーうぅー、いっぺーいーりきさたんやー(ううん、すごく……楽しかった)」

母親「あんしぇーしむしが、まーんかいいじちゃーが(ならいいけど、どこへ行ってきたの)」

恩納「いるいるばすんかいんじちゃんどー、ルートビアとぅめーたしが…(いろいろな場所へ行ったよ、ルートビアを探したんだけど)」

母親「あいんちゃ、んまんかいちからぬでーうらんどーやー。うれーあてぃー?(ああ、そういえばこっちに来てから飲んでないわね。見つかった?)」

恩納「うん……あたんどー(うん……あったよ)──」


『──あっ、少しだけど外国の缶飲料置いてるよ! ほらあそこ!』

『う、うん』

『すげー、見たことない……コカコーラの缶も色あいが違うぞ。でもA&Wの缶は無いねー』

『……あっ』

『ん、どしたの?』

『なんでも、ない。あの……無いみたいだから、スポーツ店行こう──』



98: ◆2ouXelc2C. 2017/11/15(水) 19:03:41.03 ID:oppsvSTqO


……………
………


…翌朝、通学路


恩納「………」ハァ

恩納(なんじゅにんだらんたっさー(あんまり眠れなかった))フワワ…

恩納(たまきくんかいいちゃたらー、ちゃんねーるちらがすら(玉木くんに会ったら、どんな顔すればいいんだろう)──)


タタタタッ……


チン介「──おっはよーう!」ザザーッ

恩納「わっ……!? かんげーがちーあっちょーたれ、いちゃたん!(考えてたら、いた!)」ビクゥッ

チン介「昨日はお疲れ様ー、よく歩いたけど今朝は平気だった?」

恩納「う、うん」


チン介「帰ってから兄貴に訊いたんだ、ルートビア売ってるとこ知らないかって」

恩納「!!」ドキッ

チン介「そしたら、メーカーとか覚えてないけど昨日寄った雑貨屋さんで買った事あるって言うんだよ」

恩納「………」

チン介「昨日は無かったのにな──」



99: ◆2ouXelc2C. 2017/11/15(水) 19:04:28.14 ID:oppsvSTqO


恩納「──ご、ごめんなさいっ!」

チン介「へっ?」キョトン


恩納「昨日、雑貨屋さん、ルートビア置いてた……」モジモジ

チン介「でも僕も見たけどA&Wの缶は無かったよ」

恩納「エンダーの、無かった。でも、DAD'Sの……違うメーカーのは、あったの」

チン介「そうなの? そっちは嫌いだった?」

恩納「嫌い……じゃない。エンダーより、甘くないけど……」

チン介「そっか……それなら、そっちでも買っとけば良かったんじゃ?」


恩納「ルートビア、見つかったら……もう探しに、行けない」

チン介「ん?」

恩納「玉木くん、ルートビア『見つかるまで』付き合う、言ってくれた……から」

チン介「……待てまて。それ、深読み出来ちゃうぞ」


恩納「来週も、次も……遊びたかった」

チン介(うおおおおぉおぉぉ! 深読みどころか、そのままだった!!)グッ


恩納「ごめんなさい……見つけたの、黙ってて」グスッ



100: ◆2ouXelc2C. 2017/11/15(水) 19:05:01.39 ID:oppsvSTqO


チン介「ば……」

恩納「?」


チン介「馬っ鹿だなー! そんなの何遍だって付き合うし! ルートビアとか関係なく遊びに行くし!」

恩納「……ほんと?」

チン介「恩納ちゃんだって試合見に来てくれるって言ったじゃん! やだなーもー!」アハハハハハ

恩納「そっか……そう、だね!」ニコッ

チン介「おうよ!」


恩納「よかった……ホッと、した」ホゥ…

チン介「じゃあ、行こ。遅刻しちゃ不味いよ」

恩納「うん、うん」



101: ◆2ouXelc2C. 2017/11/15(水) 19:05:34.52 ID:oppsvSTqO


チン介「……昨日の途中からそうだったけど、LINE使って話すのしなくなったよね」テクテク

恩納「うん、そうだね」コクン

チン介「ちょっとくらい辿々しくても、何とも思わない。クラスのみんなもきっと平気だよ」

恩納「そうだと、いいな……」


チン介「大丈夫、僕も仲介するし」

恩納「うん、ゆたしく。頼りに、してるよ」

チン介「でへへ、任せとけって! ほんと遠慮せずに……へ、へっくしょっ!」

恩納「くすけー! ……あっ」


チン介「あ! それだ! 昨日も気になった、なんて言ってるの!?」

恩納「うわわ、内緒! 内緒! あんまり、綺麗な、意味じゃない!」アセアセ

チン介「えー、教えろよー! こら、逃げんな──!」



【おわり】


……………
………



チン介「──はぁ……まさか、なぁ」ハァ

恩納「玉木くん、嫌……?」

チン介「嫌じゃない……けど、クラスで2人揃ってのあだ名がミニオンズって」

恩納「仕方ない、仕方ないよ──」クスクス



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テーマ:ショート・ストーリー - ジャンル:小説・文学

  1. 2017/11/16(木) 18:26:08|
  2. 男女SS
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僕らを繋いでいるもの(原題/【格安!】1K家電付き即入居可!【訳あり】)



1: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/06(金) 12:38:20 ID:QgZcDR7s


夏といえば怪談、怪談と言えば幽霊、幽霊と言えば美女。

定石と言える組み合わせだろう。

そして少しだけ採点基準を甘めに設定すれば、彼女の容姿はそれに違わない。

ただ──


「怨み、そろそろ晴れそう?」

《しつこいなぁ、怨みが理由で地縛霊やってんじゃないってば》


──怪談にできるほど怖くない。



2: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/06(金) 12:41:33 ID:QgZcDR7s


この部屋の借主である青年『金太』が通う三流大学から、徒歩でも15分という好立地。

築10年は過ぎていても、まだ『ボロ』という形容をすべき程ではない1Kアパート。

それにしてはとびきり安い賃料に惹かれた彼が不動産屋を訪ねると、事故物件という想像通りの単語が返ってきた。


今から10年ばかり前、アパートがまだ新築に近かった頃に住んでいた女子大生が首を吊り自殺した部屋。

それから数度も部屋主が変わったにも関わらず、不動産屋が金太に対し正直に事故物件である旨を説明したのは『隠してもバレる』からだ。


つまり出るのだ。

そして出たのだ。



3: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/06(金) 12:43:37 ID:QgZcDR7s


金太が不動産屋から聞いた噂は『部屋に独りでいると、気づけば背後に女性が立っている』というありがちにも怖ろしいものだった。


「僕も最初はビビってたんだけどなぁ」


呟きつつ、金太は彼女との出会いを思い返す。

週末の深夜、ゲームをプレイする彼は背後に佇む影に気づいていなかった。

そして前触れも無く、彼女は告げたのだ──


『──そのステージ、墜とせないけど黄色中隊にミサイル当てとくと台詞変わるよ』


その時、驚いた金太のプレイヤー機体は地面とキスした。

そして幽霊は気まずそうに頭を掻き『ごめん、タイミング悪かったね』と詫びた。

驚きはしても、最も怖くない形での遭遇だったと言える。



4: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/06(金) 12:44:30 ID:QgZcDR7s


《だって、やってるゲームがよく知ってるタイトルだったんだもん》

「エースコンバットが好きな幽霊とか笑うわ」

《初めてプレイしたのはZEROなんだけど、一番やり込んだのは04だったんだよ。そりゃ声も掛けちゃうって》


彼女が初めてプレイしたZEROというタイトルが発売されたのは2006年の事だ。

つまりこの部屋で事件が起こった、その少し前に当たる。


「古いゲームだけど、兄ちゃんがPS3持っていかせてくれなかったからさ」

《結構な事じゃない、PS2は名機だよ》



5: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/06(金) 12:45:36 ID:QgZcDR7s


彼女は紛う事なくその3Dシューティングゲームが好きらしい。

しかしそういったジャンルは本来、あまり女性が惹かれるものではないはずだ。


《メビウス1、エンゲィージ♪》

「ネーム機優先でいくよ」


きっと彼女にそれらのゲームをしてみせた、或いは勧めた『誰か』がいたのだ──


《そこSAMいまーす》

「……よく覚えておいでで」


──そう考える度、金太の胸はチクリと痛む。

彼が入居して最初の夏の話だ。



6: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/06(金) 12:47:26 ID:QgZcDR7s


……………
………



「──うーん……どうするかなぁ」

《なに頭捻ってんの?》


スマホを手に唸る金太、その背後から女幽霊が覗き込む。

彼女は金太に対し、自らを『マチ』と名乗った。


「いやぁ……水着イベのガチャ、回すかどうしようか悩んでんだ」

《ガチャ? なに、ゲームセンターの入り口とかにあるやつ?》


マチがこの世を去ったのは今から十年ほど前。

それはソーシャルネットワークゲームなどが広く普及する直前に当たる頃だ。



7: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/06(金) 12:48:14 ID:QgZcDR7s


「そっか……こういうのは知らないのか」


金太はマチに昨今流行りのSNSやソーシャルゲーム、その課金システムなどについて説明した。

元々ゲーム好きなマチは、興味深くそれを聞いていた。

特に彼女が驚いたのは──


《なにそれ! 違法じゃないの!?》

「グレーゾーンかもねー」


──廃課金者と呼ばれる存在についてだ。


《え、まさかチン太はその廃課金!?》

「チン太言うな! 僕なんか軽課金とさえ呼ばれない、微だよ微!」

《だって先月3千円使ったんでしょ? それで微課金……》



8: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/06(金) 12:49:11 ID:QgZcDR7s


新品または中古で数千円払いソフトを購入したら、あとは追加費用なしで最後までやり込める。

それがゲームに対する彼女の認識だった。


《だいたい携帯でできるゲームなんて、そんなにお金かけるほど大したもんじゃないでしょ? 映像だってチャチだし──》

「こんな感じだよ」

《──は?》


金太が見せたスマホの画面には、スペックなりに制限されたものとはいえ最新の技術を用いたゲーム映像が映し出されている。


《……なんでその薄っぺらい携帯で、そんな煌びやかな演出ができるわけ?》

「技術の進歩としか」



9: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/06(金) 12:50:00 ID:QgZcDR7s


《キャラがみんな喋ってるし……ちょっとショック》

「まあまあ、もちろん容量とか考えたら据え置き機の方がずっとすごいよ?」

《いや、それはそうなんだろうけど……ショックなのは、別に勝ったの負けたのじゃなくて》


マチは小さく溜息をつくと目を逸らし、金太に聞こえない位の声で呟く。



《幽霊になってまで年齢を感じさせられるとか、酷だよね……》



「どした?」

《なんでもない》

「?」

《W41CAは名機だったよ──》



13: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/06(金) 17:56:48 ID:SbIgZQmc


……………
………



《──あつくVenus♪ もえてVenus♪》

「………」

《シルクロード愛は千里~♪》


金太は台所で食事の支度。

自分が食べるわけでもないマチは特にする事もなく、卓袱台に頬杖をつき鼻歌を唄っている。

幽霊らしからぬ様子に驚く金太ではない、いつもの光景だからだ。



14: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/06(金) 17:59:29 ID:SbIgZQmc


マチの声は金太にしか聞こえていない。

正しくは『彼女が姿を見せ、かつその時意識を向けている相手』にしか届かないのだ。

それは空気を震わせる『音』ではなく、一種のテレパシーのようなものなのかもしれない。

つまり今の鼻歌を金太が知覚できるのは、マチが彼に聴かせようとしているからなのだろう。


「いつもこの部屋からは、僕の声だけが漏れてるって事なんだよなー」


台所から戻った金太はそう言いながら、野菜炒めとご飯をワンプレートに盛った皿を卓袱台に置いた。


「独り言の多い変人扱いされてないかな」

《いつも電話してるって思われるくらいじゃない?》

「……そっか、そうだね」



15: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/06(金) 18:01:03 ID:SbIgZQmc


《どんだけ携帯代払ってんだ! ……って思われてるかもしれないけどね?》

「今時だいたい定額制だし」

《なにぃっ!?》

「……定額制とか無かった感じ?」

《あ、あったし! ぼ……ソフトバンク同士は夜以外定額とか!》

「今、ボーダフォンって言いそうになったろ」


あっという間の食事と洗い物を済ませ、金太は再び卓袱台の前につく。

年代の事をイジられ機嫌が悪いのか、その間マチは鼻歌を唄う事もせず彼を待っていた。


「怒ってんの?」

《べっつにー》


言葉と裏腹に少し不貞腐れた声での返答。

金太は『感情豊かな幽霊だな』と思い、苦笑いした。



16: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/06(金) 18:03:08 ID:SbIgZQmc


しかし金太はその後、ふとした不安に襲われる。


「なあ、マチ……まさかなんだけど」

《んー?》

「僕が考えてる事も、伝わってたり……?」


彼女の声がテレパシーの要領で届くという事は、読み取る側も同じなのではないか──そう考えたのだ。

焦り顔の金太に対し、マチはニヤリと笑む。


《ふふふ……残念、ご心配なく》

「どっちだよ」

《考えを読み取る事はできないよー、できたら面白いのに》


その返答に金太は深く安堵し、胸を撫で下ろした。



17: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/06(金) 18:05:03 ID:SbIgZQmc


彼の焦り顔を見た事で気が晴れたのか、マチは機嫌を直したようだ。

また歌詞の内容も適当な鼻歌を唄い始めた。


金太はできるだけ早く平静を取り戻そうと、自らの下唇を噛んだ。

今までずっと思考を読まれていたとしたら今度は自分が首を吊る番だ──そんな事を考えつつ、彼女が今の思考を読んで何か反応していないか横目で確かめる。


彼も男だ。

マチの後ろ姿を眺め、あらぬ妄想を巡らせた事など数知れない。

休日の昼間、無防備に寝そべる彼女の小ぶりなお尻を雑誌を読む振りをしながら凝視していた事もある。

そしてもちろん、その記憶を活用した事もあるのだから。



18: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/06(金) 18:09:19 ID:SbIgZQmc


……………
………



「──じゃあ、今日はここまで」

《おおぉ……おのれシーモア、ユウナはどうなってしまうのか……》


金太はPS2の電源を切り、歯磨きなど寝る準備のために洗面所へ向かった。

時刻は午前0時を回った頃。

明日は7時前に起きなければならない彼は、普段より少し早寝をする事にした。


ロールプレイングゲームなら独りで黙々とやるに向いたジャンルではあるが、2人で話しながら進めるのもそれはそれで盛り上がる。

そのせいで頻繁に夜更かしをし、ここのところ彼は少し寝不足気味だった。


「よーし、寝るかー」

《おやすみ、じゃあ45分くらいには起こすからね》

「毎度助かりまーす」

《お安い家賃で》



19: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/06(金) 18:11:45 ID:SbIgZQmc


眠る必要の無いマチは夜の間、ただ静かに過ごしている。

膝を抱え座った体勢で、何も考えなければいつの間にか朝になる。

この10年間の多くを独りで過ごしてきた彼女は、そうしているのが最も早く時が経つ事を身を以て知った。

逆に考えを巡らせていると、それは恐ろしく長いものに感じられるのだ。


《チン太、もう寝た?》

「……のび太くんじゃねーし、目を瞑って1分で寝ないよ」


しかし金太が部屋に住まうようになってからは、マチはそれまでより少し長い夜を過ごしている。

彼が寝返りをうつ度、聞き取れない寝言を発する度に、なにも気にせずにいる事は難しい。

だがマチはそれらを不快だとは思わなかった。



20: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/06(金) 18:15:30 ID:SbIgZQmc


《さっき、朝起こすくらいお安い御用みたいに言ったけど……私にはそれくらいしかできないんだよね》

「うん?」

《お金を払ってここに住んでるチン太にとって、邪魔な居候だろうな……って思う》


幽霊なら自由に姿を現したり消えたりできそうなものだが、実際そうはいかなかった。

最初、マチの姿は誰にも見えない。

ただ彼女が『この人に対して姿を見せよう』とした瞬間から、対象者の視界には映り続ける事になる。


《ほんとは一人暮らしならではの自由とかも、恋しかったりしない?》

「マチ……」


金太より以前にこの部屋を借りた幾人かも、彼女の姿を目にしている。

恐れ慄いて出て行った彼らが再度ここを訪れれば、やはりその姿は見えてしまうのだろう。



21: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/06(金) 18:19:21 ID:SbIgZQmc


「……僕は助かってるよ」

《助かってる? 朝起こしたりするくらい、目覚まし時計でもできるよ?》

「それだけじゃなくて」


独り暮らしなのに話し相手がいる、ただいまと呼び掛ければ返事がある。

それは金太にとって他に代え難い喜びだった。


「僕はマチがいた方がいいや。……マチは? 静かな空き部屋の時の方が良かった?」


マチは慌てて首を横に振り《そんな事ない》と否定する。

安堵した金太は照れ臭さからか彼女に背中を向け、小さく再び「おやすみ」と告げた。


再び部屋に沈黙が訪れる。

数分後、金太は小さく寝息をたて始めた。

それを確かめたマチはいつもの膝を抱えた体勢に戻り、思考を遮断するよう努めた。



22: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/06(金) 18:20:36 ID:SbIgZQmc



──独りじゃない


夜は変わらず長いけど、寂しくない





でも、それを

幸せだと思ってはいけない──



26: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/06(金) 23:55:12 ID:UGBXRIi2


……………
………



「──勝ちィ!!」

《うわああぁあぁぁ完敗いいぃいぃぃ!!》


対戦格闘ゲームの5戦目、マチはここまで1勝もしていなかった。

金太がそのゲームを得意としているわけではない。

これは今日の夕方、彼が中古ショップのワゴンセールで購入したソフト。

不公平が無いように、わざわざ互いに初プレイとなるタイトルを選んであるのだ。



27: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/06(金) 23:56:13 ID:UGBXRIi2


「まだやる?」

《もういい! また明日にする!》


悔しさを隠さない彼女の反応に、金太は遠慮なくけらけらと笑う。


「今度は手加減するから」

《やらないよーだ》

「怒った?」


マチはわざとらしい不貞腐れ顔を作り、しかし数秒して表情を緩めると《違うよ》と首を横に振った。


《……そんなに長くはできないから》



28: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/06(金) 23:57:38 ID:UGBXRIi2


幽霊である彼女がゲームのコントローラーを操るというのは、いわばポルターガイスト現象を起こしているようなもの。

それはとても集中力を必要とする、疲れる事なのだ。


「はいはい、だから弱かったって事にしとくよ」

《がるるる……》

「幽霊にも色んな制限があるんだね」

《この部屋から動けない地縛霊だしね、制限だらけだよ》


言いながらマチは自らの下半身に目を遣った。

幽霊らしく先に近づくにつれて半透明になってゆく脚。

その左足首には鉄製と思しき足枷が着けられており、そこから鎖が延びて床に消えている。



29: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/06(金) 23:58:18 ID:UGBXRIi2


鎖の長さは部屋の中を移動する事はできるが、ベランダや玄関に達するには足りない。

まさしく彼女は『この部屋』に繋がれた、地縛霊なのだ。


《壁抜けもできないし、世界が狭いよ》

「それは意外だったよね」

《お風呂も覗けやしないんだから》

「見たいのかよ」

《面白いかなって》

「脱ごうか?」

《いいよ、カモン》

「嘘ですごめんなさい」



30: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/06(金) 23:59:09 ID:UGBXRIi2


「んじゃ、一人用モードで練習しよっかな」

《ダメだよ! そんなの余計に上手くなっちゃうじゃない!》

「えー」

《ほら! それよりFFの続き、はよ!》


マチに急かされ、金太はしぶしぶディスクを替える。

振り返った時、改めて彼女の足枷を見た彼は『満足に窓の外を見る事もできない孤独な10年間』を思い、ぞっとした。



33: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/07(土) 08:53:50 ID:LS47uuDs


……………
………



金太が暮らす部屋には、一人暮らしに見合ったコンパクトサイズの冷蔵庫が備えつけられている。

破格の家賃ながら他にも照明、空調、小ぶりなTVも元々設置されており、彼が惹かれた理由のひとつでもあった。

しかし国産家電製品の寿命は約10年というのは、やはり間違ってはいなかったらしい。


「──さすがに夏場の冷蔵庫故障はキツいっすよ」


壊れた冷蔵庫を外部の階段から地上に降ろし、金太は額の汗を拭う。

その白物家電を一段ずつゆっくりと降ろすのは、実に5分ほどもかかる作業だった。


「すまなかったね、今度は自動で氷のできる最新型だから」


大家である中年男性は、代わりに仕入れた新しい冷蔵庫をぽんぽんと叩いて言った。



34: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/07(土) 08:55:02 ID:LS47uuDs


「腰を傷めないようにね」


いかにコンパクトな製品であっても、やはり冷蔵庫は軽いものではない。

しかし降ろす時も上げる時も、大家の男性はその作業を手伝おうとはしなかった。

理由は単純、彼はできるだけ金太の部屋に入りたくないのだ。


「動作チェックはOKですよね? 何遍も上げ下ろしとかしたくないですよ」

「もちろん、バッチリ冷えるよ」


息を整えた金太は腰を落とし、新しい冷蔵庫を抱えるようにしてなんとか階段の1段目に上げた。



35: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/07(土) 08:56:43 ID:LS47uuDs


「──うあぁ……疲れた……」


冷蔵庫を設置し終えた金太は、すぐに寝室まで戻る気力も無くその場に座り込んだ。


《お疲れ様、大変だったね》


大家が部屋に寄りつかない理由である幽霊が金太を労う。

ただしその声は居間からかけられたもの、マチの鎖は台所の隅までは届かないからだ。


「息が落ち着いたら行くから、TV視てて」

《はーい》


金太は少し安定しない声で彼女に告げ、ちらりとシンクに目を遣る。

そしてマチが指示通り視線をTVに戻した事を確認してからシンク上に手を伸ばし、そこに置いておいた一通のハガキを取った。

古い冷蔵庫を避けた際に見つけたそれは、携帯電話会社からのダイレクトメールだ。



36: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/07(土) 08:59:12 ID:LS47uuDs


普通の葉書なら切手が貼られるところには『料金後納郵便』の表示。

裏面に大きく描かれたキャンペーンのお知らせ、その開催時期は平成19年5月となっている。

つまり10年前の部屋主に届いた郵便物なのだ。

個人情報を盗み見るのは褒められた事ではない──そう思いつつも、金太は葉書の宛名を確かめた。


『児玉 千秋 様』


数秒の間にその名を何度か脳内で読み上げる。

コダ『マチ』アキ、それがこの部屋に住まう幽霊の本名なのだ──金太はそう確信した。



37: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/07(土) 09:01:53 ID:LS47uuDs


『児玉さん』と呼んでいた友人を、親しくなるにつれ『児玉っち』から略して『マチ』と呼ぶようになる……そんなパターンがあっても不思議ではない。

別に本名が判ったからといって何をするつもりでもないが、金太は少しだけマチの生前を垣間見られた事を嬉しく思った。


《あ、来てきて! チン太の好きなアーティスト出るよ!》

「はいはーい」


いつか『マチの本名知ってるぞ』などと言って驚かせてやろう──そんな事を考え、緩む口元を隠しながら彼は寝室へ向かう。

取り出しておいた食品を新しい冷蔵庫に戻し忘れている事に気づいたのは、その音楽番組が終わってからだった。



38: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/07(土) 09:02:59 ID:LS47uuDs


……………
………



《──チン太、ゲーム以外に趣味とかないの?》


食事中、対面するマチに問われた金太は内心焦った。

無いと答えれば『つまらない奴』と思われてしまうのではないかと危惧したからだ。

中学でやっていたバドミントンも高校では続けなかったし、現在趣味と呼べるほどのものは無い。


「釣り……かな」

《おおー、男の子っぽい》


そう答えはしたものの実際には小学校時代に祖父と共に数度、あとは高校の友人とキャンプがてら数時間糸を垂れた事があるだけ。

詳しく突っ込まれても答えようがない、金太は話題が変わる事を祈った。


《どんな釣り?》


しかしその祈りは通じなかった。



39: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/07(土) 09:04:08 ID:LS47uuDs


金太は窮地に陥る。なにせどんな魚が釣れたかなど覚えてもいない。

だから彼は対象の魚種ではなく釣法を答える事にした。


「……ルアー釣り」


もちろんそれも聞いた事がある言葉というだけなのだが。


《ますますヤンチャ坊主、若者の釣りって感じだねぇ》

「お、おう」


幸か不幸か、マチの反応は好感触だった。

ここで終われば『上手くやり過ごせた』と言えるだろう。


《で、何を釣るの?》


だが終わらない。

興味を引く内容だっただけに、マチの質問は続く。



40: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/07(土) 09:05:19 ID:LS47uuDs


ルアーで釣れる魚──金太の脳裏にパッと思い浮かんだのは、やはりブラックバスだった。

しかしバスは外来魚、あまり良い評判を聞く魚では無い。

マチが生態系の保全など環境に対し意識の高いタイプならマイナスイメージを与えかねない──そう考えた彼は、ひとまずその名前を飲み込んだ。

実際には管理されている特定の釣り場もあるし、必ずしも禁じられた釣りではないなどという事を金太が知っている筈がない。


そして追い詰められた彼は、その釣りに詳しい者が聞けば驚愕するであろう答えを返した。


《どしたの、なんか不味いこと訊いた──?》

「──ヘラブナ」

《え?》

「ヘラブナを、ルアーで」



41: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/07(土) 09:06:40 ID:LS47uuDs


この魚種の名が浮かんだのは、祖父がその釣りを好んでいたからだ。

ただ絶対ではないが、ヘラブナはルアーで釣れる魚種ではない。

更に言えば、ヘラブナも原種のゲンゴロウブナが在来しない多くの水系では外来種にあたる。


《ヘラブナ……聞いた事はあるなぁ、食べられる魚?》

「うん、刺身に向いてる」


出鱈目は更に続く、ヘラブナは鮒寿司などの食用にもされない魚だ。

小骨だらけ、生なら寄生虫だらけだろう。


《どのくらいの大きさなの?》

「……1mくらい?」


世界記録どころではない。



42: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/07(土) 09:07:59 ID:LS47uuDs


《……でも、釣りに行ったって話は聞かないね》

「一緒に行ってたツレは就職しちゃったしな、大学入ってからは行ってないよ」

《また行きたい?》

「ここからじゃ、実家からより海が遠いしな……」


ヘラブナは淡水魚だ、だが幸いそれらの知識はマチも持っていない。


「それに──」


彼は早くこの話題を終わらせたかった。

そのためには『マチが言葉を続け難い方向』へ話を持っていく必要がある。


「──今は、マチと過ごしてる方が楽しいからね」

《……っ!》



43: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/07(土) 09:09:47 ID:LS47uuDs


普段の金太なら言えないであろう、半ば口説き文句に近い発言が飛び出す。

焦った彼は深く考えもせず、それを言い放ったのだ。

しかし目論見通りマチは会話を途切れさせ、金太から目を逸らした。


《そ、そっか……びっくりした、でもまた釣りの話も聞かせてね?》

「うん、また今度な」


彼が今の発言の軽薄さに気づくのは数分後。

食事を終えて落ち着いた後、再度このやりとりを思い返す時だ。

そしてマチが『一緒に話しながら釣りに行けたらな』と呟くのは今夜、ぼんやり金太の寝顔を眺めている時だった。



46: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/07(土) 12:38:58 ID:60yVJhto


……………
………



「──で? 散々はぐらかしてたけど、お前カノジョいんの?」

「はぐらかしてないっすよ、まっさん飲み過ぎ」


大学生にとってはライフワークのひとつ、飲み会。

幸い金太の周囲には未成年者に無理な酒を勧めるような人物はいない。

しかし酒は飲まずとも、時にはその席に参加せざるを得ない──つまり『断り切れない』というケースに陥る事はある。



47: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/07(土) 12:40:41 ID:60yVJhto


飲み会後、金太は帰る方向の同じ先輩と二人で夜道を歩いていた。

彼が金太を含む仲の良いグループの間で『まっさん』と呼ばれているのは、名字が『真島』だからだ。

特に後輩に対する絡みが強めで少々面倒くさがられてはいるが、憎めない兄貴肌の男だった。


時刻は日付が変わる頃で、普段は人通りの少なくないこの道も静まり返っている。

金太の通う大学は都市部外れのちょっとした山裾にあり、この辺りも割と閑静なエリアだ。

たまに耳に届くのは、遠い国道を走る車のノイズだけだった。


「ほら、観念して答えろよ。はぐらかして無いなら言えるだろ」

「うーん……」


もちろんこの時、金太の頭には共に暮らすマチの事が浮かんでいた。

ただ彼らは恋人と呼べるような関係ではないし、何よりマチは今を生きる人間ではなく幽霊だという大きな問題がある。

しかしその大問題すらも棚に上げ、金太は間違いなくマチに惚れている──という状況なのだから、余計に複雑だ。



48: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/07(土) 12:41:46 ID:60yVJhto


困った金太は話を逸らそうと、前からここを通るたび気になっていたものを指差して尋ねた。


「あの木、すごいっすよね」

「ん?」

「ほら、街路樹の……銀杏?」


それは樹高20mに迫るほどの大きな銀杏の木だった。

ただ彼が『すごい』と言ったのは、その大きさだけを指しての事ではない。


「幹が途中まで裂けたみたいになって、なんで片側だけ枝が無いんでしょう?」

「あー、そっか……聞いた事ねーか」

「何をです?」

「あの木は昔、雷が落ちたんだってよ」


説明を受けた上でよく見ると、確かに街灯に照らされた幹の裂け口は少し焼け焦げた風にも思えた。



49: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/07(土) 12:42:46 ID:60yVJhto


「そうなんだ……この辺、すぐ近くには高いビル無いっすもんね」

「雷が落ちる前はもっと高かったろうしな」


確かに銀杏の幹は先端部で直径30センチ程度もある。

この姿になる前は、更に数メートルも樹冠に続きがあったのだろう。


「その落雷の時、枝下に女の人がいて亡くなったらしいぜ」

「マジすか」

「そういう噂だ……っていうか、またはぐらかしやがったな? もう、なんとしても聞き出してやる」


残念ながら質問は止まなかった。

真島は金太の首を絞める真似をして「吐け!吐いて楽になれ!」と戯けている。



50: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/07(土) 12:43:41 ID:60yVJhto


仕方ない……と金太は観念し、嘘にならない程度の内容だけ話す事にした。

なにせつい先日、マチに対し趣味の件で嘘を吐いて余計に厄介な事になった記憶は鮮明だ。


「彼女ではないですけど」

「お?」

「その、仲良くしてる子ならいる……かな」

「なにそれ、遊びに行ったり?」

「えーと……家で一緒にご飯食べたり、ゲームしたりとか」

「それで付き合ってねーの?」


正確には食事しているのは金太だけだが、その時一緒にいるのだから嘘ではない。

真島は「告白しちまえよ」と呆れ、無責任に「襲われるの待ってんだって」などと金太をけしかけた。



51: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/07(土) 12:45:33 ID:60yVJhto


「そのうち考えます」と曖昧な返事をし、金太は頭を掻いて続きを誤魔化す。

それでも多少の情報を聞き出せた事に満足したのか、真島は「がんばれよ」と金太の背中を叩いて笑った。


「その子、名前は?」

「マチって呼んでます」

「おいおい、呼び捨てにできるくらいには親しいんじゃねーの」

「ま、まあ……そのくらいは。じゃあ、僕はここで」

「おう、お疲れ!」


彼女が実際にそうする事はないが、マチが部屋で一人の時に照明の点灯を禁じてはいない。

ゲームのコントローラーに触れられる彼女は、同じように壁のスイッチを操作する事もできるだろう。

金太は『この交差点からアパートが見えない位置関係でよかった』と胸を撫で下ろした。



52: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/07(土) 12:46:31 ID:60yVJhto





《…………マチ──?》





53: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/07(土) 12:47:11 ID:60yVJhto


……………
………



「──マチってさ」

《うん?》


いつも通りの夜。

二人でゲーム画面を映すTVの前に座りながら、金太はふとした疑問を尋ねた。

マチが常々続きを急かすRPGをプレイ中ではあるが、今はレベル上げのために雑魚戦をループしているだけ。

黙ってやる必要も無く、少し退屈だったのだ。



56: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/07(土) 12:49:42 ID:60yVJhto


「疲れるんだろうけど、コントローラーとか触れるでしょ?」

《うん、長くない間なら何でも》

「その時って感触もある? あったかいとか硬いとか」

《あの、それ……》


問われたマチは視線を泳がせ、返答に不自然な間を開ける。

疑問に感じた金太が彼女の顔を見ると、心なしか紅葉を散らしている風に思えた。

それも無理はない──


《チン太、もしかして……えっちぃ事、考えてたりする……?》

「ねーよ」


──金太はマチがどんな行為を思い浮かべたのかを想像し、心乱れた。



57: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/07(土) 12:50:32 ID:60yVJhto


「いや、もしかして同じ要領で物を食べる事もできたりするんじゃないかなって」

《あー、それは試した事ない》

「お腹は減らないの?」

《そういう感覚はないよ、満腹感も空腹感も》


金太は「ふーん」と相槌を打ち、ゲームの戦闘が一区切りしたタイミングで台所へ向かった。


「どれか好きなのある?」


そう言って彼が持ってきたのはスナック菓子やパンなど、そのまま食べられる食品だった。


《食べなくて平気なんだから、無駄に消費しなくていいよ?》

「いいから、お試しだよ」



58: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/07(土) 12:52:00 ID:60yVJhto


金太は遠慮するマチに少し強引に勧める。

彼は『試して欲しい』のだ。


《じゃあ……じゃがりこ》

「OK、開けられる?」

《うん》


カップ容器の蓋を開ける際、マチは表情を真剣な時のそれに変えた。

やはり集中力を必要とするのだろう。

だがもしマチが物を食べられるとすれば、例えば誕生日にはケーキでも用意する事ができる。

だから金太は試させたいと思った。



59: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/07(土) 12:52:52 ID:60yVJhto


スティック状の菓子を一本摘んで取り出し、マチはしげしげと眺めた。


《まさかまた物を食べようとするとは思わなかったよ》

「大丈夫そう?」

《わからないけど……失敗しても笑わないでね》


彼女は意を決し、それを口へ運ぶ。

ひと齧りすると普通に音を立てて菓子は折れた。

口を動かす、噛み砕く音も人間がそれを食べる時と何ら変わらない。

あとは飲み込めるか、味わう事はできているのかどうか──金太は緊張した面持ちで見守った。

ごくん……とマチの喉が動く。


《……美味しかった》

「やった、食べられるんだ! おめでと!」

《あ、ありがと?》



60: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/07(土) 12:53:33 ID:60yVJhto


「これならケーキも食べられるな。マチ、誕生日いつ?」

《あはは……そういう事だったんだ。11月よ、13日》

「ちょっと先だね、でも楽しみにしてて」


はしゃぐ金太、思わずマチも顔を緩める。


《ふふ……もう死んでるのに誕生日を楽しみにするって──》


──それと同時に集中力も緩んだ、その時だった。

ぽとっ……という音と共に、マチの足元の床に何かが落ちる。


「ん?」

《!?》



61: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/07(土) 12:54:21 ID:60yVJhto


「これ……」

《ちょっ……!!》


それは咀嚼されたスナック菓子の欠片だった。

物体に干渉する──いわゆるポルターガイスト現象が解けたせいで、彼女の体内にあるものも束縛から解放されたのだ。


「なるほど……」

《見ないで!自分で片付けるからっ!!》

「ケーキの時は何か敷いた方がいいな」

《介護するみたいに言わないでよ!》


マチは顔を真っ赤に染め、ティッシュを探す。


《うぅ……死にたい……》


金太は『お婆ちゃんもう幽霊でしょ』と突っ込むか悩んだ。



63: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/07(土) 19:34:35 ID:CFo0BQEY


……………
………



知らない女性と目が合った──と表現すれば、自意識過剰を疑われても仕方ない。

しかし今、金太が置かれている状況は違った。

明らかに女性は金太を見ているし、金太もまた帰宅の歩みを止めて彼女の姿をじっと眺めている。

雷に撃たれたという大きな銀杏の袂に、彼女は佇んでいた。


金太が彼女に目を奪われたのはその姿のせいだ。

顔立ちは器量好しとは言えるだろうが、並外れた美人という程ではない。

少し背が低いのも平均よりは幾らかという程度だろう。


普通と違うのは先に近づくにつれ透過してゆく脚、そして足首に着けられた輪とそこから延びる鎖。

彼女はマチと同じ、地縛霊なのだ。



64: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/07(土) 19:37:29 ID:CFo0BQEY


幽霊の姿はその者が『見せようとした相手』にしか見えない、金太はマチからそう聞き知っていた。

だとすればこの幽霊は彼に対し姿を現そうとしたという事だ。


普通の者なら下半身が半透明な彼女を見れば恐れ慄いてしまうだろう。

だが当然というべきか、金太は驚く様子を見せなかった。


幽霊はそれが不思議だったのか、首を傾げ金太の出方を窺っている。

人通りの少なくない夕方だが、金太以外には誰も彼女を気に留める者はいない。

話しかけようにも、そのままでは金太が妖精さんとお喋りする危ない人になってしまう。

彼はしばらく思案した後、ポケットからスマホを取り出した。



65: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/07(土) 19:39:35 ID:CFo0BQEY


「──もしもし、聞こえるー?」

《……?》


通話のふりをすれば周囲の者も怪しみはしないだろう──彼はそう考えた。


「聞こえますかー?」

《あの……?》


地縛霊の女性は指で自分の顔を指し、きょとんとした表情を浮かべている。

その仕草に対し金太は『うんうん』と頷きつつ、更に呼びかけた。


「そうです、貴女でーす」

《あ……はい、聞こえてます》

「どーも、はじめましてー」



66: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/07(土) 19:41:22 ID:CFo0BQEY


「よかった、電波が落ち着いたみたいだから普通に話すよ?」

《はい》


彼は周囲の者に対し『大きな声を出していたのは電波が悪かったせいですよ』というアピールをした上で、本題に臨む。


「えっと、僕に何か用だった?」

《用……というか、ちょっと前に見かけて気になったので》

「ん? まさか、ナンパされてる?」

《そ、そんなつもりじゃないです!》

「必死に否定しなくてもいいんだけど……」


目立たない程度に肩を竦める金太、戯けてみせるのは取り敢えず打ち解けるためだ。

功を奏したか、彼女はくすくすと笑った。



67: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/07(土) 19:42:16 ID:CFo0BQEY


《あの……貴方は私を見て怖くないんですか?》

「うん、同じような人を知ってるからね」


金太の回答に、幽霊は合点がいった様子で顔を綻ばせた。

その表情は嬉しさと共に、どこか安堵を滲ませた風に金太の目に映る。


「なんか幽霊が人間を怖がってるみたいで変な感じだね」

《ほんと、おかしいですよね》

「とりあえずたぶん僕は怖くないよ」

《……よかった》

「やっぱり怖がってた?」

《はい、前に不用意に姿を見せて失敗した事があるから……》



68: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/07(土) 19:43:53 ID:CFo0BQEY


《地縛霊なんてやってると、やっぱり退屈で寂しくて……でも何度かのそういう失敗で懲りてたり》


自らの脚に着けられた鎖を恨めしそうに眺め、彼女は力無く笑った。

マチと違い、行き交う人を眺める事だけは許された彼女。

だが話す事も気づいてもらう事もできなければ、それはそれで辛いだろう。


「失敗って、人に姿を見せたから何か不味い事が?」

《はい、もう何年も前になるんですけどね》

「それでよくまた僕に見せる気になったね」

《ほんと自分でもびっくりです。『あ、あの人だ』って思って、気づいたら姿を見せてました》

「……やっぱりナンパされてない?」



69: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/07(土) 19:45:49 ID:CFo0BQEY


《ふふ、じゃあナンパって事にしてもいいですよ》

「遂に僕にもモテ期到来!?」

《あははは……笑ったのなんて、すごく久しぶりです。ありがとう、あの……》

「金太って呼んでくれたらいいよ」

《金太さん……ですね。私はタマって呼んで頂けたら、懐かしくて嬉しいです》


この雰囲気からして、これから通りがかる度に言葉を交わす事になるだろう。

今の通話のふりをした談笑も初日だからとあまり長く続ければ、他の通行者から妙に思われかねない。


「これからちょくちょく電話かけるよ、暇潰しになればいいけど」

《はい、待ってますね》



71: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/07(土) 19:49:04 ID:CFo0BQEY


「じゃあ今日はそろそろ。また明日、タマ」


金太はスマホをポケットに戻し、バイバイと手を振ろうとしてやめた。

その様子を察したタマはくすくすと笑い、彼の代わりに小さく手を振って見送る。


歩き始めた金太の足取りは軽い。

時に憂鬱な通学の合間に、新たな楽しみができたのだ。

ほんの少しだけ、彼はマチへの罪悪感を覚えていた。



72: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/07(土) 19:50:13 ID:CFo0BQEY


……………
………



「──もしもし? おはよ!」

《おはようございます、金太さん》

「ちょっと出るの遅くなっちゃって、早足でギリギリなんだ」

《ふふふ……いいですよ、そのまま止まらなくて》

「また帰りにかけるからね!」

《はい、行ってらっしゃい──》



………
……………



73: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/07(土) 19:51:23 ID:CFo0BQEY


……………
………



「──もしもし、ただいま」

《おかえりなさい。さっきにわか雨降ったけど、大丈夫でした?》

「うん、やり過ごしてから出たよ」

《……せっかく銀杏の傍にベンチあるのに、濡れちゃってますね》

「大丈夫、少しくらい立ち話して帰ろうか──」



………
……………



74: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/07(土) 19:52:06 ID:CFo0BQEY


……………
………



《──おはようございます、少し早いですね》

「もしもし、おはよう。暑くって目が覚めたよ」

《今日も晴れてますから、水分補給はこまめに……ですよ?》

「うん、気をつける」

《もう行きます?》

「出たばっかだけど、少し休もうかな──」



………
……………



75: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/07(土) 19:52:42 ID:CFo0BQEY


……………
………



「──もしもーし、ただいまだよー」

《おかえりなさーい》

「今日、学食で事件があったんだ」

《事件? どんなです?》

「ふたつ向こうの席で女子が食べててさ、そこに三年の男子が来てなんと公開告白!」

《すごい、上手くいきました──?》



………
……………



76: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/07(土) 19:53:58 ID:CFo0BQEY


……………
………



《──金太さん、おかえりなさい!》

「ただい……も、もしもし」

《ふふ……携帯を取り出してすぐ話し始めてたらおかしいですよ?》

「だって、そっちからかけてきて手を振ってるからさ」

《あはは、たまには私からと思って──》



………
……………



77: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/07(土) 19:54:54 ID:CFo0BQEY


……………
………



大学への行き帰り、特に行きがけは短い時間とはいえ彼らの交流は続いた。

最初こそ金太がその日の出来事を話して聞かせる割合が高かったが、次第にタマもよく話すようになっていった。


マチと同じように長い間を孤独に過ごしてきたであろう彼女だ。

さぞ話し相手が欲しかったに違いない。


金太は意識してタマの生前について訊く事はしなかった。

地縛霊である以上、その生涯の終わり頃には想い遺す『何か』がある筈だ。

マチと交流を持ち始めた頃に自ずとそう考え、彼女に対してはそれを詮索しないよう接してきた。

同じ地縛霊ならば、同じように気遣うべきだろう。



78: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/07(土) 19:56:50 ID:CFo0BQEY


逆に彼女らが過去の事を聞いて欲しいなら、交流を深めていけば自ら語る時が来るかもしれない。

この場所に縛られたタマは、おそらくこの銀杏の幹が雷に裂かれた時に命を落とした女性だと考えるのが自然だ。

彼女の死因が誰を怨む事もできない天災によるものならば、地縛霊になった理由は生前にある。

それを自分がわざわざ知りたがる必要は無い──金太はそう考えていた。


彼がマチとタマそれぞれに接した時間や打ち解け具合は、まだ比較にならないほどマチの方が長く強い。

そのマチですら、過去の事について金太に打ち明けてはいないのだ。


既に金太がマチに対して抱く感情は『ほのかな』という表現を要しない明らかな『恋』と呼ぶべきものになっている。

彼の胸中には想う相手の過去を知りたいという感情こそ多少はあっても、それ以外の女性の素性を探るつもりや余裕は存在しなかった。



79: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/07(土) 19:57:42 ID:CFo0BQEY


「──ただいま」

《おかえりー!》


金太がアパートの玄関を入れば、タマからのそれよりずっと活発で砕けた返事が届く。

彼にとって愛しくて堪らない声だ。


「マチは元気なー」

《ん?》

「なんでもない」

《……今、誰かと比較しなかった?》

「し、してないし」

《なにやら浮気の匂いがしますなー?》



80: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/07(土) 19:59:41 ID:CFo0BQEY


金太をからかったマチは《なーんてね》と続け、悪戯に笑う。


《ふっふーん、ちゃんと彼女ができたらお姉さんに言うんだよ?》

「できないんだなーこれが」


もし彼女が『冗談めかして』ではなく自分の浮気を心配してくれたなら、金太はそう願わずにいられなかった。

そして──


《……じゃあ、できなくていいよ》

「なんて?」

《何でもなーい》


──それは既に叶いつつある事に、彼はまだ気づいていない。



83: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/10(火) 12:40:27 ID:dphUojj.


……………
………



『──フォックス2!!』

『ナイスキル!』


『よーし、あとは黄色1機!』

『ふふふー、マチも慣れてきたわね』

『こういうゲームもやってみたら面白いねぇ』

『でしょう? 私も最初、彼の隣で見てた時は画面がぐるぐる回って酔っちゃいそう……と思ったけど』



84: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/10(火) 12:41:17 ID:dphUojj.


『その彼氏さん、最近は?』

『九州に出張中、明後日戻るらしいんだけど』


『じゃあ、その日は駅まで迎えに行くのかな?』

『それが営業車で高速使って行ってるの、機材が多いらしくて』

『うわぁ、何時間かかるんだろ』

『同僚の先輩は新幹線なのに……って、ボヤいてたわ。そうそう、それとマチの分のお土産も買って来るよう伝えてあるから』

『もー!変な気を遣わないでよ!』


『大丈夫よ。彼、マチがいてくれて嬉しいみたいだし』

『へ? なんで?』

『マチがずっと一緒にいてくれれば、私が浮気しないだろうって。まったく、元々しないってば!!』



85: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/10(火) 12:41:52 ID:dphUojj.


『はいはい、ごちそーさま。彼氏さんにベタ惚れですもんねー』

『えへへー、惚気たつもりじゃなかったんだけど』

『ええい、涙で霞んで高度計が見えやしねぇ!』


『そこ、SAMいるからね』

『覚えてますよーだ!!』

『マチ-1、敵車両破壊──!』



………
……………



86: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/10(火) 12:42:27 ID:dphUojj.


……………
………



『──マチ、私……どうしたら』

『しっかりして、何も貴女が悪いんじゃない』


『だって、私、早く……会いたかった』

『うん……』

『だから……急かしちゃった……早く帰って……って』

『…………』

『ちゃんと……休んでたら……事故なんてしなかった』



87: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/10(火) 12:43:02 ID:dphUojj.


『自分を責めないで、早く会いたいのは当たり前の事でしょ』

『でも、でも……』

『仕方なかったの、誰も悪くない……ね?』


『マチ……私、死にたい……彼の所へ行きたい……』

『そんな事、彼氏さんは望んでないよ』

『ぅ……うぅ……っ』

『しっかりして、タマ──』



………
……………



88: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/10(火) 12:44:03 ID:dphUojj.


……………
………



《──どしたの、今日は言葉少なだね?》


夕食後、ゲームを始めるでもなくぼんやりと部屋の宙空を眺めて過ごす金太を不思議に思い、マチは尋ねた。

金太は「なんとなく」とだけ返し、テーブルに置いたアイスコーヒーのグラスをからからと揺すり混ぜた。

しかしその言葉とは裏腹に、やはり彼は物想いに耽っていた。


『──どうよ、マチちゃんに告白はできたんか?』

『そんなすぐには思い切れないすよ……』


何度となく脳内で反復するのは今日の夕方、偶然会った真島と家路を歩みつつ交わした言葉。

金太の周囲で唯一マチの名を知る彼は、他者がいない時のみ彼女の事を話題とするようになっていた。



89: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/10(火) 12:44:46 ID:dphUojj.


『お前な、たった一言を切り出すだけだぞ?』

『だからその一言を言うのに思い切りが要るんじゃないすか』

『ぐずってたら女なんて、すぐ手の届かないとこへ逃げちまうぞ──』


お節介な話ではあるが、彼は真剣に金太の背中を押している。

しかしそれも無理はないだろう。

通常なら度々自宅に招いて過ごすような間柄であれば、告白が玉砕に終わる可能性は低い。


しかしマチが金太と生活を共にしている最大の理由は、彼女がその部屋から動けないという特殊な事情が絡むものだ。

2人での暮らしは彼女の意思と関係なく、金太が退去しない限り強制的に続いてしまう。

それはつまり告白の結果が玉砕に終わった場合でも、変わらず毎日顔を合わせる事になるという意味だ。



90: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/10(火) 12:45:48 ID:dphUojj.


ぎくしゃくとした気まずい日々を送るなど、想像しただけで恐ろしい。

もしフラれたら彼は傷心を負う上に、引越しまで強いられる。

躊躇するのも当然かもしれない。


《まあ、たまにはボーッとして過ごす夜も良いかもね》


そんな男の葛藤など露知らず、マチは彼の向かいで頬杖をつきTVを視ていた。

金太にしてみれば腹立たしい筈のその様子さえ、恋のフィルターを透かせば可憐に映る。

言葉を躊躇うなら、いっそ押し倒してしまえばいい──などという妄想を実行に移す度胸も彼には無い。



91: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/10(火) 12:46:34 ID:dphUojj.


ふと金太は、そういえば自分は『自ら彼女に触れようとした事も無いぞ』と気づく。

押し倒すにしても触れられなければ不可能だ。

以前に『ほっぺに蚊がいる』とマチから金太に触れた事はあったが、それはゲームのコントローラーを使うのと同じ要領の話かもしれない。


対面して座る2人を隔てるテーブルは小さい。

金太が手を延べれば、マチの頬杖をついた細腕には届く。

すぐに告白をする勇気を持てなくとも、彼女を押し倒す思い切りはつかなくとも、せめて一歩近づくだけでもいい。

『触れられるのか気になって試した』という程度は許されるのではないか──?


彼はごくりと唾を飲んだ。

こんな時は長く悩んではいけない。

想いを告げる事をずっと躊躇い続けてきた金太は、それを解っている。



92: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/10(火) 12:47:18 ID:dphUojj.


マチがTVに目を奪われている今なら、試すにはうってつけだ。

彼は死角になる側から手を伸ばし、その白い肌を湛える腕を狙った。

思いがけずそれを握られた時、マチはどんな顔をするのか──


《あはは、山崎邦正は変わんないねぇ》


──しかし、金太の手には何の感触が伝う事も無かった。

せめてその仕草を見られる前に腕を引き戻す。

なにも気づかず笑うマチの声が、今の彼には無情なものに感じられた。


『ぐずってたら女なんて、すぐ手の届かないとこへ逃げちまうぞ』


別れ際に真島の残した言葉が、また金太の脳裏を過ぎる。



93: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/10(火) 12:48:28 ID:dphUojj.


「変わってるよ」

《え?なにが?》

「山崎……今は月亭方正って、改名してる」


TVは下らなくも愉快な映像を流し続けている。

マチはそれを眺め、時おり無邪気に笑う。


「まっさん……最初から手が届かない時はどうすればいいんすか」


そんな彼女の横顔を見つめて、金太はぽつりと呟いた。

人間と幽霊、秘めたる想いの非現実さ加減を彼は尚更に痛感した。


しかし本当は2人の間に『その存在の違い』以外の障壁は既に無い。

今は酷く落ち込んだ金太だが、それに気づき開き直る機会は間も無く訪れる事になる──



94: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/10(火) 12:49:03 ID:dphUojj.


……………
………



「──立直!」

「はえーよ、なに切りゃいいんだ」

「すまんな、やけに金太が調子いいからさ。安い手でも和了って流れを寄せねーと」


ずっと避けてきたが、とうとう断れなかった。

独り暮らしの金太の部屋は、常々友人達から『新たな雀荘候補』として目をつけられていたのだ。



95: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/10(火) 12:50:02 ID:dphUojj.


彼らと連れだっての帰り道、金太は「度々は駄目だぞ!」と念を押しはしたがそれだけでは不安だ。

こうなれば『この部屋で打つと、やけに金太が強い』という印象を与えて、足を遠退けてやればいい。

そのための秘策は──


《んーと、三萬と六萬の両面待ち》


──当然、マチだ。


「こんなん解らんし」


諦めたような芝居を打ち、金太は九萬を切る。

そして狙い通り、その筋だけを頼りに下家は六萬を切り餌食となった。


「ロン!」

「かーーー、やってらんねーー!」


マチは金太以外に聞こえない声で《綺麗に引っかかっちゃって》と言い、悪戯に笑った。



96: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/10(火) 12:50:43 ID:dphUojj.


「しっかし、独り暮らしとは思えん綺麗な部屋だなー」


じゃらじゃらと牌を混ぜつつ、友人達は部屋を見回した。


「まあ、物も少ないからね」

「それでも俺ならもっと散らかってると思う」

「これは女の気配よな」

「だったらもっと華やかにしてるって」

「いやいや、実は知ってんだ。彼女候補いるんでしょ?」


友人の一人が、やや下卑た笑顔で金太に問う。

急に嫌な鼓動を覚えた彼は『知ってる訳ない』と言い聞かせ、自分を宥めた。



97: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/10(火) 12:51:34 ID:dphUojj.


もし友人がその情報を持ち得るとしたら──


「まっさんから聞いたんだけど」


──そう、それしかない。

金太はその一言で窮地に陥った。


「で、告白はできたん?」

「……な、なんの事やら解らんな」


何しろその『彼女候補』と呼ばれた女性は、それがまさか自分の事とは考えもせずにニヤニヤと聞き耳をたてているのだ。

しかしその笑みも、友人による次の発言で失われる事になる。



98: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/10(火) 12:52:13 ID:dphUojj.


「マチちゃんだっけ?」

「バッ……!?」

「そうそう、マチって言ってた」

「あー、もう……最悪」

「なに大袈裟な、好きな子がいるくらい全然フツーじゃん」


手で顔を覆い、指の隙間から恐る恐る彼女を窺う金太。

マチはきょとんとした表情、思考停止しているようだ。


「ちょ、ちょっと飲み物でも出すわ! 待ってて!」

「逃げんなよー」



99: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/10(火) 12:53:46 ID:dphUojj.


まさかずっと秘めてきた想いを、こんな形で本人に知られるなど──金太は居た堪れずキッチンへと向かう。


「なんか菓子とか食べ物あるー? 小腹減っちゃった」


そんな金太のよそに、友人は呑気に注文をつけた。

だがこうなっては腹を括るしかない。

本心と裏腹に彼女への恋心を否定したりするのは男らしい事ではないだろう。

深呼吸ひとつ、心を落ち着ける。


「源氏パイとか、食べるー?」

「食う食う、なんでもいいよー」

確か買ったばかりだったはず、金太は台所と部屋との境にあるレンジ台の扉を開けた。



100: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/10(火) 12:54:52 ID:dphUojj.


「あれ?」


その袋が開封されている。

しかも個別包装された中身は、残り僅か2枚ほどしかない。


「……ごめん、ちょっとしか無かった」

「いいよ、少ししたら何か買いに行くべ」


レンジ台は台所の入り口、現在雀荘と化している部屋から最も近い位置にある。

がんばればなんとか『鎖』の届く範囲かもしれない。

勝手に菓子を食べた犯人と思しき者を金太が睨むも、知らないとばかりに彼女は目を逸らした。



101: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/10(火) 12:55:36 ID:dphUojj.


彼女がしたであろう行為は、とても無遠慮なものだ。

そして今の仕草はごく自然なものとして金太の目に映った。

ただの部屋主と居候ではなく、もっと慣れ親しんだ間柄の者達でなければ成立しない関係。

彼は理屈ではなく感覚として『それは既にあるのだ』と理解した。


「……台所のもの勝手に食べるとか、よっぽど親しくないとやらんよな?」

「なに? マチちゃんが食べてたん?」


ふう……と、再度の深呼吸。

そして金太は、友人に宛てたそぶりで言い放った。


「いいわ。もうあいつカノジョ候補じゃなく、カノジョって事にする」

「ひゅーーー♪」


今度はマチが顔を覆い、その場に崩れ落ちる。

金太に見られないよう隠したその顔は、幽霊とは思えない血色の赤に染まっていた。



102: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/10(火) 12:56:29 ID:dphUojj.


人間と幽霊、その存在自体が違うものであろうと2人はこうして同じ部屋で暮らしている。

時と共に慣れ親しみを育んで、こんなにも気の置けない相手になったのだ。

もはや金太の意識に自分と彼女を隔てる障壁は無い。

満足に触れられなくても、共に歳を重ねる事はできなくても、この生活が続くならそれでいい──


「今度、マチちゃん紹介してくれよな」

「……そうだな、びっくりするかもしれないけど」

「おいおい、そんな美人なのかよ」

「まあな、可愛いよ」


──だからどうかずっと続きますように、そう金太は願った。



104: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/10(火) 15:12:49 ID:EtPmgVRI


……………
………



「──なあ、ほんといい加減こいつらにも姿を見せてやってくれよ!勿体つけやがって!」

「もういーよ、ここに女の子がいるんだろ? 信じるって」


大学からの帰り、金太がいつものようにタマの元へ立ち寄ろうとすると、そこでは少々柄の悪く見える男たちが大きな声をあげていた。


「くそ、目も合わせようとしねえ……最初に見つけた時は、喋ってたんだぞ」

「お前、怖くて逃げたって言ってたじゃん」



105: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/10(火) 15:13:32 ID:EtPmgVRI


「でも通る度にいるからよ……改めて見りゃ怖くなさそうだったから、からかってみたんだよ」

「パンツ覗き込もうとしたんだろ? そりゃ口きかなくなるって」


男たちは大学生にしては若干老けている、三十歳前後というところか。

つまり中心になって喚いている男こそが、タマが言う『昔、不用意に姿を見せて失敗した相手』なのだろう──と、金太は察した。


「こっちからは触れねーの?」

「触れたらイロイロと楽しいんだけどな──」



106: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/10(火) 15:14:32 ID:EtPmgVRI


「──あの、ここに誰かいるんですか?」


金太は男に声を掛けた。

その声に顔を上げたタマは、この状況を見られた事への気恥ずかしさからか涙目で視線を泳がせる。


「あ?なんだって?」

「聞こえちゃったんですけど、もしかして幽霊でもいるのかな……って」

「そう! いるんだよ! オメーにも見えないんだろうけど……」


「その幽霊って女の子ですよね?どんな見た目ですか?」

「は? なに馴れ馴れしく訊いてんだ、誰だよお前?」

「もしかして肩くらいの髪の色白な子じゃないです? ここで亡くなったの、僕の親戚で……」


男は『親戚』という単語に急にバツが悪くなったのか、ぼりぼりと頭を掻いた。



107: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/10(火) 15:15:09 ID:EtPmgVRI


「そ、そんな感じだよ! 親戚のアンタからも愛想よくするように言っといてくれや!」

「それはすみません、でもそっかぁ……ここにいるんですね。またお線香あげなきゃ」


金太はさも自分がタマの身内であるよう装い、男に対してぺこりと頭を下げた。


「チッ……邪魔したな」


男はまだぶつぶつと何か呟きつつも、友人と共にその場を去ってゆく。

その姿が見えなくなってから金太はスマホを取り出し、いつものように耳に当てた。


「……もしもし、親戚なんて嘘ついてごめんな」

《ううん、ありがとうございました。あの……》

「だいたい事情は察せたよ、あれが『失敗』でしょ?」



108: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/10(火) 15:15:52 ID:EtPmgVRI


落雷による事故があって間もない頃、さっきの男がここを通りがかり『可哀想に』と銀杏と供えられた花束に向かって手を合わせた。

それは決して悪意によるものではない、普通の行動だっただろう。

ただ幽霊になって日の浅いタマは、それだけで男を『いい人かもしれない』と思ってしまった。


タマは静かな口調で、ぽつりぽつりと過去を語った。

その失敗以降、彼女は幼い子供相手くらいにしか姿を現していないという。

聞きながら金太は『ならばなぜ自分には姿を見せてくれたのか』という疑問を抱かずにいられなかった。



109: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/10(火) 15:16:27 ID:EtPmgVRI


《あら……もうこんな時間です》


近くの駅から届く列車の出発を伝えるアナウンスが、現在時刻を2人に知らせる。


「今日は買い物をしてきたから、もともといつもより遅かったんだ」


金太は手に提げた買い物袋を見せて言った。

とはいえ独り暮らし分の買い物量だ、長く持ち続けたからといって辛いほど重くはない。


《源氏パイ買ってますね、お好きなんですか?》

「ん、友だ……彼女がね」

《ふふ……懐かしい、私の友達が大好きでした》

「ふーん?」



110: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/10(火) 15:17:02 ID:EtPmgVRI


タマやマチが生まれるよりずっと前から、変わらず存在する菓子。

それは思いがけず、先の金太の疑問に対する答えを引き出す鍵となった。


《そうそう……私が金太さんに姿を見せたのは、その友達に関係してるんですよ》

「タマの友達に?」

《私が姿を見せた少し前、金太さんが偶然その子と同じ名前を口にしてるのを聞いたの》

「え、いつだろう?」

《男性のご友人と一緒で、確かかなり遅い時間でした》


偶然の一致とはいえ懐かしい名を聞いた彼女は、次に金太を見かけた時なんとなく姿を現してしまったのだという。



111: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/10(火) 15:17:37 ID:EtPmgVRI


《本当に、たった一人の親友で──》


そして金太は、耳を疑う事になる。


《──決して取り返しのつかない事をしてしまった相手》


銀杏の木に雷が落ちた頃、タマの親友だった女性。


《私はその子の事を──》


彼女は源氏パイが好物だった。


《──マチと呼んでました》



112: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/10(火) 15:19:03 ID:EtPmgVRI


駅を出た電車が近づく。

金太はそのノイズに紛れそうに小さな声で、無意識に呟いていた。


「児玉千秋……」

《えっ!?》


驚きに染まるタマの表情。

しかしその直後、彼女から返された言葉は金太が予想するいずれのものとも違った。


冷蔵庫の裏で見つけたハガキの宛名、あの部屋の主だった者の名前。

それは──


《──児玉千秋は、私の名です》



113: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/10(火) 15:19:39 ID:EtPmgVRI


……………
………



タマの元から自宅まで、金太はいつもよりゆっくりと歩く。


あの後、彼は一時間以上もタマの元にいた。

日暮れ時とはいえ、暑い時期だ。

一箇所に立ち止まっての長時間通話など、周りの者は不自然に思った事だろう。

しかしその時の彼は周囲の視線など気にもならなかった。


タマが語った内容は、そう簡単に気持ちの整理がつくほど単純な話ではない。

金太は自宅の僅か手前の公園で足を止め、ベンチに腰掛けた。


買い物袋からペットボトルのコーラを取り出し開栓する。

ぬるいそれなど美味いはずはない。

ただ、やけに渇く喉を潤したかったのだろう。



114: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/10(火) 15:20:15 ID:EtPmgVRI


児玉千秋はタマの名だった。

過去にあの部屋に住んでいたのはマチではなかったのだ。

二人は親友であり、マチは度々その部屋に泊まっていたという。


そして当時、タマには少し年上の恋人がいた。

彼女は恋人の影響で気に入ったゲームを、マチにもプレイさせていたという事だ。


しかしある時、タマの恋人は自損事故で亡くなってしまう。

社会人の彼は社有車での出張の帰り、居眠りをしてしまったのだとタマは言った。

そしてそれは自分のせいなのだ、と。

マチは悲しむタマの元へすぐに駆けつけ、懸命に慰めた。

だがその傷はすぐに癒えるものではない。



115: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/10(火) 15:20:50 ID:EtPmgVRI


自分が彼の帰りを急かしさえしなければ──タマはそれを悔い、嘆いた。

やがてタマは彼の後を追う事さえ望むようになる。

マチは彼女がそれを口にする度に叱り、また励ました。

そして半月ほどが経ち、タマが少し落ち着きを取り戻したように『装っていた』頃、ある雨の日の事だった──


『──タマ、なにこれ?』

『あはは……見つかっちゃった』

『なに笑ってんの?だいぶ元気になったと思ってたのに、なによこの封筒……遺書ってどういう……』

『元気に見えたでしょ? だってそうしないとマチが帰ってくれない』

『タマ……!』

『ごめん、マチ。私、やっぱりダメみたい──』



116: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/10(火) 15:21:38 ID:EtPmgVRI


マチは烈火の如く怒り、タマの頬を打ったという。

そしてタマの遺書を床に投げつけ、ぼろぼろと泣きながら玄関へ向かった。


『マチ……外、雨だよ』

『……泣いてるのがバレなくていい』

『どこに──』

『──勝手にあの世に逝こうとしてる人に、なんで言わなきゃいけないの?』


その後、タマは独りになった部屋で膝を抱えて泣き続けた。

窓を叩く雨の音はマチが出ていって少しした頃、一層激しくなった。

やがてタマは『親友に嫌われたまま死ねない』という想いに辿り着く。

マチはどこかで雨宿りしているだろうか──彼女がそう考えた時、閃光とほぼ同時に落雷の轟音が響いた。



117: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/10(火) 15:22:22 ID:EtPmgVRI


「──ただいま」


公園でまた一時間ほども過ごした後、金太はアパートに戻った。


《おかえり、遅かったね》

「ん、買い物してた」

《それにしても普段より遅くない?》


マチはニヤニヤと笑いつつ《あんな口説き文句を言っときながら早速浮気ですか?》と、金太をからかう。

未だ気持ちの整理がつかない金太は、食欲が無く夕飯も遅々として進まなかった。

向かいに座りTVを眺めるマチの横顔を見ては、さっき聞いた話を頭に巡らせる。


彼女の本名は『桜木真知』。

児玉千秋の親友であり、銀杏の下で雷に撃たれ意識不明のまま数日後に亡くなった女性。



118: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/10(火) 15:23:23 ID:EtPmgVRI


マチが息を引きとる前日、タマはこの部屋の天井から垂らしたロープを前に神に祈った。


『私の命を捧げます、どうかマチを救って下さい』


恋人を死なせてしまった事、そして更に親友まで失うかもしれない事。

そのどちらも自分のせいだと考えた彼女には、もはや生きる気力は残っていなかった。


そして二人は、別々の場所で幽霊となった。

タマは『マチをすぐに追いかけていたなら』という後悔の下、あの銀杏の傍に。

マチは『部屋を飛び出したせいで、タマに更なる罪の意識を負わせてしまった』という想い故に、この部屋に縛られたのだろう。



119: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/10(火) 15:23:58 ID:EtPmgVRI


金太が食事を終えたのは、夜9時が過ぎる頃だった。

夏休み前のテスト期間に当たる今、彼は翌日の科目によって早寝するか勉強をするかのどちらかである事が多い。

しかし、今夜はその限りでは無かった。


「よし、ゲームやろっかな」

《そうなの?明日はよっぽど自信あり?》

「テストだからこそ、気がかりを残しててもね」

《なにそれ》

「FF、終盤で止めてるだろ? 気になっちゃって」

《え、最後までやる気? そんなに残り少しなのかな》

「解らない……でも、見せときたい」


金太は言いながら、タマと別れ際に交わした会話を思い返していた。



120: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/10(火) 15:24:44 ID:EtPmgVRI


『──マチに伝えたい事、マチが伝えたい事、僕が伝言するよ』

《ありがとう……でも、ダメです》

《地縛霊がこの世に存在できるのは、想い遺す事があるから……そしてその対象がこの世にいるから》

《きっとその『伝えたい言葉』こそ、私達が想い遺した事だと思うんです──》


それを叶えてしまえば、マチはこの世から消えてしまうかもしれない。

タマはそう危惧し、そうなる事を望んではいないであろう金太に忠告した。


「何時になってでも、クリアしてやるからな」

《無理しちゃダメだよ? 明日もあるんだから》


きっと今日も、マチはストーリーに対してもバトルの展開にも大袈裟に感情を表す事だろう。

金太はマチの少し後ろに座り直した。

彼女の全てを目と耳に、心に焼きつけるつもりで。



123: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/10(火) 19:03:56 ID:qMX.mb5A


……………
………



「うおぉ……強えーなコイツ」

《全体攻撃ばっかとかズルい!》


終盤となれば、中ボスさえ手強い。

あまりにレベルを上げ過ぎてバトルが味気なくなる事を嫌う金太のプレイスタイルなら尚更だ。


《エリクサー使っちゃう?》

「ここまできたら使っちゃう」

《いっちゃえーっ!》



124: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/10(火) 19:04:48 ID:qMX.mb5A


《そこだ!バハムート!》

「まだOD溜まってねー!」


とうに日付は変わった、深夜独特なテンションの二人。


「マチ、源氏パイ買ってあるから食べていいよ」

《う、でも》

「大丈夫だよ『ぽとっ』する時は目を逸らしてるから」

《やめて、言われると余計恥ずかしい!》



125: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/10(火) 19:07:21 ID:qMX.mb5A


ゲームのシナリオは想像より長く残っていた。

ラストバトル前と思われるシーンを迎えたのは、既に午前3時を回る頃の事。


「いよいよ最後っぽいぞ」

《ドキドキしてます》


偶然にもそのシナリオは最後の戦闘を終えた後、主要なキャラの一人が消滅する事を匂わせるものだった。


マチとタマが遺し、この世に縛られる原因となった想い。

互いに『伝えるべき言葉』を交わす事が叶った時、タマの言う通りであれば彼女らは消滅してしまうのだろう。


逆に言えば、それが果たされなければ金太はこれからも同じ部屋に住まう限り、ずっとマチと共に過ごす事ができる。

ただしそれはこの世に想いを遺し、不自由にも別々の場所に縛られてしまった2人の悲しき地縛霊を『そのままに繋ぎ止めて』の事。

成仏する事のできなかった彼女らを、成仏させない行為なのだ。



126: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/10(火) 19:08:10 ID:qMX.mb5A


ラストバトルを終え、シナリオはエンディングを迎える。

物語の中心となったキャラが一人消滅し、大団円でありながら哀愁を帯びたシーンが続く。

いなくなった人達のこと、時々でいいから思い出して下さい──ヒロインの台詞に、金太は『時々どころじゃないだろうな』と呟いた。


《悲しい話だけど、良かったね……》

「うん、面白かった」


画面に浮かぶ『THE END』の文字、マチに見せておくべき物語は遂に終わった。


《もうこんな時間だよ。チン太、少しでも寝なきゃ》


彼女が気遣うも、金太は答えない。

彼はその時、もうひとつの終わりに対する覚悟を決めていた。



127: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/10(火) 19:10:08 ID:qMX.mb5A


「マチ、聞いてくれる?」

《ん? なに、改まって》

「僕はこうしてマチと過ごすのは、すごく……すごく楽しいんだ」

《……照れますな》

「できる事ならずっと、このままがいいと思ってる」


《チン太……もしかして、引っ越す?》

「いや、違う」

《じゃあ、なんでそんな言い方をするの?》


「……マチが地縛霊でいるのは、やっぱり『想い遺した事』があるからだよな?」

《それは……うん》

「だからマチは、その想いを果たすために存在してるんだと思う」


彼女もこの生活を楽しんでくれている──その位の自負は、金太にもある。

だがそれは比較すべき話ではない。



128: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/10(火) 19:13:44 ID:qMX.mb5A


《私は……ね?》

「うん」

《確かに想い遺した事があって、それはすごく大切なもので……その想いを果たすために存在してるってのは、間違いじゃないよ》


寂しげに目を伏せ、マチは語る。

しかしそれから彼女は、表情を明るく変えて《でもね》と続けた。


《ダメだな……隠し切れないや。私、幸せなの》

「マチ……」

《それまでが孤独で寂しかったから……っていうのもあるけど、チン太が来てくれてからの日々はすごく楽しい》

「……照れますな」


《できるだけそれを認めないようにしてたけど、私もこんな日にずっと続いて欲しい》

「認めないようにしてた?」

《うん……無理だったけどね》



129: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/10(火) 19:17:05 ID:qMX.mb5A


努めて軽い調子で話すマチは、笑顔を崩さない。

しかしその顔は、金太の目に泣き顔よりも悲しく映った。


《あのね、軽蔑されるかもしれないんだけど──》


そしてマチは一拍の間を置き、自らの過去の傷に触れた。


《──私は大切な友達を傷つけて、死に追いやってしまったの》


その出来事を語る事は、マチにとってまさに傷口を抉るにも等しいだろう。

しかし痛みを伴う彼女の言葉は、金太の一言によって遮られた。


「児玉……千秋さんだよね」

《……っ!!》



130: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/10(火) 19:18:24 ID:qMX.mb5A


「ここから先は言葉を選びながら伝えなきゃいけない。マチ、僕は……タマを知ってる」

《なんで……どうして?》


マチもタマも、互いに伝え損ねた言葉という想い遺しによって存在している。

そしてタマのそれを、全てではなくとも金太は知っている。

その内容をマチに伝えてしまえば、もしかしたらタマが今この時に消えてしまうかもしれない。

彼は言葉ひとつひとつを脳内で確かめつつ、ゆっくりと語った。


「これは言ってもいいと思う……タマは、マチと同じように地縛霊になって存在してる」

《……うん、なんとなくそう思ってた》


『想い遺す相手がこの世にいるから幽霊として存在できる』という、死者のルール。

タマと同じように、マチも不確かながらも感覚としてそれを理解していた。



131: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/10(火) 19:22:15 ID:qMX.mb5A


《タマは……どこにいるの?》


その問いに答える事に問題はないか、金太は慎重に考えを巡らせる。


「あの銀杏の下だよ」


そして彼は一度頷き、ある提案を口にした。

恐らくは『マチが消える』という、彼自身が望まぬ結末を招くであろう提案を。


「マチ、手紙を書こう。タマに宛てて、伝えたかった言葉を詰め込んだ手紙を」

《……それを書いたら、チン太がタマに届けてくれるの?》

「そうだよ、そんな方法じゃ想いは果たせないかな?」

《ううん、たぶん……でも……》


恐らくそれで想いは果たせる、そう思うからこそマチは躊躇った。

手紙を書いた後、自分がどうなるか想像がつくからだ。



132: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/10(火) 19:23:22 ID:qMX.mb5A


《……チン太といるのは楽しい、ずっとこうしてたい》

「うん」

《幽霊が自分の想い遺しを果たす事に躊躇っちゃうくらいだもん、すごく……すごく幸せなんだよ》


しかし躊躇った結果それを諦めれば、タマまでこの世に縛られたままという事になる。

マチもまた、それを解っていた。


《私がどうして死んだか、それもチン太は知ってるんだよね?》

「うん……知ったばかりだけど」


マチは切なげに微笑み、十年前からの話を掻い摘んで語り始めた。



133: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/10(火) 19:24:50 ID:qMX.mb5A


《……記憶は無いけど、雷に撃たれてから私は数日間生きてたみたい》

《意識を失って、次に見たのはこの部屋の光景だった》

《警察の人がいて、大家さんがいて……すぐに何が起こったかは解ったんだ》

《間に合わなかった……って、すごく悲しかったよ》


《自分が幽霊になった事も、いつの間にか理解してた。でもその時は人に姿を見せる事はできなかった》

《まだ幽霊としての存在があやふやだったんだと思う》

《物に触れたり、たぶん姿を見せられるようになったのも自分の四十九日の頃からだった》


《でも、それから一年以上もここは空き部屋のままだったよ》

《やっと入居したのは女の人で、私は最初の夜に姿を見せたの》

《……何も言えない内に部屋を飛び出して、戻らなかった》



134: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/10(火) 19:25:45 ID:qMX.mb5A


《それから3年くらいの間に二度……かな、同じような事があった》

《その後はチン太が来るまで空き部屋だった。毎日ずっとタマの事を考えて過ごしてたよ》


彼女はそこで語るのを止める。

何を考えていたかまで触れてしまえば、想い遺しの内容を伝えた事になりかねないと思ったからだ。


《でもね──》


マチが両手で金太の手を握る。

感触はあるのに体温や重さは無い、不思議な感覚だと彼は思った。



135: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/10(火) 19:27:07 ID:qMX.mb5A


《──チン太と話してる時、ゲームを見てる時……私はタマの事を考えなかったと思う》

《薄情だよね……だからチン太がいない間や寝た後、タマの事を想うようにしてた》

《幸せだと思っちゃいけない、タマを死に追いやった私が楽しく過ごすなんて許されない》

《ごめんなさい……って、タマに謝るつもりで》


繋いだ手を離す、それは僅かに震えていた。

マチは一度俯いた後、また顔を上げ金太の目を見て告げる。


《だから……行かなきゃ》

「……うん」

《手紙、書きます──》



136: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/10(火) 19:30:14 ID:qMX.mb5A


金太が便箋とボールペンをマチの前に置くと、彼女はひと呼吸してそれを手に取り書き始めた。

物体を持っていられる時間は長くはない。

あまり飾り気のある文章を考える時間は無いかもしれない。

1枚目はすぐに書き損じたのか、そこで便箋をちぎり内折りにして机の端によけた。


ペンを走らせる白い指、言葉を確かめようと揺れる唇。

それら全てを決して忘れない──金太はそう誓い、ただ見守っていた。


2枚目は上手く進んだらしく、便箋の行も半ばを過ぎる。


「あ……」


その時、異変に気づいた金太は思わず声を発した。



137: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/10(火) 19:32:49 ID:qMX.mb5A


いつの間にかマチの周りに漂い始めた、大小の金色がかった光の玉。

僅かに彼女の姿は透き通り、その腕越しに机の縁のラインが見えるようになっている。


《……まだ、もう少し待って》


文章がタマに伝えるべき言葉、その核心に触れたという事だろう。

次第に光の玉は数を増し、彼女の肌は少しずつ更に透明度を強くしていった。


「がんばれ、マチ」

《書き終えてから、チン太と話したいのに》

「いいから、集中して」

《よくないよぅ……》


マチの目から涙が零れ、便箋に落ちる。

しかしその雫は紙を濡らす事もせず、幻のように消えた。



138: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/10(火) 19:35:03 ID:qMX.mb5A


《書け……た……》


ペンを置く時、既にマチの指はほとんど色を失っていた。


「お疲れ様、必ず届けるから」

《……お願いします》


無数の光の粒が彼女を包み込んでいる、残された時間は僅かだろう。


「言いたい事なら、沢山あるんだけどな……」

《私も……でも纏まらないや》

「会えて良かったよ」

《うん》

「忘れないからな」

《……うん》



139: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/10(火) 19:36:31 ID:qMX.mb5A


「それと……ええと──」

《──手紙を書く事、勧めてくれてありがとう》

「うん、どういたしまして」

《でも……チン太が『やめろ』って言ってたら、私たぶん書くのやめたよ?》

「そんなの、言えないよ」


《それと……うん、タマによろしく》

「自分がすぐに会うだろ」

《……そっか》


マチの姿は既に輪郭しか判らないほど薄れ、そこにもノイズのような揺らぎが現れ始めている。

金太は最期に自らの想いを伝えるべきか迷った。


《そろそろみたい……》

「マチ、僕は──」



140: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/10(火) 19:39:28 ID:qMX.mb5A


だが今まさに成仏しようとしている幽霊に恋心を伝えるなど、新たな足枷になりかねない。


「──楽しかったよ、ありがとう」


彼女の唇が《それだけ?》と動いた事に、金太は気づかないふりをした。


《チン太、元気でね》

「マチ……!」


マチの姿が掠れる。


《さよ……なら──》


最後に伸ばした金太の手は、光の粒ひとつ掴む事もできなかった。



141: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/10(火) 19:42:21 ID:qMX.mb5A


部屋を静寂が支配する。

金太が力無く腕を下ろす。

下唇を噛み、熱いものがこみ上げる目尻を親指で拭う。

マチとの生活は今、終わった。


「……まだだ」


だが彼女のためにすべき事は、まだ終わっていない。

テーブルの上には書き上げられたばかりの手紙がある。

彼はそれを掴み、立ち上がった──



142: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/10(火) 19:44:03 ID:qMX.mb5A


……………
………



「──タマ!」


急に名を呼ばれ、彼女はひどく驚いた。

無理もない、人影も無い明け方だからこそ大きな声はよく響いてしまう。


《金太さん!? 通話のふりをしないと!》

「はぁ……はぁっ……よかった、いた……」

《……なにを? 私はいつもここにいますよ》

「タマ……これ、読んでくれ」


金太は手に持つ手紙を、押しつけるようにタマに渡した。



143: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/10(火) 19:45:42 ID:qMX.mb5A


《読む……手紙?》


息を切らせるほど急いだ様子の金太、さっき彼がタマに対し使った『いた』という表現。

そして、封筒に収められてさえいない手紙。

彼女がその意味を察するには、数秒も要さなかった。


《なんで……ダメって言ったのに! マチは、どうなったんですか!?》

「……先に逝った、タマを待ってる」

《そんなの……金太さん、マチの事好きだったんでしょう!? なのに、どうして──》

「好きだったからだよ」

《──解んないです! ああ……もうっ!》


「……マチは自分で『幸せになっちゃいけない』って、抱え込んでた」

《え……?》

「それを聞いたのは、手紙を書く事を勧めた後だけどね──」



144: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/10(火) 19:51:05 ID:qMX.mb5A


金太はまた言葉を慎重に選びながら説明する。

タマが手紙から知らされるべき情報は、自分の口からは語らないよう努めた。


「──それを聞けば尚更、アイツが好きだからこそ……書くのを止める気にはなれなかったよ」

《でも……》

「すまない、とにかく手紙を……早く!」


タマが想い遺した言葉を伝えるべき相手であるマチは既に消えている。

急がなければ、じきにタマも消滅してしまうかもしれない。


《マチからの……手紙……》


タマは恐るおそるそれを開いてゆく。

彼女が伝えたいと願う言葉は、もう聞かせる相手を失ったのだ。

自発的な手段の無くなったタマが成仏できるかどうかは、手紙に書かれた内容によるだろう。

『想い遺した事』は言わずともマチに伝わっていた──そう安堵し、納得できるものでなければならない。



145: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/10(火) 19:52:35 ID:qMX.mb5A


『──親愛なるタマ へ


何から書けばいいか、すごく迷ってしまいます。

あんなに毎日たくさんタマの事を考えたのに、それを文章としてまとめた事は無かったからでしょう──』


胸の前で大事そうに手紙を持つタマは、その独特な丸っこい文字に懐かしさを感じた。


《マチの……字だ……》


『──まずはやっぱりあの日、私が怒って部屋を出て行った事を謝らなきゃいけないね。

そのせいで雷に撃たれて、タマに余計な罪の意識を着せてしまった。

きっと貴女が自ら命を絶つ、最後の一押しをしてしまったのは私なんだと思う。

謝って済む事じゃないけど、本当にごめんなさい──』



146: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/10(火) 19:53:44 ID:qMX.mb5A


《違うよ……マチ、悪いのは私なの》


今のところタマの姿が薄らぐ様子は無い。

マチが消えた以上、何もしなくとも彼女は自然と消滅してゆくのだろう。

しかしできるなら想いを果たし、同じように成仏できる事が望ましいに違いない。

金太は何も言わず、ただ彼女を見守った。


《……あぁ、やっぱり》


そして、手紙の内容も後半に差し掛かった頃だった。

タマの周りにぽつりぽつりと、あの光の玉が浮かび始めたのだ。


『──きっと私が想い遺したのは、呆れるくらい身勝手な望みだった。

タマに「そう思って欲しい」という、ただの我儘みたいな──』



147: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/10(火) 19:55:14 ID:qMX.mb5A


《そうだよね、マチ……ごめんなさい……》


タマは、ずっと悔やんでいた。


『──私はタマに生きて欲しかった』


なぜ嘆く事しかしなかったのか、そして。


『タマに「マチがいるから死なない」って言って欲しかった──』


なぜ、親友がいれば生きられる……と、思えなかったのか。

タマの目から涙が溢れる。

光は急速に眩さを増し、代わりに彼女の姿は透明に近づいてゆく。


《やっぱり同じだった……それなのに……私は》


マチは絶望する親友に対しそう願い続け、タマは絶望の果てに気づくも互いに伝えられなかった。

それが二人の心遺りだったのだ。



148: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/10(火) 19:56:32 ID:qMX.mb5A


「……よかったよ」

《まだです、手紙……まだ少しだけ続いてる》


タマは手の甲でごしごしと涙を拭い、文章の続きを目で辿った。


《なあんだ……私の事じゃないや》

「え?」

《そのまま読み上げますね──追伸、チン太と浮気してたらあの世で怒るからね……だそうです》


「毎日立ち寄って話してたのは、浮気に当たるかな?」

《あはは……どうでしょう?》

「下心が全く無かったかと言われると、自信ないな」



149: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/10(火) 19:57:44 ID:qMX.mb5A


マチの時と同じように、その姿は見る間に薄くなっていった。

光に包まれ輪郭にノイズが混じり始める。


「彼氏さんと、マチとも再会できるよ」

《そうですね……でも──》


タマの声はもう掠れてしまっている、それでも2人は最後に幾つかの言葉を交わした。

やがえそれさえも途切れると、金太は手を振り消えゆく彼女を見送った。



150: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/10(火) 19:58:39 ID:qMX.mb5A


明るさを増す、東の空。

大きな銀杏の木が、更に長く延べた影を道に落とす。


「……マチ」


他に覚えている者のいない彼女との生活は、終わってみれば幻と変わらない──金太はそう思った。

だが彼だけは決して忘れない。

ゲーム好きな女幽霊と過ごした、ある夏の出来事を。



151: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/10(火) 19:59:42 ID:qMX.mb5A


……………
………



「──ただいま」


早朝のアパートに戻った金太は、敢えていつも通りそれを言った。

当然、誰の返答も無い。


いつもマチと向かいあって座ったテーブルの前に腰を下ろし、空調のリモコンを押す。

少しして風が送られ始めた時、金太は『こんなに音が大きかったのか』と気づいた。


大学へ行く準備をするには、まだ二時間ほども間がある。


「そっか……もうこの部屋で着替えればいいんだな」


いつも着替えはマチの目を避け、台所との境の戸を締めた向こうでするようにしていた。


「……たぶん、マチが姿を見せる前は何度もストリップして見せたんだろうけどさ」



152: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/10(火) 20:01:05 ID:qMX.mb5A


声にする必要の無い事を、金太はわざと口に出して言った。

返事をする者はいないと自分に言い聞かせるためだ。


「想像以上にキツいな……」


マチがいなくなれば悲しくない筈が無い、それを解った上での行動だった筈だ。

長く迷いたくないから、少し強引に手紙を書く事を勧めた。


彼女らは幽霊、成仏すべき存在だ。

事情を知りながらそれをこの世に繋ぎ止める事は、自分の我儘に過ぎない。

だからそうするのが正しい、正しかったのだ──何度も頭の中で念じ、思い込もうとする。

ただ本当に独りになってみると、その寂しさは彼が覚悟した以上のものだった。



153: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/10(火) 20:03:22 ID:qMX.mb5A


《──チン太》


ふと、名を呼ばれた気がして金太は目を覚ました。

どれだけ悲しくても徹夜明けだ、いつの間にか彼はテーブルに伏せ眠っていたらしい。


意識を手放していたのは僅か数分ほど、それでも寝起きの視界は霞んでいる。

彼は一瞬、その端に舞う光を見たように思った。


薄暗い部屋にカーテンの隙間から朝日が差し込んでいる。

埃が光に照らされただけか──そう思いつつも、金太は立ち上がり遮光カーテンを全閉した。


「マチ……?」


目を凝らすと、テーブルにほんの小さな光の粒が浮いている。



154: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/10(火) 20:05:16 ID:qMX.mb5A


それが舞うのは、マチが書き損じたと思われる一枚目の紙の上。

金太は内折りにされたそれを手に取り、開いてみた。



『チン太、ありがとう。大好きだったよ』



彼の心臓が強く脈を打った。

マチは限りある時間の中で、その短いメッセージを遺していたのだ。

なんの装飾も無く、だからこそ最も本心を表す言葉を。


「僕は……言わなかったのに──」


友人が部屋に集った時、マチに真実を打ち明けた時、いずれも好意を匂わせこそしてもその表現は間接的だった。

これじゃ、今度は自分が想い遺してしまう──彼は唇を強く噛む。

テーブルの上に舞っていた光の粒は、既にその姿を消していた。



155: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/10(火) 20:06:51 ID:qMX.mb5A


金太は消えゆくタマとの最後の会話を思い返した。


『──彼氏さんと、マチとも再会できるよ』

《そうですね……でもマチとゆっくりは話しません》

『どうして?』

《ふふ……追い返したいから、です──》


そしてタマは『きっとマチはまだこの世にいます』と言い残し、消滅した。

金太はタマの言葉に期待は抱かなかった。

何せマチは自分の眼前で消えたのだ。


「マチ……まだ、いるのか?」


だが、姿は見えなくともそこにいるのなら。


『ぐずってたら女なんてすぐに手の届かないとこへ逃げちまうぞ』


たとえ元から手が届かなくても、言葉だけなら──



156: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/10(火) 20:08:49 ID:qMX.mb5A


「──僕だって、マチが好きだったよ」


伝わるかどうか確証は無い。

ただ遅すぎるとしても自分はそれを言葉にする必要がある──金太はその想いに従った。


「楽しそうにゲームを見てるマチが……TVを視て笑う姿が! 音楽を聴いて自然と身体を横に揺らしてる仕草も、全部好きだったよ!」


「料理してたら見にも来られない癖に口出してきたり、洗濯物の畳み方に文句つけたり!」

「まだ洗面所にも向かってないってのに、人の寝癖を笑ったり!」

「そんなのも、後から思えばすごく愛おしいよ!大好きだったんだ!」


どれもその時には『五月蝿い』と文句を言った事だった。


「もっと色んなゲームを見せたかった! 映画だって借りてきて、一緒に観たかったよ!」

「FF10には続編があるんだ! あのキャラがどうなるか、本当はそれも一緒にやるつもりだった!」

「夏休みにはバイトして、PS4でも買って! 今時のゲームを見せて驚かせようと思ってた!」



157: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/10(火) 20:10:20 ID:qMX.mb5A


「源氏パイくらいいくらでも食べさせてあげたかったよ! ホームパイでも、うなぎパイでも!」

「せっかく物が食べられると判ったんだ!僕の料理も毒……味見して欲しかった!」

「大学からの帰りがけにある揚げ物屋さんのコロッケはすごく美味しいんだ! マチだって昔は食べたんじゃないか!? また食べたかったろ!?」


「それから、もしもだけど……マチがどこにでも行けるようになったら!」

「温泉とか! 海の見える宿とか! 旅行にだって連れていきたかったし!」

「もっと小さな……僕の実家近くの風景だって、一緒に散歩して教えたかった!」

「海やプールでマチの水着姿、見たかったんだ!」


「もういい、もしものついでだ! 僕はいつか船で世界旅行してみたいと思ってる!」

「エアーズロックに登って、グレートバリアリーフで潜って、360度に広がる水平線を見渡して!」

「そんな旅で、隣にマチがいてくれたら……って! すっごい妄想だけど、考えた事もあったよ!」



158: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/10(火) 20:12:30 ID:qMX.mb5A


「……こっ恥ずかしいけど、妙な心配だってしたよ」

「ずっと一緒に生きられたら、マチはそのままで僕だけ歳をとってしまうのかな……って」

「前に読んだSF創作でロボットの少女と人間の少年が一緒に生きてく話があった! そんな風なら、それも素敵だなって考えたりしたんだ!」


とにかく金太は、考えつく限りマチへの想いの丈を捲し立てた。

だが用意していたわけでもない愛の言葉は、やがて底をつきはじめる。


「それから……くそ、それから──」


彼女への想いは、こんな一時で語り尽くせるはずがないほどにあるのだ。

なのにそれを表す言葉が余りに足りない。



159: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/10(火) 20:15:13 ID:qMX.mb5A


「──まだ……もっとあるんだ」


金太は拳を握り締め、下を向いた。

堅く瞼を閉じ、悔しさに顔を顰めながら更なる言葉を探す。

しかし上手く見つからない。


やがて彼は諦め、ゆっくりと目を開けた。

そして、その視界に映った自らの脚に違和感を覚える──


「──ん?」


『まさか自分は死んだのか?』彼は一瞬、そう考えざるを得なかった。

自らの右脚に見覚えのある鉄の枷が、そこから延びる鎖があったからだ。

気づかない内に死んで、告白できなかった事を想い遺しとする地縛霊になってしまったのか。

だとしたらこの鎖はどこかに繋がっている──金太はその先を目で追った。



160: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/10(火) 20:17:02 ID:qMX.mb5A


延びた鎖は左脚に繋がっていた、ただしそれは──


《充分だよ》


──彼の左脚ではない。


《それ以上なんて、照れ臭くて改めて死んじゃう》


光の玉が漂う中、彼女はふわりと舞い降りる。

肌は透き通り、しかし周囲の光が少なくなるにつれ次第に透明度を失ってゆく。


「おい……嘘だろ」

《本当、嘘みたいだよね。でも……ただいま》



161: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/10(火) 20:18:50 ID:qMX.mb5A


微笑むマチ、金太は考えるよりも先に彼女を抱き締めた。

感触はあるのに体温は判らない、不思議な感覚を彼の腕が捉える。

数秒も遅れて彼はその事を不思議に思った。


「……あれ?なんで触れてるんだ? 髪も……肩も、控えめなおっぱいも触れる」

《こらっ》


不躾に身体を触る金太の手を払い、マチは《そうじゃなきゃ鎖が意味ないでしょ》と答えた。

周囲の光は既に消え、足の先を除けばマチに透明な部分は無い。

以前と同じ、はっきりとした姿で金太の目に捉えられている。


《……さっきタマに会ってきた。真っ白な世界で、気づくと向かいあってたの》

《すぐに『全部、伝えあえたんだな』って解ったよ。でもね──》



162: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/10(火) 20:20:44 ID:qMX.mb5A


彼女らの想い遺しは、噛み砕けば『仲直りする事』だったと言えるだろう。

特に怒って部屋を飛び出したマチは、その意味が強い。

だがその真っ白な世界で、タマは歩み寄ろうとするマチに向かって言い放った。


『──自分の恋より友情を優先するなんて、見損なったわ』

『え?』

『そんなの許さない、絶交よ』


しかし言葉とは裏腹に、タマの表情は柔らかなものだった。


『何十年か、金太さんの傍で反省してから来るといいよ──』



163: ◆Q1SD16jKxc :2017/10/10(火) 20:22:42 ID:qMX.mb5A


《──私、仲直りできなかったんだ。だから想いが果たしきれなかったの》


少し形を変えた想い遺し、それを叶える為には『ある条件』が課せられている。


《チン太と一緒にいたい……って、それを果たさなきゃタマは許してくれないみたい》


実際にはタマが許さなかった事よりも、金太の告白によってマチに『新たな想い遺し』ができた事が彼女が完全な形で復活した理由かもしれない。

悪く言えば『消えようとする地縛霊の未練を増やした』のだ。


《まさか鎖で本人と縛られるとは、びっくりだよ》

「……責任とるよ」


きっと不便も多いだろう、それは仕方ない──金太は覚悟を決めた。


「でもこれなら、世界旅行だって行けるだろ」

《ふふ……楽しみにしてるね》


彼が一人の女幽霊と文字通り結ばれた、ある夏の話だ。





【おわり】


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テーマ:ショート・ストーリー - ジャンル:小説・文学

  1. 2017/10/16(月) 18:48:15|
  2. 男女SS
  3. | コメント:3

心の花が咲くところ(原題/男「俺は壁と話してるらしいな」少女「………」)



1 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/15(土) 18:22:34 ID:PeHUh3io


………



男「……あと、どの位ですか」

白衣「もうすぐだよ」

男「随分、山奥なんですね」

白衣「………」


男「前いた施設より、環境が良くなるって聞いてるんですけど」

白衣「…自然豊かで、いい所じゃないか」

男「どうせ部屋から出られる訳じゃないんでしょう」

白衣「外の空気を吸う位はできるさ、それに自然というのは眺めるだけでも癒しのあるものだよ」

男「そんなの、人によりますよ」


白衣「…着いたね。少し揺れる、気をつけたまえ」



2 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/15(土) 18:23:19 ID:PeHUh3io


………



男(随分厳重な事だな…。何人も入りそうな大きな守衛室、高い壁…)


白衣「待たせてすまない、入ろうか」

男「入りたいわけじゃないんですけどね」

白衣「……悪いが」

男「解ってますよ、決まった事…なんでしょう」


白衣「君のためだよ」

男「それで結構です」



3 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/15(土) 18:23:52 ID:PeHUh3io


白衣「あれが、君の入る棟だ」


男「……冗談でしょう?」

白衣「意外かもしれないが、本当の事だよ」


男(嘘だろ……あんな厳重な壁に囲まれた中に)

男(造りは新しい、小綺麗ではあるけど)

男(外から見るに、よくある平屋のLDK……賃貸住宅じゃないか)


白衣「少なくとも狭い独房のようだった前の施設よりはマシじゃないかね?」

男「……狭くとも、どうせ一人だったから関係ありませんでしたけど」



4 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/15(土) 18:24:46 ID:PeHUh3io


白衣「今度の施設にはモニターやTVゲーム機、簡素だが音響設備などもある。前ほど退屈じゃないはずだ」

男「テレビ…じゃなく、モニターですか」

白衣「まあ、そういう事だね」

男(映画ソフトなんかは貸し出されるかもしれないが、外界の情報は得られない…か)


男「このたった一軒の平屋のために、あんな厳重な外壁や見張り小屋を?」

白衣「ここからは見えないが、同じように壁に仕切られた施設は碁盤の目状に幾つもあるよ」

男「でも壁に相互に行き来できるドアはありませんね」

白衣「すまないが、それは禁ずる事になる」


男(……結局、また一人か)



5 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/15(土) 18:25:29 ID:PeHUh3io


…ガチャッ


白衣「入ってくれ」

男(玄関の土間、廊下…おそらく奥の引き戸は脱衣所と風呂場。本当に普通の住宅じゃないか)


白衣「このドアの向こうがリビングだ。ただ、そこへ入る前に幾つか言っておく事がある」

男「…どうぞ」

白衣「まず、申し訳ないがこの建物はトイレと風呂場を除き、あらゆる角度からモニターで監視されている」

男「プライバシーもへったくれも無いですね」


白衣「更にその例外のトイレと風呂場も、サーモグラフィでは監視されているのでそのつもりで」

男「裸だけは見られないようになってる…と」

白衣「そうだ。更に君達が室内にいる時は、玄関の前に係員を配置している。室外に出る際には守衛室まで引っ込む事も可能だがね」


男「君『達』…?」



6 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/15(土) 18:26:31 ID:PeHUh3io


白衣「…このリビングの中にはこれから生活を共にしてもらうパートナーがいる。まずは会う前に以上の事を知っておいて欲しかった」

男「パートナーって、そんなの聞いてない」

白衣「心配は要らない、歳も近いしすぐに慣れるだろう。…では、入ろうか」

男「え、ちょっと待って…!」


…ガチャッ


男(どうせ俺と同じで訳ありなんだろ、そんなのと相部屋なんて何があるか解ったもんじゃ──)

白衣「どうした? 入りたまえ」

男「……くそっ」



7 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/15(土) 18:27:05 ID:PeHUh3io


…パタン


白衣「やあ、連れてきたよ。君のパートナーだ」

男(……えっ…!?)


少女「………」


男(女の子…!? 嘘だろ…!)

白衣「おや、どちらも名乗らないのか」



8 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/15(土) 18:27:44 ID:PeHUh3io


少女「…男の人だなんて…聞いてない…です」

白衣「そうだね、言っていない」


男「ちょっと待ってくれ、そりゃこの娘だって抵抗を覚えて当たり前でしょう。こんなの大問題だ」

白衣「問題となるかは、君達次第だよ。特に男性である君の方が、そのウエイトは大きいかもしれないね」


男「…常識外れです。こんな事、許されるものじゃない」

白衣「悪いが、この処置の許可は下りている。許されているんだよ」

男「そんなバカな…」



9 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/15(土) 18:28:22 ID:PeHUh3io


男(それから白衣の人は更に幾つかの注意事項を説明し、ここを後にした)


男(建物からは出ても良い、ただし出る前と戻った後はインターホンで連絡をする事)

男(食事は基本的には定時に差し入れられるが、希望があれば食材を貰い自分で調理する事も許される)


男(一日のタイムスケジュールはかなり自由だが、多少は強制的な指示があるらしい)

男(ただそれも健康維持のための運動命令であったり、歳相応の勉学の課題など…決して強制労働のような事ではない)


男(そして、この施設で過ごす期間に明確な設定は無い)

男(つまり俺は、そしてこの娘は互いに知らない異性と共に、終わりの見えない生活を送る…という事だ)



10 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/15(土) 18:29:06 ID:PeHUh3io


男「……変な事になったね」

少女「………」


男「名前は? …俺は男だ」

少女「………」


男「いくつだ? 見たところ15~17ってところか」

少女「………」


男「俺は今、18だ。…どこに住んでた?」

少女「………」


男「…俺は壁と話してるらしいな」

少女「………」



11 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/15(土) 18:29:47 ID:PeHUh3io


男「せめて名前だけでも答えないか? いろいろ困る事が──」

少女「…少女」ボソッ


男「………」

少女「………」

男(本当にそれだけかよ)


男(…参ったね、どうコミュニケーションをとればいいんだ)

男(まあ警戒するのは当たり前だろうけど)

男(恨むぜ…白衣の人)



12 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/15(土) 18:30:39 ID:PeHUh3io


男「……今日は移動で疲れた、悪いけど一眠りするよ」

少女「………」スッ


男「…どこへ行くつもりだ?」

少女「違う部屋」

男「違う部屋って…あとはダイニングしかないぞ」

少女「そこでいい…です」


男「あっちはフローリングで冷たいだろ」

少女「………」

男「……いいよ…俺がそっちに行く、君がこっちを使えよ」



13 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/15(土) 18:31:22 ID:PeHUh3io


…ダイニングルーム


男(……くっそ、すっげえ居心地が悪い)

男(結局モニターやゲーム機があるのはリビングの方だし……)

男(これならあの独房みたいな部屋の方がまだマシだ)


男(本当に床、冷てえし……こんなじゃぐっすりは……)

男(あ…だめだ、本当に疲れて…る──)



14 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/15(土) 18:32:23 ID:PeHUh3io


………



《──今日は男の好きなおかずだからね》


《あらー、テストよく出来てるじゃないの! お父さんにも見せてあげなきゃね!》


《大丈夫、お母さんはずっと男の味方よ》


《学校はどう? 楽しい? そう、お友達ができたの…よかったわねえ》


《男は優しいわねえ、きっといいお兄ちゃんになるわ…》


《ほら、赤ちゃん…男の弟よ。ふふ…可愛がってあげてね?》


《大丈夫、赤ちゃんがいたってお母さんは男のお母さんでもあるんだから、いつだって甘えたらいいのよ》



15 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/15(土) 18:33:33 ID:PeHUh3io


………



男「………」

男(…変な夢みちゃったな)


男(時間は……まだ15時か)

男(あの娘はどうしてるんだろう……でも部屋に行かない方がいいかな)


男(いっその事、あの娘に悪戯でもしてしまえば、隔離されるだろうか)

男(……いや、でもそんなのどういう形での隔離になるか解ったもんじゃない)

男(今度こそ鉄格子のついた部屋もありうる)


男(そのくらいなら、いっそ……)

男(…未成年には適用できないか)



16 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/15(土) 18:34:24 ID:PeHUh3io


プルルルル…プルルルル…


男(インターホン…? たしかリビングに…)

男(まあいいか、あの娘が出るだろ)

男(無口だけど、喋れないわけじゃないんだし)


ガチャッ…パタン…


少女「……起きてたんですね」

男「ああ、さっきね。……インターホン、何だった?」

少女「外に出るように…って」



17 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/15(土) 18:34:58 ID:PeHUh3io


………



白衣「どうだい、少しは仲良くなれたかね」

男「名前だけ、交換しましたよ」

少女「………」


白衣「外に来てもらったのは他でもない、建物の中の事はあらかた説明したが外の事を伝えていなかったからだ」

男「……はあ」


白衣「役割分担なども必要だろうから、少し二人にコミュニケーションをとる時間を用意したつもりだったが……」

男「そんなにすぐに仲良しこよしになるわけないでしょう」

白衣「まあ、君達の境遇を鑑みれば…そうだろうね」

男「いいから、説明なら早くして下さい」



18 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/15(土) 18:36:28 ID:PeHUh3io


白衣「まず、この壁に囲まれた範囲は自由に使っていい。スポーツをしようと、菜園をつくろうと構わない」

少女「………」

白衣「そうは言っても200坪もないが、野球やサッカーがしたいというのでなければ問題ないだろう?」


男「一人でどうやって野球やサッカーをやるんです」

白衣「一人…? 二人だろう、君達は」

男「二人でも無理ですよ」

白衣「キャッチボールくらいはできるんじゃないかね? 道具なら数日くれれば用意できる」

男「……しないと思いますけど」



19 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/15(土) 18:37:08 ID:PeHUh3io


白衣「まあいい、ただし自由にして良いかわりに管理するのも君達の仕事だ」

男「管理…ですか」

白衣「放っておいても草が生えるくらいの事だがね。目障りなら自分で処理してくれ、その道具も用意はできる」


少女「あの…」

白衣「…何だね?」

少女「菜園や花壇を作るなら、その材料や道具も…?」

白衣「ああ、確保された予算の中で収まる程度なら、準備しよう」



20 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/15(土) 18:37:39 ID:PeHUh3io


少女「…じゃあ、花壇を造りたいです」

白衣「解った、後で改めて職員を行かせるから必要なものをピックアップして伝えてくれ」

少女「………」コクン


白衣「君は? 何か望むものは無いかね」

男「………」

白衣「……では外まわりの設備だけ案内しておこう。水道と電源の位置を教えるくらいのものだが」



21 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/15(土) 18:38:14 ID:PeHUh3io


………



白衣「──以上だ。では部屋に入るなり運動をするなり、今日は好きに過ごしてくれ」


男「……あの」

白衣「何だね?」

男「やっぱり、俺も欲しいものが」

白衣「…聞こう」


男「花壇を造るために必要な道具を、俺の分も用意して下さい」


少女「………」

白衣「なるほど、それはいいな。用意しよう、少し時間をくれ」

男「はい」



22 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/15(土) 18:38:47 ID:PeHUh3io


………


…夕方


ガチャッ…


職員「おーい、食事だ。玄関まで取りにきてくれー」

男「あ、はい」


男(あの娘は…出て来ないな)

男「…どうも」

職員「食べ終わったら玄関の前にいる職員に返すようにね。トレイふたつとも持てるかい?」

男「はい」



23 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/15(土) 18:39:30 ID:PeHUh3io


男(とりあえずダイニングのテーブルへ…)カチャッ、コトン…

男(……呼びに行ってやるか)


…コン、コン

男「入っていいか」


男(…返答無しかよ、勝手に開けるのもな)

男「聞こえてるものとして言うぞ? 食事が届いてる。ダイニングのテーブルにあるから、来いよ」


男(……俺はちゃんと言ったからな)



24 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/15(土) 18:40:28 ID:PeHUh3io


男(結構ふつうの食事だな)モグモグ

男(でもさすがに話し相手もテレビも無いから、静か過ぎて…なあ)ゴクン

男(……慣れっこだけどさ)フゥ


………



男(結局、出て来ないのか…食べさせないわけにもいかないな)

男(もう一回、呼んでみるか)


コン、コン…
……ドン、ドンッ

男「聞こえてないわけじゃないんだろ? メシがあるんだって、トレイ返さなきゃいけないから早く食えよ」



25 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/15(土) 18:41:07 ID:PeHUh3io


…ガチャッ


少女「………」

男「寝てたのか?」

少女「…いえ」


男「どうする? 食べてる間は俺がこっちの部屋にいようか?」

少女「…お願いします」

男「はぁ…先が思いやられるな」

少女「ご…ごめんなさい」


男「いいよ、そりゃ知らないオトコなんて怖いだろ」

少女「………」スッ



26 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/15(土) 18:41:40 ID:PeHUh3io


…パタン


男(ごめんなさい…か)

男(謝るって事は、俺に迷惑をかけたって意識はあるんだな)


男(見た目は結構、可愛いんだけど)

男(…果たして彼女はどこが『訳あり』なんだろう)

男(警戒するにしても、少しリアクションが無さすぎる…そこに何か理由があるのかな)


男(そんな事、とてもまだ訊けないし)

男(……訊かれても、俺も答えられないしな)


27 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/15(土) 18:42:20 ID:PeHUh3io


………



…ガチャッ


少女「あの…」


男「ああ、食べたか。トレイ返さなきゃな」

少女「返しました」

男「俺の分も?」

少女「………」コクン

男「そうか、悪い」

少女「…いえ」



28 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/15(土) 18:43:00 ID:PeHUh3io


男「じゃあ、部屋…戻そうか」

少女「いいんですか」

男「…何が?」

少女「その…この部屋を私が使って」

男「いいよ、向こうも空調はあるし。どうしても退屈してゲームでもしたくなったら、その間だけ交代してくれ」

少女「………」コクン


男「じゃあ…ほら」スッ

少女「……?」ビクッ

男「握手だよ、不本意かもしれないけど暫くは生活を共にしなきゃいけない」



29 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/15(土) 18:43:59 ID:PeHUh3io


少女「…あ…あの…」

男「約束する。俺は絶対に危害を加えたりしない、悪口を言うような事もしない。だから握手だ」

少女「………」ビクビク

男「握るぞ」ギュッ

少女「……っ…」


男「…そんなにビビらないでくれよ、そう強面じゃないつもりなんだが」

少女「ごめん…なさい…」


男「幸いこの部屋からもダイニングからも、それぞれを通らなくても風呂やトイレには行ける。ノックだけ忘れないようにしよう」

少女「………」コクン

男「俺は19時頃に風呂に入るよ、そのつもりでいてくれ。じゃ、また明日……おやすみ」

少女「…はい」



37 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/16(日) 21:06:34 ID:WBySr/l.


……………
………


…翌朝


男(……何も無くても、6時半起床が染みついちゃったな)

男(前の施設ではこのあとすぐにラジオ体操、それから食事だった)

男(ここではそれも義務じゃないんだろうけど…少し身体を動かしたい気もする)

男(でもインターホンはあの娘の部屋か…外に出る時は連絡しなきゃいけないんだよな)


男(……あの娘が起きるのを待つしかないか)

男(確か朝食は7時半って言ってたな、まだ1時間もあるし…)



38 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/16(日) 21:07:24 ID:WBySr/l.


…ガチャッ


男「お…?」

少女「…あ……」

男(もう起きてたのか…)


男「…おはよう」

少女「………」ペコリ

男「ちょっと外に出たいんだ、インターホン使っていいか」

少女「…私もそのつもりで…さっき連絡しました」

男「そうか、そりゃちょうど良かった」



39 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/16(日) 21:08:26 ID:WBySr/l.


職員「…ん? 連絡では一人だけと聞いていたが」

男「彼女が外出すると聞いて、便乗しようと思いました」

職員「ああ、それは構わんよ。今日は最初の外出になるから一応、様子を見させてもらう」


男「…今後は?」

職員「問題無さそうなら、次からは邪魔者はいないよ」

男「カメラでの監視はされてるんでしょう」

職員「……それは仕方ないと思ってくれ」

男「解ってます」


男(さて……ちょっと走るか)



40 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/16(日) 21:09:36 ID:WBySr/l.


………



男(外周をぐるっと周るのに、軽く走っても1分とかからない)

男(見える景色はずっとグレーの壁だけ)

男(反対側でも見れば、山の尾根は見えるけど…)

男(こりゃ、つまんねえな…)


男(あの娘は……)


少女「………」

男(何をしてんだろう? ゆっくり歩いたり、しゃがみこんだり)



41 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/16(日) 21:10:41 ID:WBySr/l.


男「地面に面白いものでもあるか」

少女「……いえ」

男「もしかして、土…か?」

少女「………」コクン


男「…で、ここの土は花壇造りにはどうなんだ?」

少女「……全然…だめです」

男「昨日、欲しいものを伝えた時に肥料とかは?」

少女「欲しいって…言いました」

男「それを混ぜれば何とかなるのか」

少女「…耕して、石をよく取り除いて…それから肥料を攪拌すれば」



42 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/16(日) 21:11:48 ID:WBySr/l.


男「耕して石を取り除くところまでは、道具さえあれば今でもできそうだな」

少女「……?」


男「すみません、職員さん」

職員「なんだい?」

男「スコップとか鍬は、すぐにでもありませんか」

職員「スコップくらいはあると思うが……ただ、それを使う時は監視をつけさせてもらう事になるよ」

男(凶器に使えるから…か)


少女「……使いたいです」



43 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/16(日) 21:12:43 ID:WBySr/l.


男「監視の手間をおかけしますが、二本貸してもらえませんか」

少女「………」

職員「解った、朝食の後で持ってこよう」

男「お願いします」


男「土を耕す作業…軽い運動としてはちょうどいいかもな」

少女「…貴方も花壇を?」

男「いけないか?」

少女「………」フルフル

男「知識は何にも無いけどな」



44 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/16(日) 21:13:35 ID:WBySr/l.


少女「…だったら、この辺りを…どうぞ」


男「そうなのか、どうしてだ?」

少女「お昼過ぎまで日光がよく当たるから…」

男「その後は?」

少女「…西日は当たらなくていい…です」

男「なるほど」

少女「………」

男「じゃあ…ここを俺達の花壇にしようか」

少女「……え…?」



45 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/16(日) 21:14:38 ID:WBySr/l.


男「あれ…? だめか?」

少女「…俺『達』…って…」


男「そうだよ、一緒に造ろうと思ったんだけど」

少女「………」

男「…部屋と同じで、別々の方がいいか?」

少女「………」

男「…無言は了承と捉えるよ?」

少女「…は…ぃ」

男「どっちの『はい』だ? 別々の方がいい?」

少女「………」フルフル



46 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/16(日) 21:16:18 ID:WBySr/l.


男「じゃあ、一緒に造ろう。でも俺は何も知らないから、教えてくれよな」

少女「………」コクン


男(…少しだけ、コミュニケーションがとれたのかな)

男(まあ別に好きで同室になったわけじゃない)

男(無理に馴染む必要は無いのかもしれないけど)

男(期間が定められていない以上、お互い少しは言いたい事を言えないとやってられないしな)


男(この土地を好きに使っていい…代わりに管理はしなきゃいけない)

男(その事から察すれば、そう短い期間じゃ無さそうだ)

男(だからコミュニケーションをとる、それだけ……それだけだよ)



51 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/17(月) 14:12:06 ID:vUFUbNMM


男(結局、朝食はまた別々か…)


男(嫌なら嫌で、喋らなきゃいいだけだと思うけどね)

男(顔も見ていたく無い…って?)

男(……ちょっと凹むな)


…ガチャッ


職員「スコップ、用意できてるからねー」

男「はい、ありがとうございます」


職員「外出前に必ず連絡をね……まあ、遠隔操作で鍵がかかっているけど」

男「……火事になったら死ねそうですね」

職員「一応、報知器と連動して鍵は開くようになっているから、そこは心配しないでくれ」



52 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/17(月) 14:13:01 ID:vUFUbNMM


…コン、コン


男「スコップ、届いたよ」


ガチャッ…


男「早速、始めるか?」

少女「………」コクン

男「服、着替えないと。風呂場の脱衣所以外はカメラで丸見えだぞ」

少女「…はい」

男「俺はもう着替え終わってるから、インターホンで連絡しとくよ」



53 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/17(月) 14:13:44 ID:vUFUbNMM


………



職員「悪いが言った通り、こういった道具を使う際は近くに居させてもらうよ」

男「はい」

少女「………」


男「まずは? とことん掘り返していけばいいのか?」

少女「あの…掘り取った土を別の場所に置いて、そこで石を選別して堆肥を混ぜます」

男「うん、どの位の深さまで掘ればいい?」

少女「20センチ…できれば30センチくらい」



54 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/17(月) 14:14:35 ID:vUFUbNMM


ザクッ、ボコッ…


男「固ってえな…掘れるか?」

少女「……んっ…」ガツンッ

男(やっぱり体重が軽いから、刃が入ってないな…)


少女「………」フゥ

男「よし、掘り返して土を別の場所に運ぶのは俺がやるよ。少女はそれを崩して、石を選り出してくれ」

少女「…でも」

男「でも…?」

少女「その…掘り返す作業の方が大変…」

男「いいんだよ、俺はオトコなんだから。適材適所って奴だ」



55 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/17(月) 14:15:14 ID:vUFUbNMM


………



男「ふぅ…だいぶ進んだな、もう昼が近い」

少女「………」コクン


男「どの位の範囲を花壇にしようか?」

少女「最初は…この位で」

男「2×3m…6m2くらいかな。だいたい深さも30センチはあるだろ」

少女「………」コクン

男「そっちも、石の選り出しはできてるっぽいな」

少女「…今度は、この石を花壇の底に敷きます」



56 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/17(月) 14:16:00 ID:vUFUbNMM


男「選り出した石だけを?」

少女「…排水層になります。土が少し粘土質だから、水はけを良くしないと…」

男「結構、詳しいんだな」

少女「………」フルフル


男「それに、園芸の事なら割と喋るんだ」

少女「……っ…」

男「いいと思うよ、恥ずかしがる事ない」

少女「………」



57 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/17(月) 14:16:39 ID:vUFUbNMM


男「崩した土を見て、改めてどうだ? 肥料を混ぜればいけそうか」

少女「少しだけ還元色がかってるから…本当は黒曜石のパーライトを混ぜたいです」


男「全然、解らねえ…」

少女「ご、ごめんなさい」

男「いいって、そういう方面は任せるよ。そのナントカ石のナントカってやつも、貰えるようにしなきゃな」

少女「…はい」…サスサス

男(ん…? 手をさすって…)



58 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/17(月) 14:17:11 ID:vUFUbNMM


男「手、どうかしたのか? 見せてみ…」ギュ

少女「やっ…!」バッ

男「……ごめん…」

少女「あ、あの…ごめん…なさい」


男(…手首を握ろうとしただけなんだけどな)

男(よほど嫌われてる……いや、怖がられてる…?)


男「…手、痛いのか?」

少女「久しぶりの作業だったから…少し…」

男「手袋も無いもんな」

職員「悪いね、昼には用意するよ」

男「はい、お願いします」



59 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/17(月) 14:18:10 ID:vUFUbNMM


……………
………


…施設館内


白衣「D棟の二人、直接見ていてどうかね」

職員「今のところ問題はありません。どちらかというと男…D-1の方が自発的にコミュニケーションをとろうとしていると思います」

白衣「うむ……まあ、そうなるだろうな」


職員「D-2にはまだ歩み寄りの姿勢はありません。一度D-1がD-2に触れた時、かなりの抵抗感をもったようでした」

白衣「ほう…D-1が接触した理由は?」

職員「単に気遣っての事だと思います。しかしD-2は強く反応し、一瞬手にしていたスコップを持ち上げようとしました。私も制止に入りかけましたよ」


白衣「……まだ一日しか経っていない、進展が無いのも当然だろうな。貴重なサンプル、ゆっくりと様子をみよう──」



60 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/17(月) 14:21:47 ID:vUFUbNMM


……………
………


…三日後


男「排水層はこんなもんか?」

少女「…このくらい厚みがあれば、大丈夫だと思います」

男「敷地内の石ころもレーキで集めて、だいぶ足したな」


少女「……ごめんなさい」

男「何が?」

少女「疲れる仕事ばかりさせて…」

男「いいんだって、役割分担だろ」



61 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/17(月) 14:22:22 ID:vUFUbNMM


男「それで? これからは?」

少女「残った土に堆肥を混ぜてあるから…敷いていきます」


男「堆肥って、全然臭くはないんだな」

少女「発酵には牛糞なんかも使ってると思うけど…完熟してる、微生物に全て分解されてますから」

男「………」

少女「…未熟な堆肥だと、土の中で残りの発酵が進んで窒素分を奪うから…だめです」

男「この堆肥は良いやつなんだ?」

少女「………」コクン



62 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/17(月) 14:23:07 ID:vUFUbNMM


男「こっちに除けてる大き目な石は?」

少女「…花壇の縁に積みます」

男「じゃあ、土を入れながら石積みも同時進行だな。石の方は任せるよ、重すぎるやつがあったら言ってくれ」

少女「……は、はい…」


…サクッ、サクッ
コロコロ……ドサーッ


男(手押しの一輪車なんて、久しぶりに使ったな)

男(中学校の時の農業実習以来か…?)


男(……しかしあの娘、ほんと園芸の事ならちゃんと喋るんだな)

男(その時には俺に対する抵抗も余り無さそうだし)

男(嫌われてるわけじゃない…のかな?)



63 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/17(月) 14:23:43 ID:vUFUbNMM


少女「あ…あの…」

男「どうした?」

少女「…石、大きいのを」

男「ああ、行こうか」


男「中にはかなり大きいのもあるな」

少女「花壇の周囲にランダムな配置で、置いて貰えたら…」

男「ランダムでいいの?」

少女「………」コクン



64 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/17(月) 14:24:24 ID:vUFUbNMM


男「ふう…こんなもんか?」

少女「はい」

男「じゃあ、土入れの続きやってるわ」


少女「……あの」

男「ん…?」

少女「あ…ありがとう…」

男「……どういたしまして」



65 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/17(月) 14:25:00 ID:vUFUbNMM


コロコロ……ドサーッ


男(…違う)

男(彼女にはできない力仕事を、代わりにやってあげたんだ)


…サクッ、サクッ


男(だから、お礼を言われるのも当たり前)

男(決して彼女が心を開いてるわけじゃない)


…ドサーッ


男(俺だって、そうだ)

男(特別な繋がりなんか、望んでない──)



67 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/17(月) 19:39:26 ID:n3E8nT02


……………
………


…更に二日後


男「できたんだな」

少女「………」コクン


男「なんか…肥料以外はこの場にあった土と石だってのに、できあがってみると……」

少女「……?」

男「意外と……うん、ちゃんとした花壇だよな。感心したよ」


少女「………」クスッ

男(……今、笑った?)


職員「………」



68 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/17(月) 19:48:31 ID:d/eGHAkQ


男「しかし堆肥の分もあるとはいえ、土ってほぐすと増えるもんだな」

少女「…それだけ元は締め固まってました」

男「そういう事だな。…で、何を植えるんだ?」


少女「え…と、種を…撒きます」

男「種からか、じゃあ何とは訊かずに楽しみにしておこうかな」

少女「……あの、これ…」

男「ん? これが種? ……あ…」

少女「………」コクン



69 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/17(月) 19:53:30 ID:h4I4Wc5Y


男「ははっ…こりゃ、誰でも種で解っちまうな…向日葵だ」

少女「…はい」ニコッ

男(やっぱり、笑った…)


男「どうやって撒いたらいい?」

少女「…まず、一輪車に一杯の土をとって…」

男「了解」


…サクッ、サクッ



70 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/17(月) 19:54:37 ID:h4I4Wc5Y


少女「それから…指で花壇の土に穴を穿けて」

男「じゃあ、手本を見せてもらおうか」

少女「………」コクン


…プスッ、コロッ
プスッ、コロンッ…


男「第二関節くらいの深さでいいのかな」

少女「はい……あっ…」

男「ん?」

少女「……真ん中から始めないと、出られなくなり…ます…」

男「ああ、そうか。馬鹿だな…俺」

少女「………」クスクス


職員「………」



71 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/17(月) 19:55:35 ID:h4I4Wc5Y


男「あとは一輪車にとっておいた土を撒けばいいんだな」

少女「はい、やさしく…うっすらと」

男「難しい事を…」


少女「…これでお水をあげれば、終わりです」

男「うん、水遣りは毎日?」

少女「芽が出るまでは…」

男「…楽しみだな」

少女「………」コクン



72 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/17(月) 19:56:28 ID:h4I4Wc5Y


………


…同日、夕方


職員「おーい、食事を取りに来てくれー」

男「はーい」


…ガチャッ


男(……お?)

少女「…ありがとう…ございます」ビクビク

職員「震えてる…? 零さないようにね」

少女「………」コクン



73 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/17(月) 19:57:04 ID:h4I4Wc5Y


男(同じタイミングでトレイをダイニングに運ぶって事は…)


少女「……あの、いいです…か…?」カチャッ

男「一緒に食べる…って事?」

少女「…はい」

男「もちろん」


少女「……頂き…ます」

男(…少し、慣れたって事か?)



74 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/17(月) 19:58:19 ID:h4I4Wc5Y


男「しかし、花壇造りが終わると明日からちょっと暇だな」モグモグ

少女「…はい」パクッ

男「けっこう楽しかったよ」

少女「………」コクン


男「昔から園芸を?」

少女「………」

男(…顔が曇った、まずかったか)


男「ごめん、いいんだ…色々詳しかったなって思っただけだよ」

少女「………」



75 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/17(月) 19:59:03 ID:h4I4Wc5Y


少女「…増やします…か?」

男「うん…?」モグモグ

少女「花壇…もっと」


男「ああ…いいね、広げようか」

少女「今度は…種じゃなく、苗を植える花壇を…」

男「それなら最初から賑やかだな」

少女「向日葵の花壇より一段低く…隣りに繋げて」


男「そうだな。向日葵は背が高くなるから、バランスもいいんじゃないか?」

少女「…はい」ニコッ



76 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/17(月) 19:59:41 ID:h4I4Wc5Y


男「……笑ってくれるようになったよな」

少女「えっ」アセッ

男「いいよ、その方が」

少女「……はい」


男(──でも、他意は無い)

男(共同生活を送る上で、やりやすくなったってだけだ)

男(どうせいつか、この生活は終わる…)

男(ある程度、意思の疎通がとれさえすれば)

男(それ以上の関係なんて…要らない)



77 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/17(月) 20:23:47 ID:2oEv2f6s


……………
………


…四日後


ガチャッ…


男「ああ、おはよう」

少女「おはよう…ございます」

男「今朝はよく眠れたよ、やっぱり連日ちゃんと労働してれば眠りも深いね」

少女「…そうですね」

男「もうじきに食事じゃないかな」


職員「朝食、持ってきたよー」


男「…だな、取りに行こう」

少女「はい」



78 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/17(月) 20:24:42 ID:2oEv2f6s


………



男「ふたつ目の花壇もできたね」モグモグ

少女「はい」モグモグ


男「今日、苗が届くんだろ?」

少女「そう…聞いてます」コトッ

男「どんなの、頼んだの?」パクッ

少女「…色々、春咲きのものを」


男「楽しみだな」

少女「…はいっ」ニコッ



79 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/17(月) 20:25:29 ID:2oEv2f6s


男(……随分、普通に話せるようになった)

男(これならあまり困ることも無いだろう)

男(ただ……)


少女「………」カシャッ…コトン

男「重いだろ、お茶のポットは俺が持つよ」ヒョイ

少女「……っ…!」ビクッ


男(手を伸ばすと、やっぱり怖がってるみたいだな……)



80 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/17(月) 20:26:20 ID:2oEv2f6s


………



男「へえ…色とりどりだな」

少女「はい」


男「これは?」

少女「アネモネ…」

男「こっちは?」

少女「ガザニアです」

男「この背の低いのは?」

少女「シバザクラ…縁に使います」



81 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/17(月) 20:27:04 ID:2oEv2f6s


男「色分けして植えるのか?」

少女「はい…でも、分け過ぎると鮮やかさが無くなるから…」

男「混ぜた方が?」

少女「アネモネは色分けして…ガザニアとマリーゴールドは種類は分けるけど、色は混ぜた方が綺麗だと思います」

男「じゃあ配置は任せるよ、置いてくれたら植えるから」

少女「…はい」



82 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/17(月) 20:28:00 ID:2oEv2f6s


男(背の高いのはこんなもんかな)

男(あとは周囲のシバザクラと、ダイアンサス…だったかな)

男(端っこから後ろへ、バックしながら植えるか…)

男(ダイアンサスの茎って柔らかいな、折れてしまいそうだ)

男(この辺はシバザクラだけを纏めて……)ジャリッ


…ドンッ

少女「きゃ…!」ドテッ


男「あ…悪い、後ろ向いて退がってたから…! ほら、手を──」


──ギュッ

少女「あ……」ビクッ



84 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/17(月) 20:28:35 ID:2oEv2f6s


男「立てる?」グイッ

少女「…う……」


男「ごめんな、よく見れば良かった」

少女「い、いえ……あの…起こしてくれて、ありがとう…」

男「足挫いたりしてない?」

少女「大丈夫…です」


職員「………」



85 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/17(月) 20:29:28 ID:2oEv2f6s


男「花も植えて、ふたつ目の花壇も完成だね」

少女「はい」

男「さすがに咲き誇ってると、綺麗だな…」

少女「…上手に植えられてると…思います」

男「そうか、よかった」

少女「………」


男「さあ…みっつ目の花壇、どうする?」

少女「…まだ、造ってもいいですか…?」

男「俺は構わない……造りたいよ」

少女「……はいっ」



86 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/17(月) 20:31:02 ID:2oEv2f6s


……………
………


…数日後、朝


男「…う……」

男(よく寝た…)

男(さっき、少女は外へ出てたような気がするな…)


…ガチャッ、バタンッ


男(ああ、やっぱり…外から帰って──)

少女「…男さんっ」

男「──えっ…」



87 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/17(月) 20:31:43 ID:2oEv2f6s


少女「あの、ちょっと…外に…」

男「あ、ああ…」

少女「職員さんには、男さんを連れて出るって言ってあります」

男「解った、すぐ着替えるよ」


男(……初めて、名前を呼ばれたな)

男(なんかいつもと声の張りも違うような…)


少女「………」ソワソワ

男「あの…少女?」

少女「はい…?」

男「そこにいたら、着替えられないんだけど」



88 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/17(月) 20:32:23 ID:2oEv2f6s


少女「!! ご、ごめんなさい…脱衣所に行くかと…」

男「うん、下着まで替えるわけじゃないから…」

少女「あ、あの…先に外にいますっ」パタパタパタ…


男(可愛いな…)


男(……いけない、何を考えてる)

男(駄目だ、意識するな…しちゃいけない)

男(彼女は……他人だ…)



89 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/17(月) 20:33:03 ID:2oEv2f6s


………



少女「男さん、こっち…最初の花壇です」

男「向日葵の…?」

少女「ほらっ」

男「…あっ……これって…?」


少女「芽が出ました…!」


男「そっか…けっこう早いんだ、嬉しいな…こういうの」

少女「はいっ」ニコッ



90 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/17(月) 20:33:43 ID:2oEv2f6s


男「すごい、たくさん芽吹いてる」

少女「はい」

男「ちょっと感動したよ。自分で造った花壇で、自分が蒔いた種から芽が出るなんて」

少女「…はい」

男「園芸って、楽しいもんだね」

少女「……は…ぃ…」ポロッ


男「……え?」

少女「……っ…」ポロポロ…



91 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/17(月) 20:34:27 ID:2oEv2f6s


男「ど、どうしたんだ? なんで泣いて…」

少女「すみません…何でも…ない…」グスッ


男(何でも無い事はないだろ…)

男(…今は道具を使ってないから、職員さんは先に引っ込んだ)

男(この様子をカメラで見られたら、なんか変に思われそうだな)


少女「………」グスン

男「部屋、入ろう? …とりあえず顔を洗おうよ」

少女「は…ぃ…」



92 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/17(月) 20:35:06 ID:2oEv2f6s


………



男「…落ち着いた?」

少女「はい…ごめんなさい」

男「びっくりしたよ」

少女「もう大丈夫…です」


男「もうすぐ食事だと思うよ」

少女「………」コクン

男「部屋に戻ってる?」

少女「ここが…いいです」

男「…そうか」



93 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/17(月) 20:36:00 ID:2oEv2f6s


男(……涙の理由は解らない)

男(でも、少なくとも何かが嫌で泣いたわけじゃないんだろう)


男(泣いてるところを見せる…なんて、ある程度気を許してないとできないんじゃないか)


男(……違う、考えるな)

男(自分に都合良く考えちゃだめだ──)



98 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/18(火) 19:08:01 ID:ErJNzHtk


………


…その夜


男「トレイ、返した?」

少女「はい」

男「風呂の用意はできてるから、順番に入ろう。俺は後でいいから」

少女「じゃあ…私、入ります」

男「うん、なんか今夜は冷えるから、ゆっくりでいいよ。上がったら知らせてくれ」

少女「はい」



99 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/18(火) 19:09:07 ID:ErJNzHtk


………



少女「あの、お風呂…どうぞ」

男「ああ、ありがとう」


少女「それから…その…」

男「ん…?」

少女「今夜は…冷えるから」

男「うん、俺もゆっくり入るよ」

少女「その…あと」

男「……?」



100 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/18(火) 19:09:44 ID:ErJNzHtk


少女「こ、この部屋…寒くないです…か…?」モジモジ

男「ああ…まあ、ちょっとな」

少女「…寝るの…リビングにしたら、いい…です」

男「うん…ありがたいけど、少女に寒い方の部屋を使わせるわけにも…」


少女「そうじゃ…なくって…あの」

男「…大丈夫だから、気を遣わないでくれ。俺はこっちで平気だよ」

少女「そう…ですか」



101 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/18(火) 19:10:30 ID:ErJNzHtk


男「じゃ、風呂行ってくるよ。…おやすみ」

少女「…あのっ」

男「………」

少女「もう一回…」

男「何?」


少女「握手…してくれませんか」


男「そりゃ…いいけど」スッ

少女「………」ソーッ


…ギュッ


少女「…ぅ……」

男(少し震えてるな…)



102 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/18(火) 19:11:10 ID:ErJNzHtk


男「…もういいか?」

少女「もう少し…」

男「………」

少女「………」

男(ちょっとずつ、震えが引いてきたか…?)


少女「私…怖いんです、人が…」

男「そうみたいだな」

少女「でも…」ギュウッ

男(強く握って…震えが止まった)


少女「貴方を怖がるのは…嫌」



103 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/18(火) 19:12:06 ID:ErJNzHtk


男「少女…」

少女「花壇造り…男さんと出来て良かった…です」

男「…うん」

少女「もっと、たくさん…造りたい」

男「そうだな」


少女「ありがとう…ございます」パッ…

男「…こちらこそ」


少女「おやすみなさい、男さん」ペコッ

男「…おやすみ」



104 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/18(火) 22:49:50 ID:S826yCFo


………



…チャプン


男「…はぁ」

男(解ってる…部屋を『替わろう』と言ったんじゃない事くらい)

男(…認めまいとしてたけど、彼女は他人への恐怖感をもちながらも、歩み寄ろうとしてくれてる)


男(俺は…どうだ?)


男(自ら進んで花壇造りを一緒にしてみたり)

男(最初の握手を求めたのだって、俺の方だ)


男(…やっぱり俺も、彼女に近づこうとしてる)



105 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/18(火) 22:51:01 ID:S826yCFo


バシャッ…ゴシゴシ…


男「ぷはっ…」


『私…怖いんです、人が……でも』

『貴方を怖がるのは…嫌』

『花壇造り…男さんと出来て良かった…です』


男(…くそっ、やっぱり狭くても一人部屋の方が良かったんじゃないか)

男(俺の症状が解ってて、なんでこんな…)

男(……早く上がって寝よう、気持ちを切り替えなきゃ──)



106 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/18(火) 22:52:14 ID:S826yCFo


……………
………



《──格好いいわよ、男》

《もう貴方も高校生なのねえ…》

《弟も再来年には中学生だし、どんどんお米が無くなるわ》

《ふふ…いいのよ、しっかり食べてお父さんみたいなオトコ前にならなきゃね》


《本当、二人とも自慢の息子だわ》

《幸せな家庭って、我が家みたいな事を指して言うのよ、きっと》

《あはは…大袈裟じゃないつもりよ、お母さんは──》

… … …

《──え?》

《事故? お父さんと…弟が…? え…?》



110 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/19(水) 10:01:30 ID:u1b34bsU


……………
………



「今度は今までの花壇の背景になるような、木を植えたいです」

「また男さんに力仕事ばかりさせてしまいますけど…」

「木陰をつくる常緑の少し大きい木……ミモザアカシアやイレックスとか」


「大丈夫ですか? 重い…ですよね」

「一緒に…持ちます」



111 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/19(水) 10:02:07 ID:u1b34bsU


「すごく感じが良くなりました」

「あとは周りに低木を……きゃっ」

「ごめんなさい、びっくりしただけ…ごめんなさい」

「……大丈夫、男さんは…怖くないです」


「あの、アセビは日が当たらないところへ…」

「えっと…もう少し…」

「ミモザの枝が邪魔ですよね…私、持っておきます」



112 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/19(水) 10:02:44 ID:u1b34bsU


「男さん、顔に土が」

「ちょっと動かないで……ほら、ここ」

「…綺麗になりました」


「男さん、向日葵が伸びてますよ、ほら」


「男さん、今度は…」


「男さん」


「男さん」


「男さん──」



114 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/19(水) 12:50:50 ID:Ssi.yA8k


……………
………


…二ヶ月後


ガチャッ…


職員「食材、持ってきたよー」


少女「はい」

職員「ジャガイモとかが入ってるから、ちょっと重いよ。大丈夫?」

少女「…は、はい」ビクビク


職員「………」



115 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/19(水) 12:51:25 ID:Ssi.yA8k


男「どうしたんだ、それ」

少女「…あの、カレーを作ろうと思って」

男「カレーか、そういえば施設の食事はバランスを重視してるのか、そういうのはあまり出ないな」


少女「ジャガイモ…もう少し大きく切ってあればいいのに」

男「…そうか、包丁なんかは貸し出されないんだな」

少女「………」


男「俺も食べていいの?」

少女「えっ」

男「……カレー、俺も食べていいのかな…って」

少女「あ…当たり前…ですよ?」



116 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/19(水) 12:52:08 ID:Ssi.yA8k


………



男「じゃあ、頂きます」…パクッ

少女「………」

男「……美味い、すごく」

少女「よ、よかった…」ホッ…


男「少量を鍋で作ったカレーなんて、久しぶりに食べるな」

少女「明日のお昼の分くらいはあると思います」

男「懐かしい…な」ボソッ

少女「……男さん」



117 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/19(水) 12:52:44 ID:Ssi.yA8k


少女「あの、食べ終わってお風呂入ったら…」

男「うん?」

少女「…こっちの部屋、来ませんか」

男「何か映画でも借し出してもらうか?」


少女「……そうじゃなくって、その…これから…こっちの部屋で寝ましょう」

男「同じ部屋でって事か?」

少女「………」コクン


男「ありがとう」

少女「い、いえ…今までごめんなさ──」

男「でも、それは遠慮しとくよ」



118 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/19(水) 12:53:27 ID:Ssi.yA8k


少女「え…」

男「もうすっかりこの部屋で寝るのに慣れたし、寒い時期も過ぎたし」

少女「で、でも…ダイニングは本当は寝る部屋じゃ…」


男「…施設の方針としてどうなのかは解らないけど、本当は異性が二人で同じ棟
に入居してる事自体おかしいんだ」

少女「………」

男「できるだけ棟内での生活スペースは、区切った方がいい」

少女「男さん…」


男「信頼してくれるのは嬉しいけど、俺だってオトコだぞ」

少女「!!」ビクッ

男「…だから、今まで通りがいいよ」



119 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/19(水) 12:54:00 ID:Ssi.yA8k


少女「でも、監視カメラもあります」

男「そうだな、間違いをおこすような事は無いつもりだけど」

少女「だったら…」

男「…ごちそうさま。カレー美味しかった、ありがとう。…先に風呂行ってくるよ」


少女「…男さん」

男「ゆっくり食べたらいい──」
少女「男さんっ」ガタッ


男「………」

少女「前も言いました…私、人が怖いです」



120 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/19(水) 12:54:51 ID:Ssi.yA8k


少女「でも、男さんは怖くない……まだ不意に近くに寄ると、少しびっくりする事もあるけど」

男「少女…」

少女「きっと私達が同じ棟に割り当てられたのは、お互いの何かを克服するため…だと思います」


男(……違う)


少女「私、前の施設では本当に誰ともコミュニケーションがとれなくて…男さんみたいに接する事ができる人はいなかった」

男「………」


少女「きっと、男さんがいい人だから…他人を怖がる私と組ませたんだと──」

男「──それは違う」



121 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/19(水) 12:55:27 ID:Ssi.yA8k


少女「……え…」

男「いや…もしかしたら君の側はそうなのかもしれない」

少女「私の側…は?」

男「俺にとって、この環境は自分の問題を克服するに向いたものじゃ…ないんだ」


少女「…どういう事ですか」

男「言えるわけないだろ」

少女「……っ…」

男「君は言えるのか? 俺達の関係は…この生活はいつか終わる。その時、君の過去を知る人間が目の届かないところにいるなんて、嫌だろ?」

少女「私…は…男さん…なら」フルフル

男「聞かないよ、俺は。そして俺の過去も話さない」



122 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/19(水) 12:56:07 ID:Ssi.yA8k


少女「…わかりました」

男「ごめん、せっかく君が怖いのを我慢してまで歩み寄ってくれたのに」

少女「でも、納得はできません」

男「……少女」

少女「過去は聞きません、私も言いません。…でも教えて下さい」



少女「私が他人への恐怖を抱えているように…男さんは何に苛まれているんですか」



男「………」

少女「それが何であっても、私…平気です」



123 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/19(水) 12:56:44 ID:Ssi.yA8k


男「前の施設で、君の担当カウンセラーは何度か交代したか」

少女「…いいえ、一人でした」

男「俺の担当は四回…替わったよ、施設にいた一年の間でな」

少女「………」

男「最初と二番目は女性のカウンセラーだった、その後は男性だ」

少女「…どうして」


男「決して疚しい感情じゃないとは言っておく、でも…俺は彼らに依存しすぎた」



124 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/19(水) 12:57:18 ID:Ssi.yA8k


男「言われたよ…『君は他者への依存願望が強い』って」

少女「依存…」

男「言い換えれば『愛情に飢えている』『絶対的な味方を欲してる』…そういう事らしい」

少女「………」

男「ごめん、これ以上は言わない。でも、もう解るだろ?」

少女「はい…」


男「今より君が距離を詰めたら、俺は……君に依存してしまう──」



128 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/19(水) 18:58:54 ID:kcCkcZv.


……………
………


…翌日、昼前


ババババババ…
……プスンッ


男「…ふう」


男(花壇の手入ればっかりで草を放置してたけど、伸びるもんだな)

男(痛てて…草刈機なんて初めて使ったから、肩が痛い)

男(ようやく半分くらいか…)


男(少女は向日葵の花壇を手入れしてるな)

男(…今日はほとんど話してない)

男(当たり前か…)



129 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/19(水) 19:05:19 ID:laGt5r2U


男「……どう? 向日葵の調子は」

少女「………」チョキン…パサッ

男(…あれ?)

少女「………」プチプチ


男「…少女?」

少女「え? …あ、は…はいっ」アセッ

男「なんだ、気付いてなかったのか」

少女「ご…ごめんなさい、考え事してました」



130 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/19(水) 19:12:16 ID:kcCkcZv.


男「向日葵、生育の具合はどうだ?」

少女「…いい具合です。でも向日葵は養分の吸い上げが強いから、そろそろ肥料を足さないと」

男「そうか、だいぶ大きくなったもんな」

少女「はい」

男「少し、休もうか」


職員「じゃあ道具を預かって、僕は詰所に引っ込むよ」

男「すみません、お願いします」

職員「午後からもまた使うか?」

男「できるだけ草を刈ってしまいたいから、お願いすると思います」



131 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/19(水) 19:19:48 ID:WALKrkBM


………



少女「……男さん、昨日はごめんなさい」

男「俺の方だよ…それは」

少女「ううん、男さんがどんな症状に悩んでるかも知らずに…私、自分の事しか考えてませんでした」


男「また俺が怖くなったんじゃないか?」

少女「いいえ」

男「……そっか」

少女「男さん…だから、私は──」


男「やめろ、俺につけいる隙を見せないでくれ」

少女「…言っちゃ、だめですか」

男「だめだ」



132 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/19(水) 19:23:41 ID:3sRyMd8U


少女「……考えてたんです、どうして私達はペアに選ばれたんだろうって」

男「………」

少女「私の症状は、男さんと一緒にいる事で少しずつでも改善してると思います。白衣の人は、それを狙ってたかもしれない」

男「どうかな…」

少女「でも、男さんの症状は? …誰かに依存しちゃいけないんだとしたら、この処置は…有効とは思えません」

男「………」

少女「それでも私達をペアにした……それにはきっと理由があります」


男「…様子を見てるんだよ。俺が君に依存しないかどうか…たぶん重度の依存が生じたと判断されたら、隔離される」

少女「それは…ないと思います」

男「どうして?」

少女「それじゃ、この処置において男さんは私のための犠牲にしかなり得ないから」



133 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/19(水) 19:31:06 ID:.oGUVR8o


少女「ここは国立の施設と聞いてます。性格を考えれば、公共の医療機関の内でしょう?」

男「まあ…そうだな」

少女「現代のこの国のそういった施設で、誰か個人のために別の誰かを犠牲にするなんて、さすがに無いと思います」


男「……社会は君が思うより汚いかもしれないよ」

少女「でも、それなら男さんを犠牲にしてまで私を優遇する理由は?」

男「さあ…なんだろう、くじ引きかな」

少女「ありませんよ、そんなの。だからきっと、この組み合わせには男さんにとっての利点だってあるはずです」


男「…最初会った時には想像もしなかったよ」

少女「何を…ですか?」

男「こんなに口が達者だとはな」

少女「……失礼ですね」クスッ



134 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/19(水) 19:38:44 ID:wIjVNFTE


少女「じゃあ…口論には勝ったという事で、やっぱり言わせて貰います」

男「やめろ、妙な事を言うんじゃ──」



少女「男さん…私に、依存して下さい」



135 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/19(水) 19:51:08 ID:KUPGFQSQ


男(……なんで、こうなる)

男(結局、俺は誰かに依存してしまうのか? そんな資格、俺には無いのに)


少女「大丈夫…逃げないで」ギュッ


男(なのになんで、俺はこの娘に抱きしめられてるんだ)

男(離れようと思えば簡単なのに、俺は…)


少女「…もし震えてたらごめんなさい…でも、じっとしてて」


男(…なんでこんなに嬉しいんだ)

男(なんで…泣いてるんだよ…)



136 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/19(水) 19:53:05 ID:KUPGFQSQ


少女「男さん、根拠は何も無いです……でも、きっと男さんは私に依存すればいいんですよ」ナデナデ

男「………」


少女「カウンセラーの方は異動になったりする事もあります」

少女「だから強く依存していたら、男さんはその時つらい想いをする…」


少女「でも私は施設の人達の判断次第では、ずっと一緒にいられます」

少女「いつか二人とも普通の毎日に戻る事ができたら、その時だって」


少女「私達がペアになったのは私の恐怖心を取り除くため」

少女「そして男さんが安心して依存できる相手をつくるため」


少女「…きっとそうです、そう思ってましょうよ。……ね?」



138 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/19(水) 22:13:55 ID:CDbG8Yhw


………


…その夜、リビング


男「絶対、何もしないから」ドキドキ

少女「し…信じてます」オドオド


男「いびきが煩かったら、叩き起こしていいから」

少女「私がそうだったら…男さんもそうして下さい」


男「布団は部屋の端っこと端っこだから、絶対に手も届かないから」

少女「解ってます、でもちょっと離し過ぎじゃないですか…」

男「いや、丁度いい。このくらいでいいからっ」



139 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/19(水) 22:14:50 ID:CDbG8Yhw


少女「え…と、電気…消しますよ?」

男「たぶん監視カメラは暗視機能もついてるから」

少女「解りましたから」

男「絶対、何も──」
少女「解りましたってば!」


…パチン


男(おお…暗い……当たり前か)

少女「男さん…?」

男「はいっ」

少女「なんで『はい』なんですか……おやすみなさい」クスクス

男「お…おやすみ…なさい」



140 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/19(水) 22:16:11 ID:CDbG8Yhw


………



男(ちっとも寝付けない)

男(少女は…小さく寝息が聞こえる気がする。緊張してるのは俺だけか)


『私に、依存して下さい』


男(……情けない、でも…嬉しかった)

男(全部カメラで見られてたんだろうな…ちくしょう)


男(もしこれで…俺が彼女に依存するのが『望ましくない事』だとしたら、近い内に俺達は隔離されるんだろう)

男(それを思えば、深入りしない方が……)

男(……解ってる、そんなの…無理なんだ──)



141 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/19(水) 22:17:13 ID:CDbG8Yhw


……………
………



《──男、もうお母さんには貴方しかいないの》


《お父さんも弟も…天国から見守ってくれてるはず…よね…》


《でも…ごめんね…お母さん、どうしても悲しくなるの…》


《だって…あんなに幸せだったのよ──》



142 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/19(水) 22:18:15 ID:CDbG8Yhw


………



男『母さん…また飲んでるの』

母『………』


男『もうやめなよ』

母『うるさいわね…お酒は悲しい事を忘れさせてくれるのよ』

男『……母さん』

母『うるさいって言ってるでしょう!?』


ガシャーンッ…!



143 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/19(水) 22:19:17 ID:CDbG8Yhw


………



母『男、ごめんね…酔ってたの。お母さんが悪かったわ…貴方に怪我をさせるなんて』

男『もういいよ、大した事ないから』

母『貴方は私にとって残された唯一の宝物なのよ──』


… … …


男『母さん…! お酒はやめるって…』

母『あんたは部屋に行ってなさい!』

男『だめだよ、母さんの身体が…』

母『うるさいっ!』



144 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/19(水) 22:20:22 ID:CDbG8Yhw


………



母『男…ごめん、ごめんね…大事な息子に私は──』


母『放しなさいよ! 子供に何が解るの!?』


母『お母さんが悪いの…もう二度とお酒は飲まないから──』


母『あんたは何のために生きてるのよ! 私の邪魔をするしかできないなら、あんたなんか…!』


母『男…もしまたお酒を飲んだ私が貴方を傷つけようとしたら、殴ってでも──』


母『二人の代わりにあんたが死ねば良かったのよ! 生意気な顔してるんじゃないわ!』


母『もういい…出ていけ!』


母『死ねっ! 帰ってくるな!』


母『なんでそんな目で見るのよ! 私はもうあんたの母親なんかじゃない──!』



145 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/19(水) 22:21:29 ID:CDbG8Yhw


母『そんなに気にくわないなら…! この私が憎いなら』


母『殺してよ…あの人のところに行かせてよ!』


母『そう……できないの…そうよね、貴方は優しい子だったわ』


母『じゃあ一緒に死にましょ』


母『天国で、また家族みんなで暮らせばいいわよね?』


母『せめて私が、貴方を殺してあげる…!』


グサッ
…ポタッ、ポタッ


母『…ごめん…ね……男…』


母『どうし…て…こうなったん…だろう…ね──』



148 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/20(木) 10:02:48 ID:GKvXbo3U


……………
………



男(──そして自分でも予想した通り、俺は確実に少女に依存していった)

男(決して疚しい感情ではない)

男(でもそれ以上に根が深く、捨て去り難い)


男(日々を生きる意味として、目覚めた朝を喜べる理由として)

男(俺にとって少女は文字通り、かけがえのない存在になっていった)


男(日々は流れる、向日葵は次第にその背丈を延べてゆく)

男(今のところ、俺と彼女を隔離しようとする動きは無い)

男(きっとそんな事はありえないのに、俺はこの日々が永遠に続く事を望まずにはいられなかった)



149 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/20(木) 10:03:23 ID:GKvXbo3U


……………
………



少女「痛ったあぃ…!」

男「下手くそだなー」


少女「キャッチボールなんかした事ないんだから、しょうがないじゃないですか…」

男「ボールが近づく前に、もうグローブ構えとくんだよ」

少女「柔らかくて軽いボールにしましょうよー」

男「これも軟球だって、軽いボールは余計に捕り難いぞ」



150 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/20(木) 10:29:08 ID:XUd2byY.


少女「もうやめたいです…」

男「せっかく貸し出してもらってるんだから、もうちょい上達しろ。ほら、よく狙えよ」

少女「うぅ……いきますよ? …てーい!」

男「うわっ、どこ投げてんだ!」


… … …


職員「もう隣りの区画にまで投げちゃだめだよ、僕がすごく怒られるんだからね?」

男&少女「すみません…」



152 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/20(木) 10:33:41 ID:1UWYGI9A


………



男「映画、貸し出してもらったよ」

少女「楽しみですねー」

男「ちなみによく知らない洋画だけど」


男「おお…」

少女「すごいアクションです」

男「…ん?」

少女「……あ…」

男(…ラブシーン、超気まずいんですけど…全年齢だからエロじゃないだけマシか)

少女「………」フンスフンス



154 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/20(木) 10:45:27 ID:DCb8HRZ.


………



少女「今日はオムライスを作ります」

男「手伝おうか」

少女「…と言っても、材料は相変わらず切ってありますね」

男「する事ないな」

少女「卵でも混ぜて下さい」

男「卵は『溶く』じゃない?」

少女「………」

男「………」


少女「普通に貸してくれましたけど、フライパンも凶器になりそうですよね」ニッコリ

男「ごめんなさい」



155 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/20(木) 10:46:41 ID:DCb8HRZ.


………



少女「今日は雨ですね」

男「よく降るな」

少女「梅雨ですから」


男「雨音って、結構好きだな」

少女「ああ、解ります」

男「こういう建物の中とか、バスの中とかから見る雨の景色も好きだ」

少女「うんうん。全然急いでない時に雨宿りして、ボーッと眺めるのとかもいいですよね」


男「要するに」

少女「自分が絶対濡れない安全圏にいる時の雨が好きです」

男「…だよね」



156 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/20(木) 10:47:56 ID:DCb8HRZ.


………



少女「これは?」

男「……マリーゴールド」

少女「全然違います、日々草です。じゃあ、これは?」

男「…ラベンダー?」

少女「色は近いですけど、ブルーサルビアです」


男「サルビアって、あの蜜を吸うやつか? 青いのもあるんだ」

少女「そういえば、ブルーサルビアの蜜は吸った事ありませんね」

男「吸ってみる」プチッ

少女「あっ、だめです! 千切っちゃ…」

男「…あ、結構甘い」チューチュー

少女「えっ……じゃ、じゃあ…私も」プチッ



157 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/20(木) 10:48:43 ID:DCb8HRZ.


………



男「暑くなったね」

少女「ここに来た時は、夜は寒いくらいだったんですけどね」

男「…もうそれだけ一緒にいるんだな」

少女「四ヶ月になろうとしてますから」

男「そりゃ、向日葵も随分大きくなるわけだ」


少女「……最初の花壇を造る時は、緊張しました」

男「園芸の事以外、全然喋らないんだもんな」

少女「…今は、うるさいですか?」

男「退屈しなくていいよ」

少女「あ、『うるさい』ってところ否定はしないんですね」

男「賑やかでいいよ」



158 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/20(木) 11:56:51 ID:IoiyWc7A


……………
………


…八月はじめ


少女「向日葵…満開です」

男「感無量だね」

少女「写真に撮れたらいいのに」

男「施設内は撮影禁止、カメラの貸し出しなんてもってのほかだろうな」



159 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/20(木) 11:57:23 ID:IoiyWc7A


少女「…男さん、もう一回お願いできますか」

男「何を…?」

少女「握手、今…もう一度して下さい」スッ


…ギュッ


少女「……震えてない…でしょ?」

男「うん」

少女「男さんは、怖くないです。もう不意に傍に来たって、びっくりする事はあっても怖くなんかない」

男「……うん」

少女「男さんの事を、心から信用してるからです」



160 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/20(木) 11:58:00 ID:IoiyWc7A


少女「だから、話します」

男「………」

少女「私の過去を知る人がいたって、その人を信じられるなら平気です」

男「…うん」

少女「でも、手を離して…後ろを向いてでもいいですか」


…スッ


少女「…私、男さん以外の人が怖いです」

少女「本当は…怖いのは、自分の方なのに」



少女「男さん、私……人殺しなんです──」



165 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/20(木) 19:51:08 ID:gzNelEMA


………



男(…それから少女は、途切れ途切れに過去を語った)


男(幼い頃の地元が○○県の△△市だという事、両親が離婚した後は若い母親と共に□□市に移り住んだ事)

男(決して裕福ではない家庭、数少ない楽しみの最たるものは、アパートの庭で母親と一緒にする花壇造りだった事)


男(中学の終わり頃に母親が再婚した事)

男(しかし再婚相手の男性はすぐに職を辞め、やがて母親は水商売をするようになった事)


男(少女は後ろ向きのまま、表情こそ知れないが肩を震わせていた)



166 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/20(木) 19:52:21 ID:gzNelEMA


男(次第に母親はやつれ、娘である少女を気にかける事もしなくなっていったという)

男(そして高校一年の夏の夜、母親が家にいない時)

男(再婚相手の男性は部屋に忍び込み、寝ている彼女を乱暴しようとした)


男(彼女は必死に抵抗し逃げようとしたが、男性の力に敵うはずもなく)

男(再びベッドに倒され絶望した彼女は、覆い被さろうとする相手の頭を枕元にあったガラスの花瓶で殴った)


男(気を失い、伏せた男性)

男(…そこで逃げれば良かったのかもしれない)

男(しかし心の内で男性を憎んでいたであろう彼女は──)



167 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/20(木) 19:53:22 ID:gzNelEMA


少女「──我を取り戻した時には、血でベタベタになった花瓶を握って部屋に立ってました」

少女「最初、救急車を呼ぼうと思ったけど…あの人の頭部はもうまともな形をとどめてなかった」

少女「だから呼ぶのは、警察にしました」


少女「パトカーが来るまでの間、私…返り血を浴びたままで、もうすぐ咲く向日葵の手入れをしてたんです」

少女「きっと、花に触れるのは最後になると思って」


少女「男さん…ごめんなさい、さすがに怖いですよね。殺人犯と同室だったなんて」

男「同じだよ」


少女「…え……」

男「俺も人殺しなんだ、実の母親を…この手で刺した」



168 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/20(木) 19:54:07 ID:gzNelEMA


………



男「──母さんが殺してくれと願った時に、俺は包丁を渡されてたんだ」

男「できない…って断ると、母さんは心中するつもりで俺にかかってきた」

男「俺は無意識にも抵抗して……母さんを刺した」


男「母さんは何も手にしていなかった…包丁なんか使わなくても、抵抗はできたはずなのにだ」

男「もしかしたら心中する…俺を殺すつもりなんか、無かったのかもしれない」

男「ただ俺に殺されるために、そう装った…それもあり得る」

男「正当防衛が成り立つ状況じゃなかった、事故とも呼べなかった」


男「俺は…君と同じ、人殺しだ」



169 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/20(木) 19:55:09 ID:gzNelEMA


少女「違います、男さんはお母さんを殺したくなんかなかったはずでしょう?」

男「それなら少女だってそうだ。その人に襲われるなんてきっかけが無かったら、殺したりはしなかった」

少女「でも私は自分が危機を脱してから、あの人を殺した…とどめを刺したんです」


男「君は俺の口から『お前は人殺しの犯罪者だ』と言って欲しいのか?」

少女「…事実…ですから」

男「違うだろ、そんな言葉…誰よりも自分が自身を責める時に、何度となく心で呟いたはずだ」

少女「………」


男「俺は君に言われるまま、君に依存した。カウンセラーの言った『絶対的な味方』を手に入れた」

少女「男…さん…」

男「だから俺は、君の絶対的な味方になる」



170 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/20(木) 19:56:11 ID:gzNelEMA


男「例え誰が君を責めようと、法が罪を定めようと…俺は認めない」


ギュッ…

男「君は犯罪者なんかじゃない」

少女「…うっ…うぅ…っ…」グスンッ


男「俺は…解るよ」

少女「…は…ぃ」

男「誰かに、そう言って欲しかったろ」

少女「……ぅ…」コクン


男「…何回でも、いつでも言うから」

少女「ありが…と…ぅ…」グスッ



171 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/20(木) 19:57:02 ID:gzNelEMA


男(少女は俺の腕の中で、ずっと泣いていた)

男(監視カメラで見られているのは分かっていたが、それを理由に腕を解く気にはならなかった)


男(二人ともが本意でなくとも人を殺めた過去をもち、その記憶を共有している)

男(それは俺の依存願望を強く満たしていると思う)

男(きっとそのレベルは一線を超えているだろう)


男(だから、この生活は終わる。施設は俺達を一緒にしておかない)

男(華奢な肩を抱き締めながら、俺はそんな事を考えていた)



172 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/20(木) 19:57:51 ID:gzNelEMA


……………
………


…半月後、施設館内


白衣「昼食の後で眠たいかもしれないが、まあ…座ってくれ」

男「……初めてですね、二人揃って呼び出されるのは」

少女「………」


白衣「少女くん」

少女「!!」ビクッ

白衣「……その様子だと、私が怖いようだね」

男「変な味利きはやめてくれませんか」

白衣「すまない、だが少し確かめたくてな」



173 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/20(木) 19:58:41 ID:gzNelEMA


白衣「四ヶ月ちょっと…か、この施設での君達を見てきた。随分と変わったね」

男「………」


白衣「それぞれの症状の事、そして過去の事は…話しているのか?」

男「…ええ」

少女「………」コクン


白衣「そうか、それなら話す内容をぼかす必要は無いな」

男「彼女に不躾な事は言わないで下さい」

白衣「……気をつけよう」



174 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/20(木) 19:59:27 ID:gzNelEMA


白衣「まず…男くん。君は我々の予想通り、彼女に依存している」

男「…否定はしません」

白衣「君自身の意識の中で、その関係が恋人のそれか兄妹のそれに近いかは解らないが…はっきり言おう」

男(……離れろ…って?)


白衣「…正直、安堵している。君の依存のレベルは、我々が理想とした程度に留まっていると思う」

男「えっ…」


白衣「君が前の施設で数名のカウンセラーに心的依存の症状を見せた時、それは相手に『頼りたい』『護って欲しい』という願望が強かったと診断している」

男「はい、そう聞いています」


白衣「だが今の君の依存の方向性は、相手に頼り頼られる…相互の関係を築いていると見た」

男「………」

白衣「君がその種の依存関係を築くためには、自分と同年代…できれば少し年下の相手が必要だと我々は判断したが、正解だったようだ」

男「…はい」



175 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/20(木) 20:00:20 ID:gzNelEMA


白衣「…次に、少女くん。君は他者に対する恐怖心を強く抱いていたね。前の施設では、それはとても顕著なものだった」

少女「………」

白衣「だがこの数ヶ月で、少なくとも相部屋の彼に対する恐怖心は拭えた。しかも相手は男性だ、これは大きな進歩だよ」

男(まさか、施設から出られるのか…?)


白衣「しかし…さっきの様子から察しても、まだ彼以外の者への恐怖心は払拭できていないようだね」

少女「…はい」

白衣「明らかな進展は認められるが、もう少し様子を見る必要がありそうだな」

男(どうなる…このまま、現状維持なら御の字だが…)



176 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/20(木) 20:01:04 ID:gzNelEMA


白衣「総合的に見て、近々…次の段階に移りたいと思うのだ」

男「次の段階…」


白衣「ああ、二人とも『別の人物に対しても同じ関係を築けるか』を判断する」


男「!!」

少女「……えっ…」


白衣「二週間後、君達は棟を変わってもらう事になるね」

男(つまり、それは…)

少女「あ、あの…っ」



白衣「そう、二人とも『新しいパートナー』との生活に入ってもらう」



177 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/20(木) 20:47:26 ID:gzNelEMA


男(ふざけやがって……外に出られるわけでも、現状維持でも個室に戻されるでもなく)

男(よりにもよって、新しいパートナーだと?)


白衣「…せっかく馴染んだのに寂しいだろうとは思うが、どうか理解して欲しい」


男(少女のパートナーがまたオトコである可能性もある……いや、その可能性の方が高いだろ)


白衣「少女くんが、男くんにしか気を許せないというのでは…とても社会復帰は不可能だ」


男(さんざん依存させておいて取り上げるだけじゃなく)


白衣「男くんの経過は、まずまず良好だ。どちらかと言うと特に少女くんの為の措置である…そう考えて欲しい」


男(他の誰かの下へ去る彼女を、笑顔で見送れってのか──)



178 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/20(木) 21:01:09 ID:/sJeInrI


白衣「男くんには辛いかもしれんが…解ってくれるね?」


男「……解り…ました」

少女「えっ…?」


男「よろしく…お願いします」ググッ…

少女「え…あの…男さんっ…?」

男「少女の新しいパートナーはできるだけ優しい、可能なら…花の好きな人にしてあげて下さい」


白衣「難しい注文だが、心にとめておくよ」

男「…お願いします」

少女「男さんっ!」



179 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/20(木) 21:12:06 ID:h2IPo18M


白衣「…今後の予定は追って伝えさせてもらおう」

男「はい」


少女「………」


白衣「では、部屋に戻りたまえ」

男「…行こう、少女」


少女「………」フルフル


白衣「どうした、少女くん」

男「……?」


少女「…ふざ…けないで…よっ」 ギリッ



180 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/20(木) 21:13:31 ID:h2IPo18M


少女「この施設にいる限り…私達は必要な治療を受ける義務があります…」

男「少女…」

少女「解ってる…そんな事、解ってます…私達は税金を使って治療を受けてる」

白衣「…その通りだ」


少女「それでも…嫌です」ポロッ

男「よせ…少女…」

少女「男さん以外の新しいパートナーなんか、私は欲しくないっ!」ボロボロッ


男「やめろ! 余計に悪い診断が下される──」

少女「構わない! 今のまま…そうでないなら独りぼっちでいい! 元の施設に帰して下さい!」



181 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/20(木) 21:25:30 ID:CHtSbo1g


白衣「……おめでとう、合格だ」

少女「……っ…?」

男「え…?」


白衣「謝ろう、本当にすまなかった。今の話こそが、最後の診断だったんだよ」

男「どういう…事ですか」

白衣「相互の信頼関係を築いた男くんが、その相手のためを考えて自らの理性を保てるか。また少女くんが、どこまで深く人を信頼できるようになったか…試させてもらった」


少女「…じゃあ、今の話は」

白衣「不合格であれば、本当にその処置をとる可能性もあったがね。その必要は無いようだ」

男「合格なら、どうなるんです」

白衣「おめでとう…と言ったはずだ」



182 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/20(木) 21:26:33 ID:CHtSbo1g


白衣「君達は間違いなく、人を殺めた」

白衣「しかしその経緯は大きく情状酌量の余地があるものだ。限りなく不幸な事故に近いと言っていい」

白衣「そんな若者が、長く施設に隔離される程に社会復帰の道を掴み難くなってゆく…それは悲しい事だ」


白衣「しかしながら君達のようなケースでは、自身が大きな心の傷を負っている事が多い」


白衣「そしてそれは思わぬ形で現れる事がある」

白衣「男くんの依存症状も少女くんの他者への恐怖心も、それ自体は社会復帰が不可能なレベルではない」


白衣「だが社会に出た男くんが誰かに強く依存し、不意にその対象を失いそうになった時」

白衣「そして少女くんが目の前の誰かに強過ぎる恐怖心をもった時」

白衣「その心の傷が自己を過剰に防衛しようとするかもしれない」

白衣「つまり不幸な事故が再現される可能性がある…という事だ」



183 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/20(木) 21:28:10 ID:CHtSbo1g


白衣「君達がそうなるとは限らないが、そういった事例は決して少なくはない」

白衣「だから長く施設に、保護の名を借りた隔離をせざるを得なかった」


白衣「…この施設はその期間を少しでも短縮するためのもの」

白衣「少し荒療治かもしれないが、君達が受けたような治療を施すために作られたんだ」

白衣「まあ…まだまだ、実験段階だがね」


男「期間を短縮する…じゃあ」

白衣「そうだ、君達には社会に戻ってもらう」

少女「男さんっ…」

男「少女…よかった…」



184 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/20(木) 21:29:07 ID:CHtSbo1g


白衣「ただし、今しばらくは監察の下に置く事となる…つまり一般の児童保護施設、いわば孤児院に入ってもらう」

男「孤児院…」

白衣「残念ながら二人とも、あまり頼りにできる身内はいないと聞いてもいる。それは仕方ないと思ってくれ」


少女「お…男さんとは? 同じ施設に入れるんですか…?」

白衣「それも…すまない、君達がそれぞれ住んでいた自治体の管轄する施設に入ってもらう事となる」

少女「そん…な…」


白衣「…まあ、そう気を落とさないでくれ。二人の地元はひとつ県を挟むだけと聞いている。男くんの歳なら通えない事もあるまい?」

男「そう…ですね」

白衣「失った期間の分、勉学にも励まねばなるまいが…今よりはずっと自由になるはずだ」

少女「…はい」


白衣「この施設が君達のような若者にとって救いとなれるか…それは今後の君達にかかっているといっていい。…期待しているよ──」



185 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/20(木) 21:29:58 ID:CHtSbo1g


……………
………


…二週間後


男「向日葵…ほとんど枯れちゃったな」

少女「………」コクン

男「午後には退所…か、孤児院ってどんなだろうな」

少女「…どうでも…いいです」


男「元気出せって、名前のイメージだけだけど子供とかもいっぱいいるんじゃないか。確か小さな子供は怖くないんだろ?」

少女「でも…男さんがいません」



186 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/20(木) 21:30:50 ID:CHtSbo1g


男「会えないわけじゃないよ」

少女「…会いに来てくれますか?」

男「個人情報保護の観点だとかで、お互いの入る施設の名前や詳しい情報は教えられてないけどな」


少女「答えて下さい、会いに来て…くれる?」

男「…うん」


少女「約束ですよ…? この情報社会ですもん、きっとインターネットとかで施設は調べられます」

男「そうだな。孤児院なんて、そんなにたくさんあるわけじゃないだろうし、およその目星はつくんじゃないか」

少女「だから、会いに来て下さい」

男「…きっと行くよ」



188 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/20(木) 21:31:27 ID:CHtSbo1g


少女「どうして『きっと』なんですか、絶対って言って下さいよ」

男「うん、絶対」

少女「…これじゃ、どっちが依存してるのか解らないです」

男「相互の関係…そう言ってたよ」


少女「離れてても男さんは、私の味方ですよね?」

男「それはもちろん、絶対的な味方だよ」

少女「…待ってますから」

男「うん…」



189 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/20(木) 21:33:00 ID:CHtSbo1g


………



男「お世話になりました」


白衣「元気で、何かあったら連絡をくれて構わない」

職員「施設の土地をあんなに綺麗な庭にしたのは、君達が初めてだよ。次に入る人には、できるだけ管理してもらうようにするからね」

少女「お願い…します」ペコッ


白衣「じゃあ、名残惜しいだろうが……それぞれのワゴン車に乗ってくれ」

男「はい」

少女「………」



190 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/20(木) 21:34:15 ID:CHtSbo1g


…バタンッ


少女「あの…窓は…」

運転手「うん?」

少女「窓、開けたいんですっ」

運転手「ああ、悪いが運転席からしか──」
少女「早くっ! お願いします!」


ウイィーーン…

少女「男さんっ!!」


男「…少女!」

少女「待ってるから…私、ずっと待ってるからっ!」

男「さよなら、少女…!」

少女「さよなら、ちょっとだけ…さよなら──!」



194 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/21(金) 00:15:36 ID:0.FupNiM


……………
………


…数日後、男の入所する施設


男(…やっと落ち着いたな)

男(この施設、悪い所じゃない…子供もいっぱいいるし)

男(きっと所員の人は知ってるんだろうけど、俺の過去に触れる人もいない…)

男(少女の施設も、こんなならいいな)



195 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/21(金) 00:16:25 ID:0.FupNiM


スポ刈「あ、兄ちゃん! キャッチボールやろうぜ!」

男「えー、昨日もしただろがよ」


メガネ「新入りにせっかく馴染むチャンスを与えてあげようとしてるのに…」

男「お前らが俺につきまとってるだけだろ、生意気言うな餓鬼共」


スポ刈「ちぇーっ、行こうぜメガネ」

メガネ「兄ちゃんのばーか!」

男「うっせえ、また相手してやんよ」



196 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/21(金) 00:17:32 ID:0.FupNiM


男(さて…何か施設の手伝いでも──)

男(…ん? ロビーのPCの前にいるのは)


ポニテ「………」

男「どうかしたの?」

ポニテ「あ、新入りのお兄ちゃん。えっと…ケンサクってどうやるのかなーって」

男「検索…? ああ、それならこのマークをダブルクリックして、出てきた窓に言葉を入力するんだよ」


ポニテ「ええと…」

男「ふたつ以上のキーワードで検索したい時は、間に空白を入れるんだ」

ポニテ「え…い…が……スペース? えっと……ぷ…り……『きゅ』ってどう打つの?」

男「はいはい『映画 プリキュア』ね」カタカタッ…ターンッ

ポニテ「わぁ! すごい!」



197 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/21(金) 00:18:46 ID:0.FupNiM


………



ポニテ「ありがとう、お兄ちゃん! こんどプリキュアのこと教えてあげるねっ!」フリフリ

男「お、おぅ」

ポニテ「じゃあね! パソコン、使っていいよー!」


男(PCか…インターネットねぇ…)


…カチカチッ
カタタッ…カタタタッ


男「………」



198 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/21(金) 00:20:15 ID:0.FupNiM


男(…本当に会いに行くつもりか?)


男(きっと彼女の施設の人も、過去に触れるような事はしないだろう)

男(でも俺が会いに行ったら、どうなる…?)

男(素直に会わせるだろうか)

男(彼女の過去を知り、そして同じ過去をもつ俺を…)


男(その施設にとって、そんな訪問者は招かれざる者なんじゃないか)

男(…彼女がそれを呼び寄せる元凶だとでも捉えられたら)


男(……ずっとじゃない)

男(俺も彼女も大人になって、施設を出る時が来たら…いくらでも会えるはずだろ)

男(それまでは──)



199 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/21(金) 00:21:06 ID:0.FupNiM


……………
………


…翌春


ポニテ「お兄ちゃん、何するの?」

男「うん、施設長さんには許可をとったから…」

スポ刈「何のだよー」

男「いいから、ほら…スコップ持て。メガネもだ、ポニテちゃんは後であんまり力の要らない仕事をしてもらうからな?」



200 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/21(金) 00:21:59 ID:0.FupNiM


メガネ「スコップ大きいー、重いー」

男「それでも男か、しゃんとしろ」

スポ刈「いぇーい! メガネ、チャンバラやろーぜ!」

男「危ねえ! スコップ振り回すな!」


ポニテ「それで、本当に何をするの…?」

男「よし、準備ができたところで教えてやろう……これからここに、花壇を造るぞ!」


ポニテ「花壇…お花植えるところ?」

メガネ「材料もないのに」

男「あるんだなー、これが。目の前にいっぱい」

ポニテ「?」



201 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/21(金) 00:23:33 ID:0.FupNiM


スポ刈「…なんか面白くなさそうだなー」

男「いやいや、意外と楽しいもんだぞ? よっし…じゃあこの範囲を30cmの深さで掘って、土を移動だ!」


ポニテ「30cmってどのくらい?」

メガネ「大人の靴の長さくらいだよ」

スポ刈「まじかよー!? ここ、土が固いから花壇なんて無理だって…石ころだらけなんだぞー」


男「ふっふっ…その石ころが重要なのだよ」

メガネ「意味わかんない」

スポ刈「俺、パス。サッカーやるわ」

ポニテ「えぇー、一緒にやろうよ…ねっ?」ウルウル

スポ刈「しょ…しょうがねえなぁ…」テレッ



202 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/21(金) 00:24:48 ID:0.FupNiM


……………
………


…数日後


スポ刈「この位のはどーする?」

男「おう、それ石積み用な。あっちに置いといて」

メガネ「掘った土、崩し終わったよー」

男「うん、ポニテちゃん熊手で石ころを選り出してくれ」

ポニテ「はーい」


スポ刈「ちょっと俺、トイレなー」

メガネ「サボんないでよー?」


男「じゃあ、俺はあっちで石積みの続きやってるから、怪我すんなよ」



203 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/21(金) 00:26:59 ID:0.FupNiM


男(──少女、今…俺は子供達と一緒に花壇を造ってるんだよ)

男(去年の春、君が教えてくれた方法で…同じように)


男(ある意味、今…俺はあの子達に依存してるのかもしれない)

男(子供達も俺を小馬鹿にしつつも慕ってくれてる、相互の関係が築けてると思うんだ)

男(君とはまた違う存在として、絶対に護ってやりたい…味方になってあげたい)


男(…怒らないよな?)


男(寂しくない…会いたくないって言えば、嘘になるけど)

男(いつか君を迎えに行ける日まで、俺は俺で頑張るから)

男(きっと…待っててくれ──)



204 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/21(金) 00:31:49 ID:0.FupNiM


………



スポ刈「ふうっ、スッキリスッキリ! これで力が入るぞー! …って、忘れるとこだった。施設長が兄ちゃんを呼んでくれって」

男「俺を? …何だろ」


メガネ「早く行かないと、施設長怖いよー?」ニヤリ

スポ刈「なんか悪い事してて、もう怒ってるかもよ?」ニヤニヤ

ポニテ「もーう、お兄ちゃんは怒られるような事しないよー」


男「うん…まあ行ってくるわ、本当に怪我だけは気をつけてやってろよ?」

三人「はーい」



205 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/21(金) 00:32:30 ID:0.FupNiM


………



…ガチャッ


男「…失礼します」

白衣「おお、久しいな。元気にしているようだね」


男「お久しぶりです、どうしたんですか?」

白衣「いや、ちょっと君の様子をね……どうだい、彼女には会いには行ったのか?」

男「…いいえ」



206 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/21(金) 00:33:20 ID:0.FupNiM


白衣「ほう…どうして行かない」

男「この施設で、僕の過去に触れる方はいませんでした。…きっと彼女の所でも一緒じゃないかと思います」

白衣「…うむ」

男「そこへ過去を知る俺が行くのは、施設にとって…そして彼女にとっても脅威にしかならないと思いました」


白衣「もし彼女が新しい環境に悩んでいたら、力になってあげたくはないかね…?」

男「それは…そうですけど、でも逆に新しい環境に適応し始めているとしたら、それを壊したくもありません」


白衣「素晴らしい、完璧だよ」

男「…はい?」



207 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/21(金) 00:34:24 ID:0.FupNiM


白衣「…また謝らねばならんな、君が彼女の下を訪ねなかった事は知っていたんだ」

男「相変わらず、人が悪いですよ」

白衣「まあ、責めてくれるな……それからこの施設のPCで、彼女の施設に関する情報を検索した形跡も全く無いと聞いている」

男「…はい」


白衣「重ねて、すまない。今日、ここを訪れたのは紛れもない…君の症状についての最終判断をするためだ」

男「最終って、前も聞きましたよ」

白衣「だから謝っているんだよ。だがまあ…監察下に置かれるというのは、そういうものだ。どうか、許してくれ」



208 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/21(金) 00:35:08 ID:0.FupNiM

男「いつか、彼女の事は調べます。…会いに行きますよ、お互いに施設を出られるくらい大人になったら」

白衣「今は通信制の高校に再入学しているそうだね」

男「はい、できれば将来は保育士になりたいです。…園芸や造園の方面も興味はあるんですけど」

白衣「なるほど、頑張っているんだな」


男「あの…ところで…」

白衣「なんだね?」


男「格好つけた事を言っておいてアレなんですけど……彼女の事、話だけなら聞きたいです。どうしてるか、知りませんか」



209 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/21(金) 00:35:54 ID:0.FupNiM


白衣「ああ、彼女は…あまり状態は変わっていないね」

男「そう…ですか」


白衣「君と同じように通信制の高校には入学したが、どうしても他者への恐怖は拭いきれないようだ」

男「………」

白衣「やはり、君のような心を許せる相手が傍にいて、他者との橋渡しをしてやる方がいいのかもしれんな…」

男「…会いたくなっちゃいますね」


白衣「うむ…君はさっき、大人になってから会いに行く…と言ったね」

男「…ええ、それが?」

白衣「ちょっと…また、謝らねばならんかもしれんな──」



210 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/21(金) 00:36:34 ID:0.FupNiM


………



スポ刈「おりゃーっ! こんなもんだろっ!」


メガネ「まだ深さが足りないんじゃない?」

スポ刈「いいんだよ、サボってる兄ちゃんが悪いんだ」

ポニテ「お兄ちゃんはサボってるんじゃないでしょ?」


スポ刈「…あれ? あの人、誰だろう…」

メガネ「こっちにくるぞ」



211 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/21(金) 00:37:38 ID:0.FupNiM


「…こんにちは」

三人「こんにちはー」


ポニテ「あの、お姉ちゃん…誰?」

「うん、今日からここの施設に入る事になった新入りなんだ。…よろしくね」


メガネ「お、早くも兄ちゃんの子分ができたな」

スポ刈「よっし…新入り、花壇造りを手伝わせてやろう」

ポニテ「だめだよ、無理矢理させたらお兄ちゃんに怒られるよ?」



212 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/21(金) 00:39:02 ID:0.FupNiM


「あはは…大丈夫だよ、きっと。…ところで、この花壇には何の花を植える予定なの?」

スポ刈「決まってない」

メガネ「…ってか、兄ちゃん花の苗を買うお金無いって言ってた」


ポニテ「じゃあ種からかぁ、時間かかりそう」

スポ刈「種も買えないんじゃね?」

メガネ「こないだ『喉が渇いたー』って言いながら、自販機の横の水道の水飲んでたもん」


「あらあら…じゃあ、お姉ちゃんがいいものをあげようかな」

ポニテ「いいものって?」

「ほら、これだよ」ガサッ



213 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/21(金) 00:40:04 ID:0.FupNiM


メガネ「あ、種だ!」

スポ刈「これ、リスが食うやつだ」

ポニテ「もしかして向日葵? 私、大好き! この種、どうしたの?」


「この種は、去年の向日葵から収穫したんだよ」

ポニテ「自分で育てた向日葵の?」


「うん…とっても大切な人と一緒に、手造りの花壇でね──」




【おわり】




2014.3.25追加

この先は本来なら書かないつもりだったはずの後日談ですが、コメントで多く要望を頂戴したため、追記しました。

あくまで蛇足的なものになりますので、ここで終わった方が良いと思う方は読まない事をお勧めします。

実際、続きはいくらでも考えられます。これはそんな続きの内、あり得るかもしれない1パターン。

読まれる方がこの展開でいいと思えばそれで構いませんし、そうじゃなく自分的にはこう…と感じればそれが正解で構わないです。














214 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/25(火) 00:00:00 ID:te-i_and_to-u


……………
………


…8月中ごろ


カタタン、カタタン…


少女「電車なんて、すごく久しぶりです」

男「うん、俺もだよ」

少女「あの、さっきも朝ご飯払ってもらったけど…大丈夫ですか?」

男「知ってるだろ? 盆前まで郵便局で配達の夏季バイトしてたの」

少女「それは…まあ」

男「いいんだよ、たまには」



215 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/25(火) 00:00:00 ID:te-i_and_to-u


男「実際、施設の世話になってる身だからあまり贅沢なんて出来ないけど」

少女「それでも充分、毎日が楽しいですよ」

男「うん、でもこの程度…休日にたかが数時間の日帰りでどこかに行くくらい、許されてもいいだろ」


少女「…どこに行ってるんですか?」

男「こないだ新聞で見たところ」

少女「私は見てないですよ」

男「解ってる、内緒だから」

少女「…楽しみにしておきます」



216 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/25(火) 00:00:00 ID:te-i_and_to-u


………



男「いかにも田舎の無人駅だなー」

少女「こんなところで下車するのは初めてです」

男「それも、俺も同じ…かな。昔、親父が生きてた頃はあちこち行ったけど、車がほとんどだったから」


少女「私は小学生の頃には母と二人だったから、あまり遠くに出かけた事はないです」

男「そうか、そりゃ良かった」

少女「良かった…?」


男「うん、だってたくさん楽しい事が残ってる、これからそれを経験できるって事だろ」

少女「……はいっ」



217 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/25(火) 00:00:00 ID:te-i_and_to-u


男「確か○△行きのバスに乗るんだよ」

少女「えっ」

男「…どうした?」


少女「……日に4本しかないですよ」


男「げっ! そこまで調べてなかったな……でもよかった、1時間後にはあるぞ」

少女「ここで1時間ですか」

男「……まあな」

少女「何しましょう?」

男「…散歩?」



218 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/25(火) 00:00:00 ID:te-i_and_to-u


………



少女「男さん! あれ、水車です!」

男「おお…手作り感満点だね」

少女「水も綺麗…嘘みたい」

男「あっ、魚…オイカワかな」


少女「小川に足を浸けたら気持ちいいでしょうね」

男「どうぞ、止めないよ」

少女「え、どうしよう……」

男「いいんじゃない? サンダルだから脱ぐのも楽だろ」

少女「もう、日焼け止めが流れちゃうな…とか、女の子には色々あるんですよ」

男「また塗ればいいよ。足を浸そうかと思えるような川、地元には無いぞ?」



219 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/25(火) 00:00:00 ID:te-i_and_to-u


少女「じゃあ…そうしようかな」


男「…で、いつ後ろから押せばいい?」

少女「もうっ! 絶対やめて下さいよ…!」

男「押すなよ! 絶対に押すなよ!?」ニヤニヤ

少女「前フリじゃないですっ!」アセアセッ


………



男「どうー?」

少女「最初は痛いくらい冷たかったけど、だんだん慣れて気持ちいいです。男さんもどうですか?」

男「うん、でも先にちょっとな……そこで待っといてくれよ、すぐに戻るから」

少女「…はい?」



220 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/25(火) 00:00:00 ID:te-i_and_to-u


………



男「お待たせー」

少女「どこに行ってたんですか?」

男「ああ…さっき遠目に商店が見えたんだ」

少女「商店…?」


男「はい、半分こな」バリバリッ

少女「あっ、アイス」

男「懐かしのソーダバー、真ん中で割れるやつ。…よっ…と」サクッ

少女「わあ…川に足を浸けながらアイスって、なんかいいですね」


男「うーん……こっち」ヒョイ

少女「あ、ちょっと大きい方とりましたね」

男「いいんですー、買った者に大きい方をとる権利があるんですー」



221 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/25(火) 00:00:00 ID:te-i_and_to-u


………



お婆さん「…おや、こんにちは」

男「こんにちはー」

少女「こんにちは」ペコリ


お婆さん「地元の若い子じゃあないねぇ」

男「ええ、電車で来ました」

お婆さん「珍しいねぇ、何にも無いところじゃけど、ゆっくりして行きんさい」

男「いいところですよ、すごく」



222 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/25(火) 00:00:00 ID:te-i_and_to-u


お婆さん「兄妹かね?」


少女「えっ」


男「…そんなとこです」

お婆さん「違ったならごめんねぇ、もしかしてバスを待ってるのかい?」

男「はい、まだ30分もあるから…」


お婆さん「だったらあそこへ行くんじゃな? あの──」
男「わわっ! お婆ちゃん、ストップ! 内緒にしてるんですっ」

お婆さん「…ああ、そうかね。そりゃあすまんじゃった」

少女「……?」



223 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/25(火) 00:00:00 ID:te-i_and_to-u


お婆さん「でも、それなら油断せん方がええよ…? この田舎じゃからねぇ、バスはうんと早く着く事もある」

男「げっ、逃したら洒落にならないな」


お婆さん「まあ定時近くまでは停まっとるけどねぇ」

男「ありがとう、お婆ちゃん。ちょっと早目には行ってみます」

お婆さん「うん、それがええよ」


男「じゃあ、アイス食べ終わったらバス停に戻ろうか」

少女「はい」



224 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/25(火) 00:00:00 ID:te-i_and_to-u


………



男「暑いなー」

少女「………」


男「良かった、まだバスの姿はないな」

少女「………」


男「さすがにバスは冷房効いてるよな…?」

少女「………」


男「…少女?」

少女「………」


男「少女っ」

少女「はいっ!? …ご、ごめんなさい、ボーッとしてました」



225 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/25(火) 00:00:00 ID:te-i_and_to-u


少女「……お婆さん、兄妹って言いましたね」

男「ああ、まあそう見えても無理はないよな」

少女「そうですね」


男「実際、家族みたいに想ってるしな」

少女「家族…ですか」

男「もちろん施設の人はみんな家族みたいなものだけど、特に少女は」


少女「……ありがとう…ございます」

男「少女、だから…家族にそんな丁寧な言葉遣いは、要らないんだよ」

少女「うん…その内、なおしますね」



226 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/25(火) 00:00:00 ID:te-i_and_to-u


………



少女「バス、本当に早目に来ましたね」

男「お婆ちゃんの言う事きいといてよかったな」

少女「出発したのは定時になってからですけどね」

男「でも車内は涼しいよ」


少女「…どのくらい乗るんですか?」

男「15分くらいじゃないかな」

少女「じゃあ、もう少しですね」


男「道が悪いから、揺れるな」

少女「男さん…あのね」

男「ん?」

少女「さっきの…家族みたいって話なんですけど」

男「…うん」



227 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/25(火) 00:00:00 ID:te-i_and_to-u


少女「私は…少し違──」

男「──あっ」

少女「?」

男「少女、目を瞑ってて」

少女「えっ…?」パチッ


男「…たぶんすぐにバス停だから、そのまま」

少女「……はい」



228 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/25(火) 00:00:00 ID:te-i_and_to-u


ブロロロロ…キィッ…
…プシュー


男「少女、目を瞑ったまま…手を引くから」

少女「怖いですよぅ」

男「そーっと、そーっと…はい、段差あるよ。もう二段、一段…おっけー」


少女「……何なんですか?」

男「はい、じゃあそのまま向きを変えて…こっちこっち。まだ、目を開けるなよ?」

少女「………」


《…発車します》
ブロロロロロッ……



229 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/25(火) 00:00:00 ID:te-i_and_to-u


男「俺達が…ポニテちゃん達と一緒に造った花壇が一番だってのは解ってる」

少女「はい?」

男「でも別物だよ、これは」

少女「どういう──」
男「──少女、目を開けろ」


ザアッ…
…ザワザワ


少女「……!!」



230 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/25(火) 00:00:00 ID:te-i_and_to-u


男「写真で見るより、ずっとすごいな」

少女「向日葵畑…! 辺り一面…どこまでも…!」

男「真ん中に見晴らし台があるって。…手を」


──ギュッ


少女「あっ…」

男「行こう」

少女「…はい」



231 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/25(火) 00:00:00 ID:te-i_and_to-u


少女「すごい、私の背より高い…」

男「俺より高いのも多いよ」

少女「向日葵のトンネルみたいです」

男「あの階段かな」


トン、トン、トン…


少女「うわぁ…!」

男「これは壮観だな」

少女「すごい…! すごいっ!」



232 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/25(火) 00:00:00 ID:te-i_and_to-u


少女「………」グスッ

男「なんで泣くよ」

少女「こんな日…来ないと思ってた…」ポロッ

男「…俺も、そう思った」


少女「男さん…ありがとう、私…男さんと会えてよかった…です」

男「よせよ、照れる」

少女「…兄妹でこんな事言うの、おかしいですか?」

男「兄妹…か」



233 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/25(火) 00:00:00 ID:te-i_and_to-u


男「俺、少女の事…本当に家族みたいに思ってるよ」

少女「…はい」


男「でも、妹みたいに思ってるのかっていうと…合ってるような、違うような」

少女「……?」


男「だって妹なら、いつか少女が誰かと恋をするのを喜んで見守ってあげなきゃいけない」


少女「男さん…」

男「格好悪いけど、俺の依存願望は…そんな事を許さないんだ」



234 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/25(火) 00:00:00 ID:te-i_and_to-u


男「それでも、じゃあ今…俺が君に恋をしてるかって訊かれたら……それも違う」

少女「それでいいです。…自分に依存してって望んだのは私ですから」


男「だから、これからだよ」

少女「はい…?」



男「俺は今から、君と恋をしたいと思うんだ──」



235 : ◆M7hSLIKnTI:2014/03/25(火) 00:00:00 ID:te-i_and_to-u


……………
………


…数年後


「──写真だけって方も、最近は多いですよ」

「はい、よろしくお願いします」


「衣装とかは提携してるところがありますから、かなりの数から選べます」

「後で行ってみますよ」

「あとは…小物ですね、中には買い取りになるものもありますが」

「…それくらいは記念ですから」

「ヴェールとか、ブーケとか…あと…」


「あ…ブーケなんですけど」

「はい?」


「僕達の、手作りのブーケを使いたいんです」

「ああ…いいんじゃないですか、何もかも自前でって言うと嫌な顔されたりしますけど、ブーケくらいは」

「そうですか、よかった」

「でも、似つかわしくない花もありますからね…念のため、何の花で作るんです?」



「…向日葵です」




【おわり】




.

テーマ:ショート・ストーリー - ジャンル:小説・文学

  1. 2014/03/21(金) 11:29:26|
  2. 男女SS
  3. | コメント:32

本屋とバス停と男と女(原題/同じ)

1: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/11(水) 18:58:47 ID:YAjCiUJE

あれほど誇らしげに自らの存在を主張していた夏は、もうそのなりを潜めている。

まして今は夕暮れを過ぎ、空はすっかり藍色に染まった時間。

高校の制服の半袖のポロシャツでは、少し寒くさえ感じる。

通う学校からほど近い、住宅地へと上る坂の下にあるバス停で、俺は今日も帰りのバスを待っていた。

ほど近い…とはいっても学校から最寄りの停留所というわけではない。

俺は放課後、学校から歩いて10分程のところにある本屋でバイトをしている。

その本屋は親戚の伯母さんが経営する店で午後7時までの営業なのだが、伯母さんも中学生の息子と小学生の娘を持つ身。

五時を過ぎる頃には夕飯の支度をはじめ家事に追われる事になるから困っているという話を聞き、俺が自ら志願した。

店番を始めて解った事だが、その時間帯はちょうど仕事終わりのサラリーマンや学校帰りの学生達が立ち寄り、意外とよく売れる。

店を早い時間に閉めるわけにはいかないというのも納得のいくところだ。





2: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/11(水) 19:05:35 ID:YAjCiUJE

毎日ほんの一時間半程のバイト、少々の時間のズレはあれど賃金は日に千円と決めている。

でも月に20日程度は従事しているわけで、高校生の経済事情からすれば結構馬鹿にならない収入だ。

正直、助かっている。

それともう一つ、このバイトの魅力を増す要素がある。

その要素とは決まって午後6時40分頃に店に寄り、閉店間際まで立ち読みをして過ごす女の子。

店からすぐ近くにある女子高の制服を着たその娘が来るのを、俺は密かに楽しみにしている。

実際に本を購入する事こそ稀だが、週に四日くらいは来ていると思う。

そしてどうやらその娘が店に寄るのは、バスの時間待ちのためらしい。





3: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/11(水) 19:06:13 ID:YAjCiUJE

俺はいつもバイト後、店舗と繋がった伯母さんの家で夕食をご馳走になっていた。

しかし半月ほど前のある日、自宅の夕食が俺の好物だと聞かされていたから、夕食を食べずに伯母さんの店を出た。

すると、バス停にあったのは気になるあの娘の姿。

残念ながら乗るバスの路線は違うものだった。

でもその日から毎日、彼女が乗るバスが来るまでの五分間、俺の至福の時は延長される事となった。

そのかわりせっかく得たバイト代の一部が、夕食のパン代に消える事にもなったけれど。





4: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/11(水) 19:06:59 ID:YAjCiUJE

そして今日もまた、幸せな五分間を過ごしている。

バス停には雨よけのシェルター屋根が設置されているものの、座るベンチなどは無い。

道に向かって背後となる側には地域のお知らせ事の貼り紙をするための古い掲示板があり、彼女はいつもバスが来るまでそれをぼんやりと眺めていた。

俺は身体を道の側に向けつつも、視線はちらちらと彼女を盗み見る。

ちょうど彼女の立つ位置から見ると俺の向こうに街路灯があるから、俺の姿はシルエット気味になっていて視線なんかはよく判らないはずだ。…たぶん。

焦げ茶色の通学バッグを両手で前に提げた立ち姿。

紺色のスカートは下品に短くされてなどいない、標準的な長さの清楚なものだ。

それがまた、いい。





5: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/11(水) 19:07:44 ID:YAjCiUJE

二人の距離は1メートル程、手を伸ばせば触れられそうだけど伸ばすわけは無い。

時々彼女の方から風が吹き、少し甘いような彼女の髪の香りに鼻をくすぐられ、また幸せになる。

《…お待たせしました。○△行きです》

しかし、そんな想いを皮肉るように、彼女の乗るバスは停留所に着いてしまった。

彼女は振り返り、開いた自動ドアへ向かう。

そしてゆっくりと、でも軽やかに二段のステップを上がってドアのすぐ後ろの座席に座った。

バスが走り始める時、ちらりとこっちを見た気がする。

たぶんあの本屋の店番だという事には気付いているのだろう。





6: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/11(水) 19:08:21 ID:YAjCiUJE

…また明日も会えますように。

俺は心の中で小さくそう願い、バスのテールランプを見送った。

程なく、今度は俺が乗るバスが停留所に滑り込んだ。

自動ドアが開く。それに向かって一歩踏み出した時、俺は足下のアスファルト上に何か落ちているのを見つける。

猫の足形をかたどった、フェルト生地縫いの小さなマスコット。

ボールチェーンのリングが外れて落ちたらしいそれに、俺は見覚えがあった。

彼女の持つ焦げ茶色の通学バッグにぶらさがっていたものだ。

それを拾い上げ、これは神がくれたチャンスかもしれないと考えた、その時。

《早く乗って下さい》

運転手にマイクで急かされてしまう。

俺は恥ずかしくなり、慌ててステップを駆け上がった。





7: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/11(水) 19:09:02 ID:YAjCiUJE

その夜、俺は自分の部屋のベッドの上で悶々としていた。

もし明日、あの娘に逢えたらマスコットを返す事になる。

やっと『いらっしゃいませ』と『ありがとうございました』以外の言葉をかけられるということであり、初めて彼女の声を聞く事ができるという事。

…どんな声なんだろう?

たぶん、天使みたいなんだぜ?

マスコットが彼女の持ち物である事を俺が知っているのは、不自然かもしれない。

でももしそういう反応をされたとしても、落とすところを見たけど声を掛ける間が無かったとでも言えばいいだろう。

よし、今日はもう寝よう。早く来いこい明日の夕方、だ。

…すぐに寝付けるかは判らないけど。





8: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/11(水) 19:09:44 ID:YAjCiUJE

《…おい》

「ん…?誰」

《起きろ。いや寝てていいんだけどよ》

「意味解らねえ事、言うな。誰だよ?真っ暗で見えねーぞ」

《俺が誰でもいいんだよ。お前、それより明日あの娘に話しかけるんだろ?》

「あ?…ああ、そのつもりだ」

《ビシッと決めろよ、その場で何か約束くらい取り付けるんだ》

「はぁ?無茶言うなよ」

《無茶じゃねーよ、好きなんだろ?》

「好きかどうかと、それが現実的か否かは別の話だろーが」

《なっさけねーな、とにかく次に繋げるんだぞ…!?》





9: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/11(水) 19:10:49 ID:YAjCiUJE

翌朝、幸いの快晴の空。

これなら雨に祟られる事なく、バス停で会話できそうだ。

…しかし、なんか変な夢を見たな。

あの声は何なんだろう。無責任な事好き放題言いやがって。

…まあいい。あの出来事を知っているという事は、俺本人の潜在意識とかそういう何かだろう。

そりゃアイツの言う通りになれば、それに越した事は無い。

でもひとまずは焦らずに、今日は声が掛けられたらそれでいいんだ。





10: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/11(水) 19:11:35 ID:YAjCiUJE

俺は少なからず動揺した。

今日も店に訪れたあの娘は、閉店間際に珍しく一冊の本を俺のいるレジに持って来た。

一瞬、ここでマスコットを返そうか…とポケットに手を伸ばした、その時。

俺は彼女が持って来た本のタイトルに目を奪われた。

『恋の育て方』

淡いピンク色の表紙には大きな字でそう書かれていた。

下部に巻かれた帯には『告白の仕方から初めてのデート、一周年記念日までのガイドブック。恋する乙女必携の一冊!』との推薦文。

彼女は、恋をしている。





11: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/11(水) 19:12:37 ID:YAjCiUJE

「…あの?」

動きの止まった俺に、彼女は不思議そうに声を掛けた。

予想していた通りかそれ以上の可愛らしい天使の声だったが、俺の気持ちは喜びとは違う感情に支配されていた。

「あ、すみません。…600円頂戴いたします」

それでも俺はその感情を殺し、レジ打ちを済ませる。

彼女は通学バッグから折りたたみの財布を取り出し、千円札と百円玉を会計皿に置いた。

「500円のお返しでございます。ありがとうございました」

レシートとお釣りを会計皿に置いて、ビニール袋に入れた本を手渡した。





12: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/11(水) 19:13:52 ID:YAjCiUJE

彼女はそれを受け取り、さっさと店を出る。

その後ろ姿がドアの向こうに見えなくなるまで目で追った後、俺はもう一度さっき頭に浮かんだ言葉を心の中で繰り返した。

彼女は、恋をしているんだ。

…いつかこの店に彼氏となった男を連れて訪れる事もあるのだろうか。

それは、それだけは見たくない。

もやもやと、心の中に暗い霧が立ち込める。

仕方ない、当たり前の事だ。できるだけその霧を晴らそうと、深呼吸をした。

「あのー、すみません」

ハッとして前を見ると、週刊誌をカウンターに置いたサラリーマンが怪訝にこっちを見ている。

「あ、失礼しました。…420円になります」

…今日は久しぶりに伯母さんの料理でもご馳走になって、時間をずらして帰る事にしよう。

そういえばマスコットを返しそびれたな。

遅くなるときっと渡し辛くなる。

でも、明日だ。心を落ち着けて、明日…渡す事にしよう。





13: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/11(水) 19:15:47 ID:YAjCiUJE

《お前はアホか?アホなのか?》

「…また出やがったか」

《なんでマスコットを渡さない?なんで話しかけないんだよ》

「うるせー、お前に俺の気持ちが解ってたまるか」

《あの本か?…ハッ!ばっかじゃねーの?あんな本、年頃の女の子なら誰でも読むって》

「でも少なくとも目当てのヒトでも居ないと買わないだろ」

《それが自分だと思えばいいじゃねーか》

「お前こそアホかよ。どんだけポジティブシンキンなんだ?一目惚れされるような容姿はしてねえぞ」

《あー、とことん情けねえ。とにかく明日は絶対に話しかけろよ?本当、マスコットだって遅くなりゃ渡しにくくなるぞ?》

「解ってるよ、それは必ず返すから」

《信用できねーなあ…》





14: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/11(水) 19:16:28 ID:YAjCiUJE

翌日の日中は恐ろしく長かった。

授業の内容はさっぱり頭に入って来ない。それはいつもか。

ずっと彼女の事を考え、どこの誰かも解らない想い人を呪うばかり。

どうか彼女が恋に破れますように、なんて女々しすぎる考えさえ出てくる始末だった。





15: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/11(水) 19:18:05 ID:YAjCiUJE

それでも長い一日は過ぎて、やはり彼女の姿は店に現れた。

いつも通り20分ほどの立ち読みをして、閉店間際に店を出ようとした…その時。

彼女の歩みがドアの前で止まった。

その理由、実は解っている。俺の仕業だからだ。

ガラスのドアの内側にセロハンテープでボールチェーン部分を貼り付けた、あのマスコット。

その横に『落し物です』と手書きのメモも貼り付けておいた。

彼女はそれに手を伸ばし丁寧にセロハンテープごと剥がすと、俺のいるレジに寄ってきた。

「あの、これ私のなんです」

「え?ああ、そうですか。それは良かったです」

俺はすっとぼけて返事をする。

「ありがとうございました、持って帰りますね」

彼女は小さく笑ってからお辞儀をし、そして足早に店を出ていく。

俺は今日もその姿がドアの向こうに消えるまで目で追い、今度は他の客がレジに来ないかを気にしながら想いを馳せた。





16: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/11(水) 19:19:49 ID:YAjCiUJE

正直、マスコットを取ったら何も言わずに帰るかな…と思っていたので、少し嬉しかった。

…やっぱり天使のような笑顔だったな。

近い将来、それは誰かのものになってしまうのかもしれないけれど。

でも少しだけふっきれたような気がする。

彼女は見た目通りの良い子だ。

きっと彼女が好きになった男も、それに見合うような人物に違いない。

だから見守っていればいいんじゃないか、ほんの少しだけでもそう思えた。





17: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/11(水) 19:21:06 ID:YAjCiUJE

少し遅れてバス亭に着くと、予想通り彼女の姿はそこにあった。

いつものように地域の掲示板を眺め、可憐な横顔を見せている。

でもその日の五分間は、一昨日までとはちょっと違うものとなった。

「…あの」

俺は大して意気込む事もなく、彼女に声をかける。

少しでも諦めがついてしまえば、こんなにも心の持ちようは変わってくるものなんだな。

「さっきは、よかったよ。あの落し物」

「あ…、やっぱり。私の事、気付いてたんですね」

「うん、よく見かけるからね」





18: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/11(水) 19:21:44 ID:YAjCiUJE

あれほど望んだ彼女との会話。

でも何だか、胸の奥がちくちくする。

彼女は掲示板から俺の方に向き直り、改めて「さっきはありがとうございました」とお辞儀をした。

「…いつもその掲示板見てるよね。何か特別な事、書いてある?」

「え?…いえ、見てるっていうか眺めてるだけで」

そう言われて恥ずかしくなったのだろうか、彼女は今度は俺と同じ車道の側に身体を向けた。





19: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/11(水) 19:23:00 ID:YAjCiUJE

「あの…ごめんなさい、いつも立ち読みばかりして」

「ぜんぜん構わないよ。少しでもお客さんの姿が多い方が、他の人も店に入りやすいと思うしね」

「そんなものですか」

「たぶんだけどね。…それに昨日は本、買ってくれたし」

「え、覚えてるんですか…」

「何の本かは見ないようにしてるから、知らないけど」

彼女が僅かに気まずそうな表情をした気がして、俺は咄嗟に嘘をつく。

本当なら本のタイトルの事に触れて『好きな人がいるの?』とでも訊きたいところだった。

でもそれはこの場に限らず、店員としてやってはいけない事だと思ったから。





20: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/11(水) 19:23:44 ID:YAjCiUJE

そして間もなく、彼女が乗るバスはやってきた。

俺はまたそのテールランプを見送ってから、彼女が眺めていた掲示板を確認してみた。

ああ、なるほど。

そこに貼られていたのはもうすぐの日付が書かれた、彼女の通う学校の文化祭のポスター。

これを見てたのか。

行ってみたいけど、男独りで女子高の文化祭なんて行けるわけがないな…。





21: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/11(水) 19:24:33 ID:YAjCiUJE

《まじか、お前は本当にヘタレか》

「うるせえ。お前もう出てくんなよ」

《なんだあの『落し物です』って?あんな渡し方しかできないのかよ》

「いいんだよ、ちゃんと話はできたんだから」

《名前も訊かずに?ばっかじゃねーの、名前とメアドくらいすぐ訊ける雰囲気だったのに》

「俺はそうは思わなかったね」

《しかも挙句の果てには人の恋路まで邪魔しやがって…殴れるもんなら殴ってるぜ》

「はぁ?意味解らねえし」

《あのな、言っとくけど俺にはもうあんまり時間が無いんだよ》

「…?」

《こっちの彼女は結構積極的にモーションかけてくれたんだけどなぁ…。やっぱそっちはお前が頑張らなきゃダメなんだって》

「だーかーらー、意味が解らねえんだって」

《これ以上は言わない約束なんだよ。とにかくお前もっと気合入れてけよな!》





22: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/11(水) 19:25:54 ID:YAjCiUJE

次の日もまた、バス停で彼女はいつも通りに掲示板を眺めていた。

俺が横に立ち、少しして。

…ピピッ、カシャッ

携帯のカメラの音…?

もしかして俺を撮ったのかと彼女を見るも、ぜんぜん違う。

俺とは反対方向に手を延ばしている。

そしてその後、彼女は俺に向き直って言葉を発した。

「あのね、私…もうすぐ引っ越すんです」

「え…!?」





23: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/11(水) 19:26:51 ID:YAjCiUJE

しまった、少し驚き過ぎた。

でも本当に一瞬、気が遠くなりかけたから。

「…って、すぐ近くなんですけどね。両親が家を建てたから」

彼女に悟られぬよう、そっと安堵のため息をつく。

「でも、乗るバスの方向が逆になっちゃうから…バス停も向こう側になるんですよ」

道を挟んだ反対側、少しずれた所に反対行きのバス停があるのを指差して彼女は言った。

彼女の姿が遠目にしか見られなくなる事を思い、俺は少なからず寂しさを感じた。





24: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/11(水) 19:27:44 ID:YAjCiUJE

「でも、店には来てくれるよね」

「はい。時間も少しずれるかもだけど、行くと思います」

「そっか、よかった」

精一杯だった。

その『よかった』には、意味を含ませたつもりだ。

でもそれ以上に意志を伝える事は出来ないまま。

だってそうだろう。彼女には好きな人がいるはずなのだから、これ以上に深入りすると傷も深くなる。

《…お待たせしました。○△行きです》

停留所には、彼女が乗るバスが着いた。

彼女はぺこりとお辞儀をして、バスのドアに向かう。





25: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/11(水) 19:28:46 ID:YAjCiUJE

その時、脳裏に夢の中のアイツの声が過った。

『ばっかじゃねーの、名前とメアドくらいすぐ訊ける雰囲気だったのに』

…じゃあ、今日のこの五分間の雰囲気はどうだっただろう。

引っ越しをするなんていう、多少プライベートな事まで彼女は教えてくれた。

名前を訊いたとして、変に思われる事があるだろうか。

『言っとくけど俺にはもうあんまり時間が無いんだよ』

それは彼女の引っ越しと何か関係があるのか。

『とにかくお前もっと気合入れてけよな!』

もうステップに足を掛けた彼女の背中に向かい、俺は意を決した。





26: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/11(水) 19:29:52 ID:YAjCiUJE

「あの…!俺、男っていうんだ!」

前触れもない、飾りもない自己紹介を無理矢理に投げる。

それでも彼女は優しく微笑んでくれた。

「…私は、女っていいます。男さん、また明日ね」

彼女が席に着くと同時に、バスが走り始める。

彼女はその時、小さく手を振ってくれた。

俺はバスのテールランプを見送りながら、つい今しがた知ったばかりの彼女の名前を、幾度となく思い返していた。





27: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/11(水) 19:31:29 ID:YAjCiUJE

《うーん…まあ、頑張ったよ》

「…おう」

《明日はもっと、頑張ってみようぜ?》

「んー、保証はしかねる」

《いやいやいや…頼むよ、まじで》

「彼女、引っ越すらしいしなー」

《だからこそ、だよ。ちなみにそれはもう今週末の事だぞ?》

「なんで解るんだよ」

《こっちの彼女から聞いてるんだよ。つまりもう明日の金曜日しかねえんだ》

「あー、そういやあの娘…土曜日は来ないな」

《もうここまできたらお前に任せるけどよ…。ああ…どうしようかなー》

「何を?」





28: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/11(水) 19:32:29 ID:YAjCiUJE

《言うなって言われてんだけどなー。もういいや、あのな…女はお前に気があるんだよ》

「また根拠もない事を…。だから一目惚れされるような面してないだろがよ」

《ふた月ほど前かなー。お前さ、本屋に来た婆さん覚えてる?》

「ん?…ああ、あの孫の絵本を探してた」

《そう!それよ!…で、お前お節介にも一生懸命探してやってたじゃん?》

「あれは婆さんの出すキーワードが難解だったからな。『ゴジラ』とか『料理の本』とか」

《そうそう、孫が欲しがってるって言ってたけどな。ゴジラが出てくる料理本で子供向けってなんだよそれ…って感じだった》

「結局、『おまえうまそうだな』だったけどな」





29: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/11(水) 19:34:04 ID:YAjCiUJE

《で、それをあーでもないこーでもない…と世話を焼くお前を見てさ、いい人だと思ったらしいんだよ》

「まじかよ。そこまで理由づけされたら俺、信じちまうぞ」

《それからお前、暇な時にオススメ本のポップ作ってんじゃん?あれのチョイスもあの娘好みらしいぜ?》

「はー、なるほどねー」

《だから、告っちゃえよ。絶対上手くいくって。あー、これは話した事バレたら怒られるだろうな…》

「うーん…」

《何を迷ってんだよ、しっかりしろよ》

「いや、お前…意外といいやつだな」

《よせよ、今更過ぎるぜ》





30: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/11(水) 19:35:22 ID:YAjCiUJE

金曜日、夢の中のアイツの言う事を信じれば、彼女がこっち側のバス停に立つ最後の日。

その日も秋晴れの気持ちいい一日だった。

普通に授業を受け、普通に居眠りをして、普通に怒られる。

そんな普通の一日の、放課後。

俺にとって普通ではない、特別な時間の始まりだ。

本屋の店番をしながら待つ、あの娘の姿。

やはり6時40分頃、店のガラス戸から愛しいあの娘は現れた。





31: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/11(水) 19:36:14 ID:YAjCiUJE

「こんばんは、男さん」

「やあ、いらっしゃい」

名前を教えたからなのか、店に入る時に挨拶をしてくれた。

地味に嬉しい。

彼女は俺の作ったポップや手書きの売り上げランキング表をしげしげと見て、それからお決まりの文庫本の棚へ。

そして20分程して、いつも通りに彼女は店を出る。

本当ならこの後、俺は閉店時刻を3分ほど過ぎるのを待つ。

それからシャッターを下ろしたり表の立て看板を片付けたりするのだが、今日はバス停に急ぎたかった。





32: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/11(水) 19:37:22 ID:YAjCiUJE

「伯母さーん。ごめん、今日はちょっと早目に帰るよー」

店の奥、伯母さんの自宅へ続く廊下の扉から、俺は少し大きな声で言った。

「あら、そうー。看板とかは片づけとくから、ありがとうね。気をつけてー」

台所にいるのであろう伯母さんの声が返ってくる。

俺はガラス扉に掛けてある『営業中』の札だけを『本日の営業は終了しました』に裏返し、足早に店を出た。





33: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/11(水) 19:38:03 ID:YAjCiUJE

少し息を切らせてバス停に走る。

そしてあと50m程、彼女の姿が見えたところで足を止め、ゆっくりと歩きながら息を整えた。

「あれ?今日はちょっと早いんですね」

彼女は相変わらず掲示板の側を向いていたが、俺が来たのに気付くとこちら側に向き直った。

「ちょっとだけね」

「…よかった。私、こっち側のバス停に来るのは今日が最後なんです」

聞きながら、少し寂しくなった。

そして夢の中のアイツの言う事の信憑性が少し増したな…と考える。

…と、いう事は。この娘が俺に気があるってのも、満更ウソでもないのだろうか。





34: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/11(水) 19:39:00 ID:YAjCiUJE

「…新しい家、楽しみじゃない?」

「それは…そうなんだけど」

彼女は来週から立つ事になる向かいのバス停を見ながら、ぽつりと言った。

「ちょっと、寂しいかな…」

「寂しい?」

「せっかく、男さんに名前も教えて貰ったのにな…って」

俺は予期せぬ言葉に内心、狼狽えた。

寂しいとは言っても、向かいのバス停になるだけ。しかも店では顔を会わせる。

なら、何が寂しい?

深読みすればこのバス停での五分間を、彼女も特別に思ってくれている…そうとれなくもない。

なんの気も無い、俺をたてるための言葉である可能性もあるけど。





35: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/11(水) 19:39:44 ID:YAjCiUJE

「俺としても、寂しい…かな」

「本当ですか?」

「うん、本当」

でもこれは、いいんじゃないのか?

少なくとも『じゃあメアドや携帯番号教えてよ』って言っても、特に不自然ではないのではないだろうか。





36: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/11(水) 19:40:33 ID:YAjCiUJE

でもどうしても、踏み切れない。

他に好きな人がいるなら、おそらく違う男に教えはしないだろう。

逆に教えて貰えなかった場合は、そういう事だと考えた方がいい。

だから、恐い。

彼女は黙って、車道の側を見ている。

何かを待っているような、何かを迷っているような横顔で。

しかしタイムリミットは訪れてしまった。

遠くに見えてきたあのヘッドライトは、彼女を乗せるバスに違いない。

ああ、俺って奴はやっぱり臆病で、煮え切らない男だ。

夢の中のアイツが怒るのも無理は無い。





37: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/11(水) 19:41:37 ID:YAjCiUJE

その時、彼女はくるりと後ろを向いた。俺の方ではない、いつものあの掲示板の方を。

文化祭の事で何か気になる事でもあるのだろうか?

でも、なぜバスも迫ったこのタイミングで。

不思議に思って彼女の方を見ると、彼女が掲示板を見て居ない事に気付いた。

身体こそ掲示板を向いているが、視線は俺から見て向こう側。何も無い歩道の先を見ている。

ふと昨日の事を思い出す。

携帯のカメラで彼女は、今まさに見ている方向にある何を撮ったのか。





38: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/11(水) 19:42:24 ID:YAjCiUJE

でもやはりそちらには何も見当たらない。

あるのは街路灯がつくる、少し長く伸びた二人の影だけ。

俺は車道を、彼女は掲示板側を向いているから、影は向き合うように寄り添っている。

その時、俺は『まさか』と思った。

そして顔を前に向けると、横目にそちらを見ながら首を少し頷いてみる。

俺の影が彼女の影を見つめるように。

少しして、彼女はそっと上を向いた。

それはちょうど二人の影が口づける仕草だった。





39: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/11(水) 19:43:25 ID:YAjCiUJE

…そうか、アイツは。

俺は自らの両手を身体の前に持ち上げ、目の前の空気をそっと包む。

俺の影が、彼女の影を抱き締めた。

それを見ていた本当の彼女は、驚いたように振り返る。

俺は腕を降ろすと彼女に向き直り、その瞳を見て言った。

「俺、ずっと君を見てたんだ」

「男さん…」

「あの店でも、このバス停でも」

バスが停留所に滑り込む。

《…お待たせしました。○△行きです》

彼女にことわりもせず、俺は開いた自動ドアの中に向かって「すみません、次のバスに乗ります」と言った。





40: ◆M7hSLIKnTI:2013/09/11(水) 19:44:19 ID:YAjCiUJE

彼女は動かない。

すぐにバスは走り去っていった。

勇気を振り絞るなら、今この時をおいて他になど無いだろう。

「今度から、俺も向かいのバス停で君を見送ってもいい…かな」

彼女が小さく頷く。

「影の事、いつから…?」

「つい、さっきだよ」

本当の事だ。

それにちゃんとそう言っておかないと、アイツが怒られかねない。

彼女の背後に伸びる俺の影が、ニヤリと笑ったように思えた。



おわり


.

テーマ:ショート・ストーリー - ジャンル:小説・文学

  1. 2013/09/27(金) 09:48:35|
  2. 男女SS
  3. | コメント:6

自殺勧告(原題/男「なんで俺に死んでほしいわけ?」)

1:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 14:42:12 ID:kB1Ltwcs

男「オラ、飯できたぞ」

女「…早く死ねばいいのに」

男「食わなくてもいいぞ?」

女「食べてあげますから、死んでは頂けないでしょうか」

男「ウチに居座って3日間、死の一文字が入らない台詞、ほとんど喋ってないよね?」

女「とんでもない。自殺して頂けませんかとお願いした事もあったでしょう?」

男「うん、確かに死の文字は入ってないねー」





 
2:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 14:43:08 ID:kB1Ltwcs

ぺらぺら…(ページめくりの音)

女「…こちらなどいかがでしょうか?」

男「ばっか、俺には派手すぎるよ」

女「とてもお似合いかと思います」

男「そんなお願いポーズしてもダメ」

女(うるうる…)

男「だめです」

女「…飛び降りなら確実に死ねると思ったのですが」

男「昔ネタに買った完全自殺マニュアル、捨てときゃ良かったよ」





3:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 14:44:01 ID:kB1Ltwcs

男「なんで俺に死んで欲しいわけ?」

女「…教えたら死んで頂けますか?」

男「嫌」

女「なら教えません」

男「理由によっては…(ウソだけど)」

女「…でも教えられません」

男「とにかく理由もなく俺にただ死ねと?」

女「それは違います。理由はありますが教えません、それでも納得して死んで下さいとお願いしているのです」

男「それ通ると思う?」

女「美少女のお願いですから、あるいは」

男「」





4:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 14:45:54 ID:kB1Ltwcs

…三日前の深夜、男のワンルーム

男(今日から8月かぁ)

男(学校も休みだし、バイト代も貯まったし)

男「念願の二輪免許でも取るかー」

女「あ、それは無意味だと思います」

男「そっかー…って、誰だお前」





5:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 14:46:47 ID:kB1Ltwcs

女「女、と申します」

男「いや、名前を訊いてるんじゃなく」

女「はぁ」

男「なぜ、いつからそこに、鍵を掛けた玄関か2階の窓か、どこから入ったと訊いたんだが」

女「…まず前者の問いの答えは、ついさっき…といったところでしょうか」

男「ほぅ」

女「後者の答えは…残念ながら玄関と窓のどちらでもありません。また正しく答えるのは困難を極めます」





6:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 14:47:32 ID:kB1Ltwcs

男「じゃあもう一つ訊こう」

女「あまり暇ではないのですが」

男「俺は恋人もいないし、あまり女に縁のある方じゃない」

女「はい、部屋の雰囲気からも察せられます」

男「けど見ての通り、血気盛んな年齢の健康な男子だ」

女「先程も申しましたが暇ではありません」

男「そんな俺の前に…いや背後に、なぜ裸の女が立っているんだ」





7:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 14:48:15 ID:kB1Ltwcs

男「俺の服しかないけど」

女「お借りするのですから、こんな服でも文句は言いません」

男「随分な物言いだな」

女「失礼、この程度の…と言うべきでした」

男「変わらないし…。まぁいいか、お茶どうぞ」

女「恐れ入ります」





8:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 14:49:05 ID:kB1Ltwcs

男(わけがわからない)

男(最初はエロゲよろしく女っ気の無い俺のところに神様が天使でも遣わせたのかと思ったけど)

男(冷静に考えて、んなわけないよな)

男(このアパートに引っ越してきて、管理人が間違えて俺の部屋の鍵を渡したとでも考えた方が自然だ)





9:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 14:49:46 ID:kB1Ltwcs

男(ただ、それなら何故…)

男「で、どうして裸だったんだ」

女「止むを得ずです」

男「いや、その止むを得ない理由は」

女「ちょっと説明は難しいです」

男(…もしかしたら、言いたくないような可哀想な目にあったんだろうか)

男(それ位しか思いつかない。ひとまず訊かずにおこうか)





10:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 14:50:57 ID:kB1Ltwcs

男(とりあえず、これはラッキーかもしれない)

男(落ち着いて見れば、この娘…とびっきり可愛い)

男(歳は…16か17位か?)

男(こんな娘とお近づきになれる機会なんて、今後も含め無いんじゃないだろうか)

男「それで、どうして此処に」

女「貴方…男さんを訪ねて参りました」

男「俺を知ってるのか」

女「はい、一通りのデータ位は」

男「なんだそりゃ」





11:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 14:52:01 ID:kB1Ltwcs

女「名前は男、どうでもいい三流大学に通う20歳。失礼ながらご両親は御他界されており、大学の近くに一人暮らし」

男「当たってる」

女「比較的裕福なご親戚からの補助を得て、またご自身もアルバイトをして生活していらっしゃいます」

男(…なぜそんな立ち入った事まで)

女「性格は温厚、気弱、周りに流されるタイプで自分の意思はどちらかと言うと希薄」

女「友人には親友と呼べる程の方はおらず、もちろんガールフレンドもいません。そして…」

男「そして?」

女「童貞です」

男「当たり」





12:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 14:52:49 ID:kB1Ltwcs

男「そんな冴えない男の所に、何の用で来た?」

女「とあるお願いをしに参りました。さすがにいきなり申し上げるのも不躾と思ったのですが」

男「すでに色々と不躾な事は言ってると思うよ」

女「あくまでご自身の判断で、男さんの望む意思として…」

男「ふんふん」

女「お一人で実行される分にはどんな方法でも構いませんので」

男「ほぅほぅ」

女「是非、自殺をして頂きたいのです」

男「帰れ」





13:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 15:13:40 ID:kB1Ltwcs

女「そうはいきません。なんとしても自ら命を絶って頂きませんと」

男(なんだこの娘)

男(可愛いけど、とんでもない事を言う)

男(電波…というか、どっかネジがとんでるのか)

男(ただそれにしては、そうと思えないほど凛とした眼差し。何かの使命感を持っているかのような…)





14:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 15:15:14 ID:kB1Ltwcs

女「実行して頂けますか」

男「そうする義理はないね」

女「こちらとしては大ありなのですが」

男「何故、理由は?」

女「…説明できません」

男「はいそうですか、って言うわけないだろ」

女「…では」





15:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 15:16:17 ID:kB1Ltwcs

女「私は死神なのです」

男「へぇ」

女「つまり貴方の死期はもう近いのです」

男「ほぅ」

女「だから仕方ないと思って、前もって自殺しませんか」

男「その場合、むしろ残された時間を有意義に使いたいよね」

女「そこをなんとか」

男「しかもそれ、今考えただろ」

女「ばれますか」





16:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 15:17:11 ID:kB1Ltwcs

…そして現在

男(自殺しろ、いやだ、理由を教えろ、教えられない)

男(そんな水掛け論のようなやりとりばかりを繰り返して、あれから3日)

男(全く出て行こうとはしないし、もしかして夜寝てる間に殺されたりするかもと思ったけど、それも無さそうだ)





17:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 15:18:01 ID:kB1Ltwcs

男(なんというか俺が憎いってわけじゃないみたいだし、ただ単純に俺が死ぬ事を望んでるんでもない)

男(恐らく本当に何かわけがあって、そのためには俺が自殺する必要があるんだろう。ただ…)

男「なぁ」

女「はい?」

男「俺、絶対自殺なんかしねえよ?」

女「いいから早く死んで下さい」

男(焦ってるのかキツい言い方をする事も増えてきた)

女「お願い…ですから」

男(でも、その度にひどく辛そうな顔をするんだよな)





18:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 15:18:58 ID:kB1Ltwcs

女「…こんなの、いかさまです」

男「いや、正々堂々とやってるけど」

女「だって28連敗ですよ」

男「角を取られないように、その周りはできるだけ置かない方が良いんだよ」

女「だってそこしか置くところが無くなります」

男「まぁ、そうやって勝つゲームだからね。ハンデで角ひとつかふたつあげようか」

女「結構です。その代わり、もし私が勝ったら自殺してくれますか」

男「あ…すげえ、全消しになった。で、何だって?」

女「…何でもないです」





19:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 15:19:48 ID:kB1Ltwcs

男(めっきり出掛けてない)

男(たぶん外に出てもついて来てこの調子だろうから、人目のあるところに行きにくい…というのもあるけど)

男「………」

女「…私の顔に何かついてますか?」

男「目がふたつと鼻がひとつ、口がひとつかな」

女「残念ですね、貴方もですよ。だから死ぬといいと思います」





20:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 15:21:09 ID:kB1Ltwcs

男(ひどい言葉を投げられても、こんな美少女とひとつ屋根の下で寝起きを共にするってのを、幸せに感じてるんだよな)

男(ただ、さすがに冷蔵庫が空っぽになってきた)

女「どこに行く気ですか」

男「食品の買い出しだよ。二人分消費してるから、足りなくなった」

女「それは…ごめんなさい」

男(おや、しおらしいじゃないか)

女「…ちょうどいいから、死にましょう」





21:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 15:22:08 ID:kB1Ltwcs

男「却下。晩飯は何がいい?」

女「ハンバーグがいいですっ!」

男「そんな大きい声、初めて聞いたな」

女「えっ!?あっ…」

男(顔を赤くするのも実に可愛い)

女「だだだって、昨晩の夕食でハンバーグが得意だって言ってたから」

男「あれ?じゃあそれを作るまでは死ななくて良かったりするのかな」

女「ばか!早く死んじゃえ!…です」

男(うん、可愛い。これは死にたくないな)





22:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 15:22:56 ID:kB1Ltwcs

男「やっぱりついて来るんだ」

女「逃げられてはいけませんので」

男「…手を繋いでるのも?」

女「当然、確保するためです。他意はありません」

男(近所のスーパー店内、食品売り場を美少女と手を繋いで…)

女「何をキョロキョロしているんです?本当に逃げる気ですか」

男(誰かに見られてえぇぇぇ!大学のやつ居ねえかな…居ねえな…残念)

女「なんだかニヤニヤして気持ち悪い…死ねばいいのに」

男「お、今のは本気だったね」

女「私はいつでも本気です」





23:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 15:25:23 ID:kB1Ltwcs

女「…綺麗」

男「ん?何が」

女「これが…夕焼け」

男「あー、ここな…俺もこの河川敷から見る夕陽、好きなんだ」

女「………」

男(泣いてる?まさか…いや、泣いてる)

男(どうしたの?…って、こういう時は言わない方がいいのかな)

…ギュッ

男(手を握る力だけちょっと強めてみたり。きっと、ハッとなって『死ね』とか言うんだろーな)





24:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 15:26:33 ID:kB1Ltwcs

女「………」

…ギュッ

男(あれ、握り返された。これはアレか、LとOとVとEの四文字で表されるものが芽生えていたりなんかするのか…!?)

男「あ、電車」

女「シルエットになってる…」

男「いっそあれに乗ってどこか遠くへ行」

女「そうだ、電車に飛び込むのもいいですよ!」





25:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 15:27:50 ID:kB1Ltwcs

男(それから十日あまり。関係は変わらない)

男(ただ毎日のように二人で出かけるようになったけど)

男(きっと女は振り回されてるだけだろう。でも俺はこの手を繋いでの外出が癖になってしまった)

男(それに…)

女「男さん!あれは!?」

男「カーフェリーだよ。自動車を載せて海を渡る船だ」

女「海、すごいです」





26:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 15:28:43 ID:kB1Ltwcs

男(どういうわけか、女はこの世の中の事を全然知らない)

男(いや…知らないというより、知識としては知っていても見た事が無いといった感じだ)

女「男さん」

男「何?」

女「楽しい…です」

男「それは良かった」

女「でも、どうして。私は男さんを傷つける事ばかり言っているのに」





27:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 15:29:56 ID:kB1Ltwcs

男「…俺が海を見たくなっただけだよ。君はそれについて来てるだけだろ?」

女「…そう、です」

男「そうだよ」

女「早く、死んで下さい」

男「嫌です」

女「………」

男「自殺なんかしない。俺は今、幸せなんだ」

女「呪う言葉ばかり言う私がつきまとっているのに、ですか」

男「ああ」

女「…これ以上」

男「ん?」

女「何でも…ないです」





28:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 15:31:17 ID:kB1Ltwcs

女「すごい人…みんな楽しそう」

男「あっちは海水浴場だね」

女「この暑さですから、気持ち良いのでしょうね」

男「…海、入るか?」

女「入水自殺ですか」

男「帰ろうか」

女「………」

男「水着なら何でもよければ近くで売ってると思うよ」





29:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 15:31:50 ID:kB1Ltwcs

女「私は遊びに来たのではありません」

男「じゃあ俺だけ行って来るから、手を離してくれる?」

女「………」

男「でも、出来れば…」

女「出来れば」

男「…一緒に、どう?」

女「に…逃げられる訳にもいきませんし。仕方がないですね」





30:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 15:32:36 ID:kB1Ltwcs

男「これはすごい」

女「何がです」

男(自意識過剰じゃない、注目の的だ)

男(そりゃそうだろ、たぶんこの浜辺で一番可愛いぞ。幼児体型気味ではあるけど…)

女「元々かもしれませんが、顔に締まりがありません」

男「無理を言わないでくれ」

女「泳ぐんじゃないんですか」

男「お、おぅ。もちろんだ」





31:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 15:33:30 ID:kB1Ltwcs

女「あまり深いところへ行かないで下さい」

男「うん?」

女「ごにょごにょ」

男「うん?」

女「………んです」

男「あん?」

女「泳げないんですっ」

男「ん、という事は…泳げばすぐ逃げられるって事か」

女「だめです!」





32:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 15:34:38 ID:kB1Ltwcs

男「分かってるって。それにその気になれば、さっき着替えてる間でも簡単に逃げられるじゃないか」

女「それは…そうですね」

男「夜寝てる間に逃げたりした事も無いだろ?」

女「確かに、でもじゃあ何故そうしないんです」

男「いーからいーから、泳ぐぞ」





33:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 15:45:57 ID:kB1Ltwcs

…その夜

男(よく寝てるなあ、まあ無理も無い)

男(連日の外出、しかも今日なんかとびっきりに遊び倒したもんなぁ)

男(…結局、いまだ分からない事だらけだ)

男(何故、俺に死んで欲しいのか。そうまで言うなら、どうして俺を殺すんじゃだめなのか)





34:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 15:47:07 ID:kB1Ltwcs

男(どこから、どうやって来たのか。なぜ世の中の事を珍しがるのか)

男(…何故、こんな俺を)

男(自惚れかもしれない…けど、死んで欲しいとは言いつつも多分、俺は嫌われてはいないんだろう。…むしろ)

男「…まさか、な」

男(たまにはビールでも飲んで、頭冷やして…寝よ)

女「う…ん…」





35:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 15:47:49 ID:kB1Ltwcs

男(起こしたか?)

女「死んで…くださ…」

男(………)

男(…いいんだよ。これが俺とこの娘の距離感なんだろ)

男(その内、まぁいつか…死んであげてもいいかな)

男(その位、今までの人生の中には無かったような幸せを感じてるのは確かだ)

男(ありがとうな、俺に…自殺を勧めに来てくれて)





36:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 15:49:27 ID:kB1Ltwcs

…次の朝

男「おはよう」

女「…おはようございます」

男「もう起きてたんだな。今日は何処に行こうか」

女「………」

男「歩いて行ける範囲の町は大体回ったし、電車で海も行ったし…」

女「男さん」

男「ベタだけど、遊園地とか」

女「男…さん」

男「映画とか、水族館とか…」

女「…男さん」

男「………はい」

女「自殺、どうしてもして頂けませんか」





37:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 15:50:23 ID:kB1Ltwcs

女「当たり前…ですよね。死ねと言われてすぐにハイと言う人なんて、いるわけありません」

男「どうして…泣いてる」

女「…男さんのせいです」

男「俺が死なないから」

女「そうだけど…そうじゃない」

男「………」

女「どうして男さんは、私に良くしてくれるんですか」

男「俺は、何も」

男(そうだ、俺は俺がいいようにしていただけだから)





38:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 15:51:09 ID:kB1Ltwcs

女「貴方に死ねと、早くしろと…私は最初からそんな事ばかりを言ってきたのに」

男「…でもその言葉には、悪意が感じられなかった」

女「昨日、逃げようと思えばすぐ逃げられるって。それに…男さんが私を力づくで追い出そうとすれば、そんなの簡単なはずなのに」

男「俺は」

男(俺は…君と居たいんだ)

女「…もう、貴方に死を勧めるのが嫌なの」

男「女…」

女「死んで欲しくなんかない…」





39:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 15:52:31 ID:kB1Ltwcs

男(その日は結局、どこにも行かなかった)

男(女はいつの間にか泣きやんではいたけど、時おり鼻をすする音がする)

男(俺はその度、彼女の頭や背中を撫でるくらいの事しかできなかった)

男(そして日も暮れかかった頃、彼女はぽつりぽつりと話し始めた)





41:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 16:11:06 ID:kB1Ltwcs

…2032年、とある研究室

女「博士、今のところ起動状態良好です」

博士「ああ、ついに完成したな」

女「おめでとうございます、博士。貴方が成した偉業は人類の夢、そして今となっては人類最後の希望です」

博士「本当に…このタイムマシンを作り始めた時には、そんなつもりなど無かったのだが」





42:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 16:11:49 ID:kB1Ltwcs

女「時標(ときしるべ)が設置されたのは2013年8月1日です」

博士「うむ…忘れもしない、私がこの手で設置したのだからな。タイムワープは時標が存在する時代にしか出来ない」

女「つまりその日が、時間を遡る限度なのですね」

博士「さあ、この世界を…歴史を救わなければ」





43:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 16:12:35 ID:kB1Ltwcs

…現代、男の部屋

男「タイムワープ…時標…?」

女「はい、信じられないかとは思いますが」

男「いや…信じるよ。信じた方が色々と合点がいく」

女「タイムワープさせる事が出来るのは、思念の波長を完全にスキャンしてタイムマシンに記憶させてある者だけ」

男「思念の波長…」

女「思念とは思考や身体の各部への運動命令など、脳が発する言わば電気信号」

女「この時代の言葉を借りれば、魂に近いものです。また記憶も思念の一部と言えるでしょう」





44:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 16:13:43 ID:kB1Ltwcs

男「つまり魂を持たない物質を送る事は出来ない、と」

男(なるほど…それで最初の日、裸だったのか)

女「私が居た時代、2032年は…人間が絶滅の危機に瀕しています」

女「その原因は『寄生蜂』正体はほとんど明らかではありませんが、恐らくは宇宙からの生命体」

女「僅か体長10cm弱ほどの昆虫と爬虫類の中間のような生物で、知性を持つわけではありません。でも人智を超えた生態を持っています」





45:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 16:14:49 ID:kB1Ltwcs

女「こちらからはその存在は見えず、触れられない。唯一見て触れられるのは、死骸となったものだけ」

女「見えない卵を産みつけすぐに幼虫が孵化した後、およそ2年をかけて羽化します。…宿主の体を食い破って」

男「こっちからは見る事も触る事もできないのに、食われるのか」

女「羽化した成虫は僅か数日の命ですが、その間に10個前後の卵を残します。しかも卵が10個なら一切の被り無く10人の人間に」

男「つまり二年で10倍を繰り返す…」

女「最初、その異常さに気付いたのは2017年。ほとんど日本国内で、100人がほぼ同時に肉体の一部を欠損した屍になりました」





46:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 16:15:35 ID:kB1Ltwcs

女「寄生蜂の存在…死骸が見つかったのはその二年後。2019年に1000の命が犠牲になった時です」

男「2019年に1000、2017年に100で2015年が10…」

女「つまり2013年に…最初のひとつが」

男「…もう馬鹿でも察せられる話だな」

女「その後、無数に見つかり始めた蜂の死骸を調べた結果、それらは全て1匹の女王蜂の子孫である事が判りました」

男「その女王蜂が、俺の中に」

女「蜂の中に、貴方の思念の欠片が見つかったのです」





47:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 16:16:38 ID:kB1Ltwcs

男「…女王はいつ羽化するんだ」

女「未来の記録では突然貴方が亡くなったのは、今年の…9月1日」

男「なるほど、このまま生きてもあと半月の命ってわけか」

女「………」

男「俺が死ななきゃいけない理由は解った。だけど、何故自殺じゃなきゃいけないんだ」

女「…蜂は宿主の思念からその状況を察知し、宿主を殺害した者がいる場合その者に寄生し直すのです」

男「瞬間移動でもするってのかよ」

女「その症例は少なく、メカニズムはよく判りません。ただ宿主を殺害した者を、より強い宿主と認識するのでしょう」





48:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 16:17:33 ID:kB1Ltwcs

男「それで自殺…か」

女「もし…このまま男さんが自殺を拒み続けた場合は、私が男さんを殺害した後、自殺する事になっています」

男「それはさせたくないな」

女「ごめん…なさい」

男「…この話を今まで内緒にしてたのは、どうしてだったんだ」

女「ひとつは信じて貰えないだろうから、信じて頂けたとしても貴方が逃げ出す可能性が高いと思われたから…」

女「もうひとつは、可能性の話ですが」

女「自らの体内に蜂が居る事を貴方が確信した場合に、蜂がその思念を察して何か行動に出る事を恐れたからです」





49:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 16:18:22 ID:kB1Ltwcs

男「つまり、違う宿主に移動する…?」

女「いえ、これは恐らく考えすぎです。でもできるだけ伝えずに自殺を決意させる…それに越した事は無いと」

男「…二年毎に10倍になり続けると、2031年の発生は約10億…か」

女「そして私がいた時代の一年後、2033年には…」

男「蜂の発生数は総人口を超える」

女「恐らく」

男「うん…解った」

女「はい…?」





50:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 16:19:06 ID:kB1Ltwcs

男「解ったよ…、自殺しよう。なに、もともとそれほど捨てるに惜しい人生じゃない」

女「そんな」

男(…むしろ君に会ってからの人生の方が、それまでの全てよりも大切だった)

男「世界を救うためなら自殺するのも、悪くないかも…な」

女「男さん…」

男「ただ、さ。8月末ギリギリまでって言うと少し心配だから…今から一週間でいいからさ」

男「俺の誕生日…22日まで最後の時間、生きてもいいかな」





51:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 16:19:49 ID:kB1Ltwcs

男「両親が死んでから、誰に祝って貰う事もなくなった誕生日。最後に君が祝ってくれないか」

女「男…さん…」

男「そのくらいの我儘は、きいてくれるよね?」

女「…どうして」

男「何年ぶりかに、ホールのケーキでも買うか…はは」

女「やっと…使命が果たせるのに…」

男「それで…いいんだよな」

女「どうして、こんなに…」





52:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 16:21:04 ID:kB1Ltwcs

男(それからまた女は泣きはじめ、いつしかそのままソファで眠った)

男(俺は部屋の灯りを落とし、そのソファの脇の床に座って女の寝顔をただ眺めた)

男(強がりはしたものの、一週間後に死ぬ事を思うと恐くもなる)

男(自分の身体に巣食う蜂を何とか追い出せないだろうか、考えはしても良い答えが出るはずも無く)

男(そもそも蜂が俺に入りさえしなければ…そんな今更すぎる思いを馳せては、そうでなければ女に出会う事もなかったのだと自分に言い聞かせた)

男(明日から、今までにないような日を生きよう)





53:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 16:22:16 ID:kB1Ltwcs

男(一人きりになってから、誰かのためはおろか自分のためにさえ生きてはいなかった)

男(ただ死ぬ気もないから、なんとなく命を繋いでいただけの日々)

男(そこに大きな意味なんて、無かった)

男(明日からは自分に報いるために生きよう。そして)

男(この娘と、未来に報いるために死のう)

男(誕生日、楽しみだな…)

男(できれば来ないで欲しいな)

男(あれ、俺…泣いてんだ)

男(こんなの、女には見せられないな…)

短髪女「ふん、女々しい男だ」

男「え」

短髪女「死ね」





54:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 16:33:37 ID:kB1Ltwcs

バキッ!!

男「うぉっ!?…ちょっ」

男(なんだこの娘…!?また突然現れて、また裸で…)

短髪女「逃げるなよ!」

女「男…さん…?…えっ!?」

短髪女「ちっ、次は外さない!死ねっ」

女「参号っ!?何故、今…!?」

短髪女「え…!?そこに居るのは、弍号…!」

男「参号?弍号…?」





55:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 16:34:49 ID:kB1Ltwcs

女「参号、聞いて…!貴女が男さんを…」

短髪女「弍号、話は後だよ!こんな事をしている間に宿主に逃げられては…!」

女「参号っ!やめて…!」

男「うわっ!?」

ベキベキッ!!

男(素手でテーブルが…!?)

短髪女「くそ、どけっ!血迷ったのか、弍号!」

女「だめ!参号、攻撃をやめて!話を聞いてっ!」

短髪女「弍号…キミがここに居るという事は、まさかボクは任務に失敗したの…!?」





56:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 16:35:43 ID:kB1Ltwcs

女「違う、貴女は確かに男さんの殺害には成功したわ…!」

男(俺を…殺害…)

短髪女「なら何故…キミがボクよりも過去に来てるんだ!?キミはボクが任務に失敗した時の保険だったはず!」

女「貴女が男さんを殺した事で、明らかになった蜂の習性があるの…」

短髪女「………」

女「参号…蜂は宿主を殺されると、その宿主を殺害した者に伝染るわ。だから…」

短髪女「蜂が…ボクに伝染るっていうのか」





57:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 16:36:39 ID:kB1Ltwcs

女「ええ…貴女が過去へ飛んだ後、すぐに歴史は変わった。蜂から検出された思念の欠片は、参号…貴女の物になったわ」

短髪女「そんな…」

女「そして博士は次の計画として、男さんに自殺をさせるために私を更に過去へ飛ばしたの」

短髪女「…じゃあ」

…ぎりっ

短髪女「じゃあ…!ボクが過去へ飛んだ事は、完全に無駄だって事なの…!?」

女「参号、無駄なんかじゃない。そのおかげで次の計画が定められたの…」

短髪女「…けど、そこのマヌケ面が自殺しなかったら」

男(…俺の事、だよな)

女「…男さんは、あと一週間後の誕生日に自殺するって、約束してくれたわ」





58:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 16:37:37 ID:kB1Ltwcs

短髪女「…ない」

女「参号…?」

短髪女「そんなの!信じられないよっ!」

男「うわっ 」

短髪女「だったら…!」

バキッ!

短髪女「コイツを殺して、ボクが自殺すればいいんだろっ!」

ミシッ!ガラガラガラ…!

女「待って、参号!」

短髪女「何の恨みもないけど、死ねっ!」





59:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 16:38:29 ID:kB1Ltwcs

男(くっそ、こうなったら…!)

ガッ!

男(蹴り上げた脚を掴んで…!)

男「うーん、初めてじっくり見た。これが女の子の仕組みかぁ」

短髪女「…なっ!?ななな…!?」

男「ありがたやありがたや、ちょっと触っていい?」

短髪女「だ!め!馬鹿!」

男「だめかぁ、ちぇっ」

ぽいっ

短髪女「う…ううう…」

女「さ、参号…」

短髪女「うわああぁぁぁん!」





60:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 16:43:38 ID:kB1Ltwcs

…一時間ほど後

女「そうだったの、参号を飛ばした先は8月25日の予定だったけど…」

短髪女「うん、タイムマシンの精度がそこまで高く無かったんだろうね」

女「私は時標が設置された日…タイムワープできる限界まで過去に飛んだから、狂いようがなかったのね」

男「じゃあ、どっちにせよ俺は8月25日に殺される予定だったんだ?」

短髪女「オマエは黙れ!がるるる…」

女「参号!仕方がないじゃない…貴女が止まらなかったんだから。男さんに当たっちゃだめよ」





61:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 16:46:35 ID:kB1Ltwcs

短髪女「だって…コイツ、ボクの…ボクの…!」

男「いやー、この目に焼きつけさせて貰ったよ」

短髪女「うえぇぇぇん…」

女「男さん!見損ないます!」

男「…スミマセン」

女「参号…、とにかく一週間後。男さんの誕生日まで、彼を信じてあげて」

短髪女「………」

男「うん、約束は守るよ。それに…」

短髪女「…なんだよ」

男「俺が死ななかったら、女か短髪女のどっちかが俺を殺して自殺するんだろ?」





62:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 16:47:40 ID:kB1Ltwcs

女「その時は私が」

短髪女「だめだよ弐号!最初の計画通りなら、どうせボクは死ぬ運命だったんだ…」

男「どっちもさせたくはないよ。どのみち俺は死ぬんだろ?なら、一人でも少ない方がいい」

短髪女「…ふん。格好いい事言って、その時が来たら逃げ出すんだろ」

男「お、格好よかった?」

短髪女「ばーか」





63:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 16:48:35 ID:kB1Ltwcs

女「男さん…とにかくごめんなさい」

男「…いいよ。もともと俺を殺す計画だったってのは、ちょっとショックだったけどな」

短髪女「計画が無くなったわけじゃない。死ななかったら殺すからな」

男「すげぇ理不尽な台詞だな」

短髪女「今殺してもいいんだぞ」

男「うるせー。お前もう用ないだろ、未来へ帰れよ」

短髪女「帰れるならそうしてるよ!」

男「え」

女「男さん、タイムマシンは2032年の段階では片道切符…帰れないんです」

男「じゃあ俺が自殺して目的を果たしても、君達は…」

女「…この世界で生きる事になります」





64:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 16:49:44 ID:kB1Ltwcs

男「そんな、何とかならないのか」

短髪女「そんなやっすい同情いらないよ」

女「男さん、それは気にしないで下さい。ある意味、私達はやっと自由を手に入れる事になるんですから」

男「自由…?じゃあ、今までは」

女「…私達は、未来で造られたクローンなんです」

短髪女「思念のスキャンや同期を繰り返して、それ以外は博士の研究の手伝いばっかり」

男「………」





65:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 16:50:33 ID:kB1Ltwcs

女「あ、ちゃんとお休みもあったんですよ?勝手に外には出られないから、本や映像で学習してましたけど」

短髪女「ボクはあれ苦痛だったなー。だって見れば見るほど外に出たくなるんだもん」

男「どうして外出は許されなかったんだ」

短髪女「ばっかだなー、ボク達はクローンだって言ったじゃん」

女「そもそも許された研究ではありませんでしたから…外に出ればオリジナルの生活に影響を与えかねません」

短髪女「たぶんそっくりな顔してるからね、大問題になるよ」

女「私のオリジナルは2015年に産まれる予定の、どこの誰かも知らない女の子」

短髪女「博士の学者仲間の子の遺伝子だって聞いたよ?」

女「そうかもしれないわね、その頃は博士にも研究仲間がいたから」





66:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 16:51:27 ID:kB1Ltwcs

男「2032年では仲間はいないのか」

女「タイムマシンなんて突拍子も無い物を研究していましたから…いつしか離れていったそうです」

短髪女「ボク達は研究所から外の世界へ出られてワクワクしてるんだ、オマエは死ぬけど」

女「参号!言っていい事と…!」

男「そうか…そうなのか」

女「…男さん?」

男「うん…うん、そうだよな」

短髪女「なに一人でブツブツ言ってんだよ」

男「決めた、それがいい」

女「?」





67:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 16:52:05 ID:kB1Ltwcs

男「これから一週間、俺の誕生日…俺が死ぬ日までの最後の時間の使い方、決めたよ」

女「男さん…申し訳ないですが、何をするにしても私達がついて回る事になりますよ」

男「解ってる。ってか、そうじゃなきゃいけない」

短髪女「面倒な事は手伝わないよ」

男「よし、二人とも明日から時間を有効に使うぞ」

女「は、はい…?」

短髪女「聞いてねーし」





68:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 16:53:37 ID:kB1Ltwcs

…翌日

女「すごい人です」

男「迷子になるなよー」

短髪女「うわ!あれ、本で見た!えーと、あれだ、ブス!ブス!」

男「バスな。そこにある停留所で待ってりゃ10分おき位に来る」

女「乗れるんですか」

男「誰でも乗れるよ。料金は後払いだ」

短髪女「じゃあ乗ろう!」

男「あとでな。こっちがコンビニ、これは24時間営業してる」

短髪女「え、じゃあ店員は寝ないのか」

男「交代制に決まってんだろ」





69:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 16:54:26 ID:kB1Ltwcs

女「男さん、あれは」

男「…パチンコ店だな」

女「あれは2032年の資料にはありませんでした」

男「そうか、廃止されてるんだとしたら良い事だ。あれは覚える必要は無い」

短髪女「うわ!でっかい建物…」

男「これが駅だ。女は海に行く時、来たよな」

短髪女「え!、弐号はもう海に連れてって貰ったのか!?…ずるい!」

男「駅から電車に乗るには切符が要る、あそこの券売機で買うんだぞ」

女「はい」

男「ただし路線図とか時刻表の見方はなかなかややこしい。特に路線図は地名を覚えなきゃいけないしな」





70:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 16:55:43 ID:kB1Ltwcs

短髪女「おい、変態」

男「誰が変態だ」

短髪女「オマエ以外に誰が居るんだよ。…あれ、自転車ってやつか?」

男「ん?…ああ、正解だ。すごいぞ、つるぺたチビ」

短髪女「やっぱテメー、今殺す」

女「自転車は乗るのにお金は要るんですか?」

男「買うにはもちろん要るけど、買ってしまえば後はタダだよ」

女「買うのは高いんですか」

男「まさしくピンキリだね。一万円を切る物から100万円を超える物まで」





71:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 16:56:46 ID:kB1Ltwcs

女「…気持ち良さそう、ですね」

男「乗ってみたいかい?」

短髪女「乗る!乗る!」

女「でもいくらピンキリのキリでも、そんな衝動買いは」

男「はは、駅前にはね」

ちゃりん、ちゃりん

女「………?」

男「レンタサイクルってのがあるんだよ」

短髪女「うぉ!これ、乗っていいのか!?」

男「待て待て、どーせ初めてだろ?人混みで乗るのはだめだ」





72:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 16:57:50 ID:kB1Ltwcs

…河川敷

短髪女「いいか!?もう、乗ってもいいか!?」

男「まだだめー」

短髪女「え!?なんでだよ!」

男「嘘だよ。ここなら車も来ないから、好きに走ってこい」

短髪女「やった!いっくぞー!」

女「…参号、本当に楽しそう」

男「おお…やっぱ運動神経はいいんだな、あいつ」

女「…私の分まで、参号に取られてる感じです」

男「そういや泳げなかったっけ」

女「あまり言わないで下さい…」





73:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 16:58:50 ID:kB1Ltwcs

男「短髪女が帰ってきたら練習しなよ。上手く乗れそうなら一週間の内に、ピンキリのキリの方なら、何とかするから」

女「…男さん」

男「ん?」

女「男さんの最後の一週間にする事って、もしかしなくても…私達がこの世界で生活するための訓練なんでしょう?」

男「訓練とは大げさだけどね」

女「本当に限られた時間ですよ?それを私達の為に使っていいんですか」

男「逆にそれしか思いつかないよ」





74:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 16:59:36 ID:kB1Ltwcs

女「もっと、男さん自身がしたくて出来なかった事とか」

男「君が最初に言っただろ?俺は自分の意思が希薄だって」

女「どこか旅行に行きたかった場所とか無いんですか?やってみたかったスポーツとか」

男「大きな旅行に行くには元手が不足してるし、スポーツは今からはじめてもね」

女「じゃあ美味しい物を食べるとか、それから…それから…」

男「美味しい物はいいかもしれないね…それから?」

女「それから…恋、とか…」





75:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 17:01:03 ID:kB1Ltwcs

男「…そんなアテは無いって、それも君が言っただろう?」

女「いますよ!きっと…男さんに似合う女性が…!」

男「それに…もしも俺と付き合ってくれる娘がいても、すぐに俺死ぬし」

女「………」

男「いいんだよ、俺の事は。女と短髪女が俺の事を覚えておいてくれたらさ」

女「…私、なら」

男「ん?」





76:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 17:01:47 ID:kB1Ltwcs

女「もし、ですよ」

男「うん」

女「もしもの話です」

男「うん」

女「やっぱり何でもないです」

男「…うん」

女「何だそりゃ…って言わないんですか」

男「言わない」

女「ずるいです」

男「ごめんな」

女「じゃあやっぱり何でもあります」

男「何だそりゃ」

女「今度は言うんですか」

男「うん」





77:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 17:03:07 ID:kB1Ltwcs

女「もし…私が」
短髪女「たっだいまー!弐号、これすっごく気持ちいいよ!」

男「汗びっしょりじゃないか」

短髪女「仕方ないじゃん、暑いもん」

男「着替えは無いぞ」

短髪女「用意悪いなー」

男「それから短髪女」

短髪女「何だよ」

男「ブラ無いから、透っけすけだぞ」

短髪女「………!!!!…死ねっ!」

女「…馬鹿」

短髪女「え!?に…弐号にバカって言われた…」

男「やーい、ばーかばーか」





78:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 17:06:46 ID:GZvYKLDo

やべぇかなり面白い





79:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 17:10:58 ID:kB1Ltwcs

…その夜

男「短髪女、ぐっすりだな」

女「一昨日の私みたいですか」

男「そうだね」

女「コーヒー、淹れます」

男「うん」

女「砂糖は入れるんですか」

男「いや、俺はブラックでいい」

女「苦くないですか」

男「最初はね、苦くてマズくて。ただの格好つけでブラック飲んでたよ」

女「今は?」

男「ブラックか元々好きだったミルクたっぷりのどっちかじゃないと嫌になっちゃったんだ。慣れだね」





80:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 17:11:58 ID:kB1Ltwcs

女「慣れ…ですか。はい、どうぞ」

男「ありがとう」

女「…慣れない、だろうなぁ」

男「ん?コーヒー苦手かい?」

女「ううん…、男さんが居なくなった後」

男「ああ…そりゃ、いきなり外の世界に放り出されりゃな。でも出来るだけの事は教えとくからね」

女「そうじゃ…なくて」





83:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 17:16:05 ID:kB1Ltwcs

男「大丈夫、なるようになるさ。幸いこの日本は生きるだけなら、生きやすい」

女「…男さん」

男「ん」

女「私、研究所でお休みを頂いた時、たくさん本を読みました」

男「どんな本を?」

女「最初は歴史の本とか辞典なんかを。そうじゃないと文学的な本は解らない事だらけだったから」

男「なるほど」





85:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 17:17:10 ID:kB1Ltwcs

女「それから小説や伝記、映画の原作小説なんかも」

男「へえ、じゃあ映画の話なんかも知ってるんだ」

女「はい。色んなお話を読んだけど、本当に参号の言う通り…どれも外の世界に興味を惹かれるものばかりで」

男「うん」

女「でもね、多くの物語でいちばん大事なところを占めるように描かれていた、そのテーマが…私、よく解らなかったんです」

男「………」

女「それは、愛…って表現されてました」





87:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 17:19:54 ID:kB1Ltwcs

男「愛…か」

女「家族の愛となると…なんとなくだけど解る気がするんです。例え夫婦二人の家族愛でも」

男「それは無償の愛…だね」

女「いちばん解らなかったのは愛という感情の内で、恋と呼ばれるもの」

男「それは俺にも解らないな」

女「男さんが言うように愛は無償の物なのに、恋はそうじゃないように感じられました」

男「………」

女「恋って、愛みたいに綺麗なものばかりじゃない…みたいな」

男「たぶん、間違ってはないと思うよ」





88:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 17:21:12 ID:kB1Ltwcs

女「男さん」

男「はい」

女「恋、しましょう」





89:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 17:22:06 ID:kB1Ltwcs

男「昼に話したろ、一週間後…いやもう六日後には死ぬんだから」

女「だからこそ、です」

男「第一、そんな相手がすぐに見つかるわけないじゃないか」

女「…います」

男「いないよ」

女「いるんです」

男「…いない」

女「すぐ…近くに、いるの」

男「女、そんな娘はいないんだ。いちゃ…いけないんだよ」





90:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 17:23:18 ID:kB1Ltwcs

女「………」

男「いたとしても、見つけちゃいけないんだ」

女「その女性が悲しむ…から?」

男「…そんな格好いいもんじゃないよ」

女「じゃあ、どうして」

男「女、この話は終わりだ。俺はそれよりもやらなきゃいけない、君達に教えなきゃならない事がたくさんある」

女「勝手に終わらせないで」

男「もう俺の時間は限られてるんだよ。だから恋なんて」

女「私の時間だって!…限られてる!」

男「何がだよ、お前らは生き」
女「私と男さんが一緒に過ごせる時間!もう限られてるの!」





91:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 17:25:20 ID:kB1Ltwcs

女「どうして聞こうとしてくれないの!私が恋を知る時間だって、もうあと六日間しかない…!」

男「女…」

女「解ってるくせに!今日の昼間だって伝えようとしたのに…逃げてばっかり!」

男「それは」

女「六日後には死ぬから!?相手が悲しむから…!?言い訳ばかりじゃない!」

男「声が大きいよ、短髪女が起きる…」

女「私が嫌いなら、そう言って!…最初から貴方にひどい事ばかり言ってきた私と恋なんてできないなら…!」

男「そんな事、言ってない」

女「私は…男さんに、恋を教えて欲しい…です」

男「…女」

女「………」





92:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 17:26:52 ID:kB1Ltwcs

男「さっきの理由…な」

女「…?」

男「恋をしないのは、俺が死んで悲しませる事になる…そんな格好のいいもんじゃないんだ」

男(…本当に格好悪いけど)

男「君みたいな娘と恋なんてしたら、俺自身が死ぬのが嫌になりそうなんだ」

女「…私だって、死んで欲しくなんか」

男「本当は今だって、喉元まで出かかってる言葉があるんだ。でも言えない…言っちゃいけない」





93:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 17:27:44 ID:kB1Ltwcs

女「やっぱり…ずるいです」

男「だから女、今の話は無かった事にしてくれないかな」

女「告白も…させてくれないんですか」

男「…ごめん」

ヒュッ!

短髪女「死ね」
男「なんかデジャヴが」

バキィッ!
ドカッ、ガラガラ…

男「ぐっ!」

短髪女「デジャヴじゃねーよ、今度は外してない」





94:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 17:38:14 ID:kB1Ltwcs

女「参号…!」

短髪女「寝てらんないよ、ギャーギャー痴話ゲンカしてさ」

男「いってて…手荒いな」

短髪女「男!オマエ情けないぞ!それでもキン○マついてんのか!あぁ!?」

男「一応ついてるよ、役立ててないけどな」

短髪女「いーか、オマエは死ぬんだよ!あと六日でな!でもそれは孤独死するんじゃないんだ!」

女「参号、ひどい事言わないで…!」





95:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 17:39:06 ID:kB1Ltwcs

短髪女「弐号と恋して!普通なら何年もかかるような、グッと濃縮された六日間を過ごして!」

男「………」

短髪女「泣きじゃくる弐号にキスして!抱きしめて!仕方ないんだって慰めて!」

女「参号…」

短髪女「そんで微笑んでサヨナラって言って、弐号の頭を撫でて…!ボクに全財産を遺して死ぬんだよ!」

男「最後は余計だ」

短髪女「全人類を護るために…最愛の女性を残して、英雄的に死ぬ。なんか癪だけど一番格好いいじゃないか!」

男「…まるで映画だな」

短髪女「世界のどこにそんな最高の死に花を咲かせられるヤツがいるってんだ!あぁ!?」





96:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 17:40:51 ID:kB1Ltwcs

男(くっそこのチビ…)

短髪女「そんな男と限られた時間を愛しあうんだ!弐号はそれで幸せなんだよ!なんでそれが解らないんだ!」

男「解った」

短髪女「解ってない!オマエ、少しは自分の意思と自信を持てよ!」

男「解ったって」

短髪女「ボクには全然理解できないけど、オマエは弐号が惚れた男なんだぞ!オマエだって弐号の事…!」

男「解ったって言ってんだろ!」

短髪女「…!」

男(つい昨日、今までとは違う自分を生きようって決めたのに)

短髪女「な…なんだよ、急にデカイ声出して」

男(…やっぱ俺、情けねーな)





97:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 17:41:46 ID:kB1Ltwcs

短髪女「なんか…言えよ。言い返してみろよ」

男(ありがとう、短髪女…)

短髪女「弐号があれだけ感情をブチ撒けたんだ、オマエに黙秘権なんて無いんだぞ」

男「うるせー、チビのくせに…つるぺたのくせに、大の男の耳が痛てえ話ぶちまけてくれるじゃねーか」

短髪女「…ちっ、やっと目が覚めたような顔しやがって」

女「男さん…」

男「女…、すまなかった」





98:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 17:42:38 ID:kB1Ltwcs

女「は、はい」

男「俺は、君に恋を教える事はできない」

女「………」

男「俺も、知らないから。…でも、女」

女「はい」

男「俺は…君が好きだ。一緒に、恋を知ろう」

女「…はいっ」

短髪女「…かっ!一緒に、恋を知ろう…だってさ!うひー!くっさ、死ぬほどくっさ!」





99:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 17:43:44 ID:kB1Ltwcs

男「本当に…ごめん」

女「いいの、男さん…ありがとう」

短髪女「うっへー!この立役者を無視してもう自分達だけの世界ですか!そうですか!」

男「必ず、六日間…幸せにするから」

女「さっき言いました…恋は無償のものじゃないです。男さん自身が幸せになって下さい」

短髪女「オマエが死んだら弐号はすぐに、もっとイケメンと恋に落ちるけどねー!って、いい加減無視するなよ!」





100:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 17:44:36 ID:kB1Ltwcs

男「女…」

女「男さん」

短髪女「…うええぇぇぇん。告ったその場で大人のキスするなよー、相手にしてよー」

男「短髪女」

短髪女「おぅよ!?」

男&女「ちょっと台所行ってて」

短髪女「うええぇぇぇん…」





101:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 17:56:18 ID:kB1Ltwcs

…翌朝

男「…おはよう」

女「おはようございます。もうすぐ朝食できますから、座ってて」

男「…なんか、いいな」

女「はい?」

男「朝起きたら女の子がゴハン作ってくれてる、なんて。憧れてたなー」

女「…照れます。それと」

男「それと?」

女「女の子…じゃないです。彼女?恋人?…でしょ」

男「…お、おぅ」

短髪女「…くっは、こりゃキツイわ」





102:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 17:57:20 ID:kB1Ltwcs

男「起きてたのか、チビ。いちいち茶化すな」

短髪女「朝からそんなAV導入部みたいな台詞を聞かされるボクの身にもなってよ」

男「なんで世間を知らないくせにAV知ってんだよ」

短髪女「研究所で休みの時は色々と資料を学んでたって言ったろ」

男「…もしかして女も?」

女「そ…そんなの観るわけないじゃないですか!」

短髪女「本当に観てないなら、知ってるのがおかしいよね」

男「そーか…色々と学んでるんだな」





103:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 17:58:59 ID:kB1Ltwcs

男「ごちそうさま、美味しかったよ」

女「お粗末さまです」

短髪女「んー、よっし…準備するかぁ」

男「あん?…何を?」

短髪女「おい、変態。今着てる服と、あと…これとこれ位もらってもいいか」

男「ああ、まあ…もう数日分のローテーションあればいいしな」

短髪女「それから何でもいいんだけど、使わないバッグ無い?」

男「あるぞ、もう大学に行く事も無いからな」

短髪女「じゃあそれも、くれよ」





104:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 17:59:55 ID:kB1Ltwcs

女「参号、何をするつもり…」

短髪女「出てく」

男&女「は?」

短髪女「…出ていくって言ったんだよ。いけない?」

男「いや、そりゃ昨夜は除け者にして悪かったよ。でもさ…」

女「さ…参号、ごめんなさい。あんまりノロケた事言わないようにするから」

短髪女「いや、そーじゃなくて。…それもあるけど」





105:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 18:01:00 ID:kB1Ltwcs

男「だって出て行くってどこへ行く気だよ」

短髪女「どこって、決まってるじゃん。そこしか知らないもの」

女「もしかして…研究所へ?」

短髪女「あったりー、…っていうか弐号も行こうよ。コイツが死んだら、どうせそこへ行く事になるでしょ」

女「でも、この時代の博士は私達の存在も知らないのよ」

短髪女「もう時標は設置して、自分はタイムマシンを作る気マンマンなんだから、話せば解るよ」

男「チビにしちゃ賢明だな。俺が死んだ後でも頼れる人がいるなら、是非あたりをつけておくべきだ」





106:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 18:02:38 ID:kB1Ltwcs

女「でも…」

男「どうした、悪い話じゃないぞ」

短髪女「もう…解ってるって、弐号は話がついたら帰ればいいじゃん」

男「…?」

短髪女「今日を含めて六日間、二人っきりでいたいんでしょ?」

女「だって…」

短髪女「まったくもう、弐号ってこんなだったかなー」

男「それで、研究所はどこにあるんだ」

短髪女「そうそう、それを弐号に訊こうと思ってたんだよ」

男「知らないのかよ」

女「研究所に届いた郵便物、私が整理する事が多かったですから」

短髪女「ボクは格闘訓練ばっかしてたもんねー」

女「たしか住所は…」





107:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 18:04:30 ID:kB1Ltwcs

短髪女「…あった、ここだ」

女「間違いない、ですね」

短髪女「2013年ならもっと新しくて綺麗だと思ってたのに、この時からもうボロいって…」

男「すげえな、壁に蔦がびっしりで何の建物か判らない」

短髪女「たしかこのあたりの壁にインターホンが…あった」

ピンポーン…

博士『…はい』

女「あ、博士…女です」

博士『金なら今、ありません。では』

ガチャッ





108:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 18:05:45 ID:kB1Ltwcs

短髪女「だめだよ参号…この時代の博士はボク達を知らないって、自分が言ってたじゃん」

女「博士の声はほとんど変わってなかったから、つい…」

男「俺が話してみようか」

短髪女「だめだめ、オマエなんか余計に借金取りか怪しいリフォーム業者にしか見えないよ」

男「地味にヘコむな、それ」

短髪女「くっそー、あのヘボ学者…話を聞けってんだ」





109:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 18:07:02 ID:kB1Ltwcs

ピンポーン…

ピーンポーン…

ピンポンピンポンピンポンピンポン

ピーーーーーーーン………





………ポーーーーーーーン

博士『…しつこいぞ』

短髪女「博士!開けてくれなきゃ、ここで大声で言うよ!?」

博士『この研究所に借金があるのは、もう近所中知っている事だ』

短髪女「…アンタが研究所の地下を勝手に拡張して作った実験室に、8月1日…何を設置したか…!」

博士『…住宅の不法改造でも咎めにきたのか?私は何もしてはいない、帰ってくれ』





110:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 18:08:21 ID:kB1Ltwcs

短髪女「もおおぉぉ!ちゃんとハナシを…」

女「待って」

博士『待つ義理はないな…それでは』

女「…時計を壁にかけようと貴方はトイレの縁に立っていた」

博士『………?』

女「便器が濡れていて、貴方は滑って洗面台の角で頭を打った。そして意識を取り戻した瞬間、閃いた」

がちゃっ、ぎぃ…

男(ドアが…開いた)

博士「その時…」

女「…ビジョンが」

博士「君達は…まさか」

女「…お久しぶりです、ドク」





111:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 18:34:45 ID:kB1Ltwcs

博士「驚いたよ、まさか本当にタイムマシンが完成しているとは」

短髪女「できるつもりじゃなかったのかよ」

女「あの、それで」

博士「ああ…もちろん、ここに居てくれて構わない。決して贅沢な暮らしは出来ないがね」

短髪女「よっし、これで変態が死んでも困らないな」

博士「しかし男君、よく決心したね」

男「…他に方法は無いですしね。俺の命ひとつなら、安いもんかなって」

博士「すまない、私は君から蜂を追い出す方法を発見する事はできなかったのだな」





112:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 18:36:36 ID:kB1Ltwcs

短髪女「…オッサン、今からじゃその方法は見つからないかな」

博士「ええと、被験体参号くん…だったかな?君のいた時代の私にはそのオッサンという呼称が似合うのかもしれないがね」

女「そうよ、参号。この時代ではまだ博士は三十代なんだから」

博士「…ぎりぎり二十代なんだが」

短髪女「若くても喋り方がオッサンだから、オッサンだと思うよ」

男「それにしても珍しいな、短髪女が俺を気遣ってくれるなんて」

短髪女「べっつに、ボクが気遣ったのは弐号の事だから」

男「同じ事だよ、ありがとな」

短髪女「ふん。で…どうなの、オッサン」





113:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 18:37:18 ID:kB1Ltwcs

博士「2019年に蜂の存在に気付いてから、おそらく多くの学者がそれを研究したのだろう」

男「それで見つからないものは、数日じゃ無理だろ」

短髪女「そうじゃないよ。2019年からじゃなくて、今からそれを研究すれば2032年までには6年も多く稼げるじゃん」

博士「…確かに、しかしそれによってタイムマシンの発明が遅れてしまっては、不測の事態に対応できなくなってしまう」

短髪女「今度はボクと弐号がこの2013年から研究に参加できるんだぞ?遅れるわけないじゃん」

博士「…君達が」

短髪女「むしろ元より早くタイムマシン完成しちゃうよ?」





114:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 18:38:08 ID:kB1Ltwcs

博士「君は将来私が作るタイムマシンの仕組みを、そんなに深くまで理解しているのかね」

短髪女「いんや、タイムマシン本体についてはさっぱり」

男「なんだそりゃ、じゃあだめじゃねーか」

女「けれど博士が何より研究に時間を要したのは、時標のメモリに書き込むための思念データ解析だったと伺ってます」

博士「そうだろうな…実際に今の装置では人間の思念をスキャンする事はできても、それを解読する目処がついていない」





115:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 18:39:52 ID:kB1Ltwcs

短髪女「なんと、ボクと弐号が主に研究を手伝ってたのはそこなんだよねー!」

女「思念図…総合的な思念の結びつきは博士にしか組み立てられなかったのですが、断片的な部分なら私達も解読できます」

博士「それはすごい、研究が一気に進むぞ。早速だが誰かの思念をスキャンして、解読してみせてくれないか」

短髪女「…ボクは遠慮しとく」

女「じゃ、じゃあ二人で解読するから男さんの思念をスキャンしましょう」

男「え、俺なの?」





116:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 18:44:59 ID:kB1Ltwcs

博士「男君…それではスキャンを始めるが、いいかね?」

男「なんか恐いっすね」

短髪女「きししし…」

博士「…スキャナ起動、読出し開始」

男「…いだだだだだ!?」

短髪女「あっはっはっ!…アレ、けっこう痛いんだよねー」

女「思念よりも更に強力な一定の電気信号を送って、相殺される部分の波長を読み取ってるから…」

男「あばばばばば」

女「…ごめんね、男さん」





117:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 18:45:57 ID:kB1Ltwcs

博士「データが入り始めたな」

女「うん、綺麗に読み取れてますね」

男「あだだだだだだ」

短髪女「うっさいなー、大袈裟過ぎ」

博士「このグラフに時々入る大きな歪は何なんだ?振幅は同じ位なのに、あまりに不定期だ」

女「スキャンし始めに読み取るのは主に記憶の思念です。この歪は言わば記憶のインデックス、栞にあたる物です」

男「うべべべべべべ」

短髪女「なんか震えだした」

女「普通は5分くらいで慣れてくるんだけど…」





118:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 18:46:48 ID:kB1Ltwcs

博士「弐号くん、この波形は」

女「これは非常に深い階層に埋れた記憶。つまりとても長い間、使われていない記憶です」

博士「圧縮されている…という事か」

女「仰る通りです」

男「…………………」

短髪女「あ、白目剥いてる」

女「うーん、あんまり見たい姿じゃないなぁ…」

短髪女「でも、なんかおかしくない」

女「………うん」

短髪女「なんか、グラフもデータも綺麗過ぎるんだよな」





119:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 18:47:58 ID:kB1Ltwcs

博士「弐号くん、この空白域は…」

女「あ、あの…博士?スキャナのゲインはいくつに設定されてますか」

博士「うむ?…80位だが」

短髪女「は…80っ!?」

女「博士!強すぎます!12か13位で充分ですから!」

博士「そうなのか?だがこの位の方が波形もデータもよく出るものでな」





120:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 18:49:12 ID:kB1Ltwcs

短髪女「そりゃ強い程ハッキリは出るけど、80は無茶苦茶だよ!」

女「死んじゃう!男さん死んじゃう!」

短髪女「ゲイン落とすよ!」

男「……………」

女「博士…ご自身でもこんなゲインレベルでスキャンされてたんですか」

博士「いや、私自身はした事がないんだ。いつもはたまに来る学者仲間に被験者となってもらっていたんだが」

短髪女「そりゃ、仲間がいなくなるわけだよ…」





121:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 18:50:01 ID:kB1Ltwcs

…30分後、スキャン続行中

男「ひでぇ目にあった…」

博士「男君、すまなかった。今はどうだね」

男「最初に比べたらマッサージくらいのもんですよ」

女「………」

短髪女「どうしたの、弐号。黙り込んで…」

女「…波長が」

短髪女「ん?…ああ、そろそろかな」





122:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 18:50:45 ID:kB1Ltwcs

博士「何の事だね…?」

女「………」

短髪女「あ、出た…かな」

博士「何だ、この無茶苦茶なノイズは」

女「…やっぱり、出ちゃったな」

短髪女「弐号…」

博士「これは、とても同じ思念とは思えん。もしやこれが」

女「お察しの通り、これが蜂のノイズ。おそらく宿主の思念を覗き見るために、思念に寄生しているのだと思われます」

博士「なんと…思念にまで寄生するのか」

女「………」

短髪女「さ…こっからはキリが無いよ。オッサン、止めて」





123:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 18:52:17 ID:kB1Ltwcs

…1時間後、研究所廊下

女「男さん、お疲れ様でした。はい、ブラックのコーヒー」

男「女、終わったのか。結局三人ともスキャンされちゃったな」

女「もうすぐ参号も終わります。サンプルは多い方が良いですから、仕方がないですよ」

男「そうなんだろうね」

女「ごめんなさい、最初に男さんを受けさせてしまって」

男「いや、最初のあれは君に受けさせたくはないな」





124:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 18:53:21 ID:kB1Ltwcs

女「…少しね、期待しちゃいました」

男「何を?」

女「もし、男さんの中に蜂がいなかったら…って。そしたら、五日後にさよならしなくていいのになって」

男「それで俺にスキャンを勧めたのか。けど、それじゃ未来の滅亡を防げなくなってしまう」

女「でも10年…長ければ20年、一緒に居られます」

男「ははは…最初の目的、見失ってんじゃん」

女「うん…いけません、ね」





125:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 18:55:11 ID:kB1Ltwcs

男「…たかだか30分位でも結構大変だった。短髪女がここからはキリが無いって言ってたけど、どの位かかるもんなんだ?」

女「全てを一巡スキャンしてしまうには、だいたい18時間位ですね」

男「長いなー」

女「長いんです」

男「それにしても蜂のノイズの事、知ってるみたいだったけど」

女「本当は研究所にはもう一人、被験体壱号がいました」





126:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 18:56:24 ID:kB1Ltwcs

男「…もしかして?」

女「2031年、10億の被害者の一人です。…とても頼れるお姉さん的な存在でした」

男「………」

女「2029年、世界中で1億の被害が出たその数日後から、壱号をスキャンすると思考領域に入った途端にノイズが出るように…」

男「…思考領域?」

女「記憶領域の次にある思念の階層、思念の内の大半を占めるデータです」

男「ふーん…記憶ってそんなちょびっとの割合なんだ。18時間中の30分程度だもんな」

女「意外でしょう?…いくら膨大でも、記憶はただの記録データ。思考や感情の方が遥かにややこしいの」





127:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 18:57:10 ID:kB1Ltwcs

男「思考…感情か、喜び…悲しみ…怒り」

女「それから…愛や恋も。今、私の思念はどんな風に貴方を捉えてるんでしょうね」

男「女…」

女「少なくとも恋を知る前よりも、ずっと複雑なんだろうなぁ。…それとも貴方の事ばかり考えてるから、単純かしら」

男「…俺も、君の事ば」
博士「やあ男君、ご苦労だったね」

男&女「はぅあ」





128:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 19:02:45 ID:kB1Ltwcs

博士「おや…お邪魔だったかな」

短髪女「ところ構わず発情してんなよなー」

女「参号っ!」

男「それよりあの電流、かんべんして下さいよ…まったく」

博士「面目無い、危うく私が蜂の宿主になってしまうところだった」

男「そこですか、問題なのは」





129:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 19:15:15 ID:kB1Ltwcs

博士「ははは…冗談だよ。ところで、気分は悪くないかね?」

男「ちょっとフラフラするけど、平気です」

博士「スキャン前に、血液の約6%を信号に感応しやすい人工血液に入れ替えているからね。馴染ませるためにも、丸1日は運動を控えてくれ」

男「はい」

博士「それじゃ、私は今のデータを整理させて貰うよ。疑問が一気に氷解していくようで、興奮がおさまらない」

女「無理をなさいませんよう」

博士「ありがとう。弐号と男君は帰るのだろうが、ゆっくりしていってくれ」





130:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 19:20:32 ID:aYhaNN.w

短髪女「今日は運動禁止だって。残念、夜にハッスルできないね!」

男「しねーし。ませた事言ってんなよな、チビ」

短髪女「あれあれー?そういう意味でも気を遣って家を出たつもりだったんだけどなー」

女「もう!」

短髪女「でもあと五日しかないんだから、思い出はカラダに刻みつけておかないと後悔するよー?」





131:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 19:33:41 ID:kB1Ltwcs

男「ばーか、昨日お互い告ったばかりだぞ」

女「そ、そうだよ。そんなの…すぐにしていい事じゃないよ」

男「俺は、五日間めいっぱいレンアイをしてみたいとは思ってるけど、その間に女を穢すような事はしないつもりなんだ」

短髪女「え?そーなの?」

男「すぐに忘れられるのも嫌だけど、そのうち女には新しい恋もして貰いたいしな」

女「…私は」

短髪女「古っるい考え方。ま、好きにすれば」





132:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 19:59:19 ID:kB1Ltwcs

…研究所からの帰り道

女「星…綺麗」

男「少し郊外だもんな。どうせなら残り五日間、どっか小旅行でも行くか」

女「いいですねー」

男「北海道…行ってみたいけど、金かかるしな。うーん、京都とか?」

女「どこでもいいです、男さんとなら」

男「グッとくる台詞だね、言われてみたかった」

女「…言ってみたかったんです」

男「じゃあ、行き当たりばったりで。着替えとかだけ用意して、明日は駅へ行こうか」

女「はい」





133:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 20:05:18 ID:kB1Ltwcs

…翌日、8月18日

男「電車の時間、もうちょいあるな」

女「やっぱり地方行きの電車は少ないんですね」

男「ちょっと買い物しよう。女、せっかくの旅行だから少しいい服買ってやるよ」

女「え、いいんですか」

男「冬ならキツイけど、夏だからね。アウターとか要らないし」

女「じゃあ…お言葉に甘えて」

男「たぶん博士は服とか買ってくれそうにないしなー」





135:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 20:19:53 ID:kB1Ltwcs

女「どう…でしょうか」

男「すっげーすっげーすっげえ…可愛い」

女「ありがとうございます」

男「それだけですか、そーですか」

女「じゃあ…腕組んでみたりします」

男「…幸せだなぁ」





136:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 20:20:34 ID:kB1Ltwcs

女「大事にします」

男「うん?」

女「この服、ずっと大事にしますから」

男「うん、時々着てくれよな」

女「はい、…でも」

男「でも」

女「綾も錦も、きみありてこそ…です」

男「…うん」





139:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 20:29:16 ID:kB1Ltwcs

…ガタン、ゴトン

女「あ、富士山です」

男「そういえば富士山の噴火が近いなんて言ってたりするけど、2032年ではどうだった?」

女「相変わらずの、するする詐欺です」

男「そーなんだ」

女「しない方がいいですけどね」

男「そうだね」





140:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 20:31:54 ID:kB1Ltwcs

ガタン、ゴトン

女「ところで」

男「なに?」

女「そろそろじゃありませんか」

男「何が」

女「こういう事は、あまり女性が催促するものではありません」

ガタン、ゴトン、ぐううぅぅ、ガタン、ゴトン

男「なんだ今の」

女「線路が歪んでたんでしょう」

男「つまりさっき買った駅弁を出せと」

女「そんな事、口では言ってません」

男「口ではね」

ガタン、ゴトン…





141:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 20:33:24 ID:kB1Ltwcs

女「海の色、違いますね」

男「やっぱり砂が白いとねー」

女「こないだの水着、持って来てますよ」

男「用意いいな。俺、バッグに入れてないや」





142:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 20:34:05 ID:kB1Ltwcs

女「じゃあ海に入るのはやめときます?」

男「入ってもいいけど、女は泳げないだろ」

女「水遊びくらいいいじゃないですか、この暑さですし」

男「まぁ…男物は買っても安いから、いいけどね。何なら浮輪も要るか?」

女「今度は抱きついておけるでしょう?」

男「君は俺の理性を過信しすぎてる節があるな」

女「(…崩壊しろー)」





143:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 20:42:45 ID:kB1Ltwcs

…旅館、露天風呂男湯

男(温泉…両親が生きてた時以来かなー)

男(ぬるめだから、ずっと入ってられそうだ)

男(明日からをカウントして、余命4日か)

男(ここ半月ちょい、とんでもなく濃い日々だよな)

男(短髪女は研究所でおとなしくしてるのかな)

男(…してねーか、してねーな)

男(全人類を護るために最愛の女性を残して、英雄的に死ぬ…か)

男(アイツ、変に説得力あんだよな。お土産くらい買ってやるかなー)





144:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 20:52:31 ID:kB1Ltwcs

男(…やべ、来た晩のチビの裸…思い出しちまった)

男(あれは危うくつるぺた趣味になるとこだったぜ)

男(ぬるめの湯で良かった、これはしばらく出られないぞ)

女「男さん、入ってます…?」

男「うぉ!?…こ、この竹垣の向こう女湯か」

女「気持ちいいですねー、私こんな気持ちいいお風呂はじめて」

男「お、おぅ…」

男(…おかげで今度は君の裸を思い出したよ)

女「今、えっちな事考えたでしょ?…なーんて」

男(くっそ、変にのぼせてきたぜ…)





147:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 20:56:53 ID:kB1Ltwcs

…旅館の部屋

女「お帰りなさい、随分ゆっくりでしたね?」

男「おかげさまでね」

女「…?」

男「もう御膳、出してくれてるんだな」

女「はい、さっき来て下さいました」

男「ハラ減った、食べよーぜ」

女「お酒、つけてもらいます?」

男「んー、やめとく。いろいろ酔いそう」

女「(…ガード固いな)」





148:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 21:01:37 ID:kB1Ltwcs

男「美味しかったね」

女「すっごく、懐石料理なんてはじめてでした」

男「それだけいろいろ初めてで喜んでくれたら、連れて来た甲斐があるよ」

女「はー、お腹いっぱい…」

男(…うっ……、旅館の浴衣ってやべぇな。帯細いから色んなとこがはだけかけて…)

女「男さん」

男「はい」

女「なんで『はい』なんですか」

男「いや、なんとなく」

女「…色っぽいです?」





149:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 21:05:53 ID:kB1Ltwcs

男「女…お前、わざとか」

女「男さん、隣…もう布団あるんですよ」

男「お前、酒でも飲んだんじゃ…」

女「あと四日しかないです。…夜はあと4度しかないんです」

男「お、女…ちょっ…」

女「男さん、私…」

トントン、スーッ

仲居「御膳を下げに参りました」

男&女「はぅあ」





150:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 21:12:39 ID:kB1Ltwcs

…布団の上

女「こほん…男さん、改めて」

男「女、言ったろ?俺は君を穢すつもりは無いって」

女「往生際が悪いです」

男「…女、真面目に言ってるんだ」

女「そんな真剣な顔をするの、ずるいです」

男「前に言ったよな…君と恋をしたら、死ぬのが嫌になりそうだって」

女「はい」

男「君とこうしている事を、後悔する気は無い。でも、やっぱり恐れていた事は…本当だった」





151:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 21:14:07 ID:kB1Ltwcs

男「今さら死ぬ日を延ばすつもりは無いし、逃げても喚いても9月1日には死ぬんだろう」

女「…はい」

男「でも、確かに死ぬのが嫌になってる俺がいるんだ。日々、怖くなるんだ」

女「怖くて当たり前です」

男「君を抱いたら、きっと…もっと怖くなる。もっと君に依存してしまう」

女「男さん…」

男「君の全てを俺の物にしたら、俺は君と心中しようとするかもしれない」





152:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 21:16:22 ID:kB1Ltwcs

女「…いっそ」

男「だめだよ、それじゃ」

女「だめ、ですか」

男「…格好悪いところまでぶっちゃけてしまえば、猿になっちゃいそうなんだよ。一回したら…ね」

女「なってもいいです」

男「俺は嫌なんだ。最後の時間、俺はもっとたくさんの風景を君と一緒に見たい」

女「………」

男「君が俺を思い出す時、できるだけ綺麗な記憶の中にいる二人でありたいんだよ」





153:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 21:21:36 ID:kB1Ltwcs

女「…わかりました、もう言いません」

男「うん」

女「でもひとつだけ言います」

男「何?」

女「男さんは、女心わかってません」

男「…なかなか、手厳しい」

女「ばーか」

男「ごめんな」

女「はだけた浴衣、色っぽかったでしょ?」

男「うん」

女「無理しちゃって」

男「…うん」

女「変なところ頭が固いんだから」

男「そうだね」





154:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 21:24:30 ID:kB1Ltwcs

女「でも…もうひとつ、固そうですよ?…言ってる事と矛盾してます」

男「言うなよ、これは仕方ないんだ。AVで学習したんだろ?」

女「本当は、ちょっとだけ勉強しました。…だから」

男「女…おい?」

女「私が男さんを穢すのは、構いませんよね」

男「ちょ…その手つき」

女「すっきり…させてあげる」





155:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 21:31:24 ID:kB1Ltwcs

…翌朝、8月19日

女「おはよう、男さん」

男「おはよ…」

女「…まだ足りませんでした?」

男「ばっか、その手つきやめれ。朝は仕方ねーんだよ」

女「えへへ、またして欲しくなったらいつでも言って下さいね?」

男「参ったな、一方的なだけにエラい弱みを握られたっぽい…」





156:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 21:32:22 ID:kB1Ltwcs

女「一方的なのは頑固な男さんが悪いんじゃないですか。さ、朝風呂でも行って」

男「女は?」

女「もう行ってきました」

男「早起きだな」

女「私は体力使ってませんから」

男「うるせ」





157:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 21:59:13 ID:kB1Ltwcs

女「さて、男さんがお風呂の間に…チェックアウトの準備でも」

女「もう、男さん脱ぎっぱなしじゃない…」

女「…ジーンズは今日も履くよね。シャツは替える…と」

女「夫婦って、こんな感じ?えへへ…」

女「…ずっと、こうならいいのになぁ」

女「22日、来なきゃいいのに…な」

女「ちょっとだけ…男さんが居ない間だけ、泣いちゃおうかな」

女「………幸せ…なのに…なぁ」





158:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 22:02:34 ID:kB1Ltwcs

…8月21日深夜、帰りの夜行列車


…カタタン …カタタン


男「さて、あと1時間程で21歳の誕生日…か」

女「…です、ね」

男「誕生日くらい短髪女も優しくしてくれるかなー」

女「参号は…本当は優しいんです。素直じゃないけど」

男「うん、なんとなく解るよ」





159:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 22:03:55 ID:kB1Ltwcs

…カタタン …カタタン


男「自分の誕生日ケーキを自分で買うのもなんだけど、駅前のケーキ屋美味しいんだ。博士は甘い物食べるのか?」

女「ああ見えて、結構甘党なんですよ」

男「そっか。お土産も饅頭だし、ちょうどいいかな」

女「………」





160:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 22:05:02 ID:kB1Ltwcs

…カタタン …カタタン


男「旅行、楽しかった?」

女「…はい」

男「よかったよ。ほんと…たくさん遊んだね。俺も、楽しかった」





161:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 22:06:13 ID:kB1Ltwcs

…カタタン …カタタン


女「男さん」

男「ん?」

女「やっぱり…ね?あの…」

男「…うん」

女「あの…えっと…」





162:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 22:09:40 ID:kB1Ltwcs

…カタタン …カタタン


女「ほんと、この4日間…幸せで」

男「…うん」

女「ずっと、こうしてたくて」

男「そうだな」

女「男さんの心残りになる事…言っちゃいけないって、解ってるんです…けど」

男「………」

女「やっぱり…無理で」





163:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 22:11:36 ID:kB1Ltwcs

…カタタン …カタタン


女「抑えるの、苦しくって…」

男「…泣くなよ」

女「無理…言わないで」

男「…ごめん」

女「もう…止めらんない…です」

男「女…」

女「やっぱり、死ぬのギリギリまで…延ばしましょうよ」





164:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 22:14:07 ID:kB1Ltwcs

…カタタン …カタタン


女「ね…、それがいいです。このまま、もう少し旅をしましょう?あと1日だけでも」

男「一度延ばしたら、癖になってしまうよ」

女「大丈夫ですよ、男さんは変なところだけ頑固なんだから」

男「最初、君が言ったよ。俺は周りに流されるタイプだって」

女「だったら今、流されて下さい…」

男「それを踏みとどまろうとしてるんだ」





165:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 22:17:23 ID:kB1Ltwcs

…カタタン …カタタン


女「…きっと蜂が羽化する前には、何か前触れがありますよ。だからそれまで、延期にしましょう?」

男「未来で、壱号って人が亡くなった時は前触れがあったの?」

女「………」

男「どっちにしても、延ばしちゃだめだ。本当に決心が鈍ってしまう」





166:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 22:20:10 ID:kB1Ltwcs

女「…やだ」

男「女…」

女「やだよ…死んじゃ、やだ…。ねぇ、やめよう?…やめましょうよ…」

男「それは…できないよ」

女「全部、忘れてた事にしましょうよ…このまま…私…このままが…いいよ…」

男「うん…ありがとう」

女「なんでお礼なんて言うんですか…。解った…って、そうしようって…言ってよう…」

男「…ごめん」

女「謝られたいんじゃ…ないよ…」


…カタタン …カタタン …カタタン …カタタン





167:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 22:21:25 ID:kB1Ltwcs

男(…それから列車は、あまり灯りも無い田舎の小さな駅で、夜間停車した)

男(いつの間にか日付は変わり、俺の誕生日であり命日となる一日は、ついに訪れた)

男(女はあの後、俺の肩に寄りかかって暫く泣いていたが、いつしか泣き寝入りしてしまったようだった)

男(列車が停まる時の揺れで肩からずれ落ちそうになった女の頭を自分の膝の上に直して、俺はその寝顔を飽く事無く眺めた)





168:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 22:22:43 ID:kB1Ltwcs

男(もし君を抱いたら、今よりもっときみに依存してしまう…そう俺は言った)

男(けれどそれは自分の感情ばかりで、彼女が俺にどれだけ依存しているかを考えない言葉だった)

男(残される人の悲しみなんて、考えてもいなかったんだ…俺は)

男(…ごめんな、女)

男(やがて明け方、列車はまた走り出した)

男(膝の上で眠る女の頬に落ちたのは、俺の人生最後の涙なんだろう)





169:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 22:40:29 ID:kB1Ltwcs

…8月22日 夜、研究所

短髪女「誕生日、おめでとー!」

女「おめでとう、男さん」

博士「…私まで参加してしまってよかったのかな?」

男「多い方が嬉しいですよ」

博士「そうか。では、おめでとう男君」

短髪女「ケーキ!ケーキ!」

女「美味しそう、蝋燭たてますね」

短髪女「オッサン、電気消して」

博士「火は着けたかな?…消すぞ」





170:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 22:43:06 ID:kB1Ltwcs

短髪女「蝋燭の灯り、綺麗…」

男「お、短髪女もやっぱり女の子なんだな?」

短髪女「その言葉、今日くらいは大目にみてやるよ」

女「こんなのはじめてですから、参号も私も」

短髪女「オッサンこんな事してくれなかったもんなー」

博士「まだ身に覚えは無いが、すまないね…」





171:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 22:45:08 ID:kB1Ltwcs

男「こんな誕生日、本当に久しぶりだよ」

女「…男さん」

男「それでも両親が死んでから、まだ2年…か。まあ高校生になってからは誕生日パーティって程の事はしなかったからな」

短髪女「すればよかったのに、ケーキ食えるんだぞ」

男「そういう時期だったんだよ、たぶん。…でも両親が居なくなるなんて解ってたら、しときゃよかったな」





172:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 22:47:03 ID:kB1Ltwcs

短髪女「事故…だったんだろ?」

男「本当に突然でさ、あの時は辛くって。葬式が終わってすぐに独りで実家を出て、夜の海へ行ったんだ」

男「砂浜にうずくまって、ずっと泣いてた。そしたら不意に海岸が明るくなったんだよ」

女「………」

男「すごい大きな流れ星だった。しばらく夜空を駆け抜けたあと、光は消えたんだけど…妙に胸騒ぎがして」

博士「おそらく東京湾大火球として記録されているものだろうな」

男「もしかしたらだけど、あの流れ星に蜂の卵がついてたのかな」

博士「昼間に念のため行ったスキャンでも、ノイズは消えていなかった。…残念だ」





173:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 22:48:58 ID:kB1Ltwcs

短髪女「や、やめようよ!この話、やめよう!」

女「…そうです、せっかくの誕生日パーティなんだから。ごちそうも作ったんですよ」

男「うん、そうだな。ごめん…変な話をした」

女「さ、男さん蝋燭消して」

短髪女「そーだよ、ケーキに蝋が垂れちゃう」

男「じゃ、ひと息で…」

女「おめでとう!男さん」

短髪女「おめでとー!」





174:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 22:51:35 ID:kB1Ltwcs

博士「じゃあ明かりをつけるぞ」

短髪女「いっただっきまーす!」

男「おいおい、俺が先じゃねーのか」

短髪女「うんまーい!」

男「女、料理がんばったなー。いただきます」

女「うん、がんばりました。博士もどうぞ」

博士「ありがとう、頂こう」





175:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 22:53:51 ID:kB1Ltwcs

短髪女「あ、そだ!変態…じゃなかった、男!お土産ありがとうな!」

男「ああ、大したもんじゃないけど」

女「そういえば参号には何を買って帰ったんですか?」

男「ご当地ゆるキャラのぬいぐるみリュックだよ」

女「じゃーん!背負ってたりして!」

男「餓鬼っぽくて似合ってるぞ」

短髪女「大目にみてやるの、あと1回な」





176:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 22:56:20 ID:kB1Ltwcs

博士「すまないね、誕生日なのにプレゼントできる物も無い」

女「私も…何も用意出来ませんでした」

男「女はこの料理で充分だよ。博士は今後この二人を住まわせてやってくれたら、俺の肩の荷も降ります」

短髪女「ボクは…ボクも、何もないから」

男「いーよ、気にすんな」

短髪女「キス…してやるよ。ほら、ほっぺた向けろ」

男「あ?まじか…」

短髪女「…ん」

男「ありがとな、記念になるよ」





177:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 23:00:00 ID:kB1Ltwcs

短髪女「弐号、妬いた?」

女「そんな事で妬くほど子供じゃありません」

短髪女「ちっとも?」

女「…ちょっとしか、なんてね」

男「ははは。…あー、楽しいなぁ」

女「…はい」

短髪女「楽しい、すごく…楽しい」

男「みんな、ありがとうな。俺…こんなに幸せな夏、はじめてだよ」





178:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 23:07:42 ID:kB1Ltwcs

女「………」

短髪女「………」

博士「また来年がある…そう言えないのが、辛いな」

短髪女「男…ボク、これ大事にするから」

男「うん」

短髪女「変態とか、オマエとか…生意気な事ばっかり言ってゴメンな」

男「どうした、らしくないな」

短髪女「ボク…最初は男を殺しに来たんだ。だからなんとなくずっと意地張っちゃって…」

男「うん…そうか」





179:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 23:09:46 ID:kB1Ltwcs

女「私だって、男さんに散々…それはもう二週間もずっと、自殺しろ自殺しろ…って」

男「そうだったな」

短髪女「ゴメン…男、…そういう指令だっただけなんだ。本当は男の事、嫌いじゃない」

男「解ってるよ、ケーキ食べよう」

短髪女「う…うえええぇぇぇん…」

博士「参号くん…泣いてはいかん。男君の心残りになってしまう」





180:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 23:12:26 ID:kB1Ltwcs

短髪女「うわああぁぁぁん、男ぉ…死んじゃやだぁー」

女「参号…やめてよぅ…私、もう泣かない…つもりだったのに…」

短髪女「うええぇえぇぇん」

女「う…うっ…男さん…」

男「本当、もう…感無量だな。こんなに惜しんで貰えるなら」





181:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 23:14:35 ID:kB1Ltwcs

博士「憎いな、優男。だが…私も断腸の思いだ」

男「飲みましょう、博士。棚に色々あったじゃないですか、頂けませんか」

博士「ああ、いいとも。とっておきを空けよう…」

男「女…ありがとう。でも泣いてないでさ、お酒ついでくれよ」

女「*…う…はぃ…」

博士「ロックでいけるかね?」

男「なんでもこいです、もう明日に残る事も考えなくていい」

博士「違いない。乾杯だ、男君の誕生日に」

男「…乾杯」





182:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 23:19:50 ID:kB1Ltwcs

…数時間後

博士「よく…寝ているな」

男「はい」

博士「最後の別れはいいのか、男君」

男「…さよならなんて、言うほど悲しくなるだけです。本当は俺だって…怖い」

博士「当然の事だ。私には二人の事は心配するな…その位の事しか言えないが」

男「充分ですよ。じゃ…行きます」





183:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 23:22:55 ID:kB1Ltwcs

博士「男君、もし君がどうしても自殺する事が出来なくとも、それは誰にも責められん事だ」

男「よして下さい、それこそ決心が鈍る」

博士「…握手を」

男「はい、博士…お元気で」

博士「君もな…と、そう言いたい所だ」

男「…それじゃ」

キィ…


男「…さよなら、女」


…パタン





184:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 23:26:09 ID:kB1Ltwcs

博士「…ふぅ」

博士「今は眠る二人に、明日の朝は何と声をかければいいのだろうな…」

博士「情けない事だ…科学者でありながら、彼一人救えんとは」

博士「飲み直す…か。今夜位は自棄酒も赦されるだろう」

キィ…

…バタン



女「…さよなら、男…さん…」





185:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 23:38:58 ID:kB1Ltwcs

…翌朝

ピーンポーン…

博士「誰だ…こんな朝に、無粋な借金取りめ。う…飲み過ぎたな…」

短髪女「う…ん…オッサン、誰か来たの?」

博士「無視しておこう、今日から研究を急ぐぞ。男君のためにもな…」

ピーン…ポーン…

女「………?」

短髪女「あ、弐号…起きたね。呼び鈴、オッサンが無視しとけって」





186:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 23:39:54 ID:kB1Ltwcs

ピンポーン…

ピーンポーン…

ピンポンピンポンピンポンピンポン

ピーーーーーーーン………





………ポーーーーーーーン

女「…まさか」

短髪女「あ、弐号…!?」

ガチャッ!

女「あ…」

短髪女「…えっ!?」

男「…おはよう、バツが悪いけど」





187:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 23:41:27 ID:kB1Ltwcs

短髪女「…なんで…」

女「男さんっ!」

男「わっ…!?ちょ…ちょっと、女…!」

女「うわああぁぁぁん!」

博士「男君…いや、よく帰ってきた。何も言うまい」

男「そ、そうじゃなくて」

短髪女「なんだよオマエ!昨日あれだけ人を泣かせといて…!」

男「いや、ごめん」

短髪女「また…泣かすなよぅ…うわああぁぁぁん!」





188:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 23:42:41 ID:kB1Ltwcs

博士「まあ入りたまえ。蜂の羽化まで、残る時間は君の自由にすればいい。誰も文句は言わん…」

男「博士、本当に違うんです。事態はもっと深刻なんです」

博士「…深刻?」

男「最初は部屋で首を吊ろうとしました。でもどうしても輪に首を通す事が出来なくて」

博士「………」

男「怖がってるだけだって、そう思ったんですが。じゃあ、練習だって…首を通すだけしてみようとしても、無理だったんです」

博士「…ふむ」





190:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 23:43:55 ID:kB1Ltwcs

男「その後、近くのマンションの外部階段に上がって飛び降りようとしても、どうしてもあと片足が上がらない」

女「まさか…」

男「風邪薬をひと瓶飲もうとしても、瓶を口に持っていけないんです。ただ怖いと思ってるなら飲んでも吐けばいいだけなのに」

短髪女「蜂に邪魔されてるってのかよ」

博士「…これも思念に寄生する理由なのか」





191:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 23:44:47 ID:kB1Ltwcs

男「なんか本当に情けないんだけど、自分じゃ死ねないみたいで…」

短髪女「ボクが殺して自殺しようとしても…同じなのかな」

博士「犠牲者を悪戯に増やすばかりだろうね。打つ手無し、か…」

男「…めちゃくちゃ覚悟したんだけどなぁ」

短髪女「蜂め…どれだけ人を弄ぶんだ」

博士「羽化まであと9日しかない。すぐに研究に入ろう、良い手は無いかもしれんが。弐号くん、スキャンの準備を」

短髪女「…あれ?…弐号、どしたの」

女「え?…あ、はい…すぐ準備します」





192:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 23:45:59 ID:kB1Ltwcs

女「男さん、お疲れ様。…はい、コーヒー」

男「ありがとう、なんか複雑だよ…」

女「私は嬉しいです。もう昨夜、諦めてたから」

男「うん、もう一度こうしてられるのが嬉しく無いんじゃないけど…スッキリしなくて」

女「すっきりさせて欲しいの?」

男「女、こんな時にからかうなよ」

女「あはは、ごめんなさい」





193:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 23:47:00 ID:kB1Ltwcs

男「なんか妙に明るいな?どしたんだ…女」

女「…あのね、男さん」

男「うん?」

女「さっき男さんがスキャンを受けてる間、ずっと考えてたの」





194:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 23:49:25 ID:kB1Ltwcs

男「何を」

女「…で、もう決めたの。だから反対はしないで」

男「…?」

女「男さん。これからもう一度、旅に出ましょう」

男「は…?そんな場合じゃないだろ」

女「反対しないでって言ったわ。…何も言わないで、私を信じて」





195:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/01(日) 23:57:02 ID:kB1Ltwcs

…翌日、8月23日

女「博士、お世話になりました」

男「元気でな、短髪女」

短髪女「…うん」

博士「二人とも、目一杯楽しむんだ。思い残す事が無いよう」

男&女「はい」

短髪女「男…」

男「どした?」

短髪女「…今度は、弐号を大人の女にしてやるんだぞ?」

女「参号っ!」

男「お、おぅ…任しとけ」





197:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/02(月) 00:01:05 ID:kB1Ltwcs

博士「弐号くんの考えを聞いた時は驚いたが…」

女「…すみません、博士」

短髪女「男、弐号…やっぱり行っちゃ、やだ…」

男「しっかりしろよ、短髪女。ほんとにらしくねぇぞ」

女「ごめんね、参号…」

男「よっしキスしてやるよ、ほっぺた向けな。…ん





198:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/02(月) 00:02:26 ID:kB1Ltwcs

短髪女「う…うええぇぇん…」

男「それじゃ、行ってきます」

女「さよなら…参号、博士」





199:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/02(月) 00:03:21 ID:kB1Ltwcs

…8月31日、研究所

短髪女「オッサン、見た?」

博士「ああ、新聞の地方欄に出ていたな」

短髪女「『アパートの一室で男女の遺体、抱き合ってお互いの背中を刃物で刺す。心中か…』だってさ」

博士「推定日は28日だそうだな、旅の最後は男君の部屋へ帰ったか」

短髪女「ボクもだけど、あの二人が出会った所だからね」





200:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/02(月) 00:04:18 ID:kB1Ltwcs

博士「これで蜂が消えていればいいが」

短髪女「消えてるよ。そうじゃなきゃ自殺を邪魔する意味ないもん」

博士「そうだな。誰も知らない英雄が二人…か」

短髪女「いつまでも、泣いてらんないね」





201:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/02(月) 00:06:49 ID:kB1Ltwcs

博士「ああ、忙しくなるぞ」

短髪女「…なんだ、オッサンもやっぱりその気なのか」

博士「無論だ」

短髪女「クローン用のサンプルは?」

博士「人工血液と入れ替えに採取した血液が300ml」

短髪女「充分だね、あとは…」

博士「23日時点のものだが、思念のスキャンデータも揃っている」

短髪女「よっし、気合い入れてくかぁ」





202:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/02(月) 00:08:06 ID:kB1Ltwcs

…研究所、とある暗い部屋

女「…う…ん……?」

女「…ここは?研究所…?」

???「あ、起きた」

女「え?…さ、参号!?」

???「参号…?ボクは博士娘だよ?待ってて、お母さん呼んでくるね」

女「博士…娘…?」

博士娘「…おかーさーん、弐号さん起きたー!」





203:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/02(月) 00:09:09 ID:kB1Ltwcs

???「…おはよう、弐号。気分はどうかしら?」

女「はい…大丈夫です。貴女は…?」

???「私は博士妻。…意識ははっきりしてそうね」

女「博士妻…博士の奥さん?」

博士妻「ふふ…わからない?じゃあ…ボクだよ、弐号!…って言えば解るかしら」

女「…まさか、参号…じゃあ今は」

博士「やあ、久しいな」

女「博士…その姿、じゃあやっぱり」

博士「そう、今は2032年だ」





204:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/02(月) 00:10:59 ID:kB1Ltwcs

女「私…どうして」

博士「君が男君と死を共にした、そのすぐ後から、私と参号…妻はクローン技術を完成させる研究に入った」

女「クローン…」

博士「そしてすぐに一体のクローンの培養をスタートし、追って2017年…君の培養を始めたんだ」

女「2017年…元々の私のクローン製作より2年後…」

博士妻「そう…だから貴女は今、前より若い15歳」





205:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/02(月) 00:12:06 ID:kB1Ltwcs

博士「それと同時進行で、思念のスキャンデータから記憶領域を抽出し、クローン体に書き込む技術も開発した」

博士妻「タイムマシンも予定通りの時期に完成させるよう目指したから、なかなかハードだったけれどもね」

博士「まあ、私独りでは無かったからね。助け合う内に…その、なんだ」

博士娘「ボクができたんだよね!」

女「まあ、それは素敵です」

博士「ごほん、それで…弐号くん。早速だが君に頼みたい事があるのだ」





206:以下、名無しが深夜にお送りします:2013/09/02(月) 00:12:58 ID:kB1Ltwcs

女「…何でしょう」

博士「君の隣にある培養ケース、そこで培養されている『彼』は、もう2年ばかり経ってから起こす事になる」

女「はい」

博士妻「2013年から培養を始めているから、2034年まで。予定では8月22日に起こすつもりなの」

女「はい」

博士「そのメンテナンスを、君に頼みたい」

女「…お任せ下さい」

博士「…ずいぶん良い手つきだね?」

女「得意なんです」


…fin

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テーマ:ショート・ストーリー - ジャンル:小説・文学

  1. 2013/09/25(水) 09:38:55|
  2. 男女SS
  3. | コメント:9

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